レシピ・13「仏の前で海鮮焼きそば」
――鎖を伝っていくと、
壁に開いた無数の穴。
壁沿いに土を盛って作られた
「穴の中にいるの…たぶん、ミイラだよね?」
千春が指摘する通り、穴の中には座りこむミイラ。
長年の風化で干からびているものの、着ているものは高位の
「――
思わず声を上げる私。
「そくしん、え?」
「即身仏。仏教で
――今はもちろんされていないが、昔の
「肉や魚を食べず、木の実を食し、最後には水だけを飲む。そして死期が近くなると地面に設置した
「亡くなっても土の中にそのままにされる場合もあるし、安置したところで保存が効かず、カビや害虫に食われてしまうから現存している即身仏は少ない――それだけに、これだけの僧侶の姿を拝めるなんて滅多にない事だぞ」
歴史の遺物に空腹も忘れ、思わず見入ってしまう私。
「ええい、おじさん――ゴメン、もう無理!」
言うなり千春はラインカーを手にすると、引いた平行線にバールで素早く傷をつけ、門前に止められていた車を出現させる。
「持ってきた弁当だけじゃあ足りないわ。ここで、海鮮焼きそばを作ります!」
「え、おい。ちょっと待て…」
――しかし、千春の暴走は止まらない。
車の中からガスコンロとフライパン、携帯冷蔵庫からキャベツ、焼きそばの袋、海鮮ミックスの袋を取り出すとコンロに素早く火を点ける。
「おじさん、そこに
「断食した僧侶の前で焼きそばって…なんたる
「いいの仏様だって飢えた人は放っておかないでしょう!」
メチャクチャな返答をする千春に、私もしぶしぶ手伝う。
なぜか、手水舎には近代的な蛇口がついており、持ってきた石鹸で手を洗ったのち持ち出したハサミで麺や粉ソースの袋を切っていく。
対して、千春はキャベツを大まかに切っていき、ごま油を引いたフライパンで野菜とシーフードミックスを一緒に炒める。
「水、茶碗に三分の一を汲む!」
すでに具材の良い匂いがあたりに立ち込めるが、袋麺をその上に開け、さらに粉ソース、水と酒(鳥居から千春が持ってきた御神酒の酒瓶を使用)を勢いよく箸で麺をほぐしながら具材と混ぜ込んでいく。
「――できた!」
言うなり、皿を用意させて上に載せる千春。
「…あと、これは仏様用!」
ついで小皿に盛ったものを手近の即身仏の前に置き「皆様でお召し上がりください」と両手を合わせてお供えする。
「これで良いっしょ、さあ。食べよ!」
そうして、神聖な場で罰当たりなことをした千春は弁当に持ってきたおにぎりと肉じゃがの残りを広げ、盛大な昼食を始めた――
*
「ふいー。食った、食った」
満足そうな顔で、洗った道具を車の中へと戻す千春。
――結局、弁当と共に海鮮焼きそばを食べた私は腹八分目を通り越しての完全な食べ過ぎ。
焼きそばは、エビやイカなどの海の幸が塩味の麺と非常にマッチし、持ってきたおかずとも合間ってか最後に水を飲む頃には私は千春に注意することさえ忘れかけるほどの満腹感におそわれていた。
「よし、車を次の移動のために線を引き直すから移動させて。即身仏についてのおじさんの講習はその後でゆっくり聞くから――」
「いや、別にそこまで詳しく話すつもりはないんだが…」
そう言いつつ、車に近づくと突然地面が揺れだし足元に冷たい感触を覚える。
「おじさん、水!」
「え?」
見れば、地面から水が染み出し、すでに膝丈あたりまで浸かっている。
「いかん、逃げるぞ!」
とっさにラインカーを手にした千春の腕をつかみ、階段の方まで走る。
「あ、車!」
「無理だ、逃げるのが先だ!」
水位は見る間に上がっていき、段を上るたびに足に水がつく。
「うわ、キッツ!階段を走るのって思ったよりもキツイ!」
「…やはり、断食後に目の前で料理したらバチが当たるよな」
「なんでよ、お供物もしたじゃん!こんな理由で車ごとロストは最悪だよー!」
そんなこんなで私たちは階段の一番上まで上がり、膝が震える中で一旦休む。
「こ…ここまで来れば」
ガクガクの膝に手をつく千春。
その背後には鎖の続く道があり、わずかにその先が明るいように見えた。
「でも、これだけの水だ。即身仏はダメだろうな」
あれだけの歴史の遺物を一気に消失してしまったことに落胆する私――幸い、今の時点で水位は上昇する様子もなく目の前には大きな水たまりのみが残っていたのだが…
「ねえ、何か聞こえない?」
「――ん、あれ?」
ピシッピシッという亀裂音。ついで、天井から大量の水が吹き出すと水かさは一気に増し、私たちは水圧で通路の先へと押し流される。
「うぎゃああああ!」
「はぐれるな!何かつかまるものを――!」
水の上から顔を出し、とっさに千春の腕を取る私。
瞬間、足元に何かがせり上がってくる感触があり、見れば四方に鳥居を装飾された小舟が私たちを乗せて水上に浮き上がる。
「――この装飾。
「ふだ…え?」
困惑する千春の手にはラインカー。
「補陀落渡海は自分の肉体を海に捨てることで浄土に行けるという信仰だ。装飾した船に
船は水の勢いそのままに通路の外へ――沖へと流されていく。
「え、じゃあこの穴もない船に乗っているのは――」
「…生きている可能性は低いだろうな」
外に出ると、周りには光源となるいくえもの
海上にはこの船だけでなく、いくつもの鳥居のついた船が浮き、全てが向かいに見える島へと流されていく。
「――そういえば、海に続く道の一部は【トコヨ】へと続いているとキミのおばあさんが言っていたな。死者の国でなければ理想郷にあたるはずだが」
それに「どうだろなあ。だって、この船が向かっているんでしょ?」と千春。
「へルンの話では地形も刻一刻と変化しているみたいだし――まあ、車をダメにしちゃった以上。まず上陸次第、食材や調理器具を確保しないとね」
ついで「あーあ。明後日には合流する予定だったのになあ」と、ラインカーの中に千春は手を突っ込む。
――そこから出てきたのは、古めかしい半分に割れた
「…【順応】した道具か、持ち込んでいたのか?」
私の問いに「うん、へルンも明日には移動するって話だから」と千春。
「移動先で時間を合わせてこの片割れを割ってくれる約束なんだよね…だから、それまで島を出る方法を探すか。もしくは――まあ、衣食はどうにかなるか?」
行先の島には街の灯りが見え、水族館などの施設なども見えた。
「時刻も夕方ごろ。まずは陸に上がって宿を探すか」
船の上で伸びをする千春に「…まったく」と、私はため息をつく。
「どこまで悪運が良いんだか、キミは」
「ああ、おじさん。名前呼ぶ時には千春で良いよ」と、船を叩く千春。
「この船の中の人とおんなじ、運命共同体みたいなものだし」
「中の人って…一応行者は救済のためにこの身を犠牲にした人だからな」
そうして私が説明をしているあいだも船は進み…
数分後。私たちは無事、島に上陸した。
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