レシピ・12「地獄街道グルメラッシュ」

『手打ちうどんは、いかがっスかー?』


『試飲はどうですか。今なら休みどころが空いてますよー』


 ――暗がりから急に明るいところに出る。


 階段を降りていくなか、周囲の混雑はそのままに。高い天井には青空の装飾が施され、明るく広い室内には所せましと店舗が並んでいる様子が見える。


「ふぇ、何これ。デパ地下?」


 思わず目を見開き、驚いた顔をする千春。

 しかしながら未だ私の腕を握り、ラインカーも離さない。


「おじさん。これ胎内巡りだって言っていたじゃん!」


 なぜか責めるような口調の千春に「いや、私だってわからないよ」と困惑する。


「確かに階段は降りている。ほら、胎内巡り用のくさりだって持っているだろ?」


 私の片方の手には道中の階段上から伸びている鎖――この鎖を伝いながら内部に置かれている本尊ほんぞんの下と繋がる輪をつかんで出てくることで、胎内巡りが完成することを私は知っていた。


「…あ、おじさんが鎖を持っているんだ。じゃあ、そのままで。私も片手がふさがっているから、おじさんの腕を離さないようにする」


「え、別に前に移動して鎖を持っても――」


 そう言いかけるも、やはり影たちの混雑具合はかなりのもので、千春が容易よういに前に行けるかどうかは、かなり怪しいように思えた。


「まあ、明るいから問題ないけど。このまま暗かったら正直ヤバかったわ」


「…あれ、暗いところは苦手なのか?」


「いや、さほど苦手ってわけでもないんだけどさ――昔、ちょっとね」


 千春はそう言葉をにごして、周囲を見渡す。


「小学生の頃に、ばあちゃんに連れられて胎内巡りを体験したことがあったの。その時には、本当に鼻をつままれてもわからないほどに真っ暗で。しかも前日にばあちゃんから地獄と極楽の話を聞いていて…怖くなって、泣いちゃった」


 当時を思い出したのか、私の腕を強めに握る千春。


「そのせいか。ばあちゃんはそれ以降、私に胎内巡りを勧めてはこなかったんだけれど――やっぱり、トラウマになっていたんだなあ」


 しみじみとそう語る千春に「…まあ、人間。苦手なことは一つ二つくらいあるからな」と、うなずく私。


「かといって、嫌なら無理に克服しようとする必要もないだろうし…そもそも、こんなに明るい場所だからなあ」


「うん、それは私も思った」と、千春。


「でも、周りの影っぽい幽霊みたいなものは消えないし…なんと言うか」


『焼きたての串焼き肉はどうですかー、お持ち帰りもできますよー?』


『引き立てのコーヒーはいかがでしょうか、当店自慢のブレンドですよ?』


「…お腹、空いてくる」


 周囲の店員の声に刺激されたのだろう。

 今度は、別の意味で腕に力が入る。


「――まあ、確かに。でも、なんで周りに食べ物屋が多いんだ?」


 見渡してみても、私たちのいく先々にはすべて食べ物関係の店しかない。


 影のような人々も数人ほど列から離れて食べ物屋に向かい、彼らは丸く四角い穴の空いた硬貨を店側に渡すと、もらった串団子や茶を楽しんでいた。


(彼らが死者であるのなら、まさに【ヨモツへグイ】をしているところだが…)


 談笑し、食す人々――その様子はあまりにも楽しげで。見るたびに湧き上がってくる空腹に、私はどこか違和感を感じる。


(――変だ、こんなにお腹が空くものか?)


 そう、今朝は食べ過ぎではないかと言うほどの量の食事をとっていた…にも、関わらず。さほど移動もしていないのに歩くたびに空腹感が増していく。


『ウナギの蒲焼きー、あぶったばかりで美味しいよー』


『お兄さん、こっちのピザも食べていかないかい?』


 列の進みが遅くなっていくなか、不意にかけられる声。


 見れば、厨房ちゅうぼうとこちらをへだてるガラスの向こうにピザを焼くかまが見え、炎から見覚えのある燐光がいくども立ち上る様子が見える。


(…そうだ、食べてはいけない。食べては)


 ――必死に、私は自分にそう言い聞かせる。

 しかし、空腹感はすでに最高潮に達しており、列は遅々として進まない。


『食べたいのなら、そこに引っ掛かっている金を取り出せば良いじゃない』


 ガラスの向こう、ピザを焼き始めた店員が声をかける。


『ほら、お兄さんの手にあるその繋がったぜに。それを少し外して、こっちに持って来れば、すぐにでも食べられるよ?』


(…え、え?)


 ――見れば、私がつかんでいる鎖はいつしか銭の連なる貨幣の束へと変化しており、鋭利えいりなもので紐を切れば、容易に取り出せそうに思えた。


「なあ、千春…悪いんだが」


(――ハサミを貸してくれないか?)


 初めて千春の名前を呼びつつ、私はそう言いかけ…気づく。


 千春が今まで見たことがないほどに歯を食いしばっていることに。

 それも、怒り混じりのまなこで渋滞した列を見すえている。


「ええい、何が行列よ。影の中に入ったら、めちゃくちゃ冷えるって何なのよ…こんなの。こんな空腹、理不尽りふじんそのものじゃない!」


 怒声を上げながら、千春は力任せにラインカーを持った腕を振り上げる。


 カコーン…


 そんな折、不意に背後に何か落ちる音が聞こえ、後ろにいた影たちがザワリと動きだす。


「え?」


 思わず振り返ると、私たちの背後には昨日に千春が手に入れた二股の枝。

 それを遠巻きにするように影たちが退しりぞく様子が見える。


「――そうか、これだ!」


 何か思いついたかのように顔を明るくする千春。

 …その瞬間、私は何かロクでもないことが起きるような予感がした。



「どいて、どいて、どいてー!」


 声を上げる千春の先には前方に枝を刺したラインカー。


 反対側の手は鎖をつかんでいる私の腕をがっしりとつかみ、全力で走る手前から影たちの列がモーゼの海面割りのように引いていく。


「うっひゃー、先に進める、進める!」


 空腹とランナーズハイで千春の進撃は止まることを知らず、弾みで頭をガクガクと揺らしながら、私も後続で鎖を必死につかむ。


「おじさん、今どのくらい?」


 汗水垂らしながら走る千春に「いや、わからんが…」と言いかける私だったが、次の瞬間、ガチリとその手が何かにつっかえる。


「――っ、とと!」


 後ろ手に引かれ、つんのめりかける千春。


 その場所は『テナント募集』と貼り紙があるシャッターの前であり、そのクセ手元には輪のような感触が残っていた。


「これ、見えないが。中心の輪にたどり着いたようだ」


 私の言葉に「――え、仏様と繋がっている輪がここに?」と千春。


「ああ、でも…」


 輪は手前に引くとさらに手応えがあり、それはまるで扉についた取っ手を引いているような感触でもあり――


「…ちょっと待って、私も手伝う」


 ついで、千春は枝を引き抜いて腰のベルトにさすとラインカーの持ち手を肩に引っ掛け、私と同じく鎖を伝って輪と思しき部分に手を入れる。


「いっせーのせで、手前に引いてみるよ」


「ああ、頼む」


 掛け声と同時に引かれる不可視の輪。


 ついで、シャッターが手前に引かれ、向こうにはさらに何も見えない暗い空間が続いていた。


「…え、これ。何で?」


 声をあげる千春。


 ――その瞬間、背後から吹いてくる生臭い風。


 周りに聞こえていた店員の声。

 それがいつしか嘲笑ちょうしょうへと変わり、響く声になぜか背筋がこごえてくる。


「おじさん、空が赤くなっている!」


 ――見れば、背後の空が赤と黒に彩られた山岳地帯の一角へと変貌へんぼうしていた。


 燃えたぎる炎が山のあちらこちらから吹き出し、列として並んでいた影たちがいくえも火の中へと飛び込んでいく。


「地獄絵図だ…」と声を上げる千春。


「あれが亡者だとすると――」


 そう、嘲笑の主は先ほどまで店員だった影。


 今やそれは、一対の角を持つ巨大な異形へと変化し、銭を渡した影たちに針のむしろのような泥を固めた物体を食べさせ、笑い声をあげていた。


「おじさん、嫌だ。こんなところにいたくない!」


 ――叫ぶ千春。しかし手で探る以上、輪から先の鎖は途切れており選択の余地はないように思えた。


「良いか、千春」と、私は再び千春に呼びかける。


「この輪で開けた扉の先へと進むんだ」


「でも、でも…」と子供のように声を上げる千春。


「もし、この先も暗いままだったら?出られなかったら?」


 幼子おさなごのような顔になる千春に、私は「大丈夫」とうなずく。


「胎内巡りなら、輪の先は仏様に繋がっているはずだ。地獄絵図だって、最後には仏のもとに行くように描かれている。この先も悪いようにはならないはずだ」


 千春はその言葉に一瞬だけ躊躇ためらいを見せるも、すぐに表情を引き締め「わかった…もしダメだったら。ここにある銭でご飯をおごってね」と続ける。

 

「いや、おごった時点で我々は終わりなんだが――」


 そう言いつつも私たちは開けた扉から中へ滑り込み、重さで閉じる扉の向こうでは赤い光と先ほど以上の嘲笑と悲鳴が聞こえていた。


「でも、おじさん。ここからどうすれば…」


 完全に扉が閉まり、訪れる暗闇と静寂。


 ボッ、ボボ…

 

 そこに点いたのは等間隔に並ぶ灯籠とうろう――それは扉の内側から伸びる鎖を照らし、狭い洞窟どうくつの奥へと続いているように見えた。

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