レシピ・10「茶の湯と肉じゃが②」

「――遠野さん。あの茶室に来る前に何かを手にした記憶はあるかい?」


 ヘルン女史の唐突とうとつな質問に困惑するも、私は「そういえば…」と歩き、開けた茶室の中をのぞく。


 ――ほこりを被った茶道具と隅に積まれたボロボロの座布団ざぶとんのみの茶室。


 ふすまの上にはしめ縄が張られていたが、私の視線は先ほどまで座っていた座布団へと…その横に置かれた黒塗りの茶碗ちゃわんへと注がれる。


「あの茶碗。温泉街の洗い場の食器に混ざって置かれていたはずだ…」


 ――そう、アヅマと名乗った男が消えた後。


 洗い場に残された食器の中にあの茶碗が目立つ形で置かれていた。

 うかつにも、それを手に取った先の私の記憶はあいまいであり…


「連中は、異界と外部を故意こいに繋げることを目的としているからな。誘い込んだ人間を観察し、状況に応じて非合法の実験を行っているとも聞く」


 そう言ってハンカチを取り出し、茶碗を手に取るへルン。


「――この茶碗もその一環いっかんなんだろう。茶室にいる存在なにかと誘い込まれた対象との接触を観察するのが目的か」


「…あの白い猿か」と声を上げる私。


「日本にはアルビノの動物を神聖視しんせいしする傾向があると聞くが?」とへルン女史が重ねて尋ねる。


「――まあ、確かに。そういう習慣も日本にはある」


 私はそう答えつつ、しめ縄のはられた襖を見る。


「茶室には他にも白毛の動物たちが集まっていたし、神格的な存在の集会場所ならば、ここに茶室があることにも辻褄つじつまがあう」


「――まあ。あんな目立つ鳥居がある以上、何かあるとは思っていたがね」と、古ぼけた鳥居を見るへルン女史。


「となると、先ほどの話しを聞く限り、勧められるままに茶を飲んでいたとしたら遠野さんは連中の一員…というか相手が神ならば眷属化けんぞくかしていた可能性もあると考えられるな」


「――いや、ただの狸だろう」と、私はへルン女史の意見を否定する。


「どこにでもいる、ありふれた狸。私にはそう見えたよ」


「そうか…」


 そんなことを話していると千春が何かを手に持ち、私たちの横合いから茶室の中へと進んでいく。


「ん、何しにいく?」


 私の問いかけに「――ここにいるのが神様だったらさ、敷地の中で作ったものをお供えするのが礼儀じゃないかって思ってね」と千春は奥へ向かう。


 …手には、一膳いちぜんの茶碗。


 中には、できたての肉じゃがが盛り付けれられており、しめ縄のある襖の前に千春は茶碗を供えると、一礼して柏手を打ち「…どうぞ、お召し上がりください」とひとこと言って礼をする。


「おい。そんなことをして…」


 焦る私、対してスッと襖が開いたかと思うと、見覚えのある毛深い手が伸びてきて、そのまま茶碗を手に持ち中へと引っ込む。


「あ、どうも」


 …そして、まもなく襖が開くとその手には一本の枝。

 二股に分かれた木の枝は千春に向かって差し出されていた。


「――ありがとうございます」


 とっさに礼をし、受け取る千春。

 そして襖は閉まり、後には埃っぽい部屋に座る私たちだけが残されていた――



「…なんかさ、さみしげな感じはしたんだよね」


 少し遅いお昼としてお椀に肉じゃがをよそい、千春はこちらに寄越す。


 ――彼女の腰のベルトには、先ほどもらった二股の枝が差し込んであり、今のところ変化はないように見えた。


「鳥居だって古ぼけているし、中の手入れもされていない。寂しいのならおじさんを仲間として誘いたくなるのも、何となくわかる気がするなあ」


「…こちらとしては、困るがな」と、肉じゃがを食べ始める私。


 ――箸を入れてみれば、煮崩れすることなく形を保ったジャガイモは中心部分まで熱々で。出汁をよく吸い込み、甘辛さもちょうど良い具合となっていた。


「何より。肉じゃがの材料に、ここにお供えされていたお酒を使っちゃったし。ここでひとこと声をかけないとバチが当たると思ってさあ」


 千春の言葉に「え、まさか…」と、ギョッとする私。


「うん、鳥居の前に数本ほどあったから」とあっけらかんと答える千春。


「ラベルも読めたし賞味期限も問題ないし―― 一応、手を合わせたのちに使わせていただきました」


「本当に何と言うか…」


 呆れ返ってものが言えない私に「――まあ、千春らしいね」と、大量の糸蒟蒻を音をたててすするへルン女史。


「私も、物資の調達のためにしばらく彼女に同行したが千春ほど食べられるものを見つけることに長けたはいないからね。あっという間に数日分の食料を見つけて確保して、カレー以外の料理のレシピも教えてくれたから助かったよ」


 それに「なあに、ウィンウィンさ」と椎茸を口に入れる千春。


「――でも、不思議だよね。近場の商店に行って食料をへルンと探してみたら、手に取った袋でも読めるものと読めないものが違ったんだよ」


 へルンはそれに「多分、互いに流れている時間が違うせいだろう」と汁を飲み干しながら答える。


「千春たちの時間軸を基準とすると、二年後には賞味期限や劣化で使えないものも出てくるはずだ。それを二年後に生きている我々の脳が本能的に感じとって、視覚的に見えない状態になっているとも考えられる」


「…ん、となると。今、調理した肉じゃがはどうなんだ?」と私。


「基準が違うのなら、互いに同じものを食べても安全とは言い難いんじゃ――」


「ここでの材料は私たちの視点を中心に選んでいるからな」と、箸を置くへルン。


「過去であるなら賞味期限は過ぎていたらアウトだが、未来ならば問題はない…現に、遠野さんも具合は悪くなっていないだろう?」


「食中毒って、後から出てくるものなんだがな――」


 そうは言いつつも、肉じゃがを食べて特段具合が悪くなるような様子もなく、私は完食をするとおにぎりを作るっている千春の分のお椀を預かり洗いに水場へと向かう。


「ちなみに、調査隊はいつ来るんだ?」


 一緒に洗い場に来ていたヘルン女史に質問すると、彼女は腕につけたアナログ時計を見て「うむ、そろそろだな」と答える。


「…ああ、話は戻るが【空間製作委員会】の男の行動について、どこか不自然なところは無かったかい。何でも良いが?」


「いや、不自然極まりない部分はたくさんあったが…」と女史から預かった食器を洗いつつ、当時のアヅマの行動を思い出す私。


「強いて言えばスマホを使いこなしていたな――ここでは使えないはずだろ?」


 そう。あの時は気にも止めていなかったが、アヅマは私に動画を見せる際に、スマートフォンを使っていた。


「そうだな。ここでは通信機器を使うと精神に変調をきたしやすい」


 へルン女史はそう言いつつ、洗った食器を布で拭く。


「仕組みについてはまだ詳細なことは判っていないが、実際に被害に遭った仲間の証言によれば、意識の半分が未だこの場所にとどまっているのだそうだ」


「意識の半分?」


 思わず水道を止める私に「――モールに行ったのなら、すでに日誌を読んでいると思うが」と、女史。


「この異界に存在する特定のものを食したり、長く止まっていたりすると精神や肉体が異界と同化しやすくなる。我々はそれを【異界化】と呼んでいるよ」


「…知っている、千春が使っていた言葉だ」


「そうか、話が早いな」と笑う、へルン女史。


「おそらく連中も何らかの手段で外部から入れた通信機器を【異界化】から保護して使用して可能性もあるし――あるいは【順応】させているのかも?」


「【順応】――?」


「ああ、それもこの異界の特性でね…」


 ついで、へルン女史はテント近くに置かれていたラインカーを手にし、開けた場所を探し出すと「ちょっと近づかないでくれ」と声をかける。


「これから仲間を車ごと、この場所まで持ってくるから」


「え?」


 ついで、ラインカーで二本の均等な平行線を引いていくへルン女史。


「異界の空間は常に不安定だ。それゆえ外部から入ってきたものを積極的に吸収し、場を安定させようとする性質がある。それが【異界化】のプロセスだと私はにらんでいて、空間の一部となり安定化した状態を【順応】と呼んでいる」


「――そして、ここからが面白いところでね」と引かれた二本の線の前で女史は釘とハンマーを持ち出す。


「一旦【順応】した物体を分離すると、同一のものとして認識される。それらを別々の場所に配置し、片方を破壊した場合。場の安定を図るのか、破壊された側の近くにある物体が移動をする」


 ついで、線の一本にハンマーで釘を打ち込むヘルン女史。


「これを、私は地脈の流れを使った移動と重ね【土遁どとんの術】と呼んでいる」


 白線の上に一台のジープが出現し、数人ほどの人が中から降りてくる。


「どうだい、感想は?」


 ハンマーを手にし、どこか得意げに語るへルン女史。


「――もしかして、忍者好きですか?」


 思わず、そんな感想を私は彼女にぶつけていた。

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