レシピ・8「坂道道中と温泉卵」

「…きっと、あれはスイカの亡霊なのよ」と、自分の両手をじっと見る千春。


「夏のあいだに、割られ捨てられたスイカの怨念が溜まりに溜まり無限破裂地獄を生み出してしまったに違いないわ」


「んな、阿呆あほうな…」


 衣類に付いたスイカの匂いに顔をしかめつつ、私はハンドルを操作する。


 逃げ出す際に、果汁もいくぶんか靴に付いたようで、アクセルを踏みこむ足元さえもどこか粘着質な感じがする。


「あーあ、結局手に入れたのは封筒一通。先日の鶏肉のこともそうだけど、食べものに遭遇しても、勿体無もったいないことばかり続くよぉ」


 そう言ってしばらくヘコむ千春だったが、不意に「…お腹すいた」と言って、車を道の端に止めさせる。


「ちょっと小休止。小昼こびるにしよう」


 言うなり、後部座席からモールから持ってきたペットボトルの紅茶とラップに包んだカステラを取り出し、冷蔵庫から出した瓶入りいちごジャムをスプーンでドンと大盛りにして載せる。


「ほい、おじさんの分」


 受け取りつつも「――確か、オヤツのことを小昼と言うんだったか?」と尋ねる私。


「そう。田植えの休憩の時によくそう言ってね」と、千春。


「昨日の夕飯はお茶漬けであっさりしていたし。もの足りないから、これくらい良いかなって?」


「…すまん、何を言っているか分からない」


 ――確かに。昨日は翻訳に時間がかかったため、夕食は瓶入りの鮭フレークと漬け菜で簡単なお茶漬けとした。


 しかし、翌朝になると千春は圧力鍋を取り出し、人参、ジャガイモ、ブロッコリーをいっせいに茹で始め、きんぴらゴボウと卵焼きを作ると、さらに私に鮭のムニエルをフライパンで焼かせ、トドメに塩おむすびをわんさか作っていた。


「でも、おじさんに難しい指示は出してないじゃん…ムニエルは簡単でしょ?」


「まあな」


 ――ムニエルに使うのは、白ワインに漬け込んだ鮭の切り身。


 裏表に塩、胡椒、小麦粉をまぶし、オリーブオイルをひと回ししたフライパンで蓋をし、弱火で五分ずつ裏表を焼けば完成。


 鮭の旨みを閉じ込めたムニエルは箸を入れればホロリと崩れ、塩胡椒の味付けがしてあるので、ご飯のお供に…もとい出来たてのおにぎりのお供にも最適。

 

 そのうえ、朝食には茹で野菜やきんぴらなども並び立ち、最後に千春の作ったワカメの味噌汁も加わっているので十分過ぎる食事量を私たちは摂っていた。


「――甘いものは、別腹だからね」


 鼻歌まじりにそう言いつつ、カステラをかじる千春。


 健啖家けんたんかな彼女の様子に、私はふと「…そういえば。そっちはどうやって、この場所まで来たんだ?」と今の状況と関係のない質問をする。


「ふえ?」


「いや、私のようにエレベータは使っていないだろ?」


 カステラをかじりつつ、質問を重ねる私。


「おばあさんから話を聞いたと言っていたな…何か由縁ゆえんがあるところでも?」


 それに「由縁、かあ…古い言葉使うねえ」と、口の端についたジャムをなめる千春。


「――ウチの裏山に、海の向こうに見える島と山とを繋ぐ道があると言われていてね。山に続く道の一部は【マヨイガ】に、海に続く道の一部は【トコヨ】へと続いているってばあちゃんから教わっていたんだ」


「【トコヨ】…常世とこよの国か」


 思わず、そうつぶやく私。


 ――常世の国は、あの世のこともさすが海の彼方にある理想郷のことも同様に呼ぶ場合がある。


 私が死者の国と口にしたとき、彼女は怒っていた。

 …となると、後者の理想郷を指す可能性の方が高いのだろう。


「裏山のお地蔵さまの穴の奥にそこに繋がる道があるって話でね。ばあちゃんも時々、お地蔵さまにお供えものをしていたんだけど夏休み前に土砂崩れがあって地蔵が倒れちゃって。見に行ったら大きな穴が空いていたの」


「――で、そこに入ったと?」


「うん、夏休みに入ったから探検しようと思って」

 

 食べ終わったラップを丸め、シートベルトを締める千春。


「でも、中に入ったらすぐに土砂崩れで出口がふさがれちゃって。幸い、穴の奥に進んだら、すぐひらけた場所に出たし。まもないうちに軍の人たちとも会えたから問題なかったし――日頃の行いのおかげかな?」


「生きているのが不思議なくらいだよ」


 私は半ば呆れつつエンジンをかけ、千春は「大丈夫だって。食事と睡眠をしっかりとれれば、人間生きていけるんだから」と堂々と胸を張る。


「――てかさ、前々から気になっていたんだけど。本当におじさんって読書好きなだけ?民俗学に妙に詳しいと言うか…専門家っぽい匂いがするんだけど」


「安心しろ、ただの好事家こうずかだよ」と私。


「それで食っていけるような実力もないし、今はしがない福祉職員だ」


「ふーん、今後はそっち系の仕事も視野に入れてみたら?」


「…」


 そんな千春の言葉を聞き流しつつ、私はアクセルを踏む力を強めた。



「――ふむ、温度は六十度。温泉卵には最適ね」


 そう言うと千春は温度計を引き上げ、ポンプで湯を汲んだ洗い場と思しきところに四つの卵を入れた洗濯ネットを沈めていく。


 坂道に沿って、あちらこちらに灯りがともる温泉街。


 周囲には足湯や他の洗い場の湯気がたちのぼり、人の姿はないものの土産物屋や宿屋、食事処などの店舗が並んでいた。


 坂道手前の大型の駐車場。

 そこに私たちは車を停め、様子を見がてら散策をしていた。


「――二十分ほど浸けてみて、お昼頃にだし醤油を入れて食べてみますか」


 ネットの端に結んだ紐をパイプの先にくくり付け、時計を見る千春。

 夜のように周囲は暗くとも、時刻は午前十一時を指している。


「時間的には、あの鳥居のところまで行けるかな?」


 尋ねる千春に「さあな」と私は答えつつ、上り坂を歩きだす。


「…でも、止まっていた車が私たちだけだったのは、なんか引っかかるな」


 不意に思案げな顔でつぶやく千春。

 

「軍の人たちが先に来ているのなら、駐車場に二、三台ほど車がいてもおかしく無いはずなんだけど…道中に何かあったのかな?」


「――場所は間違っていないんだよな?」


 私の疑問に「うん。地図も、その人たちからもらったものだし、あと駐車場の白線も綺麗だったでしょ?」と千春。


「白線?」


「そう。あの人たち、なぜか来る場所来る場所にちゃんと白線を引き直すんだ。そこになんの意味があるかは分かんないけど」と、苦笑する。


「だから、今度会ったら、ちゃんと教えてもらわないと――」


 しかし、それ以上言葉を続ける前に地面がぐらりと揺れ、気がつくと目の前に見知らぬ壁が生えていた。


「…ああ。空間が歪んでいる以上、地形が正しいとは限らないんだって」


 困ったように、そう答える千春。

 その声は道を塞いだ壁の向こう側から聞こえていた。



(――とりあえず、合流できるところがないか探してみる。戻れるのなら、ついでに卵を見て来て。出来てるようなら食べちゃって良いから)


 千春に言われ、来た道を戻るとなぜかそこには一人の男。


 土産物屋から取って来たものか、うるしの塗られたわんの中に半熟となった卵を割り入れ、醤油をかけてレンゲですすって食べている。


「…そのままにしているのも悪いから、味見させてもらっているよ」


 どこか陰鬱いんうつな雰囲気をまとった男は、湯気でくもったメガネを押し上げつつも、こちらを見る。


「もしかして。千春の言っていた『軍の人』って、お前さんのことか?」


 尋ねる私に「ん、ああ。米軍と日本の合同研究チームのことね」と男。


「まあそう、階級は明かせないけど、って呼んでくれ」


 お椀の中身を綺麗にすすりつくし、男は長袖で口元を拭う。


「ふー、久しぶりにまともに何かを食ったぜ。四つとも食っちゃったけど別に問題ないよな?」


 見れば、空になったネットが洗い場の隅にあり、男は椀と箸もそこに並べる。


「で、おっさんは件の女の子を今も連れてるってワケか…良いご身分だねえ」


(――どこか、話が噛み合わない気がするな?)


「ちなみに、その子はどこよ?」と、さらに尋ねてくる男。


「いや、彼女とは壁の向こうではぐれてしまって、良かったら一緒に探し――」


「ヤダね。だって地上じゃあ、今のアンタはお尋ね者だもの」


「は?」


 私の声を無視し、男は取り出したスマホをスイスイいじる。


「――正体不明の手紙が各国で見つかってね」


 画面から目を離さずに、そうつぶやく男。


「日本、アメリカ、モロッコ、オーストラリアなどで発見され、不可解なことに人の家やコンビニから突如として出現している」


 ついで、動画投稿サイトが表示された画面を男はこちらに見せる。


「女の子の筆跡。内容は一貫していて、自宅の住所と自分が地下で探索をしていること。同行者との経緯が事細かに書かれている。最近見つかったのは八通目、世界中で手紙の真相を探ろうとネットを介して多くの人間が動き出している」


「え、これは…」


 ――『噂の手紙、内容の真相にせまる』『手紙の住所、当人の家族に電話をしてみた』『家、もぬけの空。誰によるものか?』『同行者も行方不明か関係施設に電話をしてみた』『同行者の経歴確定!手紙内容と真相に迫る』。


「そんな…え?」


 困惑する私に「ネットの考えじゃあ。アンタは福祉のブラック業務の連続で、頭がおかしくなって女の子を誘拐してヤク漬けにしたんじゃないかって話でさ」と、画面を見ながら語る男。


「何しろ、女の子の家は家族全員が行方不明。お前さんの住んでいたアパートももぬけの空だし、真相を知っているのはお前さんと女の子のみ――こうなると、真相はどうなるんだよってことでさ…なあ。誘拐犯さん?」


「違う、そんな…私は」


 いつしか、手にはじっとりと汗がにじむ。


「ともかく、いま地上に出ればアンタは世間から袋叩きだ」


 せせら笑うように、男は――いや、アヅマは私を見つめる。


「家から職業から洗いざらい調べ尽くされ、ネットにも情報が上がってるしな」


 その言葉にヒュッと私の喉の奥で音がする。


 ――そう、私は本当に何もしていない。


 でも、世間はそれを許さない。


 潔白であろうとなかろうと私の情報は一生の傷として残り、オモチャにされる未来が見える。


「じゃあ、話すことは話したし、俺は別の場所に行くよ」


 アヅマはそう言うとポケットにスマホを戻し、ゆらゆらと歩きだす。


「――待て、どうして今の情報を私に流した?」


 声をかけると「合流したら、軍の連中にも確認しなよ」とアヅマ。


「俺は、それで苦しむ人間を見るのが楽しいんだよ」


 そう言うと、陰鬱なメガネの男は湧き立つ湯気の奥へと消えていった…

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