レシピ・6「炊飯カステラと手記」
――あくまで私的な話だが、ベーコンエッグを作る際にはこだわりがある。
使うものは丸いフライパン。中心から縁に沿ってハの字にベーコンを並べ、その中にオリーブオイルを注いでから卵を割り落とす。
火力は強火。
上から蓋をし、表面に白い膜を形成する点が浮き出た時点で火を止める。
ここからが運命の分かれ道で、もしこのまま蓋を開けずに蒸らし続けると余熱で卵は完熟となり、数秒以内に火から下ろせば半熟のトロ玉となる。
しかし、それはその日の室温や湿度にも左右されることも多く…
「お、半熟の目玉焼きか。おいしそー」
言うなり、千春は目玉の中へとフォークを入れ、朝がた作ったカステラを溶けた黄身の中にちょいちょいとつけて口に入れる。
「ううー、ヤバ。とろみのある黄身に甘みのあるカステラが合う、サイコー…ってあれ。なぜにおじさんは白身から目玉だけを分離するデスか?」
「…崩れた黄身が苦手でね」と口を手元で押さえてつつ、私は話を続ける。
「どうにも液体が皿に残るのが嫌なんだよ。そっちみたいに、カステラに
「ふーん、案外おじさん
「…もともと、さほど綺麗好きな方ではなかったんだが」と、弁解する私。
「福祉の食事サービスを提供する身として、衛生面には気をつけろと口酸っぱく上から言われていてな…なるべく周りを綺麗にする習慣が付いたんだろうな」
「ふーん、確かに食中毒とかヤバいものね」と、言う千春。
「ちなみにここだけの話だが、実は施設内では検疫が行われていない。だから、食中毒を出したら一発でアウトだったりする」
思わず口を滑らせた私に「え、なんで?」と、すぐさま反応する千春。
「私なんか、文化祭の出し物でうどん屋をするだけなのに検査をされたよ?」
「――四十人以上の食事を提供する場合、本来保健所の検疫をしなければならないんだが…市の方針か知らないが、やっていないそうだ」と、私。
「いわゆる、法律上のグレーゾーンってやつだな」
「グレーゾーン…か」と、カステラの最後のカケラで残りの卵液を器用にすくい口に入れる千春。
「まあ、世の中そういうことが多いと頭に入れておいてくれ」
そう言いつつも、私はため息をつく。
「現実問題。企業も公務員も人件費削減で法律ギリギリの範囲内の時間帯で仕事をさせるところが多いし、その質も年々多岐にわたり高くなる一方だからな」
思わず天を仰ぐ私に「…おじさんってさ、今の仕事楽しいの?」と千春。
「楽しい、楽しくないじゃない」
再びため息をつき、私は千春を見る。
「今できる精一杯の状況で仕事をしていくしかない。たとえ辛くとも別の場所に移れるだけの経済的な余力も実力も、今の私には無いんだよ」
「…なんかそれ、嫌だな」
不満な様子であごに手を当てる千春。
「したくもない仕事を頑張って。なのにどんどん難しく面倒になっていって、それでも生きていくしかない人生って…なんか変」
「そんな大人になりたくなければ、頑張って勉強するんだな」と私。
「…まあ、それでも場合によっては上手くいかないものはいかないし。その見本が私だと思ってくれ」
皮肉に笑う私を哀れに思ったのか「…ねえ、このカステラ美味しい?」と話題を変える千春。
「ん、ああ。
そう答えつつ、私は大部分を食べた六分の一のカステラへと目を落とす。
――材料はホットケーキミックスと砂糖と卵と牛乳。
それらを混ぜたタネを通常炊飯二回で炊き、串にタネがつかなくなれば完成という、シンプルな作りだそうだ。
「ポイントは、生地とメレンゲに分けて混ぜてから空気を抜いて炊飯すること」
「でも、炊飯器によってはタネが膨らみすぎて
「…そうか。作る段階で、だいぶん手間がかかっているとは思ったが」と、私がしげしげとカステラを見つめると「そうだよ!」と千春。
「何しろ美味しいものを追求するのは私の趣味でもあるから」
そう言って胸をはる千春に「…そうか」と私は洗い物をするため立ち上がる。
「こちらも最近は食事と読書ぐらいだからな。でも帰れば寝るばかりになっているし――そうなると、今は食事くらいしか楽しみがないのかもしれない」
つぶやく私に「…ヤバいよ、それ」と食器を持ってくる千春。
「ばあちゃんが食べることしか興味がなくなると人間末期だって言ってたもの。他の趣味を楽しめる時間を持っておかないと精神的に保たないんだよ」
その言葉に「…そうか努力するよ」と私は食器を洗い、彼女は拭きにまわる。
「――となると、残りの時間は二人で日誌の解読に当てた方が良さそうだな」
そこに「う…」と言葉に詰まる千春。
「ま、まあ。確かに、時間はここではたっぷりあるし、おじさんの趣味になるのなら良いんだけれど――」
明らかに拒絶反応が出かけている彼女に「なるべく手伝うから」と私。
「まず、全体の文をざっと読み通して要点をつかむ。そうして、わからない単語を少しずつ調べていけば、解読は難しくはないはずだ」
「うー、そうかな?」
そうして、しぶしぶ手帳を手にする千春に、私は英和辞典をつかむ。
――こうして寝るまでの時間。
私と千春は手帳の解読へと時間を費やすことにした。
*
二○二一年七月十五日
このエリアでは、電気、ガス、水道といったインフラ設備が整っているため、中継地点とするか上層部と検討中。
調査員三名。
以後はこの場所で数日間過ごすため、日誌を設置する。
二○二一年七月十六日
キッチン下の収納棚からシャワールームとトイレと思しき場所と繋がっていることが判明。安全性に問題は無いが、窓に異物が見えるため警告を表示。
二○二一年七月十七日
ジャンク品置き場から異常事態、一定時間モール内を徘徊するも消滅。
一旦基地に戻り、上層部に報告するも想定内との返答。
二○二一年七月十八日
調査員一名が上層部から禁止されていた室内のガスを使用し食事を作っていたことが判明。経過を記録する必要が生じたため、以下に記載。
・午前八時半
全員、特に目立った変化はなし。
検査と報告のために基地へと戻ることにする。
・午前十一時
帰還失敗。三時間ほど建物内を徘徊するも出口が見えず。
うち一名が失踪、一名が徘徊していた物体に襲われ死亡。
失踪者の帰還のためにここに残ることにする。
・午後零時
失踪者が戻る様子なし、食事をする。
携帯食料を摂取するが無味。
備え付けのホットプレートで野菜を焼くも無味。
辛うじて、コンロを使ってフライパンで焼いた肉は味がする。
・午後一時
床の下から声がする。
行方不明となった同僚の声である。
気配がそこらじゅうにある。
周りから自分を見ている気がする。
いや、自分も同じように自分を見ている。
自分の視線もそこにある。同僚と同じく、自分もそこに…
*
(――日付の年号、本当に連中は二年先から来ているのか?)
いぶかしみつつも、私は日誌を閉じる。
「…ただ、内容的にこれ以上読まない方が良いだろう。引き出しに戻しておく」
読み出したのは二ページ程度。
それでも、十分に私の肝は冷えた。
「うん。人がいない理由とか、火を使っちゃいけない理由もわかったからね」と千春。
「それに、ここまで解読するのにメチャクチャ時間がかかったものなあ」
「えー、あー…うん。それな」と、それに私は頭を掻く。
――そう、内容にも驚いたがそれ以上にこの娘の驚異的なほどの英語力の低さには何度も頭を抱えさせられた。
単語を間違えるのは当たり前。
なのに想像力があるのか、意味は通るも全体的に間違った文を作り上げ、書き写せばひどい悪筆。エルともアールともつかない文字列は判読不可で見ていて頭が痛くなる代物であった。
「…これで、良く高校に入れたな」
そのおかげか。半ば恐怖感が薄れた私に「うん。それ以外の成績はバツグンに良いから」と指でブイの字を作る千春。
「今季の模擬テストも英語を抜かせば全教科全国一、二位ぐらいだし。国内での大学推薦は楽勝じゃないかって先生に言われてる」
「…そうか、国内だったらな」と、肩を落とす私に「ちなみにさー」と、千春は自身の手帳に写した日記に目を通す。
「この人たちって、見てきたものに名前をつけていないね…なんで?」
千春の言葉に思い当たるものがあり「――これはあくまで憶測だが」と、私。
「どうも、相手の名前を呼ばない方が良いと思っている節があるな」
「はい?」と、千春。
「名を呼ぶことで寄ってくる、怪談ではよく聞く話だ。おそらく名をつけることで相手を刺激することを避けているんだろうな」
「へー」と、感心したような声をあげる千春。
「ついでに言えば、相手が神様だったりする場合は名前を間違えると機嫌を損ねたり、呼ぶことで
「ほー、神様かあ」と言いつつ、何か思いついたように顔を上げる千春。
「…そういえばさ、鶏の羽をゴミ箱に捨てる時にもったいないことしてゴメンなさいって手を合わせて捨てたんだよね――まさか、アレもそれが原因?」
「そんなことしたのか?」
「した」
何しろ、ここでは何が起きてもおかしくはない。
日誌に目を通した限り、うかつな方法を取るのは悪手な気がしたが――
「ごめんね、【
ナムナムと両手を合わせる千春。
「――だから!名前をつけるなと、さっき言ったばかりで…」
私がそうツッコムと窓の向こうをバタバタと巨大な鶏に似た物体が通り過ぎていくのが見えた…
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