レシピ・5「食料調達と乱入者」

 ザーッ…


 いくつかの蛇口が開いたままとなっているシャワールーム。


 この場所はショールームの収納棚から降りた階段の先にあり、壁に突き当たった右に行けば、男女兼用のトイレへと繋がる仕様となっていた。


(――いつ来ても、ややこしい作りだ)


 シャワーに一回、トイレに二回。


 流れる水はにごった様子もなく、そのまま生活用水として使えるそうで私も衛生的には歯磨きやシャワーは必要だと思い、ここを利用していたが…


『ねえ、ねえ…』


 流れるシャワーの音に混じり、上から聞こえる人の声。

 すりガラスの窓の向こうには人の顔。


『開けて、ちょっと来て』

 

 男とも女ともつかない顔。

 窓にはスプレーで【Don't respondドント・レスポンド(応じるな)!】の文字。


『ねえ、ねえ…』


 ズレていく顔の側、軟体動物なんたいどうぶつを思わせる触手が窓をなぞっていく。


『ねえ…ね…』

 

 次第に遠くなっていく声。

 私は頭を振ると、トイレを使うために奥へと歩き出した――



「食料、着替え、トラベルセット――あと充電式の家電製品も見に行きたいな」


 千春は指折り数えると、携帯冷蔵庫の充電を外す。


「そういやさ、遠野さんって車の免許持ってる?」


 急に名前を呼んだことにいぶかしみつつ、言われた通り冷蔵庫をカートに固定した私は「…オートマで普通車なら」と財布から免許を見せる。


「それが何か?」


「大ありだね」と、ショールームから外に続くドアを開ける彼女。


「移動範囲が広がるなら、それに越したことはないし、何より積載量せきさいりょうが増えるのは良いことだものね」


(…要は、運転要員が欲しかったということか?)


 私は人知れずため息をつき、動きやすいよう着替え直したシャツとズボン姿で固定された冷蔵庫のカートを押していく。


「うん、軍の人が置いて行った着替えも問題なく着れているね」と千春。


「…でも、どうして私が道中に手に取った大人サイズのサメの部屋着は着てくれないのかな?寝巻きはこれで良いって下着と一緒に簡易的なスウェットを持っていくしさ。おそろいのほうが絶対に面白いのに」


「いや、年齢的にもあれはかなりキツイものが…」


 ――そんな言い訳をしつつ、私はドアをくぐってインテリアコーナーへと足を踏み出す。


 ベッドやソファなど色とりどりの家具が並び、通路の先には稼働しているエスカレータと家電製品のコーナー、服屋などが並ぶ。


「家電は近くだし後回し、先に下の食料品から見ていこうか」


 そう言うと、千春は二階の奥から下を見て「――大丈夫、まだこっちには来ていないみたい」と、声を小さくして私に話しかける。


「念のため、いつでもスイッチを押せるようにしておいて」


 そう言って、彼女が手に押し付けてきたのは小さなネズミのおもちゃ。


「押せば、音を出して一直線に向かうから。あくまで私達が逃げるためのおとりね…昨日は一度も合わなかったけど、次はどうだか分からないから」


「はあ…」


 そんな話をしつつ、一階スーパーの生鮮食品売り場にやってくると食べられるものがないか、野菜売り場から順に手分けして探すことにする。


「お、この袋入りのサラダは賞味期限が明後日…しかも、字が読める!」


 千春はそう言うとカート内の冷蔵庫へとパックサラダ放り込むも、ついで手に取ったカットフルーツの表示を見るなり顔をしかめる。


「これはダメ、賞味期限は大丈夫そうだけど【異界化】が進んでる…」


(――人気はないが、やっぱり万引きしているようで気が引けるな)


 スーパーの淡い照明が照らす中、私も彼女に習い手近なものを手に取ってみるも、半分以上が文字化けしているか賞味期限が以前のものとなっており、まともな商品を見つけることはかなり難しいように思えた。


「まあ、一見無事そうに見えても【異界化】が進んでいるパターンもあるから。このあいだも、親子丼を作ろうと思って鶏のパックを逆さにしたら、大量の羽が出てきて…もったいないけどビニールに入れて奥のゴミ箱に捨てちゃった」


「そりゃあ、仕方ないな」と私は答えるも、そうこうしているうちに文字が読めるレトルト類や缶詰などが次々と手に入り――気がつけば、数日分は問題のないぶんの食料が確保できていた。


「よし、ペットボトルの水もこれくらい持って…あ、そうだ。歯ブラシと石鹸のトラベルセットもあと二、三放り込んでいこうか。昨日も持って行ったけど、予備があっても良いでしょうから」


 そう言って、現地調達したカートの中に飲料水だけでなく、歯ブラシや石鹸の詰まったセットバッグまでぎゅうぎゅうと詰め込む千春だったが――


(…待って!)


 言うなり、彼女は身を屈めるよう指示を出し、私もとっさに身構える。


 ――それは、奥の通路からゆっくりとこちらにやって来ていた。


 周囲に響く、金属が軋むような音。

 節くれ、先端の尖った金属製とゴムホース状の足。


 はみ出るコードは常にショートしているのか、いくども火花を撒き散らし――回転式の刃が中にある円筒形のガラスを頭上にくくりつけた物体は、器用に棚を避けながら向かいのドラッグストアの中へ天井スレスレで入っていく。


「このままエスカレータを使えば、音で相手に気づかれる…となると」


 言うなり、彼女はおもちゃのネズミのスイッチを押すと、ドラッグストアの中めがけて勢いよく走らせる。


 物体は鳴り響く音楽に気づいたらしく、すぐさま通路に飛び出すと、瞬く間に先の尖った足でネズミを串刺しにし、巨大なホースの足で吸い込んでいく。


 ギュ、キャキャキャ…!


 凄まじい騒音と共に、筒の中で刃によって細切れになるネズミ。


「外に出て、エレベータに乗り込むわ!」


「いや、でもそれじゃあ間に合わない…」


 止めようとする私の手は届かず、あっという間に回転する刃は止まり――巨大な物体は明らかにタイミングを違えて出てきてしまった千春を見下ろす。


「…ヤバっ」


 思わず出る、千春の小声――同時に、通路の向こうからドタバタと派手な音をさせながら何かがこちらに向かって走ってくる。


『クアッケケェ!』


 その声により、とっさに振り向いた物体の頭部――筒状の頭部を巨大な鉤爪かぎづめでとらえ、地面に押し倒すのは羽毛にまみれた第三者。


 しかし、その巨体にはどこにも本体と思しき頭部が無く――


「あ、私の捨てた鶏肉!」


 声を上げる千春に「言ってる場合か!」と私は叫び、カートを持つ千春のえりをつかむと、そのまま一番近場にあったエレベータへと駆け込んだ。

 


「…いや、それにしても怖かった」


 私は二度目の外出で手に入れた衣類とガスで炊ける炊飯器を入れたカートから手を離すと、ショールームの床にへたり込む。


 ――あの乱闘から数分後。


 もう安全だと言う彼女の言葉におそるおそるショールームのドアを開けると、羽毛も物体も、いつしかどこにもいなくなっていた。


「ここ、そう言うこと多いんだよね。この空間も、微妙にだけれど何度か変化をしているのかも」


 さらっと恐ろしいことを言ってのけつつ、本日の収穫物を整理する千春。


「――んー、でも。あの捨てた鶏肉があそこまで巨大化するとは正直思っていなかったわ。同一の物体かは自信がないけど」


「…こんなこと、しょっちゅうなのか?」


 思わず尋ねる私に「うーん、軍の人の話はそこまで聞いていないんだけど…あ、そうだ」と、手を叩く千春。


「ついでだから、引き出しの中の手帳を読んどいてよ。お昼はこっちで作るし」


 近くの小物入れを指さす千春に「手帳?」と問いかける私。


「うん、それね。軍の人たちの日誌というか手記でさ。最初は私も目を通したんだけど、英語で書いてあるから読めなくて」


「いや、私もそこまで英語には詳しくないんだが…」としぶる私に「えへん、そんなこともあろうかと秘密兵器を持って来たの」と英和辞典を千春は取り出す。


「ちょっと前にモールにある本屋の入り口で見つけたんだ。紙媒体なら、スマホみたいにおかしくはならないと思ってさ」


 渡された辞典をパラパラとめくれば、特に文字化けもなくスムーズに読める。


「じゃあ、こっちは朝に作ったカステラに野菜のスープとベーコンエッグをつけるから、よろしく――」


 そう言って、手を洗い出す千春に「…いや、手伝う」と、私は袖をまくる。


「先に食事を済ませてから二人で読み解くぞ。今後、軍の人間と会ったときに少しでも英語を話せるようになっておいたほうが良さそうだしな」


「えー、やだー」


「嫌がるんじゃない。夏休みの宿題と思いなさい」


 そう言って首を振る千春の横で私は黙々と手を洗い、解読より先に彼女の昼食づくりを手伝うことにした――

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