サラダクレープと炊飯カステラ
レシピ・4「モールと早朝クレープ」
「――お、遠野さん起きたね。もうすぐ炊飯器で焼いたカステラもできるから」
甘い香りに目を覚ますと、私の前でクレープを焼く少女がいた。
カウンター式のキッチン。
そこに立つのは、パジャマの代わりに黒いウサギのルームウエアを着た少女。
彼女はガスコンロは使わず、キッチンに設置されたコンセントにホットプレートを繋げると、上からクレープの種を流し込み、薄く丸く広げていく。
「軍の人から教えてもらった所だけど、便利だよね。充電も物資補給もできるし」
(…確か、彼女の名前は千春だったか)
昨日のことを思い出しつつ、私は寝袋ごとソファから身を起こす。
――ショッピングモールの一角にある、かつてはショールームだった場所。
話によれば、この建物自体は某県の郊外にあった商業施設だったそうなのだが、経営不振でオーナー企業が撤退し、今は廃墟として残っているという。
(…おかしなことに、なぜか同一の建物がこの場所に存在しているからな)
あげく内装も当時のままだそうで。そのくせ、人の気配がないのに常に入れ替えがされているのか賞味期限が来るたびに変化する食料品や最新鋭の家電機器など、原因については今も調査中とのことであった。
「空間が重なっているとか、次元が違うとか諸説あるみたいだけど、軍の人たちにとっては活動拠点として使えるから重宝しているみたい。地上の施設も、同じく立ち入り禁止にしているけど、政府の物資保管庫になっているそうだから――」
そう言って、クレープの生地をフライ返しでひっくり返す千春。
「ぶっちゃけ、ここにいれば電気が使えるし。ガスも通ってはいるけれど、火の色が普通とは違うから私も含めて軍の人たちは利用していないよ」
「まあ、そうだろうな」と試しに
音を立てて点いたコンロの火は、銅を含んでいるものか緑の炎色反応を示していたが、ちぎれるように青色の燐光へと変化すると空中を漂い始め、すぐさま私はコンロのつまみを戻す。
「――そっちは信じていないようだが、ヨモツヘグイの対象となる食べ物は死後の世界の火と
「ただ?」
そう言って、クレープの生地をキッチンペーパーの上に載せて冷ます千春に私は「いや」と、燐光を払いのけながらコンロから離れる。
(…火というのは電気の下位みたいなものだからな。それにどこから来ているのかさえ分かっていない電力で調理すること自体、危うい気もするんだが)
考え込む私に「まあ昨日食事をした限り、体調面に変化は無かったでしょ?」と、床に置かれた充電中のバッテリー式携帯冷蔵庫からレタスとプロセスチーズとパック入りのハムを机に並べていく千春。
「話によれば、こういう場所は何ヶ所もあって、軍の人たちは【安全地帯】って呼んで利用しているし…でないと、こうして地図なんかには残さないんだから」
そう言って、ショールームの壁一面にスプレーで書かれた地図を指さす千春。
壁には、モールの大まかな見取り図が描かれており、階層のあちこちには注釈として別の場所に繋がるドアや(――昨日、私たちはその中の一つを通りここに来ていた)危険地帯であることを示す【
「だから、安全」
「安全…ねえ」
そこに「よっ」と、自分の分までクレープを焼き終わった千春がキッチンペーパーに載せた生地の上に水を切ったレタス、ハム、チーズを置く。
「ほい、朝食。まだ温かい方をおじさんにあげるね」
くるりと巻いて手渡されたのは、まぎれもなくサラダクレープ。
「あと、クレープで余った牛乳も飲んで」
ついで、二つのグラスに牛乳が注がれる。
「…ありがと」
「じゃあ、食べよう。いただきまーす!」
――思えば空腹だったのか。
彼女の声と共に私はクレープを食べ始める。
まだ熱々の生地はほんのりと甘く。そこにシャキシャキの水洗いしたレタスとしょっぱいハム、そしてチーズが合わさり優しい風味が口の中に広がる。
「うーん、コショウをかけても良かったけど。ここは素材の味を活かしたくてね。もし、何か足りなかったら言って。調味料はここにあるし」
そう言って、台の上に置いたポシェットの中には詰め込まれた調味料。
私は「いや、別に」と言いつつ、黙々とクレープを食べ進める。
――思えば、まともにクレープを食べることなど大学時代に祭りの出店で食って以来。良い年をした大人になった以上、この手の華やかな甘味とはどことなく
「ほうほう、良い食べっぷり――もしかして、おじさん甘いものもイケる感じ?今度は生クリームや果物を見つけて、フルーツ系のクレープも作ってみるか」
ウンウンとうなずきつつ、クレープの残りを一口にする彼女に「いや…いらん気を効かせる必要はないぞ」と、私は最後のクレープの欠けらを平らげる。
「でも、デザートは一日の活力にもなるし。ほら、特に乳酸菌は胃の調子を整えるんだから!」
ついで、彼女が冷蔵庫から出してきたのは容器に入った市販のヨーグルト。
同じく冷蔵庫から出したキウイフルーツを六等分にすると、三つずつ蓋を開けたヨーグルトの中へと、ドボドボと勢いよく突っ込んでいく。
「…ちょっと多くないか?」
「多くない、バランスの取れた食事の方が大事なの!」
大きめのキウイの反動でフチからはみ出たヨーグルトを眺めつつ、スプーンを持った私はため息をつく――口に入れたキウイは酸味よりも甘みが強く、見れば彼女はヘタ近くの三切れをこちらによこしてくれたようだ。
「ん、こっちの方に酸味があるの、おじさんは知っているんだ?」
指摘した私に驚く千春。
「へー、そういや昨日のピーラーも早かったし、料理とかやってる?」
それに「…まあ、福祉の仕事で週一の食事会があってな」とヨーグルトを食べた空を持って、言い淀む私。
「ボランティアさんと食事を作る上で勉強会をしたりして、知識はそこで」
「へー、真面目だねえ」
感心したようにキウイをパクつく千春に「…いや、私はダメな人間だよ」と牛乳を飲みながら訂正をする。
「四ヶ月経っても段取りが下手くそで。今も周囲の足を引っ張ってばかりだし。近々行われる敬老会の準備や次の食事会のレクレーションの手配に買い出しと、てんてこ舞いで…正直、すぐにでも職場に戻らなければならないのに――」
「え、今日は土曜なのに?」
話しつつも、机に置かれた卓上カレンダーにキュッとバツ印をつける千春。
それに「――なにしろ、平日に毎日三時間残業しても間に合わないからな」と、答える私。
「ほぼ毎日のように、公民会が空いている時間帯ギリギリまで仕事をしている。それに今もどれぐらい遅れを取っているかと思うと、なかなか寝付けなくて…」
片手に持った空のグラスが次第に重く感じられるなか「…それって、ブラックじゃん」と、千春はつけたカレンダーをリュックに戻す。
「いや、残業したら上に報告するように付けてはいるが…」
「何時間?」と、ついで手帳を取り出して日記を書き始める千春。
「今月で七十二時間」
「月、四十五時間を超えたらアウトだって役場勤めの母さんが言っていたよ?」
「…」
書き込む内容は最小限なのか、千春はパタンと手短に手帳を閉じる。
「労基に言ったらどうよ。役所の仕事でも通ると思うよ、それ」
「いや、でも。与えられたノルマを処理できない私の方が悪いのだし、これ以上は他の人にも迷惑が…」
そんな折――不意に店全体に
「お、奴さん。こっちの階に来たか」
千春はそう言うと「片付けはこっちでしておくし」と、飲み終わったグラスを含めて私の手から食器をひったくる。
「トイレとか、出かける支度を先に済ませておいて。今日はおじさんという強い味方がいるからね。モール内で出かけるための必要な物資を集めて、明日、改めて出かけるための準備をしよう」
「――ああ、それと」と、千春。
「向こうの仕事については、戻ったときに考えようよ。今は私についていけば、確実に出ることはできるからさ」
そう言って、くったく笑う千春。
――その背後のカーテンには巨大な影。
金属の軋むような重低音を響かせる影はゆっくりとした足取りで、そのまま、ショールームの前を通り過ぎていった…
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