レシピ・2「ヨモツヘグイとマヨむすび」
「――ふーん。そりゃ異界に行く方法に巻き込まれたね」
冷蔵庫を漁りつつ、千春と名乗る少女はスプーンをくわえる。
こちらがツナ缶を食べようとしないことに気がつくと、彼女は自前のスプーンを取り出し、半分を自分の口へ放り込み、残りを私へと押し付けていた。
「聞いたことない?エレベータで決められた階に移動すると異世界に行ける方法――途中で女性が乗り込んでくるけど、次の階で降りれば助かって、そのまま乗り続けると…」
「私のように、この場所に来ると?」
「うん、そんな感じ」
途方に暮れる私の手には、未だ手を付けていない半分残ったツナ缶と彼女から手渡された大根と人参。
「うん、あー…こっから先はダメかも。ほら文字が読めない」
そう言って、見せてきたバターの箱には有名メーカーのロゴが印刷されていたが裏を返すと完全に文字化けしており何が書かれているか読み取れない。
「【異界化】が進んでいるね。これ、道中に会った軍の人の言葉なんだけど――でも、残りは賞味期限も含めてまだいけるようだし、おお!見て」
言うなり、彼女は私に身を屈めるように言い、みれば冷蔵庫の奥の空間が陽炎のようにボヤけていた。
「ああなっていると、空間の一部がまだ私たちの世界に残っていることが多いんだって。だから、こうして――」
ついで、彼女は腰につけていたポーチから結んだ紙を引っ張り出すと、冷蔵庫の奥の空間へと放る。
「こっちのものを、こうして送る」
「…はあ」
意図が読めずに生返事をする私に「――ってかさ、お腹すいて無いの?」と、缶と私を見て不服そうな顔をする少女。
「いや、ここが異界と言われると、どうも食べ物を口にすることが
――突然だが、【ヨモツヘグイ】という言葉を知っているだろうか?
死者の国の
古事記にも書かれているが行えば死者の仲間入りをしてしまうリスクがある。
要は異界と呼ばれるこの場所で、しかも誰ともわからぬ女子高生から渡された、生暖かいツナ缶を私は口にしたものかとずっと考えあぐねていたのだが…
「はい、あーん」
食べてしまった、一瞬で。
スプーンがまだツナ缶に刺さったままという事実を彼女は逆手に取り、中身を瞬時にかきだすと私の口の中へと放り込んだ。
「悪くないでしょ?手が塞がっていたのなら、確かに食べられないし」
反射でムグムグと動く口。
(いや、そう言うわけではないが――まあ、味は悪くないが)
正直、ツナ缶自体は学生時代によく食べていた。
上から醤油を垂らし、ご飯と共に食す。
塩見の効いたツナ特有の油分と濃い味、そう、もしこれに合わせるのなら…
「ほい、焼きおにぎり。ツナ缶と合うようにマヨネーズを隠し味にしてるから」
ついで彼女がラップから出し、口に突っ込んできたのは一口サイズの俵型。
小ぶりなので食べやすく、醤油が塗られた香ばしい米の奥にはツナと相性バツグンのマヨネーズの風味が広がり――
「いや、違う違う。こんなところで食事をして良いものかと言っているんだ!」
おにぎりを咀嚼しつつ首を振る私に「え、そうなの?」と目を丸くする少女。
「【ヨモツヘグイ】を知らないのか?黄泉のものを食べると――」
それに「いや、ここは死者の国じゃないし」と否定する彼女。
「ここは異界だし。昔話で言うなら、浦島太郎の龍宮とか神隠しの部類だし――じゃないと五体満足で現世に帰ってこれないから」
私はおにぎりを飲み込むと「浦島太郎は最後は爺さんになっているし、さらに言えば鶴になっているバージョンもあるじゃないか!」と反論する。
その様子に「ええ…おじさん意外と民話に詳しいじゃん」と半ば引く少女。
「…でも、神隠しなら短期間で戻れば大して時間は経たないはずだし。食べものだって変化に気をつけさえすれば、問題はないわけで――ぶっちゃけ、私も一週間ほど、ここで見つけたものを飲み食いしているけど異常は無かったワケだし?」
冷蔵庫を再び漁り出す少女に「え、一週間も?」と、私は思わず声を上げる。
言われてみれば制服に目立つ汚れこそないものの、寝袋を含め鍋やフライパンやカップなど重そうなリュックを彼女は背負い、傍らにも、クーラーボックスを載せた巨大なカートを停めていた。
彼女はそれに「うん、ちょっと探し物をしていてね」と言いつつも中身を漁る手を止めない。
「高二の夏休みをいっぱいに使って、【マヨイガ】で一攫千金を狙っていてね」
それに「…いや、まあ確かに」と、言い淀む私。
「民話じゃあ、価値のある道具が眠っているとも聞くが…でもなあ」
――異界に存在する家、【マヨイガ】。
地方の伝承などに登場する、本来人気の無い山奥などで見つかる屋敷であり、中に入れど家人と会うことは無く、家の中ものを一つ持ち出せば、ひと財産築き上げることができるとも聞くが…
「本当に、そんなもの実在すると思っているのか?」
尋ねる私に「うん、ばあちゃんが教えてくれたから」と少女。
「山菜取りの名人でね。暇さえあれば、民話や伝説を私に話してくれた…神様が住んでいる【マヨイガ】に繋がる道もばあちゃんから教わったし――まあ、去年に心臓発作で死んじゃったから、それ以上は聞けなかったけど」
「…そうか」と、しんみりとした空気に私は目を逸らす。
「悪いことを聞いた。まあ、私としては、ここにあまり長居したくは無いから、早めに出られる手段を探したいんだが」
そう言いながらも、帰りをどうしたものかと考えあぐねる私に対し「む、舞茸にしめじ――ここにあるのはまさかの手付かずの味噌だと!」と先ほどの空気はどこへやらという感じで味噌パックを掲げる千春。
「よし、あらかた話したし。ここは、ばあちゃん得意のキノコ汁でも作りますか。おにぎりもツナマヨだし、締めにもちょうど良いじゃん」
ついで鼻歌まじりにリュックサックを冷蔵庫の上におろすと千春は中からガスボンベと簡易コンロを取り出す。
「ほい、セッテイングよろしく。こっちは野菜を刻んで鍋に放り込むから」
「飯を作るのか、ここで!?」
驚く私を尻目に、千春はトンネルの壁から生えた水飲み場を見つけると蛇口をひねり、自前のグラスでしばらく観察しつつ「ん、使えるね」とこちらを見る。
「水も飲めるものっぽいし。三十分もあれば十分よ」
未だあちこちの隙間から覗く巨大な顔の前でなんでもないように千春は小鍋に舞茸を入れると水を注ぎ、野菜を水道水で洗いながら、渋々始めたコンロのセッティングを終えた私へとピーラーを渡す。
「手を洗って人参の皮をむいて、石鹸も水道の近くにおいたから」
「いや…こんな場所で?」と、水道に近づき辺りを見渡す私に「食事と運動は、決まった時間にしたほうが体には良いんだよ?」と先端と尾を包丁で切り落とし、人参を寄越す千春。
「睡眠の質にも影響するし、健康にもよくないって学校で習わなかった?」
「いや、こういう非常時は――」と、洗った手で人参を受け取る私。
「だったら、余計に必要じゃん!」
ついで、クーラーボックスを台にした彼女は、まな板の上で皮を剥いた大根を手際よく銀杏切りにし、沸騰した舞茸のお湯を捨てて水を入れ直す。
「何がなんでも、ここでご飯を作ります。以上!」
「…わかったよ」
しぶしぶ、私も人参の皮を剥いて彼女に渡し、それもあっという間に刻まれて鍋の中へと放り込まれていく。
「えへへー、なんかキャンプみたい」
そう言いつつ、クーラーボックスから出した
「そーいえばさあ」
ついで、何かに気づいたかのように顔を上げ、私の方を見る千春。
「おじさんの名前聞いてなかったわ、あとで教えて?」
その呑気な言葉に私は自身の肩がガクンと落ちるのを感じ、あたりには美味しそうな匂いが漂い始めた…
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