異界に行っても飯は喰う!

化野生姜

ツナマヨおにぎりとキノコ汁

レシピ・1「エレベータと蠟燭ツナ缶」

 私こと、遠野とおのは途方に暮れていた。

 

「――で、次に十階に行ってえ…」


 目の前にいるのは小学生と思しき男の子。


 彼は夏休み真っ盛りの宿題の詰まった塾のカバンを背負い、手にしたスマホをチラチラ見ながらエレベータの階数ボタンを押していく。


「で、次に六階」


 図書館やコワーキングスペース、会議室や託児所などが集まった複合型施設。


 ビル内で、この子がボタンを押すのは実に六回目。

 暇なのか何なのか、先ほどから階数ボタンを押し続けて今に至っている。


「――あ、遠野さん。お疲れ様です」


 ついで、開いたドアの先に立っていたのは、先ほどまで福祉会の会合で司会をしていた市の福祉職員の大坪おおつぼさん。


 彼女は私のような新米の会計年度職員にも分け隔てなく接してくれる女性で、町内で行われる福祉会の集まりでも、たびたび顔を合わせる間柄であった。


「私、上の階に用事がありまして」


 同時に小学生も十階のボタンを押し、目的地が同じだったのか彼女も特に声をかけることなくエレベータは上昇する。


(――にしても、この施設の図書館はひどいものだったな)


 上の階に行くあいだ、私は前の二人に見えないよう小さくため息をつく。


 ――私が務めるコミュニティセンターの福祉業務は激務に近い。

 

 窓口の対応に始まり、週に一度行われる食事会の采配。町内会の福祉の集まりから年に一度の敬老会の運営業務に福祉ボランティアの調整に募金活動…正直、休むいとまもないのが現状であった。


 そんな中、残り少ない時間に読書をするのが唯一とも言える私の生きがい。


 それだけに今回の会議に使われた施設に図書館が入っているとのことでわずかな希望を持ちながら帰りがてらに寄ってみたのだが――これが、ひどかった。


 駐車できるのは施設に近い半ば工事中の駐車場。

 しかも、三十分を超えると五百円以上の有料。


 おまけに施設内の図書館は三階と五階に泣き別れとなっており、エスカレータで三階に上がってみれば今時の本屋のコンセプトを狙ったものか、テーマごとに作者も順序もごちゃごちゃに本が羅列され、目的の本を探すのにも一苦労。


 あげく、読むための席を確保するにも事前予約が必要で試しに借りようと手にした本はシステムの全体整理のために半年後まで貸出不可。


 そんなこんなで、手ぶらで私は帰りのエレベータに乗り込み、あげく小学生のボタン連打で途方に暮れて止める気さえ起きなくなっていた。


 ついで、少年は十階につくなり「ヤベ。もうすぐ塾の時間じゃん。この下だし階段使お」と、さっさとドアの外へと歩き出す。


 瞬間に閉まるドア。下がるエレベータに十階で降りると宣言していた大坪さんも取り残され、私はおずおずと「…あの、もう一度ボタン押しましょうか?」と、ボタンに手をかけるも異変に気づく。


「あれ、反応しない」


 そうしている内に三、二、一と階数が下がり、箱はさらに下降する。


(え、ここには地下表示はないのに――)


「あの!」


 思わず、彼女に私は声をかけるが――急に、大坪さんの体がぐにゃりと曲がると床に溶けるように消えてしまう。


「え、あ、あ…!」


 驚く、私。同時に響く、着地音と開くドア。


 ――その先には、なぜか蛍光灯が明滅する薄暗いトンネルが続いていた。



「なんで、こんなことに…」


 トンネルは一本道に見えたが、周囲には机や椅子など無造作に転がっており、背後にある全く反応しなくなったエレベータも含め、腑に落ちないものを感じつつも進むほかないと歩き出す。


(新築だと聞いていたのに、まるで物置のようじゃないか)


 道はところどころ泥が溜まり、スニーカーを履いていたため支障はなかったが(これも、動きやすいようにと上からのお達しで購入したもの)出口はなかなか見えず、次第に焦りが募ってくる。


「まいったなあ、明日の土日は残業予定なのに。少しでも寝ておかないといけないなと考えていたんだが」


 スマホの時刻を見れば、すでに歩き始めて三十分の経過。


 ぶっちゃけ仕事も間に合わず、会議後に図書館に行ったのも魔が差したの一言であり、今の私には後悔しか残っていない。


「…そうだよな、仕事があるなら職場に戻っても良かったのに。疲れ切っていたし、会議もあると思って帰ろうとしたのがいけなかったんだろうな」


 そんな一人反省会を開くなか、ふと隙間風を感じて顔を上げる。


「――は?」


 ところどころ剥落したコンクリートの天井。

 その数メートルほどの高さの隙間いっぱいに巨大な顔が覗いていた。


 足元に落ちたコンクリート片の大きさから換算してもその大きさは数メートル。

 それは、もちろん普通の人間ではありえない大きさで――


「わ、わ…!」


 漏れ出る声と共に、走り出す私。


「見間違いだ。そうだ、そうに違いない――!」


 きっと疲れているのだ。

 この、どこまでも続くようなトンネルも何かの間違い。


 その証拠にいつしか足元には机だけではなく洗濯機や冷蔵庫まで落ちており、そのうち一つに私は足を引っ掛け、ドアが開いた先で転びそうになる。


「うわ!」


 思わずもたれかけた巨大な椅子の先には分岐したトンネル。


 どの壁も剥落し、先ほど見えていたもの以上の巨大な顔が笑みを浮かべながらあちらこちらから私を見つめており…


「―――!」


 出られないかもしれないと言う恐怖。

 あり得ないものを見てしまったと言う恐怖。 

 

 それらがないまぜとなった私は声にならない声を上げ――


「うわ、久しぶりの鮮度の高そうな中身の冷蔵庫じゃん!おじさん、足どけて」


 見れば、いつしか冷蔵庫の側には一人の女子高生。制服姿の彼女は片手に揺れる火のついた缶詰を握り、こちらを見ると「ん?」と声を上げる。


「中身が見たいの、今日の夕飯にできるもの探してるから」


「え、夕飯…こんなところで?」


 すると、女子高生は「うん」と答え、缶詰から火のついたこよりをはずすと、ぺりぺりと缶の蓋を開けて自前のスプーンをつけて差し出す。


「おじさん、お腹が空いているでしょ?今日のオヤツなんだけど。冷蔵庫の中身が無事なら余裕があるし。こうしておけば明かりにもなるし、おかずにもなるの」


 猫に餌を出すかのように、無造作に缶を出す女子高生に私はつぶやく。


「キミは、一体――?」


 すると女子高生は「私は南方みなかた千春ちはる、千春で良いよ?」と答える。


「おじさんも異界に迷い込んだクチでしょ?方法はわかんないけど」


 その言葉に私は周囲を見渡す。


「異界…ここが?」


 枝分かれしたトンネル。剥落した壁から不気味に覗く無数の顔。


 ――これこそが、私と千春とのファーストコンタクトであり。女子高生と歩む衣食整う異界サバイバルの始まりであった。

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