第16話 争覇の章 *越中平定~能登侵攻~景綱の死
*越中平定
昨日の敵は今日の友、とはよく言ったものだ。越前国の織田軍の脅威を身近に感じた加賀の一向宗徒からは、同盟締結が伝わると、これまでの確執などまるで無かったかのように、出陣を要請してきた。
謙信は、魚津城代として、越中の国全体を束ねている河田豊前守長親をすぐさま、春日山城に呼び戻した。
「一向一揆勢が味方となった今、あとは織田方と目される城を、
「ようやく、前が見えて参りましたな」
「越中の様子は如何じゃ」
「我らが新たに国を統治する者である、との認識が民の間にも徐々に浸透して参りました。本願寺との和睦により、この道中も一向宗徒に襲われる心配もなくなりましたし、これからは益々越後との往来も増えることになるでしょう」
「うむ。そのためにも越後と同じ街づくり、仕組みづくりをしようと思う」
「越中にも、府内や柏崎と同じ街並みを作ろうとお考えですか」
越後は永禄の大飢饉を乗り越え、近年益々、商いが盛んとなり、民の暮らしも格段に改善されつつあった。
「そうじゃ。先ずは鰺坂備中守と相談し、
闕所とは戦いなどで領主を失った土地のことである。
「それは内々に進めております」
「やるではないか」
それでこそ、儂が見込んだだけのことはある、という言葉が思わず出そうになったが、謙信はそれを呑み込んだ。
「それから、放生津と伏木浜の港の拡張整備を直ちに進めよ」
「承知しました」
「放生津は楽市とせよ。町人の諸役は三年免除、津料や渡役も当分の間は免除で良い」
「それならば、直ぐにでも人は集まり、商いが盛んになります」
「これまで越中は一揆や戦続きで、人心の荒廃も進んでおろう。それを救えるのは我らじゃということを、肌に浸み込ませる必要がある」
「仰せの通りと存じます」
「豊前守」
「はい」
「儂の下に仕官して何年になる」
「十七年でございます」
長親は突然聞かれたことの意図が分からず、戸惑いながら応えた。
「時が経つのは早いものじゃ。よくぞ、この儂に尽くしてくれた」
「何をおっしゃいますか。それがしは今でも、あの日吉大社での邂逅を忘れてはおりません。つい昨日のことのように思い出されます」
「そうであったな。最初は敵の間者と疑っておった」
「はい、それも忘れてはおりません」
「儂が病に倒れた時は、寝ずの看病をしてくれた」
「あの時は、何もかもが必死でした。今となっては、それも良き思い出です」
「うむ」
「御実城様」
「何じゃ」
「急にどうなさったのですか。これからもこの豊前守は、どこへも参りませぬ。御実城様の下でこの命尽きるまでお仕えする所存です」
「わかっておる。ただ、この十七年間は無論良きこともあったが、辛いことの方が多かった気がする。その時に限って、儂はお主に辛い役回りを押しつけてきた。厩橋に沼田、そして今は魚津と、常に敵と隣り合わせの最前線に身を置かせてきた」
「それも、それがしへのご期待の表れと信じ、誉れとは思えども、一度も辛いと思ったことはございませぬ。それに」
「許す、申せ」
「父と共に日吉大社で待ち伏せし、仕官の直談判を行ったのは正解であったと、今でも自負しております。御実城様を選んだ目に狂いはなかったと、今こうして自信をもって申せます」
「言うではないか」
良い話の内容を自信家の長親が言葉にしてしまうと、必ず鼻につく言い方になる。それは変わりないらしい。
「言うことを、お許し頂きましたので」
謙信は思わず吹き出していた。
「もうよい、話を戻そう。越中の国内を整備しながら、年内には平定させたい。残った敵対する城はどれくらいじゃ」
「
「長と言えば、信長に通じている奴じゃ。いずれにせよ、次は能登の平定に向かう。その最大の難関が七尾城となる」
「そして、次はいよいよ織田勢との決戦ですか」
「恐らくそうなる」
「今から楽しみです。御実城様が、織田勢を蹴散らすお姿を、想像するだけで血が騒ぎます」
「そのためにも、お主には益々活躍して貰わねばならぬ。いつでも軍を出せるよう、直ちに戻り準備するのだ。越中在番の皆にも、儂の意向を伝えよ」
「承知いたしました。ではこれにて」
下がろうとする長親を謙信は引き止めた。
「まあ待て。直ちに戻れとは言ったが、明日でよい」
「はい」
何を言いたいのか分からない長親が、微かに首をかしげている。
「今晩は儂の酒の相手をせよ、と言っておるのだ。魚津に戻るのは明日でよい」
「ありがとうございます」
謙信の一声で、二人の前に酒と肴の膳が運ばれてきた。
天正四年(一五七六年)七月十三日、毛利水軍が石山本願寺近くの木津川口で、信長の水軍を撃破したという。謙信にとっては朗報だった。
信長の兵糧攻めに業を煮やした本願寺・蓮如が、毛利輝元を動かして、海路兵糧を運ばせ、信長勢と激突した結果だという。
この戦勝により、兵糧は石山本願寺内に難なく運ばれることになり、一時危機が叫ばれた本願寺勢は、一気に勢いを盛り返すことになった。
謙信がこの機を逃すわけがない。
天正四年八月、軍勢八千を率いて越中にむけて出陣した。
未だ敵対する栂尾城、増山城、湯山城を次々と陥落させ、いよいよ能登への進軍開始という時に事件は起きた。
それは越後・越中の国衆間の問題ではない。新たに味方となった、一向宗徒間における主導権争いが勃発してしまったのだ。
石山本願寺から派遣された
謙信の本音とすれば、誰が一向宗徒の指揮を取ろうが知ったことではない。謙信勢と連携した動きを取り、敵を攪乱してくれれば、それで充分だった。
当初は一揆勢内部の問題として、介入を避けてきた謙信だったが、双方が譲らず膠着状態が続く以上は、看過出来なくなっていた。
謙信は石山本願寺・蓮如に対して、禍の詳細を報せたうえで、裁定者の派遣を要請した。蓮如の意を受けて、やってきたのは坊官・
当事者三人と謙信、それに下間頼純が顔を揃えたのは、天正四年十一月十六日のことだ。
「それぞれの言い分を聞こう、先ず七里殿」
この場を仕切るのは、当然、裁定者である下間頼純である。
「それがしは顕如様からの命を受けて、加賀に下向してきている。当然、一揆勢を指揮するのはそれがしでござろう。それに対して何故、鏑木殿と奥殿が同意して下さらないのか、理解いたしかねる」
口火を切ったのは七里頼周である。
「七里殿がこう言っておられるが、鏑木殿と奥殿は如何思し召しか」
「加賀の内部のことは、我らが一番熟知しておる。我らにはこれまで、金沢御坊を代表する指揮官として、任務を果たして参った誇りがある。その我らを七里殿は真っ向から否定し、二言目には顕如様の御名を出して、とにかく従えの一点張り。これでは、我らだけでなく、宗徒全員の納得が得られるわけがなかろう」
鏑木右衛門に続き、奥政堯が話始めた。
「それに失礼ながら七里殿は、指揮官というものが如何にあるべきかを、ご存じないとお見受けする。どれだけ兵法をかじったのかは存ぜぬが、余りにも指令が横暴であり、あれでは誰もが従うことを嫌がって耳を傾けようとは思わぬ」
「それはお主達が、回りを唆し扇動しているからであろう」
「言いがかりはお止め頂きたい。我らがいつどこで誰に対して、唆し扇動したのか、応えて頂こうではないか」
「まあ、そのように互いが喧嘩腰では、纏まるものも纏まらぬ。つまり、お二人は七里殿に、予め、諸事相談をして欲しい。また、物言いを改めたうえで、指揮してくれれば文句はない、ということで宜しいかな」
頼純が割って入った。
「もちろんでござる。郷に入っては郷に従えという言葉がござろう。諸事予め我らに確認したうえで指揮して貰えれば、このように拗れることはなかったはず」
右衛門が応え、政堯も頷いた。
「こう二人が言っておる。この機会に七里殿も、お二人と心を割って、万事予め相談するようにしては如何かな。人は決して理屈で動くものではない。動くのはあくまで気持ち次第ですぞ。もう少し肩の力を抜いて、他の方々と接することを心がければ、自ずと道は開けていくものと存ずる。如何であろう」
頼純の諭しに対し、七里頼周もようやく折れて応えた。
「分かりました。今後は何事もお二人と相談のうえ、戦に臨みたいと存じます」
「さて、これで一件落着と行きたいところだが、お二人も最初から、七里殿とこうして腹を割って話せば、このような騒動にはならなかったはず。我らだけならいざ知らず、こうして山内殿にまでご心配をお掛けしてしまった以上は、何らお咎めなしとは参らぬ」
「少し、お待ちくだされ」
下間頼純の言葉を遮ったのは、謙信だった。それまで、
「この謙信に対するお気遣いは、一切無用に願いたい。何よりも一向宗の皆さまがひとつに纏まり、我らと共に、戦ってくださることこそが肝要と存ずる。これまでお話を聞いて参ったが、鏑木殿も奥殿も、決して七里殿への私怨にはあらず。戦における士気が如何に大切であるかは、この謙信がよく存じているつもりです。あくまで戦う宗徒全員のために良かれとの思いで、お二人が止むに止まれず、諫言に及んだものと解しております。それであるならば、此度の件は、お咎めには及ばず、と断じても良いのではなかろうか。如何かな、下間殿」
「山内殿から、そこまでご寛大なお言葉を頂戴しては、否とは申せませぬ。それでは、此度のことは全て不問ということで、七里殿も宜しいかな」
「無論、異議などあろうはずもありませぬ。お二人に何らかの罰があるならば、もう一方の当事者たる我が身にも、御沙汰があって然るべきと存ずる。寛大な裁定に感謝申し上げる」
「それでは方々、ここからがいよいよ正念場でござる。我が上杉勢と一向宗徒の方々が気持ちを一つにして、敵を完膚なきまで叩きのめしましょう。宜しくお頼み申す」
謙信の一言で、騒動は決着をみることになった。雨降って地固まる。これでようやく、謙信は能登に軍を向けることが出来る。天正四年も十二月を迎えていた。
*能登侵攻
「実にみごとな城構えでございますなあ」
傍らに馬を進めていた直江大和守景綱が、七尾城を眺望し、思わず感嘆の声を上げていた。
謙信も気持ちは同じだった。難攻不落と呼ばれるに相応しい城であることを、認めざるを得なかった。春日山城に勝るとも劣らない、聞きしに勝る名城である。
天正四年(一五七六年)十二月、謙信は能登国への侵攻に当たって、先ずは越中国境の
謙信は、その七尾城を目前にして、大軍を進めながら城を眺めている。むろん、物見遊山ではない。城の全体像を把握するためである。
七尾城は能登国守護である畠山氏の居城である。天然の地形を巧みに利用してつくられた、まさに要塞という名に相応しい城である。
城の名は、七つの尾根に由来しているとのことだ。
先ず、城の東側を流れる
また、城の周りを囲む山麓の
山麓から山頂に至るまでの景観は、まさに圧巻と言うしかない。それぞれの尾根筋には、石垣を施した数多の曲輪が軒を連ねている。
頂上の本丸に辿り着くまでは、二の丸や三の丸を含む数々の曲輪群を突破しなければならないが、各所で堅固な守備が待ち構えており、行く先々で、攻め手を苦しめるに違いない。
尾根伝いの道も敢えて細くしていて、大軍で一挙に攻め上がることは出来ないだろう。逆落としをかけられれば、大勢の攻め手が、谷底に突き落とされる危険すらある。
城内の守兵は二千と寡兵であるが、味方の二万五千の兵で総攻めをしても、これでは相当の犠牲を覚悟しなければならず、決して得策とは言えない。
先ずは、城を攻囲しながら、水面下で密かに進めている、城内の重臣・遊佐続光の内通による開城を推し進めるしかなさそうだ。
謙信としては、多少の月日を割いてでも、城方が降参し開城するのを待つ他ないと判断している。力づくによる開城は、あくまで最後の手段でしかない。
一方の七尾城内でも、今後の方向性を巡って、意見が纏まらないまま、重臣間の対立は激化するばかりだった。
この時、能登国守護である畠山氏の力は、重臣たちの台頭によって、既に無きも同然であった。永禄九年の政変で、畠山義続・義綱父子が追放され、重臣たちの手によって、擁立されたのが未だ元服前の義慶である。義慶はまさに傀儡の国主でしかなかった。しかし、その畠山義慶も天正二年に、重臣の企てで毒殺されていた。
その毒殺を巡って対立したのが、親・上杉派の遊佐
つまり、謙信が攻め上がって来た時は、能登の国主不在という混乱真只中にあった。
謙信は先ず城内に向けて降服の勧告を行った。降伏すれば、本領を安堵するということも添えた決して悪くはない内容である。しかしながら、この勧告の取り扱いを巡り、七尾城内の重臣の意見は真二つに割れた。
「今は家中で争っている場合ではない。本領を安堵してくれるというのであれば、この際、越後の軍門に降るのが得策と考えるが如何か」
遊佐続光が口火を切った。その意見に対しては、案の定、長続連が反発してきた。
「本領安堵など当てにはならぬ。断固籠城し戦うべし」
「上杉謙信殿は、義を大切にされる御方。その御方が我らを騙し討ちになどする訳がなかろう」
「誰も騙し討ちなどとは言っておらぬ。ただ、食い扶持が減らされるのが、降伏した側の常でござろう」
「謙信殿は一度言ったことを、撤回するような御方ではない」
「そんなことは分からぬ。だいたい、お主は越後贔屓が過ぎるぞ。謙信殿が決して裏切らないと言うのであれば、その根拠を示して頂こうではないか」
「そういうお主も、織田贔屓ではないか。せいぜい、信長殿に擦り寄って、褒美を貰う気でおるのであろう」
「お主こそ、謙信殿と内々に褒美を貰う約束が出来ているのではないか」
終始この調子で、重臣の意見は纏まるどころか、話し合いは平行線のまま、徒に時間だけが過ぎていく。纏まらないということは、自ずと城内は籠城ということになる。
城内の遊佐続光からは、協議が不調に終わったことのお詫びを、内密に報せてきていた。
こうなると、七尾城の攻略に当たっては、やはり持久戦に突入するしかない。兵が倦むことのなきよう、入れ替わりながら大軍で攻囲を続け、降伏を待つことになる。
ただ、いつまでも呑気に攻囲を続けるわけにもいかない。城内の兵糧は少なくとも一年分の備蓄がなされていることは分かっている。しかも、城内には天然の井戸が幾つも掘ってあるから、水の心配も皆無だという。
呑気に構えているうちに、もしも織田勢が大軍で北上してくるようなことがあれば、城内と織田勢からの挟撃も覚悟しなければならない。そうなれば、一転して危機を迎えることになる。
どこかの時点で、遊佐続光に強く決断を迫ることも、想定の内に置いたうえで、謙信は七尾城の攻囲を開始した。
天正五年(一五七七年)、謙信は七尾城を攻囲したまま、正月を陣中で迎えた。
陣中とあっては、たとえ僅かでも、城内から攻撃を受ける可能性がある以上、正月のお祝いどころの話ではない。しかし、謙信は元旦と二日だけは、軍を半分に分けて、一人二合までの細やかな酒盛りを許可した。厳しいだけでは、いざという時に力が出せない。息抜きも必要なことは、これまでの長い戦歴の中で自ずと身に着けた教訓でもある。
謙信の下にも、直江景綱、河田長親、鰺坂長実、斎藤朝信、山浦国清らが集まり、細やかな酒宴が催された。
「我らの動きに対して、信長がどう出るか、実に見ものですな」
景綱は上機嫌だ。
「恐らく、越前国を任せている柴田権六とやらを、送り込んでくるに違いない。信長自身は毛利水軍に海戦で敗れており、今はその立て直しに懸命らしい」
謙信が杯を口に運びながら言うと、それを一気に煽った。
「となれば、信長自身が北上してくるのは、我らが柴田勢を破った後になりますな」
河田長親も負けずに酒を口に運んだ。
「恐らくはそうなる」
「御実城様は越前まで攻め込むつもりですか」
斎藤朝信が訊ねた。
「うむ、戦況次第ではあり得る。しかし、先ずは加賀までを固めることが大事だ。能登と加賀を平定し、信長防衛の最前線をしっかり固めねばならぬ。味方となった一向一揆衆と力を合わせれば、信長もそう易々と動くことは出来ぬはずじゃ。そのうえで、民には越後のように、穏やかな暮らし振りを味わって貰い、一揆など必要のない国へと徐々に変える必要がある。もともと、一向一揆は、政事に対する不満が大きくなったことが原因で起こったものであろう。今は越中に手を付け始めたばかりだが、いずれは能登や加賀の民の暮らし向きも、豊かになるよう変えてゆかねばなるまい」
「なるほど、民の暮らし向きが変われば、一向一揆もやがては消滅すると」
「それは誰にも分からぬ。本来、信仰は心の内にあるもの。信仰のために武器を持ってしまった今、それを力で止めさせようとすれば、必ず
「とても良いお考えと存じます」
酒は下戸の鰺坂長実が顔を赤くしながら頷いた。
「いずれ、金沢御坊とは、ゆっくり話す時が来よう。今は七尾城の攻略が先じゃ」
「御実城様、いずれ信長と刃を交える時は、必ずそれがしが先陣を賜り度いと存じます」
「何故じゃ、源吾」
源吾とは山浦国清のことである。
「信長はそれがしに対し、畏れ多くも御実城様への忠義を、反故にさせようとした、礼節を弁えぬ憎き相手でございます。さような奴には、自ら鉄槌を食らわされなければ、どうにも腹の虫が治まりませぬ」
「気持ちは分かった。しかし、そういきり立つものではない。確かに、あの一件は儂も腹が立っている。しかし、それよりも儂はお主の忠義が心底嬉しい。その時が来て、お主の気持ちが変わらぬ時は、あらためて考えよう」
「ありがとう存じます」
「すると、御実城様は織田勢を駆逐し加賀平定の後は、関東に向かわれるので」
酒のせいで、些か饒舌になった鰺坂長実が訊ねた。
「うむ。小田原とは決着をつけるつもりじゃ。来年には大軍を率いて小田原の氏政を討つ。信長との決戦はその後になろう」
そう言い終えた謙信は、何気なく直江景綱に目を移した。すると、何やら先ほどの様子とは違い、顔色が急変している。
「大和守、具合が悪そうだ。今日は休むがよい」
「いやはや、情けない。これも歳のせいでしょうか。何やら急に気分が優れぬようになりました。申し訳ござりませぬが、お言葉に甘えて、先に休むことにいたします」
立ち上がったその時だった。身体が横に傾いたかと思うと、それに気づいた長親と朝信が、
「誰か、薬師を呼べ」
謙信は大声で叫んだ。動揺していた。親父殿が倒れた、死んでしまうのか。そんな思いが、急に謙信を襲い不安を掻き立てていた。
「薬師は未だか。早くしろ」
謙信はもう一度叫んでいだ。
*景綱の死
天正五年(一五七七年)二月、謙信は七尾城の攻囲を任せて、富木城、熊木城、穴水城、甲山城、棚木城といった能登国北部の諸城を、次々に制圧していった。
輝虎率いる一万三千の軍勢来襲に驚いた各城兵には、その時点で抗う気持ちは失せていた。大半の将兵が投降するか、夜中に城から逃亡する始末だった。
能登国内で謙信に従わないのは、七尾城の他、加賀との国境に位置する末森城と奥能登の松波城を残すのみとなった。
正月に倒れた直江景綱は、既に大事を取って越後に帰国させている。今頃は与板城の床の上で養生していることであろう。幸い一命は取りとめたが、薬師の見立てでは、心の臓が相当弱ってきているとのことだった。
景綱本人は恐らく、自らの体調異変に気がついていたに違いない。自分に悟られまいと、最後まで気丈に振る舞っていたのだろう。
いつまでも元気だと思っていた、いや、勝手に思い込んでいただけのことだ。だから、傍にいながら、体の異変に気が付いてやれなかった。知らず知らずのうちに、無理をさせてしまっていたのだろう。
父であり、兄であり、一番の相談相手でもあった景綱が、今は隣にいない。皆が戦勝に沸き、再び七尾城に向かう道中も、謙信ひとりだけは、何とも言い表せない寂寥感に苛まれていた。
「ご注進、ご注進」
遠くから声が聞こえてきた。
一人の騎馬武者が、七尾城の方角から、こちらに向かって駆けてくる。間違いなく、自分への報せだろう。嫌な予感がした。
その騎馬武者は謙信の十間ほど前で下馬し、駆け寄るなり告げた。
「御実城様にご注進申し上げます。去る三月五日、直江大和守景綱様が、与板城にて息を引き取られたとのことでございます」
予感が的中してしまった。景綱はもうこの世にいないのか。
「豊前守、豊前守を呼べ」
河田長親が慌てて駆けてきた。
「御実城様、如何なされましたか」
「大和守が死んだ。儂は一旦越後に戻らねばならぬ。七尾城の指揮はお主に任せる」
「承知しました」
意を察した長親は、ただ謙信の命令だけを待った。
「城の攻囲を続けろ。夜襲には気をつけろ。篝火を焚いて、交替で夜通しの警戒を怠らぬよう。儂が戻るまでは、城からの脱走は一人たりとも許してはならぬ。もし、降伏してくる者があれば、それだけは許してやれ。投降が増えれば城内の士気も下がる。馬は少なくとも三日に一度は駆けさせろ。兵の調練も怠るな。頼んだぞ」
「ははっ」
謙信は思いつくだけのことを長親に託した。長親のことだ、言われなくともそれくらいは、間違いなくこなすはずだ。それでも、言っておくべきことだと思っていた。
謙信はその日、五百の騎馬兵だけを率いて、越後への帰り路を急いだ。一日でも、一刻でも早く戻りたかった。途中で襲われる心配は殆どない。それでも、少人数での移動は決して周りが許さなかった。諦めた謙信が出した譲歩は、騎馬隊のみでの帰国だった。
春日山に一旦帰城し、翌朝早く与板に向かった。夢中で駆け続けた。所々に替え馬の手配がなされていた。疲れがないと言えば嘘になる。しかし、景綱に早く会いたい。正確に言えば、もう景綱は、この世にいない。会おうとしているのは、景綱の脱け殻なのだ。それでもいい、その思いが謙信を突き動かしていた。
与板城の門前で謙信を出迎えたのは、一人の姫だった。景綱の娘、
景綱の亡骸が安置されている部屋に通された。線香の匂いが鼻を突いた。
傍には結の姿があった。謙信の姿をみて、動こうとしたが、それを手で制した。最期を看取った時から幾日も経過している。相当疲れているに違いない。それを隠そうとする姿が痛々しかった。体もやせ細り、以前より一回りも小さくなった気がした。
謙信は静かに景綱の死に顔を見て、手を合わせた。自ずと涙が込み上げて、人目も憚らず泣いた。
三十五年以上の長い付き合いだった。儂のために全てを捧げた後半生だったはずだ。後悔はなかったのだろうか。これまでは間違いなく、景綱あっての自分だった。 それは紛れもない事実だ。
初陣、守護代継承、上洛、関東管領、信玄との一大血戦、越山、越中能登侵攻、その時々で相談し二人三脚で歩んできた。いつも温かい目で自分を見守り、時には心配し、叱ってくれる唯一の人間を、今本当に失ってしまったことを実感した。
ここに横たわっているのは、紛れもなく直江景綱その人でありながら、既に景綱ではない。魂が抜けた後の亡骸に過ぎなかった。既にやがて土に帰る物体と化していた。
葬儀は盛大に執り行われ、遺体は直江家菩提寺である徳昌寺近くの墓所に埋葬された。傍には蒼衣が眠っている。
謙信は墓前で、蒼衣の御霊に向かって詫びていた。
済まぬ。親父殿にはもっと長生きして貰おうと思っていた。儂が頼り過ぎたことが祟ってしまったのだと思う。今更どうしようもないと分かっていても、悔やんでも悔み切れない。
親父殿には、これからの儂をもう少しの間、見守っていて欲しかった。儂は近いうちに、また能登に戻らねばならない。それが終われば、次は小田原攻めだ。近頃急速に力を拡大している織田信長との決戦もある。あらためて上洛も果たさねばならぬ。せめて、その時まで、親父殿には生きていて欲しかった。
もう、そちらでは親父殿に会えたのであろうか。親父殿が寂しがらぬよう、面倒をみてやってくれ。いずれ、儂もそちらに行く時が来よう。その時は、また一緒に宴を楽しもう。蒼衣の笛に合わせて、儂が琵琶を弾く。良いとは思わぬか。それを楽しみに待っていてくれ。
謙信は瞼を開き、ようやく立ち上がった。
「長い間、お祈りなさっておられましたね」
話しかけてきたのは、
「そうであったか。そんなに長い間であったか。全く気がつかなかった」
誤魔化しの一言を発するのがやっとだった。
「伺っておりました」
「えっ」
何を、という言葉は呑み込んだ。
「御実城様と亡くなられた蒼衣様のことです」
「もう遥か昔のことだ」
照れながらの一言だったが、結は謙信の心の中を見透かすように続けた。
「されど、御実城様は今でも、蒼衣様のことをお忘れではない。それはとても素敵なことです。そして、
「生きておれば、の話であろう」
「それはそうなのですが」
俯いてしまった結を見て、要らぬことを言ってしまったことに気づき、謙信は後悔していた。
「済まぬ。正直に言おう。蒼衣は今でも儂の心の中に生き続けている。最初で最後の想い人じゃ。儂が死ぬまで忘れることはない」
「やはり、そうでしたか。お話下さり、ありがとうございます」
「結殿」
「何でございましょう」
「春日山に参らぬか」
「えっ」
「勘違いされては困る。儂も五十近くなって、そろそろ身の回りの世話をしてくれる
「しかし、私は近々剃髪し、亡き殿の菩提を弔おうと思っておりました」
結は近々剃髪することを決めていた。名も礼泉尼と改めるらしい。
「それは存じておる。儂が春日山におらぬ時は、勝手になさるがよい。むろん、与板にも来て貰って一向に構わぬ」
「果たして、亡き殿が何と思われるか」
「大和守もきっと喜んでくれるに違いない。そう思えばこそ、結殿に勧めておる」
「しかし、それではお船が、与板にひとり残ることになります。父が亡くなり、そのうえ義理とはいえ、母の私がいなくなっては、寂しい思いをすることになります」
「お船には、婿を取らせる。直江家を断絶させるつもりはない」
「そのような御方を、既に御実城様はお決めなのですか」
「心当たりがある。元は上野国・総社城主である長尾平太に次男がおる。藤九郎という者じゃ。これとお船を夫婦にしてはどうかと思っておる。如何であろう。お船も早や二十一歳と聞く。決して悪い話ではあるまい」
「それはまことに良いお話かと存じます」
「では春日山に戻り次第、この縁談を進めるとしよう。それで、肝心な結殿のお返事は如何かな」
「直江の家が安泰であり、婿取りとなれば、姑がいてはむしろ邪魔となるでしょう。喜んでお仕え申し上げます」
「それは良かった。こうして、大和守と蒼衣の墓前で、結殿と話が出来たことも、何か不思議な縁(えにし)のようなものも感じる」
「まことに左様でございますね」
二人はあらためて墓前に手を合わせた。
景綱の四十九日法要を済ませて後、結は剃髪し
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