第7話 昇華の章 *日吉大社~再上洛

  *日吉大社


 永禄元年(一五五八年)九月、越後の山並みが紅葉で色づく頃、景虎の姿は与板にあった。わずかな供回りを引き連れての墓参りだった。

 直江家菩提寺である徳昌寺近くの墓所である。目の前にあるのは蒼衣の墓であり、傍らには父親である直江実綱が控えている。

 初めて墓前に立った景虎は、やがて腰を下ろし、静かに目を閉じて祈りを捧げた。 

 つい先ほどまでは、些か取り乱す心配をしていた自分が、まるで嘘のようだ。心穏やかに向き合い、自然と蒼衣の御霊に語りかけることが出来ている。


 そなたを失って早や五年、歳月の流れは待ってはくれぬ。瞬く間に過ぎてゆく時の速さを、近頃はつくづく感じるようになってきた。

 この間、儂なりに必死で生きてきたが、果たしてこれでよかったのかと、後から迷うことばかり。そなたが生きてさえいてくれたら、どれだけ心強いことか、と何度羨んだかわからぬ。

 そなたに誓ったことも未だ道半ばじゃ。越後を争いのない、平穏で民が豊かに暮らせる国にするという約束のことだ。かような弱音は、そなた以外には誰にも語ることが出来ぬ。

 国主というものは実に孤独で辛く寂しいものよ。こんな情けない儂を、そなたは今頃笑っているのであろう。

 その瞬間、景虎の頬を優しく撫でるように、秋風が通り過ぎていった。

 そうか、情けない弱気な儂を、笑い慰めてくれたのか。でも、安心してくれ。儂はそなたに誓ったことを必ず実現してみせる。いつ果てるとも知れぬこの命じゃが、精一杯生きて見せよう。それまでの間、どうか傍で見守っていてくれ。

 今度は、近くの木々の枝が静かに揺れ動いた。葉の擦れ合う音の中に、蒼衣の声を聞いたような気がした。

 また参る。


 景虎は目を開き立ち上がった。

「殿、お参り下さり、有難うございました。さぞかし、蒼衣も喜んでくれていることでしょう」

 直江実綱は御礼を言い、景虎に向かって深々と頭を垂れた。

「うむ。儂もようやく蒼衣の死を、正面から受け止められた気がする。城に戻ろう」

 そう言った景虎の口元からは、微かに笑みが零れていた。

 直江実綱は景虎に再び軽く会釈すると、心地よく注ぐ秋の陽だまりの中を先導した。

 

 湯屋を済ませた景虎は、上気したその顔を、実綱に向け酒を注いだ。

旅の疲れが心地よく感じられる。口の中に広がる酒の豊潤な香りと味が、一層、景虎の心と身体を寛がせてくれていた。

「実は今日、不思議なことが起きた。儂が墓前で蒼衣の御霊に語りかけていると、風の音に混じって、蒼衣の声が聞こえてきたような気がしたのだ。儂の身勝手な願いが招いた、幻想かもしれぬが」

 景虎は墓前での出来事を正直に話してみた。

「そのようなことがございましたか。蒼衣は心から殿のことをお慕いしておりましたから、それは真実かもしれませぬ」

 実綱も今は亡き愛娘のことを想い、感慨深げな表情で酒を口に運んだ。

「儂は今でも蒼衣のことを思い出すと胸が苦しくなる。きっとこの想いを一生抱いて過ごすに違いない」

「もし、今そのことを聞いていたら、さぞかし喜んでくれていると存じます。生前、蒼衣は殿に寄り添って生きることが出来ぬと知り、それならば自分は心の中の伴侶を貫こうと誓い、仏門に身を投じました。幸せには、人それぞれの形がございます。殿と想いが通じ合っていたことを知った蒼衣は、きっと日の本一の果報者だったに違いありません」

 いつの間にか、二人の目には、うっすらと光るものが浮かんでいる。

「与兵衛尉、今日はもう蒼衣の話はよそう。一層想いが募り、辛くなるばかりじゃ」

「左様でございますね。また、いつでも墓参りにお越しください。喜んで御供いたしましょう」

 実綱は顔を伏せたまま応えた。

「思わず感情が高ぶってしまったようだ。本題に参ろうか」

 景虎は感傷的となってしまった場の空気を変えようと、酒を一気にあおり、ひと呼吸を置いて語りかけた。

「上洛のことですな」

 実綱もすでに気持ちを切り替えている。

「そうだ。何故分かった」

「武田大膳太夫の信濃守護補任の件、殿の信濃出兵、そして神余親綱殿帰国の件を合わせ考えますと、結論はそうとしか考えられません」

「ならば話は早い。親綱が持ち帰ったのは、畏れ多くも公方様直筆の御内書であった。儂を頼みにしていることが、文面の随所から滲み出ている、有り難き内容であった。ここまで頼りにされたとあっては、上洛を拒むことなど出来ぬ」

 景虎の自慢げに嬉しそうな顔で話す表情を見たら、反対する気持ちなど、消し飛んでしまう実綱だった。

「殿のご性分であれば、左様でござりましょう。たとえ数多の反対があったとしても、押し切る覚悟に変わりはありますまい」

「再び心配を掛けることになるのは、済まぬと思っておる。しかし、ここで今、儂が動かなければ、乱れたこの世が治まることはなかろう。この世は、あくまで足利将軍家を頂きにして、その行う政事に各国の主が従うものでなければならぬ。それが実現するならば、儂はこの身の全てを捧げても構わぬとさえ思っておる」

 まさに「水を得た魚」の如く、活き活きと語りかける景虎の様子に、実綱はすっかり観念している。

「殿のお気持ちはよく分かりました。反対はいたしませぬ。それで此度も、我が御役目は差し詰め、春日山城の留守居役でございましょう」

「うむ、頼みたいのはそのことじゃ。義兄上には、上野国の動向が気になるが故に、坂戸の城で睨みを効かせて貰わねば困る。以前のような国衆の訴状があるわけではないが、越中の不穏な動きも気になる。そのうえ場合によっては、信濃を牽制するとなると、お主以外に頼める者はおらぬ。筆頭留守居役として引き受けて欲しい。此度は柿崎和泉守にも留守居役を命ずるつもりだ」

「仕方ございませぬ、お任せくださりませ。それで、上洛の時期はいつ頃をお考えですか」

「万事整えて参るとなると、早くとも明春になろう。よもやとは思うが、此度は戦支度も必要じゃ。未だに公方様は坂本に止まり、三好長慶と争っているという話だ。決して油断出来ぬ滞在となろう」

「それは困りましたな。しかし、殿、決して短慮はなりませぬぞ。如何に殿が戦上手とは申せ、土地勘がない国では、相手方に一日の長がございます。どこに罠が張り巡らされているか、皆目見当がつかない以上は、安易に考えてはなりませぬ。弓矢をもって応ずるのは、あくまで万策尽きた時の、最後の手段と思し召し下され」

「心配には及ばぬ。滅多なことで干戈を交えるつもりはない。数千の兵を率いて参ることになろうが、それはあくまでも戦の暴発を抑止するためじゃ。大軍を率いての上洛となれば、そう易々と我らに弓引く輩はおるまい」

「それを聞いて安堵いたしました。しかし、公方様と三好殿の関係が、これからどう進展するかによるとは申せ、此度は先の上洛を上回る、長期の滞在になりそうですな」

「うむ、問題はそこじゃ。公方様や朝廷、そして公家衆への手土産はもちろんのこと、長くなればその分だけ、兵を養うための銭が必要となる。そこはこれから、庄田惣左衛門尉や蔵田五郎左衛門尉らと、詰めることにしておる」

「殿もなかなか、休まる時間はございませぬなあ。せめて、今日くらいはゆるりと御酒など召されておくつろぎくだされ」

「今日は最初からそのつもりじゃ。それにほら、すでに寛いでおる」

 景虎は盃を口に運び、笑いながらも、ある感慨にふけっていた。

 思い返せば二人の邂逅は、未だ虎千代と呼ばれていた時で、栃尾に向かう途中の事件がきっかけであった。あれから、早や二十年近くが経とうとしている。実綱の支えがなければ、今日の景虎はなかったかもしれない。この関係がこれからも長く続くことを、願わずにはいられなかった。

 景虎は夕暮れ時の城から見える、色濃く映えた紅葉に目を移していた。


 永禄二年(一五五九年)四月、景虎は近江国・坂本の地に留まり続けている。自らの意思で留まっているのではない。足止めを食らって早や五日になる。景虎は苛立っていた。

 上洛に向けては、前年の秋から諸準備を始めてきた。およそ半年をかけて万事を滞りなく整え、満を持しての出立であったはずだ。率いた兵も五千の大軍である。陸路近江国まで進んできたところまでは、極めて順調な旅路と言えた。

 越中や加賀の一向宗徒も、精鋭五千の大軍が相手では、迂闊に手出しが出来ない。また、宗滴の死後も、越前朝倉家とは縁を切らすことなく上手く付き合っており、もう道中拒むものなどないはずだった。それが京を目前にして、まさかの足止めである。

 大軍を長期間養う資金は、豊富な財源から確保してきている。朝廷や公家衆、そして将軍家への献上金品も、一部臨時の段銭を課したうえで、十分に準備してきたつもりだ。つまり、景虎にすれば、入京を拒まれる理由が、何一つとして思い浮かばないのである。

 朝廷からは早々に参内日程を、五月一日と伝えてきている。その使者は、関白近衛前嗣さきつぐ(後の前久)から遣わされた者だった。

 将軍家には、越前国の三国浜から早馬で、入京予定日を報せている。しかし、その返事は意外にも、連絡するまで坂本で待て、とのつれない返事だった。それからは全くの梨のつぶてである。

 上洛して欲しいと懇願してきたのは、他ならぬ将軍義輝なのだ。それにも関わらず、この冷たい態度を取られる理由が、景虎には皆目見当がつかない。

 しかし、これには意外な裏事情があることを、雑掌・神余親綱からの報せによって、景虎が知ることになった。

 五年ぶりに京入りを果たした足利義輝は、将軍親政に意欲を燃やしていたが、山城国の実質的支配者である三好長慶が、それを易々と許すはずもない。

 長尾景虎の坂本着到は、畿内全域に広く伝播しており、三好長慶が神経を尖らかせているのは当然だった。そこで、長慶は様々な行事や将軍としての客人応対を理由として、実質的に義輝の身柄を拘束して、景虎との接触を遅らせるよう、嫌がらせを続けていたのだ。

 しかし、入京出来ない理由を知ったからといって、景虎の苛立ちが収まるものではない。その様子を見かねた小島彌太郎と金津新兵衛は、気晴らしの外出を勧めた。

 それは日吉大社への参拝である。

 近江国の日吉大社は、比叡山の麓に鎮座している。平安京遷都の折に、京を鎮守することを目的として、鬼門の方角であるこの地に開かれた、山王七社を中心とするお社の総称である。

 足止めを食らっているこの機会に、此度の上洛中の安全祈願に詣でてみては如何かと、随行している旧くからの近臣が、景虎を誘ったのだ。 

 信心深い景虎が、この誘いに否と応えるはずがない。ましてや、暇を持て余している状態なのだ。早速、支度をして詣でることにした。

 景虎一行は大宮橋で馬を預けて後、山王鳥居までの石畳を、自らの足で歩を進めた。梅雨入り前の乾いた初夏の風が、時折心地よく一行の間をすり抜けていく。

 額に滲んだ汗を拭こうと立ち止まり、山王鳥居手前の参道脇にふと目を移す。

 そこには、武者らしき二人が低頭したまま、こちら側を向いて跪いている姿が目に入った。一人は四十過ぎの初老といったところか、もう一人は元服して間もない若者らしい。二人は親子に違いなかった。質素な出で立ちながらも、実に清楚な雰囲気を醸し出している。

 もちろん、殺気は感じられない。我ら一行に危害を加える気などは毛頭ないらしい。

 きっと、参拝の帰り道に出くわしてしまった我らに対して、礼を尽くしているのであろう、と景虎は軽く考えた。

 誰一人として、二人を誰何することなく、そのまま一行は山王鳥居を潜り抜けて、東西本宮を参拝した。

 境内や参道の至る所には、楓が植えられており、鮮やかな緑色で辺り一面を覆っている。

 さぞかし、秋には一面の紅葉で彩られ、見事な景色であろう、などと、風流を嗜む景虎らしい感慨に耽りながら、先ほど来た道を辿って歩いた。

 山王鳥居まで戻ってくると、なんと先ほどの親子と思しき二人が、未だ参道脇に控えているではないか。

 さすがに気になった景虎は足を止めた。

「新兵衛、あれに控える武者らしき二人は、確か先程も同じ所におったはずじゃ」

「仰せの通りでございます」

「では、何用か聞いて参れ。おそらく、儂を越後の長尾景虎と知ってのことと思う」

「殿、その必要はございませぬ。実はあの親子二人、一昨日、我が陣屋に殿への仕官を求めて参りました。父親の名は河田伊豆守元親、子は長親と申す近江国守山生まれの者共でございます」

「その近江の国人が何故、儂に仕えることを望んでおるのか」

「畏れながら、それは殿ご自身の口から確認するのが一番と心得ます。親の伊豆守は数年前までは、南近江の六角殿に仕えていたと申しております。仔細しさいは殿に直答したいとのことですが、全てを捨て、仕官先探しを含めて、親子見聞の旅に出たとのこと。つい最近まで、浪々の暮らしに身を置いていたようでございます」

「わが越後にも参ったということか」

「はい」

「あい分かった。しかしながら、ご当地は畏れ多くも、神々が宿るおやしろであり、我らが軽々しく世俗の話をする場所にはあらず。続きは直接陣屋で訊くとしよう。後ろからついて参るよう、二人には伝えて参れ」

「承知いたしました」

 新兵衛が参道の傍らに控える河田親子のもとに駆け寄っていく。その駆け寄る新兵衛の姿が、景虎には何故か嬉しそうに見えていた。


「古来より、政事の良し悪しは、その土地に住む民の暮らしぶりでわかると申します。我ら親子二人は諸国を遍歴して参りましたが、越後の右に出る国はございませんでした。行く先々の街や港は活気に溢れ、人々の暮らし向きにも潤いを感じました。そして、何よりも、この乱世には珍しく、義を第一に重んじるという、長尾弾正少弼様の生き様に深く感銘を受け、仕えるならこの御方しかないと思い立ち、こうして馳せ参じた次第でございます」

「確かに、儂は民の暮らし向きを重んじておる。しかしながら、未だに何一つ満足してはおらぬ。ひとたび飢饉が国を襲えば、口を糊することすら叶わず、路頭に迷う民が数多おることも承知しておる。左様に褒めそやされても、全く嬉しくはない。それに、貴殿の物言いから察するに、たいそうな自信家に思えるが、そこまで言い切れる訳を申してみよ」

 景虎は河田元親の尊大な言い方が、少しかんさわっていた。景虎は生来、自分の才覚を高くみせようと売り込む者や、世辞で媚びる者を嫌い、決して傍近くに置こうとはしない。いわゆる、謙譲の美徳を大切にするたちであり、河田元親の言い方は、景虎が嫌いな典型だった。

 それを鋭く察した元親は、直ちに詫びを入れた。

「それがしは決して自信家などではございません。お気に障りましたならば、何卒ご容赦くださりませ」

「分かればそれでよい」

「ありがとうございます。これから申し上げることは、決してお世辞などではございません。たった今、直接お伺いしたことで、長尾弾正少弼様の民を思うお心が、真実であることをあらためて知ることが出来ました。此度たとえ仕官が叶わずとも、こうして参った甲斐がございました。但し、誤解されぬよう、お伝えしなければならない儀が、ひとつだけございます」

「何じゃ、申してみよ」

「お仕え申し上げたいのは、老体のそれがしにあらず、ここに控える息子の岩鶴丸あらため長親でございます」

 息子の長親に目を移すと、未だ顔を伏したままだ。いささか緊張しているのか。

「長親とやら、面を上げよ」

 年の頃は十六、七歳といったところだろう。景虎は自身の若き頃の姿と重ね合わせていた。景虎が黒田秀忠を滅ぼした時と同じ年頃か。長親の顔立ちは凛々しく、胆は据わっているように見える。それに澄んだ眼差しをしている。景虎は一目で気に入っていた。

 景虎の表情が幾分和らいだのを見て、父・元親は一気呵成に長親を売り込んできた。

「父親のそれがしが申し上げるのも、烏滸おこがましいことは、重々承知しております。しかしながら、決して親馬鹿の戯言で申し上げるつもりはございません。我が息子・長親には、乱世を生き抜いて欲しいという細やかな親心から、幼き頃より厳しくしつけを行ない、文武の才覚を伸ばそうと努めて参りました。また、我ら親子二人で浪々の旅を続けるなかで、たくましさを身につけております。未だ若輩ではございますが、ゆくゆくは、弾正少弼様のご期待に沿える働きが出来るものと存じます。せめて、弾正少弼様が畿内におられる間だけでも、お試しに傍でお仕えさせて頂けないでしょうか」

 しかし、景虎は冷静だった。

「今度は息子の自慢話か。才覚の有無は儂が判断するもので、親の貴殿が判断するものではないと心得るが。まあよい、自信の程はわかった。しかしながら、貴殿の言い分をそのまま信ずる訳にはいかぬ。儂と敵対関係にある、どこかの間者かもしれぬし、あるいは、儂の暗殺を企てている者の仲間かもしれぬ。決してそうではないという証を、今すぐに示すことが出来るのであれば話は別だが如何かな」

 景虎の言い分は尤もであり、さすがに河田父子は返答に窮してしまう。しかし、その二人に助け舟を出したのは、かたわらでやりとりを聴いていた近臣の小島彌太郎だった。

「殿、実は一昨日、新兵衛と共にそれがしも、この親子の話を聞いておりました。殿が心配されることは、我らも全く同じでございます。話の真偽を確かめるべく、我が家人が守山に出向いておりましたが、今朝がた戻って参りました」

「新兵衛だけではなかったのか。それで何が分かった」

「ここに控える二人が、河田父子である証はございませんし、親父殿の風貌や背格好が、かつての河田伊豆守殿に似ているらしいとしか申し上げられません。ただ、確かに弘治二年頃、六角氏から安堵されていた全ての俸禄や土地、財を返上して、守山の地から浪々の旅に出た河田なる親子がいた、というのは紛れもない事実でした」

「河田父子がこの二人とは断ずることは出来ぬが、三年前に浪々の旅に出た二人がいるということは確かだ、ということだな」

「はい、そこで殿、こういうことにしては如何でしょう」

「申してみよ」

 彌太郎が予め用意していた案らしい。

「殿のご懸念は至極ご尤もです。この両名がいずこの間者でもないという証を、立てることは出来ません。しかし、我らお傍に仕える近臣の多くが年々歳を取り、いつまでも殿にお仕えしたい気持ちとは裏腹に、いつ出来なくなるか分からない、という不安を抱えております。今こそ、若き有能な者を殿のお傍に抱え、育てることこそ急務と考えます。そこでここに控える元親殿と思しき親父殿は、この彌太郎の預かりとし、畿内滞在の間は一切息子との接触を絶たせて監視いたします。一方の長親殿と思しき息子殿は、丸腰のまま新兵衛の預かりとし、新兵衛の厳重な監視下で、殿のお傍で仕えさせ、その才覚を見極めるというのでは如何でしょう」

「なるほど、彌太郎の考えにしては上出来じゃ。さては、其の方ら、予め相談のうえ、考えをまとめておったな。ひょっとすると、日吉大社への参拝も、あの場での邂逅も、儂をたばかったのであろう」

「申し訳ございませぬ。殿には隠し事など通じないことは分かっておりましたが、こうするより他に手立ては考えつきませんでした」

「心配するな、責めてはおらぬ。まだ何か言いたそうだな、彌太郎」

 言うことを躊躇している様子の彌太郎を見て、怪訝そうに景虎が催促した。

「殿はお気づきではないと思いますが、この長親殿と思しき若武者は、どことなく殿のお若き頃の面影と、重なるものがあるのです。それでついつい、余計な世話を焼いてしまいました」

「何かと思えば、そんなことか。余計な世話だったかは、これから分かることだ。ところで、元親殿とやら。六角家から出奔した訳を未だ聴いてはおらぬ。肝心なこと故に、正直に話されよ」

 元親は景虎の疑念を晴らせるか否かは、この出奔理由次第であることは最初から分かっている。そのうえで、三年前に自らが取った行動や判断に、恥や悔いがない元親は、よどみなく語り始めた。

「さればお答え申し上げます。当家は代々六角家に仕え、南近江の守山に居を構えて参りました。

守山の地は六角家重臣である後藤殿の土地と隣り合わせのために、その境界線を巡っては、以前より小競り合いがございました。但し、小競り合いと申しましても、お互いが旧知の仲でもあり、家来同士の言い争いが専らです。せいぜい素手での殴り合いの喧嘩程度で済んでおり、それを我ら当主同士が、事情を聴き取り、その都度丸く収めるというのが常でございました」

「猫の額ほどの土地を巡って、争いが絶えぬというのは、いずこも同じということか」

 嘆息しながら、景虎が言葉を挟んだ。

「左様、お恥ずかしい限りでございます。それがしが、常日頃から家来に対して、もっと強く躾していれば、と今更悔いても遅きに失しますが、事が起きたのは天文二十四年の秋でございました。その日は、ここにいる幼名・岩鶴丸を連れて、馬の稽古に遠出をしておりました。いつものように、土地の境界線を巡っての言い争いとなったらしいのですが、この日ばかりは、少し様相が違っておりました。後藤家ご家来のあまりの言い分に腹を立て、遂に我が家人が、刃傷沙汰を起こしてしまったのです。普段はおとなしい家人でしたので、余程腹に据えかねたことを言われたのでしょう。後藤家家中の何某殿は、何とか一命をとりとめたものの、二度と戦に出られぬ身体になってしまいました。当然のことながら、後藤殿の怒りは収まることなく、とうとう六角の殿にまで、訴え出られてしまいました。むろん、当家にも言い分はございましたが、如何なる理由があるにせよ、非は刀を抜いた我が方にございます。如何に収拾を図ろうかと思案しましたが、後藤殿が最も納得する答えは、我が河田家の禄を返上し、後藤殿に割譲することだと考えました。この時より一年前に、この子の母親は他界しており、身軽な我ら父子二人ならば、食い扶持くらい何とかなると思ったのです。そこで、沙汰を起こした家人だけは、暇を出すことで収め、他の家人全員を召し抱えて貰うことと引き換えに、責めの全てを負う形で、先祖代々から引き継いできた全てを返上し、浪々の旅に出た次第でございます。なお、旧領のほとんどが後藤殿の領分として再配され、我が家人であった者全てが、従来通りの暮らし向きであると聞き及んでおり、安堵しております」

「何故、浪々の旅になど出ようと考えたのじゃ」

 景虎の疑問は的を射ている。当時、好んで浪々の旅に出るなど、普通では考えられない。

「乱世に生を受けたからには、南近江に止まらず見聞を広めたいという、それがしの若い頃からの密かな願望がございました。それに、この長親にも旅をさせることは、諸国の事情を直に見聞することになり、将来の仕官先を見つけるうえで、必ず役立つと考えました」

「なるほど。しかし、いくら旅に出たいとは言え、全てを捨てるなど、惜しいとは思わなかったのか」

「未練がなかったと言えば、それは嘘になりましょう。しかし、家人を罪人として処罰せず、そして、他の家人が路頭に迷うことなく、如何に円満に事を収めるかを考えた結果、この結論しか思いつきませんでした。それに、これはもしや、神が我に与え給うた試練であり、天命ではないのか、と考えたら、意外と簡単に諦めがつきました。辛かったのは、長年仕えてくれた家人たちとの別れです。我らが旅立つ日、姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた姿は、今もはっきりと目に焼きついております」

「三年間、諸国を回って如何であった」

「幸い、多少の貯えは持ち合わせておりましたので、寝食に困ることはありませんでした。苦難は覚悟のうえでしたので、むしろ、親子二人の流浪の旅を楽しむようにして参りました。それに何よりも、この日の本には想像を超える沢山の国と、そこに暮らす人々がおります。そして、その土地、土地での風習や決まりがあり、視野が一挙に広がったことは、やはり無駄ではなかったという気がいたします」

「三年間の流浪が役立ったというわけか。彌太郎、もうよいぞ」

 景虎は元親から目線を彌太郎に移した。

「今、この者が申したこと、そなたの家人が守山の地で聴いてきたことと、まこと相違ないか」

「はい、寸分もたがえてはおりませぬ」

「わかった。では、先ほど申した通り進めるがよい」

「ははっ」

 彌太郎と新兵衛は弾む声を揃えた。

 景虎は後を任せて立ち去ろうとしたが、思いついたように一瞬立ち止まり、河田長親に声をかけた。

「長親、励め」

「はい、有難うございます」 

景虎の思いがけない一言に感激した長親の声は大きく、周りを驚かせる程だった。

その声に満足した景虎は、笑みを返しその場を立ち去った。


 *再上洛


 雑掌・神余親綱を通して、足利将軍義輝から上洛の命が届いたのは、日吉大社参りの翌々日である。

 早速、日吉大社参拝の御利益を授かったと、景虎は喜び勇んで室町御所へと足を運んだ。永禄二年(一五五九年)四月二十七日のことである。

 越後から五千の兵を率いてきたとは言え、三好長慶を過度に刺激してはならない。大半の兵は坂本に止め置き、入洛は精鋭三百に人員を絞ることにした。それでも、京の民は六年前の越後勢入洛時の雄姿を忘れていない。室町御所迄の沿道は、その凛々しく勇ましい武者姿を、再び目に焼き付けようという野次馬たちで、たちまち埋め尽くされた。

 将軍義輝への謁見は作法に則り、滞りなく行われた。形式的な言葉が幾度か交わされ、土産として持参した太刀や馬、数多の黄金を献上し、公式行事は終了する。

 その後に景虎が案内されたのは室町邸だった。

 室町邸は将軍義輝の私邸であり、いわゆる、心許せるほんの一握りの者しか立ち入ることが出来ない空間であるが、なんとそこには先客が座っていた。

 服装や烏帽子、そして佇まいから、一目で相当高貴な公家の一人であることは想像がつく。年の頃は二十四、五歳といったところか。将軍義輝とそう変わらぬように思える。

 そのお方が景虎の姿を見るや、いきなり気さくに話かけてきたので、景虎は些か面食らってしまった。

「貴方がいま、巷で評判の長尾弾正さんかえ。この際、難い挨拶は抜きにしましょう。麿は近衛前嗣じゃ。宜しくお頼み申します」

 そのお方は、五摂家筆頭の近衛家、関白前嗣だった。

「いかにも、越後守護代、長尾弾正少弼景虎でございます。以後お見知りおきの程、御願い奉ります」

 如何に難い話は抜きと言われても、その言葉を鵜呑みにする訳にはいかぬ。その言葉通りに粗略な返答をして、あとから田舎者のそしりを受けては堪らない。景虎は腰を下ろし、諸手をついて丁重に平伏して挨拶した。

「だから、難い挨拶はなし、と言ったではないですか。貴方の華々しい評判は、先年の上洛の時から耳にしておりました。如何なる御仁であるのかと、こうして会える日を心待ちにしておりましたぞ」

 前嗣の言う通り、顔を上げた景虎は、その人懐こそうな前嗣の目を見ながら訊ねた。

「不躾ながらお訊ね申す。御公家様の筆頭である関白殿下が何故、将軍家への出入りをなさっているのでしょうか」

「驚かれるのも無理はないですね。我が母はもともと細川家の出のため、我が心と身体には武家の血が半分流れております。その母が久我家の養女に入り、父・稙家に嫁いで生まれたのが麿ということ。それに、我が妹は将軍家に政所まんどころとして嫁いでいるから、義輝殿とはこうして、義兄弟としての交誼を重ねておる次第。お分かり頂けましたかな」

 景虎は神余親綱からの事前情報として、この婚姻関係を知ってはいたが、まさか本人不在にも関わらず、私邸の中に勝手に入っても、何ら咎められない程の、蜜月の関係とまでは、驚くしかない。

「左様なご関係でございましたか」

 こういう時は余計なことを口にしないほうが無難だ。景虎は必要最小限の反応に留めた。すると、思っていた通り、前嗣のほうから勝手に話をしてくれる。

「ご存じないのも尤もな話。この畿内を実質支配しているのは、知っての通り三好殿ですからね。麿の中には武家の血が流れている、などとうそぶいてみたものの、情けない話とは思うけど、その三好殿に睨まれることだけは何としても避けたいところ。公家としての臆病風が吹いて、公方さんとの関係を、吹聴してはいないというだけのことですよ。とは言え、京人の口に戸は立てられない。知っていながらも、およそ知らぬふりを決め込んでいるものと思っておりますが」

 このお方は、公家には珍しく、正直者ではあるらしい。景虎は前嗣という男に少し興味を持ち始めていた。

「すると、公方様と関白近衛家との関係は、我ら遠国の者には伝わらなくとも、三好殿は既にご存じのはず、と読んでおられるのですな」

「無論知らぬわけがないでしょう。ただ、当家と公方さんの間柄を、公式なものとして天下に示すことは、自ずと公方さんの威光が増してしまい、三好長慶にとっては都合が悪い。だから、黙っているだけのことです。長慶殿は正面切って公方さんと事を構えるつもりはないはずですよ。何故ならば、貴方のような、将軍家を信望する他国の多くを、敵に回したくないからね。その意味で言うと、貴方の上洛には相当、神経をとがらしているはず。こっちは面白いと思っているけど」

 そう言うと、前嗣は公家特有の高笑いで話を締めた。この前嗣という御仁は、一方的に心を許してしまうと、およそ公家とは思えない、ぞんざいな言葉を使うらしい。

 そこにようやく、将軍義輝が二人の前に姿を現した。

 義輝は既に平装に衣替えしている。あらためて、威儀を正して挨拶しようとする景虎を、義輝は手で制しながら着座すると、既に非公式の場と割り切り、気さくに話しかけてきた。

「長尾弾正、待ちかねておったぞ。よくぞ上洛してくれた。また、予から上洛して欲しいと頼んでおきながら、坂本に幾日も止め置いた非礼を許して欲しい」

 公式の謁見の場とは打って変わり、そこには清々しい一人の青年貴人がいるだけだ。

「公方様、勿体なきお言葉でございます。左様な些末なことはどうかお忘れください」

「いいや、そうはいかぬ。征夷大将軍とは言え、今の儂には力がない。悔しいが、三好の機嫌を損ねぬよう、つかず離れずの態度を取るしかない。どうか分かって欲しい」

「なんの、こうしてご尊顔を拝し奉れましたことで、左様なことは、全て鴨川の水に流しております」

「嬉しいことを言ってくれる、のう関白殿下」

 義輝は、先ほどから二人のやり取りを興味深そうに聞いている、関白前嗣に話を振り向けた。

「左様、公方さんは貴方のことを、他の誰よりも心底頼りにしてはる。それは世辞でも何でもなく、まことの話。そう言えば二月に尾張の織田上総介信長も上洛して、公方さんにお会いになっておりましたね。でも、あのお方は何を考えているか分からず、怖い人の印象しか残っておりません。公方さんもそれっきり、関わりなしですよ」

 尾張の織田信長が、景虎より一足早く上洛したのは、神余親綱から報せがあり、知らない話ではなかった。

「公方様、この機会に我が志を申し上げても宜しいでしょうか」

 景虎は、一番言いたかったことを、いよいよ口にする絶好の機会だと思っていた。自分の真の心の内を、将軍義輝には知って欲しかったのだ。

「ここは非公式、私の場。予に言いたいことがあれば何なりと」

「この乱世にあって、日の本の民は疲弊の極みに達しております。また、それぞれの国では、力ある者が手段を問わず弱き者を滅ぼし、力こそ正義なる誤った風潮が罷り通っております。かような間違った世の中を『真のあるべき姿・秩序ある世界』に戻し、民を疲弊と困窮から救わねばならないと考えております。臣・景虎、正しい秩序に基づく、あるべき世の中に一歩でも近づけるよう、これからも不逞の輩と戦い続けて参るつもりです」

「貴方が考える、あるべき世の中とは、どのようなものなのですか。説明してくださいな」

 半分意地悪い顔で、関白前嗣が景虎に問いを投げかけた。

「無論、それは公方様を頂点とする政事の実現です。本来、全国の国主は公方様に忠誠を誓い、争いごとを起こしてはならないのです。専ら民の生活が潤い、豊かになるにはどうすれば良いかを考え、与えられた領地を治めるのです。民が豊かになれば、自ずと領主である公家や武士も豊かになります。如何でしょう、これを夢物語と、一言で片付けるのは簡単ですが、誰かが言い出さなければ、この乱世を終わらせることは出来ませぬ」

「とは言え、なかなか実現は困難と思いますが」

 関白は公家らしく、この手の話はなかなか素直に聞けないらしい。

「もちろん、一筋縄では参りませぬ。それが何年かかるか、ひょっとしたら、我らが存命の間は無理かもしれませぬ。しかし、我らは一国を預かる者として、その実現に向けて、少しでも歩を進める必要があると存じます」

「よくぞ打ち明けてくれた。今申したことは、予が目指す政事の姿と全く同じじゃ」

 将軍義輝が割って入った。

「長尾弾正こそ、我が第一の忠臣と思う。頼りにしているぞ。このまま越後になど戻らずに、長く京に留まり、余を支えてはくれぬか」

「有り難き幸せにございます。仰せの通り、このまま公方様のお傍近くでお仕えしたい気持ちに嘘偽りはございませぬ。なれど、うつつに目を移せば、越後に家族を置き去りにしている将兵に対して、京に長期留まるように強いるは、国主として忍びのうございます。それに今、我がなすべきことは、甲斐の武田や相模の伊勢(北条)といった輩を駆逐し、公方様に忠誠を尽くす者が力を合わせて、東国を治める世にすることと心得ます。そのことが成し得たならば、あらためて上洛のうえ、京に長く留まり、公方様にお仕えいたしとうございます」

「なんと殊勝しゅしょうな心掛けじゃあありませんか、ねえ公方さん」

 関白前嗣らしからぬ意外な一言が発せられた。またもや、からかっているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「弾正さん、これまでの少し意地の悪い物言いは、どうか堪忍してくださいね。貴方にとても興味を持ったので、深く知りたいと思ってのこと。だから、悪くは思わないで頂戴。公方さんが頼りに思っていた理由が、今よく分かりました」

「しかし、左様に嬉しい話をされると益々、ずっと京にいて予を支えて欲しいと思ってしまうものよ、のう関白殿下」

「まことに」

「長尾弾正、そなたの偽りなき我を思う気持ち、そしてあるべき国の姿を求めて止まぬ渇望は、この義輝が確と受け取ったぞ」

「ははっ」

「しかし、まさか折角京に参ったのじゃ。直ぐに帰国するというわけでもあるまい」

「もちろんでございます。来る五月一日には、朝廷へのご挨拶を予定しております。また、高野山無量光院にも詣でて、我が師・清胤様にもお会いするつもりです。家来には種子島(火縄銃)の玉薬処方術を学ばせようと思っておりますし、その間は、どなたか和歌の大家に師事いたし、田舎者の我流から殻を破り、多少なりとも風流の神髄に触れたいとも考えております」

「ほお、戦と風流の二刀流とは、やはり、なかなか面白き御方ですねえ」

 また、前嗣が口を挟んできた。どうやら、こういう話のやり取りが常なのであろう。義輝は前嗣の話には触れずに、景虎の話に対して返答した。

「であれば尚更、暫くは国元のことを忘れて、ゆるりと寛いではどうか。和歌の大家は多少心当たりもあるによって、世話をしないでもないが如何かな。一日でも長く畿内に留まってくれれば、それだけ三好に対するくさびにもなるから、予にとっては好都合じゃが」

「是非とも、宜しくお願いしとうございます」

「あい分かった、任せておけ。今日は実に気分が良い。こんな気持ちは何年ぶりであろうか。これからは、長尾弾正上洛の祝い酒と参ろう。久しぶりに飲み明かそうではないか、のう関白殿下」

「実は、麿も同じことを考えておりました。今宵は喜んでお付き合いいたしましょう」

 関白前嗣がまたもや甲高い声で笑った。

「それなら決まりじゃ。長尾弾正に不服はあるまい」

「不服などあろうはずもございませぬ。喜んでご相伴に預かりとう存じます」

 景虎の返事に、二人は気を良くして目を合わせ、満足そうな表情を浮かべていた。


 永禄二年(一五五九年)五月十六日、景虎は近衛邸に招かれていた。去る五月一日には、正親町おうぎまち天皇への拝謁を無事終えている。そのおよそ二週間後のことだ。

 景虎は朝廷に数多の弊物を献上した返礼として、天皇から直々に天盃と御剣を賜ることが出来ており、気分は上々である。特にこの十日間は、珍しく穏やかな日々を過ごしてきた。

 前月二十七日の室町邸における三人の酒宴は、夜が白々と明けるまで続き、異常なまでの盛り上がりとなった。景虎の心意気にすっかり魅了された将軍義輝と関白前嗣は、酒豪の景虎を相手に、なかなか帰そうとしてくれない。自らは相当の酩酊に陥りながらも、まだまだこれからが本番、と言っては景虎を引き止めた。ついには二人の酒癖の悪さに、さすがの景虎も、閉口する始末だった。

 この日、近衛邸に招かれたのは、前の関白である太閤・近衛稙家に、和歌の教えを乞うためである。近衛稙家は前嗣の父であり、当時著名な和歌の大家として名を馳せていた。

 稙家は息子の前嗣から、景虎が和歌に大きな関心を寄せていることを聞き、それならば一肌脱ごう、と自邸に景虎を招いたのである。稙家が自邸に景虎を招いたのは、和歌のことはもちろんだが、今、ちまたを騒がしている長尾景虎なる人物が、果たしてどのような人物か、品定めをするつもりでもあった。

「貴殿が長尾弾正殿ですね。当代のお武家さんには珍しく、天皇おかみや公方さんを真の心で尊んでいらっしゃるとか。ほんに殊勝な心掛けです。ところで、和歌に強い関心がおありと聞きましたが、それはいつ頃からであらしゃいますか」

 稙家はもちろん、景虎という評判の人物には興味があったが、和歌を教える話は別ものだ。和歌にかけては当代一流という矜持もある。もしも、生半可な気持ちで習いたいというのであれば、この場で師事を断るつもりでいた。

「和歌は幼き頃より、修行のために預けられていた寺で学びました。元服までのおよそ八年間を、寺の小坊主として過ごしましたが、その間、恩師のおかげで、御仏の道の修行のみならず、武芸や兵法はもとより、漢詩・書・笛・琵琶などの素養を身に着けることが出来ました。幸い、和歌の道にも触れるご縁がありましたが、何ぶんにも田舎者の我流故に、折角の上洛の機会であり、どなたか高名な御方に教えを乞いたいと思っておりました。そうしたところ、過日、関白殿下と公方様より、太閤殿下のお話を伺い、本日こうして罷り越した次第です」

「左様でしたか。当代随一の弓取りと名高い弾正殿ですが、今のお話で、風流の道にも相当精通なさっているようですね。この太閤で宜しければ、何なりとお訊きくだされ」

「太閤殿下に師事したとあれば、弾正、一生の誉れとなりましょう。宜しくお頼み申し上げます」

 景虎はこうして、この日から近衛邸に足繁く通うことになった。

 山形県米沢市の上杉神社・宝物殿には、この上洛時に景虎が詠んだと思われる和歌を中心とした「弾正少弼景虎和歌」が現存する。

 景虎が近衛邸を頻繁に訪れたのには、別の楽しみもあったからだ。稙家と関白前嗣、それに将軍義輝も夜に忍んで訪れては、四人で宴を興じていた。酒豪であることが、すっかり知られてしまった景虎である。毎度、銘酒「柳」で大いにもてなしを受け、夢のような時間を過ごすことになった。

 このように、互いの親交を深めるなかで、景虎に傾倒するがあまり、のちに前代未聞の行動に出るのが、関白近衛前嗣である。まさに破天荒という言葉が相応しい人物と言える。 


 永禄二年(一五五九年)六月、景虎は京を一時離れ、高野山に向かった。もちろん、金剛峯寺・無量光院第三世住職である、師・清胤法印を訪ねての旅である。

 清胤は、久しぶりに訪ねて来た、弟子としての景虎を温かく迎えた。

「先ずはご健勝で何より。一瞥より幾年が過ぎましたかな」

「早や、五年と七箇月になります。いつぞやは誠にお騒がせいたし、申し訳ございません」

 景虎が詫びたのは、三年前の出奔・出家騒動のことだ。

「出家し当院に向かっていると聞いた時には、正直、心の臓が飛び出るかと思うほど驚きました。貴殿のことですから、余程のことがあったのであろうとは思いました。何はともあれ落ち着かれたようで、安堵いたしております」

「以前申し上げた通り、今でも全てを投げ捨てて、御仏にお仕えしたいという気持ちに変わりはございませぬ。しかし一方では、この身が背負った修羅の道を、現世では全うする他ない、ということも悟っております。かように不出来な迷える弟子ではございますが、今後ともお見捨てなきよう、お頼み申し上げます」

 清胤が静かに笑みを浮かべながら、景虎に向き合うその姿は、泰然自若そのものだ。

「見捨てることなど、あろうはずがございませぬ。遠路遥々お越しいただき、こうして再会を果たせたことは、何よりも嬉しい限りです。きっと、御仏も喜んで下さっていることでしょう」

「そのような有難き御言葉を頂戴出来るとは、思いもしませんでした。遠路訪ねて参った甲斐がございました。これからも、人生の師、御仏の道の師として、お導き頂きとうございます」

「それは申すまでもなきことです。ともに御仏の道を極めて参りましょう」

 清胤の景虎を見る目は、御仏そのもののように慈悲深く、まるで母親が赤子を見ているかの如く、優しさに包まれたものだった。

 高野山での静寂に包まれた一夜を過ごした後、坂本に戻った景虎は、比叡山延暦寺を参拝し、その足で石清水八幡宮にも詣でることにした。

 石清水八幡宮は、平安の昔に、やがて源氏の棟梁となる源義家が元服した由緒ある神社である。当時から武神信仰の中心として崇められていた。源義家が「八幡太郎義家」の名で、今も親しまれていることは言うまでもない。

 長尾氏の祖は桓武平氏の流れを汲むもので、景虎が源氏に所縁のある神社に詣でるのは一種違和感を覚えるかもしれないが、この時、既に将軍義輝からは、上杉の名跡を継ぐようにと、非公式では話が進んでいたのだ。

 室町幕府初代将軍である足利尊氏の生母は、上杉家の出であり、その後も足利・上杉両家の婚姻が重ねられた結果、上杉家は源氏の一派となっていた。この時の景虎の心境は、上杉の名跡を継ぐことに迷いながらも、武神信仰の中心でもある石清水八幡宮を、詣でようと思い立ったに違いない。

 その後、休む間もなく、景虎は将軍義輝から室町御所に呼び出しを受け、坂本から入洛する。永禄二年六月二十六日、真夏の陽光が照りつける暑い盛りだった。ましてや、京の都の暑さは盆地特有の気候が災いし、越後の夏とは比べものにならない。

 ここ二箇月の間は、京と坂本の往復、高野山・比叡山・石清水八幡宮への参拝と、まさに東奔西走の日々が祟り、景虎の疲れはこの時頂点に達していた。

 それでも将軍直々の呼び出しとなれば、景虎の性格上、断ることなど出来るわけがない。

 将軍義輝にしても、むろん悪気などあろうはずもない。景虎が大喜びすると思って用意した、有形無形の品々を直接渡したかっただけなのだ。

 義輝より最初に授けられたのは、景虎が喉から手が出る程欲しかった、火縄銃の玉薬(火薬)調合方法を記した薬方書である。これは北九州の雄である大友宗麟が、将軍義輝に献じたものだが、景虎が求めていることを知った義輝が、写本を作らせたものだった。これで景虎は帰国後、火縄銃の玉薬を自前で作ることが出来るようになった。

 次に義輝が授けたものは、裏書御免の保証と塗輿御免の特権だった。先ず、裏書御免は封書の裏に署名するのを省略しても良いとする特権であり、これは将軍と三管領に加えて、足利一門に準ずる者だけに認められていたものだ。これを一守護代でしかない景虎に与えたのだから、義輝が如何に景虎を信頼していたかを示す証である。また、塗輿御免についても、国持大名としての地位を景虎に対して保証するというものである。後に、将軍義輝から許された七免許のうち、この時二つが許されたことになる。景虎が喜ばないわけがなかった。

 そして、最後が、関東管領たる上杉憲政の進退は、景虎に一任するという正式通知だった。つまり、これは景虎が関東管領職を継いでもよいことを、足利将軍として公式に表明したことを意味する。

 しかし、この一点だけは、ある程度覚悟しながらも、景虎が未だに戸惑いを覚え、躊躇していることでもあった。関東管領を継いで欲しいことは、既に近衛邸においても、非公式に度々仄めかされている。もちろん、名門・上杉家の名跡を継ぐことに、全く魅力を感じないわけではない。しかし、景虎にはどうしても簡単に首を縦に振れない二つの事情があった。

 そのひとつ目は、景虎の真面目な倫理観にある。当初の想定には、自分が憲政に取って代り、管領職を継ぐ気など毛頭ない。つまり、憲政を保護し関東進出を試みたのは、あくまでも越後を外敵から守り、自らの義侠心に従って、助けを求めてきた相手を匿った結果に過ぎない。景虎にとっては、憲政を奉じて関東に静謐をもたらすことが正義であり、関東管領を自分が継ぐことは、結果として憲政を利用したことになり、周囲の目もそう見るに違いない。それが景虎には厭で我慢出来なかったのだ。

 もうひとつは、父の代から続く越後守護代家と関東管領家の、過去の確執と闘争の歴史だった。景虎が長尾の姓を捨てて、遺恨のある上杉の名跡を継いだ場合、父・為景の御霊が果たして賛同してくれるだろうかと、逡巡していたのだ。

 結局その日も、管領職継承だけは結論を出せずに、そのまま室町邸での祝いの宴となった。近衛家の父子も招かれて、既に着座している。しかし、この時の景虎は、宴が始まる前から、様子がおかしかった。普段は色白で、酒をいくら飲んでも顔色一つ変えない景虎の顔が、宴が始まる前から既に赤く火照っている。高熱を発しているのは明らかだった。

 それでも、生真面目な景虎は、直ぐに帰ろうとしなかった。将軍義輝が、景虎が喜ぶ様々な品々を用意してくれたのだ。景虎としてその厚意に報いる唯一の礼儀が、宴席を断らないことだった。

 しかし、尋常ではない景虎の様子を見て、さすがの義輝や前嗣も気が気ではない。最後には、「将軍からの命令」として、早々に室町邸を辞去させることになった。

 こうして、なんとか坂本に戻った景虎だったが、その病状は思いの他篤いものだった。その後、およそ一箇月の間、床に就いたまま、生死の境を彷徨うことになってしまう。

 景虎の高熱は幾日も続いた。京から有名な薬師を呼んでも、回復に向かう兆候すら見えない。この時に、寝ずの番で献身的に看病したのが、あの河田長親だった。

 京から取り寄せた貴重な氷を手際よく砕くと、布に包んでは景虎の頭を冷やし続けた。下の世話はもちろん、水分補給がままならぬ状態の時は、布にたっぷりの水を含ませて口に入れる工夫をしては、新兵衛らの近臣を驚かせた。また、高熱が原因で次々に噴き出す汗を拭いては、身体が冷えないように、着替えを手際よく済ませることも、進んで行っていた。

 この間、長親は常に景虎の病床近くに控えていた。新兵衛ら近臣からは、いつ寝ているのかと心配されるくらいだった。

 やがて、七月も下旬を迎え、朝晩の涼しさが感じられるようになると、長親の看病の甲斐あって、ようやく景虎の病状も快方に向かっていく。

 河田長親は日吉大社での出会いから、新兵衛の監視したにありながらも、まさに昼夜を問わず景虎に尽くしていた。無駄のない俊敏な所作にも、秀でたものがあり、新兵衛や彌太郎を驚かせている。六月の高野山・無量光院や石清水八幡宮への参拝には、既に同道も許されていた。それに加えて、此度の不眠不休の看病である。

 景虎と側近の信頼を、完全に勝ち得た長親は、病が癒えた景虎から正式に申し渡しを受けた。

「河田長親、その方を長尾家家臣として召し抱えることといたす。以降、我が片腕として、更に精進し、務めに励むがよい。なお、父親の河田伊豆守元親も、本日よりその方の後見役として、列することを許す。以上じゃ」

 傍らに控えた小島弥太郎と金津新兵衛も、心なしか嬉しそうだ。

「有り難き幸せ、このご恩に報いるよう、より一層精進いたしますことを、ここにお誓い申し上げます」

「うむ、重畳じゃ」

 ここまでは儀式のようなものだ。

「ところで殿、ひとつお伺いしても宜しいでしょうか」

「何じゃ。申してみよ」

「我らが敵の間者ではない、とお認め頂けたのでしょうか」

 景虎は笑うしかなかった。

「間者であれば、儂が病床に伏せている間に、寝首を掻くことくらい、いとも簡単に出来たであろう。密かに薬の代わりに毒を盛ることも出来たはずじゃ。これ以上疑うほど、儂は人が悪くはないぞ」

 その景虎の言葉に安心したのか、長親は初めて十七歳らしい満面の笑みを浮かべた。

「殿、それがしは嬉しくて仕方ありません。これからも殿のお傍近くにいて、お仕え出来るだけで幸せなのです。ここ坂本でも、京でも、越後に戻ってからも、それがしをどんどん使って鍛えてください。必ずご期待に応えてみせます」

 景虎はまた笑った。

「その自信家な物言いは、親父殿に似ておる」

「申し訳ございません」

「いやよい、親父殿がそなたを褒め、売り込んできたのは間違いではなかった。それに儂が熱にうなされ、生死の間を彷徨って居る時も、寝ずの看病で儂を救ってくれたというではないか。この恩は生涯忘れぬ。あらためて礼を言う」

「礼などには及びませぬ。当然のご奉公でございます」

 そのやり取りを微笑ましく聴いていた彌太郎が口を挟んだ。

「殿、実に良き家臣を得ましたな」

「うむ、河田父子を門前払いにせず、儂をたぶらかしてまで会わせようとした、彌太郎と新兵衛の二人にも感謝せねばならぬか」

「殿、それは言わないでくだされ。これも全て、殿のために良かれば、との思いで進めたことでございます」

「わかっておる」

 彌太郎の一言に、その場に居合わせた全員が爆笑した。

 河田長親はこの日の出来事と、この時景虎から貰った言葉を生涯忘れなかった。謙信亡き後も、「御館の乱」で衰退した越後を捨てず、信長からの仕官の誘いを敢然と断り、上杉家一筋で三十八年の生涯を全うした。

 

 こうして、景虎は病気が平癒した後に、再度上洛し将軍義輝に謁見を求めた。表向きは見舞の御礼だったが、重要な物を携えて向かっていた。その重要な物とは、関白近衛前嗣による血書起請文である。

 関白前嗣はかねてより、京での窮屈な生活に辟易していた。当初は西国への下向を企図していた模様だ。しかし、景虎が上洛し親交を深める中で、ひとり勝手に越後への下向を決めて、景虎に起請文を差し出してきたのだ。起請文が持つ性質から、前嗣の並々ならぬ決意が込められている。前嗣はこれを景虎に差し出すことで、自らの退路を断つという、公家らしからぬ荒業に出たのである。

 関白が京を捨てて他国に移るなど、前代未聞の珍事であり、景虎がこの片棒を担ぐ訳にはいかない。相談する先は将軍義輝しか残されていなかった。

 その起請文に義輝が目をいて驚いたことは、言うまでもない。いくら関白前嗣が破天荒とは言え、まさか京を捨てて越後に下向するなど、将軍義輝には、思いつきもしないことだった。こんなことならば、前嗣に景虎を会わせなければ良かった、と後悔しても後の祭りである。

 頭をひねった末に義輝が出した結論は、景虎に対して御内書を発給することだった。御内書の中身は、関白の越後下向と受け入れを延期させよ、というものである。中止ではない。

 これには永禄三年(一五六〇年)に予定されている正親町天皇の即位式に出席の後であれば、越後への下向も止むを得ず、という苦肉の判断が含まれていた。

 間接的に将軍義輝から、下向延期を求められた以上は、さすがの前嗣も、渋々了承せざるを得ない。ましてや、理由が天皇即位の場に関白は臨席すべし、とあっては尚更だった。

 前嗣の問題が一応の決着をみると、景虎は残された時間を歌道の学びに費やした。太閤・近衛稙家の下に通い、少しでも和歌の腕を上げるつもりだった。景虎の予想以上の熱心さには、太閤・稙家も舌を巻いたという。

 八月二十四日には、景虎に対して、遂にその太閤から和歌奥義の伝授があり、「詠歌大概」の書写を頂戴することが出来ていた。景虎が最も望んでいた「三智抄」の代わりに、太閤稙家が入手してくれたものである。

 こうして、半年という長きにわたった、畿内での生活も終わろうとしていた。最も心配していた三好長慶も、景虎が非好戦的であることが分かると、様子見を決め込み、表立っての不穏な動きを見せることはなかった。

 思わぬ大病を患った結果、ひと月ほど予定よりも長い滞在となってしまい、これ以上、本国越後を留守にすることは出来ない。国元では永禄の大飢饉に見舞われており、その対処も急ぐ必要がある。景虎は十月七日を帰国の日と定め、別れの挨拶に室町邸を訪れていた。室町邸には、関白・近衛前嗣と太閤・稙家も、居合わせているとのことだ。

 関白前嗣は越後下向を先延ばしされた当初、すっかり落胆していたが、今では何事もなかったかのように振る舞い、将軍義輝を安心させているらしい。

「公方様、そして太閤・関白殿下、お暇乞いに参上いたしました」

「やはり、帰ってしまうのだな。分かってはいても、いざその時が来ると、何と寂しいことか。本心を言えば、このまま何年も京に留まり、予を支えて欲しいのだが」

 武芸達者で、剣豪の一面を持つ義輝だったが、この時ばかりは気弱な一面を覗かせ、名残惜しそうである。

「申し訳ございません。この弾正、このまま公方様のお傍でお仕えしたい気持ちは、今も変わらず、むしろ日々増しております。それは越後に帰ったとしても、決して揺らぐことのない真の心根でございます」

「いや、済まぬ。ついつい甘えたことを言ってしまった。三好如きに負けてなるものか。長慶も此度そなたが半年もの長きにわたり、畿内に留まったことで、下手なことは出来ぬと痛感したはず。そなたは、いざという時、いつでも越後から馳せ参じてくれることを、身をもって天下に示してくれた。これほど心強いものはない」

「公方様から、かように過分のお褒めを頂戴したこと、臣・景虎、生涯忘れませぬ。関東や信濃の仕置きに目途がつき次第、必ずや上洛を果たし、その時こそ公方様の臣下として、お仕え申し上げたいと存じます」

「最後まで嬉しいことを言ってくれるではないか。予もその時を楽しみに待つとしよう」

「ははっ」

「ところで弾正、関東管領の職を継ぐか否かの結論は、如何いたすことにしたのじゃ」

「その件は、これまで本当にご心配をお掛けしましたが、ようやく腹が決まりました。無論、国元の憲政様にお伺いを立てたうえで、その御返事次第ですが、熟慮を重ねた末、上杉の名跡を継ごうと決心しました」

「それは目出度い。この間に、どのような気持ちの動きがあったのじゃ」

「公方様もご承知の通り、憲政様をお迎えしているのは、決して下心あってのことではございません。何よりも、我が父と関東管領家との間には、根深い遺恨がございました。それを知りながら、上杉の家督を継ぐことは、父の御霊を冒涜するのでは、と逡巡して参りました。しかし、過日、病を患い生死の間を彷徨さまよいながらも、こうして生きていられるのは、生まれ変わったつもりで上杉の名跡を継ぐように、との石清水八幡宮の神の思し召しでは、と考えるようになりました。何よりも、公方様がお望みなのであれば、それに従うことこそ真実の忠義と、考えをあらためた次第でございます」

「それでこそ、弾正殿です。ねえ、公方さん」

 二人の話に割って入ったのは、またも関白前嗣である。

「麿も関東管領の国元に下向する、という方が立場上何かと都合がよい」

 息子の調子のよい発言に、思わず父である太閤・稙家が気まずそうに詫びを入れる。

「弾正殿、関白の我が儘をどうか許されよ。この太閤が止めたとて、聞く耳を持つ関白ではない」

 太閤の親としての本音に、内心苦笑しながらも景虎は言葉を返した。

「太閤殿下、ご心配には及びませぬ。我が遠国越後に関白殿下をお迎え出来るなど、我が末代までの誉れにございます。関白殿下を粗相なくお迎え出来るよう、それまで準備万端に整えておく所存にて、どうかご安心ください」

「弾正、予からも頼む。何だかんだ言っても、武家の出ではない殿下が、異国の地で上手くやれるか心配なのじゃ」

 将軍・義輝もやはり、破天荒な関白が気がかりなのだ。

「お任せください」

「うむ。しかし、正直を申せば、羨ましい話だ。予も一度は越後を訪れてみたいと思う」

「公方様、それは決して夢ではございませぬ。公方様を頂とする政事が叶った時、それも実現できましょう。この弾正、正しき秩序に則った世を実現するため、これからも命を賭けて戦って参ります。それまで、どうか、御身を大切に」

「うむ、さらばじゃ、長尾弾正」

 再会を約した義輝と景虎だったが、これが二人の今生の別れになってしまった。

 室町御所を出て、馬上の人となった景虎は、これで暫く京も見納めか、と晩秋の景色に目をやった。邸の屋根より高く育った楓の木から、紅く染まった葉が数枚、風に吹かれて舞い落ちる様子を、景虎の眼が捉えていた。


  

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