第3話 端境の章 *憲政~越山~与板城

  *憲政

  

 景虎は、毘沙門堂に籠る日が多くなっていた。この日も朝から御堂に籠り、独り瞑目に身を投じている。

 御堂の屋根には、二尺もの雪がうず高く積もり、全体を覆っている。

 毘沙門天像の前に座ると、景虎の心はいつも不思議と落ち着いた。この時だけは、下世話な醜い人の性からも解き放たれるような気がした。景虎の耳には、深々と降り積もる牡丹雪のかすかな音だけが、時折漏れ聞こえてくるだけだ。

 守護代として入城後直ぐに、景虎は麓の林泉寺をおとなっている。恩師・天室光育の後継である益翁宗謙和尚に、毘沙門堂の移設を願い出るためだった。それは、景虎が平時住まいとし、政務の中心である春日山城本丸近くへの移設願いであり、これが許されていた。

 以降、三十年にわたり景虎(謙信)は、この御堂に籠り毘沙門天像の前で座禅を組み、心身の鍛錬と充実、戦勝祈願のみならず、領国の平安と繁栄を祈念するのだが、この時期は少し事情が違っている。

 上田長尾家が軍門に下ったことで、越後統一を成し遂げた景虎だったが、所領を巡る国人同士の争いは、相変わらず絶えて無くなることがない。その訴えの度に、若き景虎の心はかき乱され、頭を悩ませていた。

 この時期の代表的な争いが、揚北の中条藤資と黒川清実、そして、平子孫太郎と松本河内守との抗争である。

 本来、かかる土地を巡る争いは、事実関係を精査報告させ、裁定を下せばよさそうなものだ。

 しかし、景虎の悩みの種は、国内統一を果たす過程のなかで、訴訟当事者の片方が親景虎派だったことにある。中条藤資は、兄・晴景との家督を巡る争いの時に、強力に景虎を支援してくれている。また、平子孫太郎は、長尾政景勢の鎮圧に大きな功を挙げていた。

 情に流されていては、政事が立ち行かなくなる。景虎の性格上、裁定に当たっては、公平こそが重要、と信じて疑っていない。

 特に、中条氏と黒川氏の争いは、伊達時宗丸の守護職継嗣問題の時から尾を引いている。その頃からの複雑な感情が絡み合い、解決が簡単ではなかった。

 景虎は真剣に悩んでいた。

 どうして、猫の額ほどの極めて小さい土地を巡って、人は争わなければならないのか。何故、他者に労りの心で接し、譲り合うことが出来ないのか。

 それが一族のため、家族のため、家来のためと皆が口を揃えて言うが、果たしてそれだけなのか。本当は己の欲得と詰まらぬ名誉のためではないのか。

 土地などは、この世で生きている時だけのものに過ぎぬ。死ねば全てが無に帰してしまう。何故、譲歩や共存が出来ぬ。慈悲と仁愛の心こそが大事なはずだ。つまらぬ欲得のために、一族郎党や家族の命を賭けるなど愚かでしかない。何故それが分らぬ、何故なのだ。

 これも全て儂の徳が足りないせいなのか。

 このままでは、本当に他国の侵略を許すことになってしまう。

 景虎は焦燥に駆られながら、自問自答を繰り返すばかりだった。

 理想主義の景虎は、自らを厳しく律し、欲得から離れた無私の境地こそが、施政者としてのあるべき姿であると信じて疑わない。これは幼少期からの寺における厳しい修行で、培われた境地に他ならない。

 そして、御仏の道とは相反する殺生でしかない戦も、あくまで天下国家のための聖戦と理論づけ、自らを納得させている。

 つまり、刀を抜き血で血を洗う戦は、正義という旗印のもと、領地領民の安寧と幸福をもたらす戦でなければならない。そして、自らが信ずる大義のためであれば、「毘沙門天」の名の下で先頭に立ち、命を賭けて戦う覚悟だった。

 しかし、この考えは、俗物主義である他の国衆とは、あまりにもかけ離れたものであり、到底理解しては貰えるはずがなかった。

 何ら解決策が見いだせないまま、毘沙門堂内での苦悶は続く。

 外はいつ止むとも知れず、雪が降り続いている。いつの間にか日は沈み、辺りはすっかり暗闇に包まれている。

 ただ、蠟燭の灯りだけが、わずかな隙間から微かに漏れ出て、毘沙門堂の外観をぼんやりと浮き上がらせていた。

 天文二十年(一五五一年)大晦日、除夜の鐘が遠くに聞こえた。 

 

 明けて天文二十一年(一五五二年)一月十日、その日も景虎は毘沙門堂に独り籠っていた。

 前日までの吹雪が嘘のように止み、辺り一面に降り積もった雪が、冬の陽光に反射して眩しい。

 突然、御堂の軒先から、氷柱の重さに耐えかねた雪が、大きな音を立てて崩れ落ちた。

「殿、客人がお越しになりました」

 声の主は金津新兵衛だった。声の調子から、些か慌てている様子が伺える。

「かような季節ときに参るとは、どこのどなたじゃ」

 景虎は依然、目を閉じたまま、外に控える新兵衛に問いかけた。

「関東管領・上杉憲政公でございます」

 やはりお出でになったか。

 坂戸城の長尾政景からは、既に早馬で第一報が入っている。

 忍びの幻蔵からも、数日前に一行が三国峠を越えて越後に入った、と聞かされていた。

 上杉憲政の居城であった平井城の落城は、前年三月のことだった。

 その後は、厩橋城、そして白井城へと落ち延びていたと聞いていたが、戦わずして逃れてきたのだろうか。

 景虎はようやく、目を見開いた。

「その総勢は何人だ」

「十八人でございます」

「わずかにそれだけか」

 幻蔵の話では、越後に入った時、五十人は下らないと聞いていた。

 恐らくは、その大半が夜陰に紛れて、逃亡したのに違いない。それだけでも、如何に惨めな逃亡劇かがわかる。

 関東管領と言えば、痩せても枯れても、東国の公方様(古河公方)を補佐し、政事を担うべき武士の長ではないか。

 先々代の顕定殿などは、父・為景と一戦に及び討ち死にされたとはいえ、一時は父が越中に逃れざるを得ない程の武威を誇ったお方だと聞く。

 それが僅か四十年の時を経て、この遺恨ある越後まで、恥も外聞も捨てて、僅かな供回りで逃れてくるとは、何と情けないことか。

 如何に下剋上の世とは申せ、武門の誇りも地に落ちたものだ。

 そう景虎が嘆いても、何かが解決するわけでもない。

「わかった。今から参る。暫しお待ちいただくように」

「承知いたしました」

 新兵衛は来た雪道を踏みしめて、急ぎ戻っていく。

 景虎はその徐々に遠ざかる足音を耳にしながら、暫くの間、毘沙の中に坐したまま、動こうとしなかった。


 関東管領・上杉憲政は、景虎を待つ間、本丸正殿の上座に平然と座っていた。

 常日頃は景虎が坐しているその位置に、まるで自分が春日山の主であるが如く、悠長で臆面もない様子で座られては、さすがの景虎も呆れて言葉が出ない。

「おお、そなたが守護代殿か。会いたかったぞ」

 気を取り直す間もあったものではない。

「支度に手間取り、些か遅くなり申した。越後守護代・長尾平三景虎でございます。かような雪深い田舎城まで、ようこそお越しくださいました」

 今にもにじり寄って来ようとする憲政を、手で制しながら、ようやく口にした社交辞令だった。

「先年、長野信濃守殿に越山を約しながら未だ果たせず、こうして憲政公をお迎えすることになってしまいました。まことに残念でございます」

「いやいや、全ては我が不徳の致すところ、守護代殿のせいではござらぬ」

 当たり前だという気持ちが、景虎の脳裏を過ぎったが、さすがにそれは口に出せず、噛み殺すしかない。

 目の前にいる憲政には、関東管領としての風格はおろか、品位の欠片も残っていない。髪は乱れ放題で、その顔はしょぼくれて、やつれ果てている。それは如何に過酷で命からがらの逃亡劇だったかを、物語っているとも言えるが、景虎としては、せめてもう少し身を整えるくらいなんとか出来るだろう、と思えてしまう。

 そんな景虎の気持ちなど知る由もなく、安心したのか、憲政は悪びれもせずに、続けて話し始めた。

「情けないことじゃが、憎き氏康に昨年三月、平井城を攻略されてしまい、その後は流浪の身同然であった。厩橋城、そして白井城にまで落ち延びて、ようやく一息つけるかと思っていたところを、またもや大軍に襲われこの有様じゃ。命からがら、城から逃げ出すのが関の山。とはいえ、もう上野国に逃げ場所は残されておらず。頼れるところは、越後のそなたの所だけであった」

 その言葉とは裏腹に、憲政には、さして悪びれる様子がない。

「憲政公にはご嫡男がいらっしゃると伺っておりますが、いずこにおいででしょうか」

 何気ないつもりで聞いた景虎だが、その返答は耳を疑う内容だった。

「龍若丸は捕らえられ、既に斬首されておる」

 景虎は思わず絶句した。

 このお方は本当に関東管領なのであろうか。敵と戦う気概もなく逃げ出すばかり。おまけに自身の血を分けた大事な子供ですら、放り出して逃げてきたのか。これでは家来衆に見捨てられるのも当たり前、自業自得というものではないか。東国武者の頂点に君臨する者としての、矜持の欠片もないこのお方を、お助けすることが果たして正しいことと言えるのか。

 心中自問自答しながらも、景虎に他の選択肢はないに等しい。

「そのように、辛い出来事があったとは知らず、大変失礼なことを伺ってしまいました。心中お察し申し上げます。ところで、長野殿は今如何されているのでしょうか」

「子細は掴んではおらぬ。しかし、我らが白井城を攻められた時は、確か居城の箕輪に戻っておったはず。そこは抜け目のない氏康のことじゃ。箕輪にも大軍を使わし、おいそれと援軍など出せぬよう、睨みを効かせているはずじゃ。きっと、城に釘付けにされたまま、動きが取れないのであろう」

 伊勢氏康は決して侮れない武将に違いない。恐らく、関東管領家中には内通者がいて、白井城攻めも、長野業政不在の時を狙っていたのだろう。こんな二枚も三枚も上手の相手に、愚鈍を絵に描いたような憲政が勝てるはずもなかった。

「それほど、長野が気になるか」

 憲政というお方は、戦や政事は不得手でも、嫉妬心だけは人並みらしい。

「それがしは越後しか知らぬ、田舎者でございます。関東には長野殿以外に誼を通じている方はおりません。それに長野殿とはひとつ約束がございます」

「はて、その約束とは」

「我が越後勢が越山の折は、先導役を買って出て頂ける、とのことでございます」

 その返事を聞いた憲政の顔色と目の輝きが変わった。

「それは何とも頼もしい限り。長尾殿、儂は悔しいのじゃ。戦下手の儂に代わって、どうか伊勢の奸族を成敗しては貰えないだろうか。それを約束してくれるのであれば、儂は喜んで関東管領の職を、そなたに譲ろうと思う」 

「そればかりは、丁重にお断り申し上げます」

 景虎の断りに対して、憲政は珍しく一歩も引く様子がない。

「いや、当関東管領家と越後守護代家は、数奇な運命の巡り合わせから争い、禍根を残して参った。しかし、そなたは、その禍根を水に流して、我らに加勢してくれるという。その意気に応えようと思うのは当然とは思わぬか。それには管領職を譲るしか、儂に残された途はあるまい。それに、もう戦や政事はこりごりじゃ。出来得ることならば、この越後で隠居し、心穏やかに余生を過ごしたいと思う。この願い、どうか叶えてはくれまいか」

「管領職については固辞いたします。但し、数年のうちに必ず越山し、伊勢の輩を成敗してご覧に入れましょう。それまでは、この越後で、ゆるりとお過ごしくだされ」

 もう後に引くわけにはいかない。

 たとえ、今、越山を断ったとしても、いずれ伊勢氏康とは一戦を交える運命にある。氏康が上野国の次に触手を伸ばしてくるのは、この越後しかない。となれば、憲政公を神輿に担いで越山するのが上策というものであろう。

 幻の者一党の調べでは、伊勢(北条)の急激な台頭と専横を宜しからずという、関東国衆も数多くいるという。これらの反対勢力を糾合して、いずれ正義の御旗を立てることこそ、我が進むべき道となろう。

 先ずは長旅の疲れを癒して差し上げることが先決だった。更に、景虎は仮住まいや当座の暮らしの手当を、近臣の戸倉与八郎に任せることにした。

 その夜、景虎は幻の者の頭である幻蔵を呼んだ。

「察しの良いお前だ。分かっていると思うが、これまで増やしてきた手の者を、出来る限り多く上野と武蔵、下野、常陸に解き放ってくれ。これまでの三倍の数は必要だ。必要な金子は用意する。そして、各国衆の動向や氏康の動きを掴み次第、逐一報告してくれ」

 景虎は黒田秀忠追討以降、頭の幻蔵に命じて、幻の者一党を増やし、精鋭を育ててきていた。情報の量と質が戦や政事の成否を左右する、という景虎の考えは、月日の経過と共に、益々強くなっている。

 更に守護代就任してからは、他国の情勢を掴むために、より多くの幻の者を必要とするようになった。そこで、景虎は幻蔵に命じて隠れ郷をつくらせた。その集落一帯は幻の者一党とその家族のみで占められている。今は、その隠れ郷で必要な武芸の鍛錬を課し、精鋭を育てている最中だった。

 火急の報せは、狼煙から狼煙を伝って春日山まで届くように、工夫が加えられた。狼煙の色や形、大きさで知らせの種類やおおよその内容まで伝達出来る仕組みだ。他にも、忍びとして新たな伝達方法を実用化させた場合や、格別の手柄があった者には、別途褒美を取らせるようにしている。

 このことが、幻の者同士が切磋琢磨して競い合い、一党をより強固な諜報活動と戦闘を担う集団に、変貌させる一因ともなっていた。

「承りました。ひとつ下知を仰ぎとうございます」

 近頃では、幻蔵が直に下知を仰ぐことは、珍しいことではなくなってきている。

「何じゃ、申せ」

「ひとり、気になる者を密かに捕らえてございます」

「それは如何なる者か」

「管領・憲政公に付き従ってきた者の一人でございます。挙動に不審な点がありましたので、密かに見張りを付けておりましたところ、上野国・館林城主であります赤井殿宛の密書を、認めておりました。恐らく、それは誰かに託して届けさせよう、と企んでいたものと思われます」

「その密書とやらは何処にある」

「これに」

 幻蔵が懐から差し出した書状には、上杉憲政が春日山に着到するまでの経緯が事細かく記してある。北条方の赤井氏が、管領家に仕える小者として、家中に潜らせたに違いない。それにしても、今日の景虎との会話まで触れられているということは、憲政が口軽に言い触らしているということだ。

 憲政との話の内容には、今後大いに注意を払う必要がありそうだ。また、周りの世話には、全て景虎と近臣で人選し、信の置ける者をつけるしかない。

「その者は庄田惣左衛門(定賢)に預けてくれ。詳しく詮議の後に、処断する他あるまい。大儀であった」

 幻蔵が去った跡には、雪を踏んだ足形だけが残っている。

 景虎はその足跡を、ぼんやりと眺めながら、自身が背負ってしまったお荷物の重さを計りかねていた。

 しかし、賽は投げられたのだ。前を向いて、ひたすら突き進むしかない。景虎は顔を上げた。

 

  *越山


 景虎は府内の南側に位置する場所に、広大な邸の造営に着手した。それが二年後に完成する御館おだてと呼ばれた憲政の豪邸である。

 上杉憲政は古河で過ごす一時期を除き、謙信没後に勃発した「御館の乱」で落命するまでの間、終生この邸で暮らすことになった。

 上杉憲政が落ち延びてきた同年の天文二十一年(一五五二年)五月二十六日、朝廷より景虎に対して、弾正少弼の官途と従五位下の位階が下賜かしされた。

 これは、既に室町幕府から認められた越後国主としての立場を、朝廷からも追認を受けたことを、国の内外に示す意義があった。

 この朝廷からの下賜に感激した景虎は、御礼のための上洛を真剣に考え始めた。

 手始めは、在京の雑掌ざっしょうである神余親綱かなまりちかつなに命じて、御礼の品々を献上させることだった。親綱は父である神余実綱の後を受けて、京に赴き二年が経過しており、京の事情にも詳しくなってきている。この時、親綱二十七歳、景虎より四歳年長である。

 雑掌とは、室町幕府の弱体化に伴い、各国守護が京から国元へと住まいを移したことが原因で、守護の代理人としての立場で、京における政務外交を担う者のことを言う。

 特に越後では、父・為景が実権を掌握して以降、雑掌が守護代長尾家の私的渉外担当としての役割に変化しており、景虎もそれを引き継いでいた。

 神余親綱は対朝廷・対幕府工作を推し進め、景虎の二度にわたる上洛を陰から支えただけでなく、国元の蔵田五郎左衛門尉と連絡を密にしながら、畿内での青苧の商取引にも大きく関わりを持ち、越後の国庫を潤す役割も担っていく。

 天文二十一年六月、その神余親綱が、急ぎ越後に帰国した。天皇から下賜された品と、将軍・足利義藤からの御内書を携えている。

みかどからのお言葉は如何であった」

 むろん、官位もなく、越後国主の家臣に過ぎない神余親綱が、天皇への直答はおろか、拝謁すら叶うわけもない。厚誼を受けているいずれかの公家からの伝聞である。

「越後の弾正からの心配りには、いつも嬉しく思う、とのお言葉を賜っております」

「そうか」

「それに弾正少弼様が官途位階下賜の御礼に上洛したい旨をお伝えしたところ、楽しみに待つ、という有難き御言葉も頂戴仕りました」

「うむ、重畳じゃ。将軍・義藤(後の義輝)様のご機嫌は如何か」

「今は三好長慶殿と和解が成立し、京に戻っておられます。しかし、今度は管領の細川晴元様が京を追われる始末で、相変わらず公方様の周辺は混沌としております。全く先が読めませぬ」

「そもそも、三好長慶などは管領・細川家の一家臣に過ぎぬ家柄ではないか。その管領ですら、将軍家にお仕えする身じゃ。それが、強大な武力を笠に着て、本来あるべき秩序を蔑ろにした挙句、政事を私するとは、神をも畏れぬ所業と言わずして何と言う」

 景虎の憤懣やり方ない気持ちが爆発する。

「仰せの通りでございます。公方様には、弾正少弼様のお気持ちを、書状にてお伝え申し上げております」

「その御返事が、その御内書か」

 親綱の手から、うやうやしく景虎の手に御内書が渡された。

 景虎はその御内書を噛みしめるようにじっくりと、しかも繰り返し読んだ。

「我が将軍家を敬い尊崇する気持ちが、確と伝わっているようじゃ。必ず上洛を実現し我を助けよ、とある。また、関東管領・山内殿を助けて、乱れた関東を平らかに治めると同時に、近隣諸国の乱れも糺せとの仰せだ」

「おめでとうございます。これで全ての大義名分が揃いましたな」

 この御内書によって、景虎が今後行う上洛や越山を含めた近隣国への外征は、全て足利将軍家の意向に基づくものとなる。正義の御旗の下で、全てが実行されるのだ。

親綱は素直に喜んでいた。父から引き継いだ自分の務めが、一つ結実したのだから、その喜びに嘘や誇張はない。

 しかし、景虎は気を引き締めることも忘れていない。

「実に目出度い。しかし、これからが儂にとっても、お主にとっても正念場だ。引き続き、京のことは頼んだぞ。金子のことは蔵田五郎衛門尉に、儂から伝えておく」

「有難う存じます」

 神余親綱は、景虎から数日間休養するよう、との勧めを丁重に断り、翌日には急ぎ京に戻っていった。


 神余親綱の帰国から遡ること二ケ月前、景虎は坂戸城の長尾政景に命じて、三国峠にいたる軍道の整備を急ぐよう命じている。

 上杉憲政が越後に落ち延びてきて以降、越山がいよいよ現実味を帯びてきたが、上野国に大軍を送り込むうえでは、軍道の拡張整備が急務と判断したからだ。

 景虎は関東情勢に精通するほど、北条氏康が相当の難敵であることを、冷静に認めるようになっていた。これまでの戦ぶりや、領内統治の評判を耳にしても、殆ど隙が見当たらない。このような難敵が相手では、越山が一度や二度で片付くとは、とても考えられなかった。

 大軍の移動、と一言で済ませるのは簡単だが、それには軍馬や兵糧武具、そして薬など大量の必需品を運び出す荷駄隊も含まれている。

 山越えという過酷な移動を、如何に迅速で円滑に進めるかが、兵の士気を大きく左右し、戦の趨勢にも影響することを、景虎は見抜いていた。

 軍道の整備が、一方では商いの道として使えることも、景虎は見込んでいる。平時は越後と関東諸国の往来に使うとなれば、物産の行き来も増え、自ずと商いも盛んとなる。物流の動きと共に民は潤い、そこに幾らかの通行税を課すことで、国も更に富むという仕組みだった。

 周辺の整備を終えた、天文二十一年(一五五二年)八月、景虎は遂に関東に向けて春日山を進発した。これが景虎初めての越山である。

 この越山は本格的な関東制圧を企図したものではなく、実踏的な意味合いが大きい。

 しかし、次のような四つの意義を念頭に置いて、景虎が実行に移したものだった。

 第一に、上杉憲政の要請に応じたという姿勢を内外に示す必要があった。長野業政による援軍要請の時点では、未だ上田長尾父子との一触即発状態があり、とても他国に軍を派遣するなど、誰がみても不可能な情勢だった。それでも、景虎には援軍を派遣出来なかったことが、平井城の落城を早めてしまった、という負い目を感じていた。

むろん、それは上杉憲政の力量不足でしかないのだが、景虎の生真面目な性格からは、その負い目を一日も早く、払しょくしたかったに違いない。

 第二の意義としては、将軍・足利義藤からの御内書に基づき、早々に越山を実行して、関東の静謐を取り戻しにきたという姿勢と実績を、将軍家に対して示したかったことだ。

 足利将軍家こそが、武門の頭領であることを信じて疑わなかった景虎は、その忠実な家臣の代表として認知されたいという、いじらしい程の願望を持ち合わせている。そこで、成果の多寡に関わらず、御内書に基づき速やかに動くことを、景虎は優先させたのだ。

 第三には、箕輪城の長野業政を中心とした反北条の旗を掲げる関東の国衆に対し、越後が本気で助勢する気があることを、行動で示す必要があったことだ。その行動が遅ければ遅いほど、関東の大勢は氏康に靡いてしまう、という危機感からに他ならない。

 そして、最後の意義は、北条氏に対するけん制である。これまでのような「身勝手な横暴」は決して許さない、という事実上の宣戦布告を行うことだった。

 旧体制の秩序維持こそが、景虎にとっての不変的正義である。北条による関東制圧を目指しての北上政策は横暴であり、悪以外の何物でもない。

 関東管領の名代として越山すれば、これまでのように簡単に関東諸将が北条側に靡くことはないであろう。そして、北条が勝手な武力行動に出る時は、いつでも相手になってやる、という気概を示すためだった。

 天文二十一年八月、景虎は本庄実乃及び平子孫太郎らの諸将とともに、五千の兵を率いて上野国に入り、箕輪城主・長野業政との再会を果たした。

「お久しゅうございます、弾正殿。ようこそお越し頂きました」

「信濃守殿、お出迎え忝い。あれから、些かの年月が経ってしまいましたが、こうしてようやく約束を果たしに参りました」

「何はともあれ、ご無事での越山、祝着至極に存じ上げます」

「それにしても、憲政公が突然、我が越後に現れました時は、些か驚きました。しかも、豪雪の中を掻き分けて、遠路はるばる春日山までお越しになるなど、誰も想像してはおりませぬ故に」

「面目次第もござらぬ。それがしが不在の白井城を狙うなど、氏康らしい狡猾さですが、それを見抜けぬ我が方も、情けなく恥じ入るばかり」

「過ぎたことを悔いても仕方ありませぬ。これからが我らの新たなる反転の時にて、共に手を携え戦って参りましょう」

「頼もしいお言葉、痛み入ります」

「ところで、憲政公のことですが、余程越後の水が合うとみえます。すっかり気に入られ、日々を楽しんでおられる様子。ついては、お住まい頂く新たな屋敷の普請を進めております。此度も、ご同道を願い出ましたが、もう戦は懲り懲りと言われてしまいました。いずれにせよ、恙なくお過ごし頂いておりますので、ご安心くだされ」

 長野業政は苦笑いするしかない。

「弾正殿、既にお気づきと存ずるが、氏康は奇襲を得意とし、多用いたします。奇襲を目論むには、予め確かな情報を掴んでいるはず。実は白井城でも小者の一人が、怪しいと踏んでいたのですが、案の定、落城後姿をくらましております。恐らくはその者が、それがしの不在を知らせ、好機と踏んだ氏康が間髪入れずに、攻め入ったものと存じます。今は憲政公の傍近く仕える小者に、内通者が混じっていないか、それだけが気がかりなのですが如何でしょうか」

「やはりそうでしたか。実は小者一人を捕らえました。氏康に味方する館林城主宛に書き記した密書を所持していたので、その者は直ちに処断しております」

「それをお伺いし安心いたしました。しかし、越後まで執拗に間者を送り込むなど、油断できませぬ。ましてや、我が上野国となると、いつどこに敵の目と耳があるか分かりませぬ。我らも更に用心するが肝要と心得ます」

「左様、それにしても、氏康という男は、正々堂々、正面切っての戦いをいつも避けているようですね。しかし、それは決して弱いからというわけではない。少しでも油断すれば、とんでもないしっぺ返しを食らいそうな難敵でもある。儂が越山を果たしたことは、既に小田原に届いているはず。それでも、確実に勝てるという確信がなければ、勝負を挑んでくることはないのでしょう。それが些か無念ではあるが、此度は上野の国衆の失地回復が第一義にて、必ず果たしてご覧に入れましょう。どうか安心くだされ」

「その力強いお言葉を聞き、勇気百倍でござる。由良・横瀬らの各国衆も、明日には駆けつけて合流できる手筈になっております。いやあ、これで久しぶりに我らの力を存分に発揮できます。今から氏康の渋い顔が目に浮かぶようで、愉快このうえございませぬ」

珍しく豪快な業政の笑い声が陣中に響き渡った。

「失礼いたした。何年もの間、かように笑うことなど忘れておりました故に」

 これまでの業政の苦労のほどが伺える一言だった。確かに春日山で会った時より白髪は増え、顔に刻まれた皺の数も増えている。景虎はこれから始まる戦を目前に、あらためて自らの責任の重さを痛感していた。


 景虎の予想は的中していた。長野業政と再会を果たしたその日のうちに、小田原の氏康の耳には、長尾弾正少弼景虎「越山」の急報が届いていた。

 氏康は、苦虫を噛み潰したような顔をして、終始不機嫌そうに見える。

「とうとう、越後の若造が、のこのこと出張ってきたか。せいぜい己が身勝手な正義とやらを振りかざし、いい気になっているのであろう。のう、孫九郎」

 北条氏康の傍には、大道寺政繁が控えている。

「左様心得ます。しかし、越後の田舎侍とは申せ、殿に挑もうとするなど、まさに怖いもの知らずとはこのこと」

「まあ良い。越後は雪深い国と聞いておる。冬が来る前には、越後に帰らざるを得まい。たとえ、幾つかの城を奪い返されたとしても、奴が帰った後にじっくり取り戻せば済むことよ。それにしても、厄介なお人好しが現れたものじゃ」

 そう言うと、氏康は何事かを考え込むように口を閉じてしまった。蝋燭ろうそくの炎だけが、秋の夜風に吹かれて、時折ゆらゆらと揺れている。


 景虎は直ちに上野国衆を従えると、沼田城攻めに当たっていた北条幻庵長綱を急襲し、これを撃退、敗走させた。

 次いで、平井・平井金山の各城を間髪入れずに攻め立て、これらの城も奪還した。平井金山城攻めには、庄田惣左衛門尉定賢が当たり、みごと期待に応えている。栃尾以来の旗本馬廻衆ながら、景虎はその軍才を密かに認めていた。

 その後も景虎軍は上野国内を駆け回り、まさに破竹の勢いで北条軍を上野国外へと駆逐した。そして、遂には北条幻庵長綱を、武蔵松山城まで追い詰め、反撃の機会を与えることなく、城内に封じ込めていることに成功した。

 北条幻庵は、この時既に還暦を迎えており、北条家のまさに長老的な存在である。その年齢を感じさせぬ程、意気益々盛んな猛将として名を馳せていたが、その幻庵ですら景虎には敵わず、逼塞ひっそくを余儀なくされていた。

 こうして、上野国諸城の奪還と、北条幻庵の封じ込めを果たした景虎は、冬を前に帰国の途についた。むろん、次回の越山時には、小田原落城まで追い詰めることを、参陣した諸将に対して意気高らかに約束したうえでの凱旋である。

 一連の旋風とも言える景虎の軍事活動は、関東における反北条勢力の士気を大いに鼓舞し、団結を強める結果になった。同時にその活躍ぶりは、瞬く間に関東一円に広まり、景虎の名声を高めることになったことは言うまでもない。

 

  *与板城

 

 景虎は与板城に向かっていた。

 関東より帰国し、戦後の論功行賞を済ませた後のことである。毘沙門堂に独り三日三晩籠った後に、僅かな近臣を引き連れての訪いだった。

 左に見える日本海の空には、鉛色の雲が低く垂れ下がり、越後に冬の訪れが間近に迫っていることを感じさせる。白い波しぶきをあげて荒れる海がどこまでも続く。時折、打ち寄せる高波は、海岸線を大きく越えて人家に迫るほどであった。

 やがて到着した与板城内の郭で、真っ先に行うのは、白い息を吐きながら呼吸を整えている愛馬の手入れだ。

 景虎は常日頃から、馬の手入れだけは、極力自分で行うようにしている。馬に愛情をかければ、それだけ心が通ずる気がしていた。体中から立ち上がる熱気を冷ますように、きれいに布で拭いてやると、嬉しそうな目をする様子がいつも堪らない。愛馬の鼻面を軽く撫でながら、持ってきた秣を褒美に与えていると、直江実綱が急ぎ出迎えにきた。

 一足先に早馬で向かっていることを報せてあるが、要件は全く伝えていない。

「殿、急な訪いに驚いております。何事かございましたか」

 こうして突然訪うのは、初めてではない。これまでにも幾度もあるから、本当は驚いてなどいないはずだった。

 景虎は実綱に顔を向けることなく、愛馬に草を食ませながら応えた。

「与兵衛尉か。関東から戻り、少しは休みたいところじゃが、そうは参らぬ。所持雑多に振り回され嫌気がさした。毘沙門堂に籠ってはみたが邪念は一向に晴れぬ。そこでそなたの顔でも見て気を晴らそうと参った。心配せずともよい」

「殿も左様なお戯れを言うようになりましたか。まあ、かような場所でお伺いする話でもございますまい。この空模様のなか、馬を飛ばして参られたご様子、さぞかしお身体が芯から冷え切っていることでしょう。先ずは湯屋にご案内いたします。その後で、ご用向きはゆるりと伺いましょう」

「うむ、遠慮なくそうさせてもらう。実は毘沙門堂に籠りながら、幾つか考えたことがある。その相談に参った」

「それは余程大事なことでございますね。では、それがしも確と覚悟して、お伺いすることにいたします」

 再び愛馬の鼻面を軽く撫でた景虎は、後方に控える実綱の家人に、仕上げの手入れを細かく伝えると、実綱と共に姿を城内に消した。

 一刻の後、与板城本丸の上座敷には、二人の談笑する姿があった。

 幼き時分に父を失った景虎にとっては、実綱が父であり兄だった。近臣馬廻衆以外に心許せる、唯一無二の存在になっている。

「先ずは先の上野国における数々の大勝利、執着至極に存じます」

「うむ。しかしながら、伊勢(北条)氏康という男、亀の如き奴ゆえに、儂が攻めれば引っ込み、戻ればまた兵を出して、攻め落とすことを繰り返すらしい。越後が雪で閉ざされている間も、関東は雪知らずの空模様と聞く。となれば、この間に奪い返されれば、まさに『いたちごっこ』じゃ。それを絶つためにも、次に越山する時は、長期戦を覚悟しつつ徹底的に叩き潰さねばならぬ」

「かなりの難敵ですな」

「そこで新たな悩みが生じてしまった」

「はて、それは如何なることでございましょう」

「関東における戦は私戦にあらず。あくまで、関東の国衆を守り、伊勢(北条)氏康の侵略を防ぐことを第一義としている」

「仰せの通りです」

「従って、奪い返した上野国や武蔵国の領地は、元の国衆に返却するのが当たり前のこと。それは裏を返せば、褒美を期待して参陣してくれた越後衆には、新たな領地を褒美として分け与えることは出来ぬ。しかし、もし、儂がこれを繰り返せばどうなる。越後国衆の不満を招くことは必定じゃ。」

「左様ですな。もう四十五年も前のことながら、それがしも聞いております。殿の御父上が、当時の守護である上杉房能様に対して、やむなく弓を引き奉ったのも、度重なる越山に不満が爆発した国衆に押されての所業であったと」

「その通りじゃ。そこで、此度は土地を所望しない代わりに、『乱取り』の黙認を願い出る者がいた。しかし、儂はその者を厳しく叱責して、決して許さなかった。儂が起こす戦が、関東の民を苦しめることになれば、それは本末転倒というもの。本意ではない、それどころか忌むべき戦となる」

「そうかと言って、褒美を与えねば国衆の反感を招く」

 景虎の意を汲んで実綱が続けた。

「そうなのだ、与兵衛尉。儂は如何すれば良いのじゃ。越山は父祖の代から背負わされた宿命とも覚悟しておる。次の越山で終われば良いが、そう簡単に事が運ぶとは思えぬ」

「左様、広く開けた関東の大地を、一年や二年で平らかに治めるなど至難の業でございましょう。首尾よく氏康を討ち果たすことが出来たとしても、数多き国衆をまとめるなど到底叶わぬことと存じます」

「しかし、儂が越山を決めた真の理由を理解出来ている者は少ない。未だに憲政公や上野国衆への義理立てなどと、単純に考えている者も多くいる」

「殿が越山を決めた一番の理由は、氏康が越後に手出し出来ぬようにするためでございましょう」

「その通りじゃ。むろん、京への将軍家に対する配慮もあるが、最たる理由はそこじゃ。手をこまねいていれば、伊勢一族の勢いは増すばかり。やがては関東全体を併呑して、越後に攻め入ってくるに違いない。それをさせぬためにも、何としてでも、今から奴の勢力を削ぎ落す必要がある」

「しかし、それを言って聞かせたとしても、誰も聞いてはくれぬ、ですね」

 景虎は頷くことで、実綱の言葉を肯定し更に続けた。

「多くの者は目先のことしか見ておらぬ。近い将来のことでも、真剣に聞く耳を持たぬ者ばかりじゃ。結局、関心があるのは目先の損得だけ」

「しかし、それはこの世に生きとし生ける者の我欲というもので、致し方ございません。人は皆その日の食を考え、今を生き貫くことで精一杯なのです。理想で腹は膨れませんし、もし、理想で人を服従させようというのであれば、それこそ傲慢というものでございましょう。例え、国衆が全員、殿の命によって諾と頷いたとしても、その下で従軍している者の多くは土豪や農民です。その輩の行動には、多少のお目溢めこぼしをしてこそ、上に立つ将の器量というものです。殿から頂戴出来る路銀や税の減免だけで我慢しろ、と言っても、決して下々は納得いたしませぬ。それでも頑なに許さぬとなれば、戦の士気にも影響してしまいます。そうなっては元も子もございませぬ。殿のお気持ちを察するに、まさに断腸の思いでしょうが、ここは大局を見据えた判断が必要かと存じます」

「確かに、たとえ感状一枚貰っても腹は満たせぬ。それは分かっていても、何か妙策はないものかと考えてしまう。お主の考えは、関東の国々の安寧のためであれば、一時の民草の犠牲は致し方ないという結論になる。そのような犠牲の上に作った安寧などは、儂の義に反したものでしかない。儂が動けば動くほど、不幸な者が増えてしまうというのは、どうにも納得が出来ぬ」

 実綱は意を決し、言い切ることにした。それは、景虎の性格と気持ちが分るからこそ、吐露する心からの叫びでもあった。

「殿、そうであれば、殿がこの世を変えるしかないのです。詰まらぬことで争いごとが起こらず、平和で民が豊かに暮らせる世の中を、その手でつくるのです。殿はそのために、莫大な銭を惜しむことなく投じ、大きな犠牲も覚悟のうえで、戦に臨んでおられるはずです。しかし、その戦も決して、きれいごとでは済まされませぬ。戦では数多の将兵が傷つき亡くなるだけでなく、その残された家族が嘆き苦しみ、時には路頭に迷うことも珍しくありません。乱取りも戦の一部であると、それがしは心得ます。殿にはこれからも、戦に勝ち続けて頂かなければなりませぬ。そして、戦のない、乱取りなど必要のない世の中をおつくり頂きたいのです。人にはもって生まれた星があると申します。殿はこの乱世を終わらせて、民に安寧をもたらす、という宿命を背負って生まれてきた方に違いありません」

「儂はさように大層な器を持ち合わせてはおらぬ」 

 実綱は止めない。

「いいえ、殿は戦の神、幸福の神である毘沙門天様を崇拝なされ、毘沙門天様に対し、とある誓いを立てておられます。そのことに気づいているのは一部の近臣衆とこの与兵衛尉、そして、でございましょう。その誓いは全て、世の平安と繁栄、そして民草の幸せを心から願ってのこと。殿は激しいご気性の一方で、心根の優しい、誠実で仁愛に満ち溢れたお方でもあります。それがしは、そのような殿にお仕えしていることを、無上の喜びと感じております。殿のこれから歩む道は棘だらけの、修羅の道でございましょう。しかし、どのような道でありましょうが、この与兵衛尉が鬼にも邪にもなり、先頭を突き進んで参りますので、どうかご覚悟だけはしっかりとお持ちくだされ」

「与兵衛尉、わかった。もう何も言うな」

 景虎は嬉しかった。ここまで自分を理解してくれている者がいることを。そして、自分と共に修羅の道を歩んでくれる者がいることを。

 景虎は素直な思いを口にした。

「一命を助けて貰ったあの邂逅から、儂もお主には感謝しかない。どうして、お主一人を鬼に出来ようか。儂は今この時から、目指す理想の実現のため、鬼と化してでも、自らの信ずる道を堂々と歩んでみせよう。ついてきてくれるか」

「もちろんでございます」

 景虎に清濁併せ飲む覚悟が出来た瞬間だった。

 居住まいを正し、景虎は更に続けた。

「ここからは相談事ではない。そなたにだけは予め教えておこうと思った」

「はて、それは如何なることでございましょう」

「そなたの耳にも入っているとは思うが、信濃国のことじゃ」

 隣国信濃は近年、武田大膳太夫晴信の侵攻によって、甲斐の属国化が予想以上の速さで進行していた。

 特に天文二十一年(一五五二年)は、武田勢による北信濃への攻勢が強まるにつれて、信濃守護の小笠原長時や、義叔父の高梨政頼から、しきりに援軍要請を受けるまでの、緊迫した情勢となっていた。

 武田氏の系譜を辿ると、源氏の棟梁として名を馳せた源義家の弟、新羅しんら三郎義光が祖である。甲斐国に土着してからは姓を武田に変えて、代々守護として君臨してきた、謂わば、甲斐源氏の嫡流・名門である。

 父である武田信虎を駿河国・今川氏のもとに追放したうえで、後を継いだ晴信は、諏訪氏を騙し討ちにし、滅亡に追いやって後は、信濃侵略を着々と進めてきていた。

 信濃守護である小笠原長時は、天文十九年(一五五〇年)に、居城である松本城を追われ、北信濃の葛尾かつらお城主である村上義清を頼っていたが、その村上義清すらも、既に危うい状態だった。

 村上義清は上田原の合戦や、世にいう「砥石といし崩れ」で、二度にわたる晴信との決戦に大勝している。それにも関わらず、晴信の信濃国衆に対する切り崩し工作によって、味方と目された国衆から次々と裏切られ、今では孤立状態に陥っていた。

 高梨政頼は、景虎の叔母を妻としている北信濃の豪族である。これまでも、景虎の守護代擁立派の一人として、越後国内にも多大な影響力を及ぼしてきた。しかし、村上氏の葛尾城が落城した場合、いよいよ自分に武田の矛先が向いてくる、つまり喉元に武田の刃が届きそうな、切羽詰まった状況に置かれていた。

 さて、景虎の話は続く。

「村上殿の葛尾城は、どうやら落城寸前らしい」

「信濃への出兵も覚悟されましたか」

「いずれは避けられまい。甲斐という国は山に囲まれ海がない。塩や海産物は隣国駿河に頼っている。駿河国は近いが、今川は強敵なうえに同盟国でもある。攻め落とすことなど、余程のことがない限りは、当分は考えられぬ。そこで大膳太夫が取ったのは北進、すなわち信濃攻略じゃ。そして信濃の次は海を抱える我が越後に、触手を伸ばしてくるは必定。奴は、海に面する国が、喉から手が出るほど欲しいはず」

「なるほど」

「それに儂は、大膳太夫晴信という男が好きになれぬ」

「それは何故でしょうか」

「国衆や家来衆の支えがどれだけあったかは知らぬ。されど、守護である親父殿を騙して国外追放する、という大罪を犯している。確かに親父殿には、国主としての資質に欠ける行いがあったのかもしれぬ。しかし、やり方としては絶対に間違っている。南信濃の諏訪氏を、滅亡に追い込んだ時も、汚い騙し討ちだというではないか。しかも、滅ぼした相手の姫君を側室にしているという拙僧のなさには、呆れてものも言えぬ。村上義清殿に対しては、戦での勝ち目がないと判断するや、周りの国衆を唆し寝返りによって、信濃を手に入れようとする卑怯者ではないか。そのような奴を、儂は断じて許せぬ」

「殿のご気性であれば、まこと左様でございましょう。確かに、殿と武田晴信は水と油の如く、相容れぬ間柄と思われます。但し、そのような一本気ばかりで相対しては、老獪ろうかいな晴信に足元をすくわれましょう。信濃への出陣は、慎重を期することが肝要と存じます」

「それは弁えているつもりじゃ。心してかからねば、敵の思う壷となる。そこでじゃ、与兵衛尉には、これまで以上に負担を掛けることになる」

「何なりと仰せください」

「晴信は必ず、我が越後の国衆にも、懐柔の手を伸ばしてくるに違いない。むろん、儂も幻の者を動員して、国衆の動向を見張り、隙は見せぬつもりでいる。しかし、最も危ないのは越山や他国遠征の時とみている。この越後は統一され、一見落ち着いているように映っていよう。しかしながら、まだまだ儂の基盤は盤石とは言えぬ。残念じゃが、隙あれば儂に取って代わろうという、邪心を持つ者が、出て来ないとも限らない。そこで儂が国元を留守にする時は、与兵衛尉と新五郎殿(長尾政景)の二人を、留守居役の二大家老に任ずることにしたい。どうであろう、引き受けては貰えぬか」

「さようなこと、申すまでもなきことです。殿は命じて下さるだけでよいのです。ただ、上田の政景殿との関係は、その後如何でしょうか」

「あの一件以来、まるで人が変わったようじゃ。今ではお主に次いで、いろいろ尽くしてくれておる。峠道の整備も嫌な顔ひとつせずに、予定よりも早く仕上げてくれた。姉上との仲も睦まじいと耳にしている」

「それはまことに目出度きこと。あの時、温情を示した甲斐がございましたな」

「うむ、それも母の諫言があればこそであった。それが無ければ、儂は本気で上田長尾家を滅ぼしていたかもしれぬ」

「さすがの殿も、御母上には頭が上がらぬ様子ですな」

「そうだな、あらためて母の偉大さを痛感せざるを得ない」

 景虎は少し照れたように苦笑いを浮かべた。

たわむれを申してしまいました。それでも最終判断は、殿がなされたことです。実に賢明なご判断でした。では、この儂も新九郎殿との繋がりを、強くする必要がありそうですな。殿が武田大膳太夫という得体の知れぬ敵を相手に、対峙する以上は、我ら二人も互いを補うことこそが、一層重要となりますので」」

「よくぞ申した、頼りにしているぞ」

「お任せください」

「そのついでと言っては畏れ多いことだが、もう一つ話がある。儂は上洛するつもりじゃ」

「なんと」

 実綱は目をいて驚いた。それも無理からぬ話だ。

 戦国の世となってこのかた、うち続く戦乱で京は荒廃し、秩序は乱れ、治安すら覚束ない時である。このような中で、朝廷や将軍家への挨拶に、わざわざ上洛した国主の話など、聞いた試しがない。

 朝廷はもちろんのこと、既に幕府の権威も地に堕ちている。諸国では、己の利益だけを追い求めて争いが絶えず、それぞれの国が、なかば独立国の様相を呈していた。そのような当時にあって、実利が殆どないにも関わらず、わざわざ巨額の資金と月日を投じて上洛する意義などは、極めて希薄であり、景虎以外は誰も考えすらしないことだった。

 むろん、この背景には、越後の豊富な資金源があることを忘れてはならない。

上洛に当たっては、臨時の税徴収を行っているが、青苧や交易で生まれる利益や、通常の通行税収を相当蓄えていなければ、関東遠征と上洛の二つを、時を置かずに行うことなど、到底出来たものではなかった。

 上洛などという突拍子もない話を口にしたのは、一部の近臣と神余親綱以外には、実綱が初めてである。

 神余親綱は引き続き京に常駐し、朝廷や幕府との渉外担当としての役割を果たしながら、畿内及びその周辺の諜報活動で得た情報を、景虎の下にもたらしている。景虎は親綱から得た様々な情報を基に、自らの上洛計画を秘密裡に進めてきていた。

「さすがの与兵衛尉も驚いたか」

いささか」

「儂はこの世の秩序を、あるべき姿に正したいのだ。京には帝がおられる。その帝から武者の棟梁として政事を任された、公方様がいるにも関わらず今はどうか。公方様の家来や、またその家来といった輩が、好き勝手な振る舞いをしているという。先ほど、お主が申したような期待に、儂が応えられるかどうかは分らぬ。しかし、敬い尊ぶべきお方や、あるべき正しい秩序を蔑ろにして、武力と財力ある者だけが、我が物顔で跋扈ばっこしているこの世に、儂は一石を投じようと思っている。その手始めとして行うのが上洛じゃ。内裏に参内し、従五位下の位階を拝し奉った御礼を、帝に直接申し上げる。そして、叶うことならば公方様にもお目通りを願い出るつもりだ。義藤様のお力になりたいが、先ずはお会い出来なければどうにもならぬ」

「しかしながら、上洛には陸路・海路を進むにせよ、他国や領海を通ることになります。能登や加賀の一向宗徒という難敵も控えております。相当の危険を覚悟せねばなりませぬぞ」

「むろん、覚悟の上じゃ。これは予め断っておく。止めても無駄じゃ。儂の気持ちは既に固まっておる」

 ここまで言われては、実綱にもう反論の余地は残されていない。

「余程のご決心と拝察いたしました。お止めすることは叶わぬようでございます。しからば、先ほど拝命したばかりではございますが、殿の名代としての務めを、見事果たしてご覧にいれましょう。隣国や不穏な動きをする国衆には目を光らせ、殿が帰国される迄は、必ずやこの越後を無事守り抜く所存。但しです」

「但し、何じゃ」

「万が一にも、旅の途中でお命を落とすなどという失態なきよう、従前の備えは万全に整えて出立なさるのですぞ。殿には先ほど、わが命を預けたばかり。その方に万が一にも、先立たれることがあっては、もう生きてはゆけませぬ」

「わかった、それは約束する」

「殿は時折、誰も考えつかないような突飛なことを言い出すので、こちらは幾つ命があっても足りませぬ」

「それは済まぬ。しかし、それは儂のような者に仕えることになった、自分の身を恨むがよい。話はこれで終わりじゃ。些か疲れた。今日はその疲れを癒してくれるのであろう」

「もちろんでございますとも。久しぶりにゆるりと、御酒を召し上がりください。喜んでお相手いたしましょう」

 言うが早いか、膳が運ばれてきた。景虎来訪の報せを受けて、実綱が直ぐに命じたことは、宴の用意だった。

 晴れやかな表情の景虎を見るのは、いつ以来であったか。実綱は考えたが思い出せなかった。


 寒い夜の酒は、臓腑に染み渡る。

 守護代という立場から離れて、ひとりの男として、実綱と交わす酒は実に旨い。他の誰も挟むことなく、互いに遠慮も要らぬ。唯一無二の相談相手でもある実綱に、全てを打ち明けた後で飲む酒は、また格別だった。

 ついつい酒量も進み、度を越してしまった気がしている。

 酒量に比例して気持ちが高揚するなか、胸の奥底に沈め自ら蓋をしていた気持ちが、沸き上がってくるのを、景虎は抑えられなくなっていた。

 他ならぬ蒼衣への恋慕の情である。未だ嫁に行っていないらしい。何故、嫁ごうとしないのかも分からない。

 一方の実綱も、愛おしい娘のために、何もして上げることの出来ない自分を、密かに責め続けていた。蒼衣が心密かに景虎を慕い続けており、如何なる良縁が舞い込んでこようが、今日まで他家に嫁ぐことを固辞してきた、その気持ちは痛いほど分っている。

 景虎に対する想いを決して口に出すことはない。そのいじらしさが実綱にとっては、尚更、辛いものになっていた。

 景虎が妻帯しない理由を、蒼衣も知ってしまっている。景虎は国の安寧と戦勝を祈願し、そのために妻帯はもちろん、女人との関係をも絶つ、という堅い決意を、毘沙門天と御仏の前で誓っている。

 以前、蒼衣に仕える侍女が、景虎と実綱の話を耳にしてしまい、それを伝えてしまったらしい。以来、蒼衣の生来の快活さは、なりを潜めてしまった。近頃は、思いつめたような態度ばかりが際立っていた。

 実綱は蒼衣の幸せを願い、思いを遂げてあげたい気持ちでいっぱいだった。景虎に何を言われようが、傍に置いてあげたかった。しかし、それすら景虎が拒むのは分かり切っている。蒼衣の想いを、何一つとして叶えて上げられない、父親の無力さに苛まれていた。

 景虎の御前で嬉しそうに笛を奏でる、かつての蒼衣の姿を、懐かしく思い出す。その蒼衣は、目と鼻の先にいながらも、今も城の片隅で会うことすらはばかり、ただひたすら景虎のことを思い続けているのかと思うと、今にも胸が張り裂けそうになる。

 酒が進むにつれて、実綱の心も、風に舞うしだれ柳のように揺れ動き、自らの気持ちを抑えることに必死だった。

 こうして、景虎と実綱、それぞれの思いが擦れ違うなかで、平静を装いながら気持ちの昂ぶりを糊塗するうちに、夜は更けていった。

 やがて、景虎が静かに盃を置く。何事かを言おうとするのが分かった。

「蒼衣殿に一目会って話がしたい。案内しては貰えぬか」

 実綱にとっては、思いがけない景虎の一言だった。

 景虎の蒼衣を想う気持ちが、堰を切った鉄砲水のように、溢れ出た瞬間だった。

「承知いたしました」

 冷静を装いながら立ち上がると、実綱は城内を先導した。

 たとえ、ひと時だけでも良い、蒼衣の願いが叶うのであれば、実綱はそれで充分だった。

 蒼衣の部屋は、微かに御香が漂い、あたかも予め訪いを告げていたかのようだ。あるいは、一途に願っていたのかもしれない。その気持ちがいじらしかった。

 蒼衣は、突然の訪いに一瞬驚き戸惑いながら、居住まいを正して景虎を招き入れた。

 こうして会うのは、いつ以来であろうか。大人の趣を増して、一層佳麗さが際立った蒼衣の姿に、景虎の心は騒いだ。

「ようこそ、お越しくださいました」

「今日は親父殿に多々相談事があって、急ぎ駆けて参った。良き話が出来たせいか、その後は些か御酒を過ごしたようじゃ」

 愛おしい蒼衣の前で、自分は何と詰まらぬ話をしているのだ、と景虎は内心自らを恥じた。

「さようでございましたか」

 蒼衣の表情は涼やかなまま、眼差しを景虎だけに向けている。

「知っての通り、儂は幼くして父とは死別している。そのせいか、親父殿が父親のように思えてしまい、つい甘えてしまう」

「父も私の顔をみると、いつも貴方様のお話ばかり。父にとっての生き甲斐は、貴方様おひとりでございますから」

「有り難い話だ。しかし、そなたのことも大事に思っているはずじゃ。儂にはわかる。儂もそなたを大事に思っている」

 景虎は自分の口から出た言葉に驚いていた。酒の勢いとは言え、大胆にも心の奥底に秘めて来た想いを、つい口にしてしまった。

「えっ」

 蒼衣は俯いて黙り込んだままだ。どうする、乙女心など露も知らぬ景虎だ。こうなったら、思うがまま、突き進むしかない。

「そなたはわしが嫌いか」

 顔を横に振る蒼衣をみて、更に続ける。

「突然驚いたであろう、済まなかった」

 蒼衣は依然うつむいたままで、その表情はつかめない。

「儂はそなたのことを、蒼衣殿のことを、この世で誰よりも愛おしいと思っている」

 その瞬間、膝に置いた蒼衣の手のひらが、静かに握られるのがわかった。

「しかし、儂はこの越後を争いのない平穏な国にしたい。武士だけではない、民も皆が豊かで仲良く暮らせる国にしたい。そのために儂は毘沙門天様と仏様にお誓いした。妻帯はもちろん、女人とは一切交わらぬことを。だから、済まぬ。どんなに大切で愛おしいと思っていても、そなたを幸せにすることが出来ぬ」

 ようやく上げた蒼衣の顔は涙で溢れている。落ちた滴が纏った朱色の打掛に零れ落ちて、その箇所だけ一層深い赤みを際立たせていた。

 蒼衣は表情を和らげ、優しい眼差しを景虎に向けた。

「嬉しゅうございます。私も今日まで、貴方様のことを密かにお慕い申し上げて参りました。貴方様のことは、一日たりとも忘れたことはございませぬ。されど、貴方様はこの越後にいなくてはならない一番大事な御方。私などの想いが妨げになってはと、心の奥底に秘めて参りました。たった今、貴方様のお心の内をお伺いして、もう思い残すことはございません。ようやく決心がつきました」

「何じゃ、その決心とは」

「仏門の道に進もうと存じます。貴方様が私のことを想ってくださる以上に、私はこれからも貴方様のことを想い続けて参ります。そして、貴方様に神仏の御加護あれ、と生涯祈り続けながら、御仏にお仕えして参るつもりです」

 蒼衣が吐露した景虎への真っ直ぐな気持ちを聞いて、嬉しいと思えたのはほんの束の間だった。御仏の道を歩むということは、俗世を捨てるということであり、生きて二度と会うことはないという覚悟の表れでもあった。自分がそこまで蒼衣を追い詰めていたとは。自分は何という大馬鹿者だ。景虎は激しく狼狽しながら、自責の念に駆られていた。

「待て、そのように早まるものではない。器量よしのそなたであれば、数多嫁ぎ先もあろう。儂のために一生を棒に振るなど、儂自身が決して望むことではない。どうか考え直しては貰えぬか」

 景虎の必死の説得も、蒼衣の固い決心の前では何の意味もなさない。

「いいえ、たとえ貴方様の命であったとしても、私の決意が動ずることはございませぬ。私の幸せは貴方様の御心と共に有り続けます。私の心は何処にいても、貴方様と共に生き続け、貴方様を生涯お支え申し上げます。貴方様の夢が叶うことを共に願い、祈ることこそが我が本望でございます。貴方様が私のことを想っていて下されたことを、生涯の大切な思い出として生きて参ります。それこそが、私の唯一の幸せなのでございます。この我が儘を、どうかお許しくださいませ」

 景虎は蒼衣の頑ななまでの決意を聞き、愕然としていた。

 自分は国の安寧を希求し願をかけ、その代償として、自らの煩悩を絶つことを、神仏に固く誓っている。

 しかし、その願かけは一人の愛おしい女性をも、幸せに出来ぬという悲しい現実と引き換えであった。それは分かっていたつもりだった。しかし、今は蒼衣という愛おしい人を目の前に、あらためてその現実に向き合うことになっていた。景虎は自らの無力さを、つくづく痛感せざるを得なかった。

「許せ」

 景虎は蒼衣の肩を静かに抱き寄せ、一言詫びることしか出来ない自分を恨んだ。蒼衣の細く透き通るような白い手が、景虎の胸元に添えられてきた。甘い髪の香りが、景虎の心を揺さぶる。景虎は己の煩悩と闘っていた。

 二人は静かに抱き合ったまま、時の流れが止まったかのように動かない。

この時が永遠であって欲しい、という想いは、儚い夢と分かっている。二度と訪れることのないこの瞬間を大切に噛みしめるように、二人はいつまでも離れなかった。

海から吹き寄せる初冬の潮風が、時折もの悲しい音とともに、戸を揺らし続けていた。

 天文二十一年(一五五二年)十二月、年の瀬も押し迫る頃、与板城の実綱から春日山城の景虎のもとに一通の書状が届けられた。

 蒼衣が髪を下ろし、善光寺に独り静かに旅立ったとの報せだった。


 

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