第2話 黎明の章

  *虎千代


「参りました、虎千代さま」

 虎千代は聡明で腕白な童だ。いつも弓や木刀を手に持ち、駆け回っては、近習を難渋させている。

 この日も木刀を手から離して、降参を申し出る近習に、幼い虎千代は不満げな様子だ。

「彌太郎、おぬしが手を抜いて、わしを勝たせようとしているのは分かっておる。そんなことでは、わしは強くなれぬ。わしが簡単に討ち死にしても良いのか。もっと本気で戦え」

 このような会話が交わされるのは、日常茶飯事のことである。虎千代の童らしくない物言いは、近習たちをいつも困らせていた。

 彌太郎とは、小島彌太郎貞興のことである。武芸に秀で、既に「鬼小島」の異名を持つ程の若者であった。その彌太郎ですら、手加減せずに、もしも虎千代に怪我でもさせようものならば、命がいくつあっても足らない、と考えるのは当たり前だった。

腕白なのは良いが、利発すぎるのも困ったものじゃ。

 心の中でそう叫ぶものの、口外出来ぬ辛さに、耐えるしかない日々である。

 また、ある時は弓場でのこと。虎千代が同じく近習の金津新兵衛を困らせていた。

「新兵衛、これはまことの矢にあらず。矢尻がついてはおらぬ。かような矢では敵を倒して手柄を立てることが出来ぬ」

「虎千代さま、もう少し大きくなられましたら、本物の矢を使ってお教えいたしましょう。それまでの辛抱でございますぞ」

「なぜじゃ、なぜ未だ本物の矢を使えぬ。わしはこの通り弓を引けるぞ」

 とは言え、虎千代が手にしている弓は、もちろん幼子用だった。

「畏れながら、虎千代さまのお力では、矢がいずこに飛んで参るか、未だ定まってはおりませぬ。とても危険でございます。どうか了見くださいませ」

 そう言われても、未だ幼子の虎千代が、分かるものではない。

「いやじゃ、いやじゃ。わしはちゃんと引ける、引けるぞ」

 こう言っては泣きじゃくる虎千代に、手を焼くのが日常茶飯事だった。

 春日山城内では、こうして腕白な日々を過ごす虎千代だったが、母である「虎御前」の前では、借りてきた猫のように、おとなしく聞き分けの良い童を演じていた。

 虎千代の腕白ぶりを時折耳にしている母は、愛おしい我が子を前に、優しく諭すのであった。「虎千代、近習たちを困らせてはなりませぬぞ。皆はそなたのためを一番に思って、いつも優しく面倒を見てくれているのですよ。そのような皆の気持ちが分らぬようでは、決して良き大将にはなれませぬ。そなたが近習らの言うことをよく聞いて、大きくなってくれることだけが、母のただひとつの望みなのです。分かりますね」

「そうなのですか、母上。虎は早く強き武将になりたいのです。そして、父上や兄上のお役に立ちたいのです。だから、彌太郎や新兵衛たちに、いろいろとおねだりしているのです。このままでは、虎は決して強くなれませぬ」

「そなたのことは御仏が、必ず見守って下さっていますよ。だから、決して焦ってはなりませぬ。そなたの周りの近習たちは、父上が直々に選んだ優れた者ばかりです。皆の言うことに従って、毎日励めば、必ず父上のような立派な武将になれるはずです」

「母上、それはまことですか」

「母がそなたに嘘を言うとお思いですか。さあ、そなたも御仏に手を合わせて祈るのです。それから、彌太郎や新兵衛には、明日ちゃんと詫びるのですよ」

「はい、母上、虎が間違っていました」

 幼い頃から、虎千代は信心深い母親の影響を受けて育っていく。しかし、生来の負けん気の強さと剛毅な性分が、決して変わることはなかった。

 幼少期の虎千代は、屋敷の中でじっとして文机に向かい、書の手習いをすることなどは、最も苦手とするところだったが、屋敷内での楽しみの一番は将棋だった。刀稽古に疲れると、近習の秋山源蔵や黒金孫左衛門らと将棋盤を挟んで対局に夢中になっていた。

「その手は待て、孫左。前の一手はわしの手元が狂ってしまったせいじゃ」

「虎千代さま、『待て』は言ってはなりませぬぞ。戦に『待て』などございませぬ故に」

「なぜじゃ。なぜ駄目なのじゃ」

「もしも、虎千代さまが戦場で、大将として一手を間違えたから『待て』と言っても、敵は聞いてくれますか」

 下を向いて答えに窮する虎千代に対して、黒金孫左衛門は敢えて追い打ちをかけるように、言葉を続けた。

「もしも、時すでに遅いとなれば、何百何千という尊い兵の命に関わるのです。この将棋を戦場と思い、一手一手を真剣に考えて打つのです。これからも、さような言い訳をするようでは、立派な御大将にはなれませぬ」

 武芸とは異なり、将棋においては、当時の英才教育の一環として、近習が遠慮することはなかった。幼い虎千代に対しては酷と思いながらも、心を鬼にして孫左衛門は叱咤していた。

 武者稽古以外に、もうひとつ虎千代が熱中出来たことがある。それは「平家物語」「義経記」「吾妻鏡」を基にした源義経の生涯を、物語として聴くことだった。この役回りは専ら戸倉与八郎である。

 牛若と呼ばれた幼少期の鞍馬山での修行、京の五条大橋での武蔵坊弁慶との邂逅かいこう、奥州平泉における藤原秀衡への敬慕、兄・頼朝との涙の対面、一の谷戦大勝利、屋島から壇ノ浦戦へと続く平家討伐の過程を耳にしては、胸を躍らせ目を輝かせた。

 特に、鵯越ひよどりごえの逆落としや壇ノ浦での八艘飛びは、軍事的天才の名を轟かせた源義経の象徴とも言える活躍ぶりであり、虎千代の心を大きく揺さぶった。また、頼朝との深い確執から、遂には追討される身となり、最期は衣川で果ててしまう悲劇を聞き大いに嘆き涙した。 

 後年、皮肉にも、頼朝・義経兄弟の如く、兄・晴景と対立することになるなど、幼い虎千代にとっては、思いもしない話だった。

 ともあれ、この時ばかりは、虎千代がいつも真剣な眼差しで、もの静かに聴いてくれるので、近習も安心だった。まさか、虎千代が自らを義経に置き換え、近習たちを武蔵坊や佐藤忠信や伊勢義盛といった、家来衆に擬えて想像を膨らませているとも知らずに、である。

 こうして、虎千代は春日山城内での幼少期を、成長を温かく見守る近習との穏やかな暮らしの中で過ごしていった。傍にはいつも慈悲深く、愛情を注いでくれる母親がいた。

しかし、絵に描いたような幸せが、長く続くことはなかった。

 穏やかな生活の終焉しゅうえんは、突如林泉寺への預け入れという形で、虎千代の前に突然訪れてしまった。

越後国内動乱の渦は、幼い虎千代の身をも、巻き込んでいくことになる。


  *林泉寺


 林泉寺は、虎千代の祖父である長尾能景が、明応七年(一四九八年)に建立した禅寺である。能景の父である重景十七回忌に建立したと言われ、曹洞宗大本山・永平寺の末寺として厳しい修行を課することで有名だった。

 この時の父・為景は四面楚歌の状況に追い込まれ、まさに危機的な状況に陥っていたから、嫡男である晴景を含めて、万が一のことを念頭に置いていた。つまり、自身に万が一のことがあったとしても、僧門に入っている虎千代に危害が及ぶことは先ず考えられない。

 また、もしも自分や晴景に危害が及んだ場合、幼少ながらも大器の片鱗を垣間見せていた虎千代に、府内長尾家再興を託そうという意図が密かに働いていた。

 むろん、この時代に、武家の男子を僧門に入れることは、決して珍しいことではない。最も多い理由は、成人後の兄弟間の争いを防止するためである。

 しかし、虎千代の場合は、兄である晴景とは父子間程の歳の差があり、晴景が病弱で気弱であることから、先ずは才ある虎千代の命を第一に考えた親心だった。

 後年、その為景の意向を汲んだ兄・晴景が、虎千代を還俗・元服させて、古志郡司として栃尾城に遣わすことになるのは、まだ先の話となる。

 さて、父為景の命によって、虎千代は林泉寺に預けられるが、この時未だ七歳の幼子である。愛おしい母親や近習衆との別れは、それが武門の習いとは言え、幼い虎千代にとって、どれほど辛く心細く悲しかったかは、想像に難くない。

 林泉寺は春日山城の麓に位置し、大人にとっては目と鼻の先の距離と言える。しかし、寺境内から一歩も出ることが叶わない、幼子の虎千代にとっては、天と地ほどの異世界に連れてこられた、と感じたことであろう。 

「和尚さま、虎千代は城に帰りとうございます。母上や父上にお会いしとうございます。彌太郎や新兵衛と武者稽古もしたい、孫左と将棋もじゃ」

 これ以上は言葉にならない。虎千代の思いは大きな涙となって、膝に滴り落ちていた。それでも泣き声ひとつも出さず、手のひらをぐっと握りしめたまま、下を向いて堪えている幼子の様子には、さすがの天室光育和尚も、不憫でならない。

「虎千代さま、さような泣き言を御父上や御母上がお聞きになったら、なんと嘆き悲しむことでしょう。好き好んで、大事な我が子を手放す親などおりませぬぞ」

「では、なぜ、わしをこのように、寺に預けてしまったのじゃ」

「それは、虎千代さまの将来を考えてのこと。拙僧に任せて、様々なことを学んで欲しかったからでございますよ」

「それならば、和尚さまが城に来て、教えてくれれば済むのではないですか」

「いいえ、それは違います。拙僧と寝食を共にして、これまでの恵まれた生活とは、かけ離れた修行をしてこその学びでございます」

 虎千代は下を向いたままだ。

「御父上や御母上は、まさに断腸の思いと言い、はらわたが切り裂かれるような辛い思いをして、虎千代さまを拙僧にお預けくださいました。そのようなお二人の思いを、虎千代様は決して無駄にされてはいけません。それとも、そのような親不孝を虎千代さまはお望みですか」

「では、父上と母上は、わしのことを思って、和尚さまに預けたのですか。和尚さまの言うことをきいて修行すれば、いずれは城に戻れるのですか」

「さようでございますとも。但し、拙僧の言葉に耳を傾け、厳しい修行にも耐えることが出来なければ、いつまでも寺の小坊主のままですぞ」

 目の周りを覆っていた涙を手の甲で拭うと、虎千代は天室光育の顔をみて、はっきりと応えた。

「わかりました、和尚さま」

 こうして、虎千代の林泉寺における、厳しい修行生活が始まった。

 これまでの恵まれた生活とは真逆の異なる環境に放り込まれた虎千代だったが、人生の師ともなる天室光育和尚との出会いによって、稀代の名将としての素養を、これから一歩ずつ身につけていくことになる。

 修行期間中、虎千代は天室光育より、四書五経を学び、禅の修行から、生死を超えた境地を開眼している。また、漢詩や和歌の素養も授けられた。城にいた頃は全く身につくことがなかった書の才能にも、目覚めていくことになる。

 天室光育が名僧と言われる所以は、虎千代が守護代家の男子という意識が根底にあったにせよ、その聡明な才を慧眼して、仏道だけに固執せず「孫子」を中心とする軍法書をも授け、武術稽古も推奨したことだった。また、やがて虎千代が、笛や琵琶といった芸能にも通じ、多様な才能を発揮していくのは、この時期の天室光育の教えなくしては、到底考えられない。

 和尚は、この時すでに還暦の齢を遥かに上回りながらも、まだまだ意気盛んである。虎千代の将来を見据えて、時には厳しく、また時には温かく包み込むような愛情をもって育んでいった。

 ある時、天室光育は虎千代に向って、こう説教した。

「虎千代さま、良き武将であり、政事(まつりごと)をなす者は、常に謙虚で誠実、信義を大切にして、仁愛を貫かなければなりませぬ。そのためにも、日々心穏やかに自らを律するとともに、心身ともに鍛えることこそが肝要です」

「和尚さま、信義とは何でしょうか」

「虎千代さまは弱い者いじめをどう思いますか」

「嫌いです、許せません」

「もし、弱い人が助けて欲しい、と頼ってきたら何といたしますか」

「助けて差し上げとうございます」

「では、裏切りをどう思いますか」

「いやです。絶対にしてはいけないことだと存じます」

「自分は旨いものを沢山食べているのに、家来や民が貧しい生活をしているのはどうですか」

「決して許されることではないと思います。家来や民が良い暮らしになって初めて、豊かな暮らしが許されるのだと思います」

「その通りです。いま、虎千代さまがおっしゃられた全てのこと、それが信義の意味するところです。今のそのご立派なお気持ちを、決して忘れてはなりませぬぞ」

「はい、和尚さま。この虎千代、信義というものを、心に刻んで生きて参ります」

 それからも厳しい修行に耐えて、日々虎千代は成長していく。

そんなある日の夜、虎千代の身に不思議なことが起きた。

「ここはどこじゃ」

 見上げれば、雲一つない空に下弦の月が浮かび、周囲を明るく照らしていてくれている。その月明りを頼りに細い夜道を歩いていくと、向こうにひとつの御堂がぽっかりと浮かび上がってきたではないか。

 虎千代は引き寄せられるように、その御堂の前まで歩み寄ると、観音開きに戸が開いた。手は触れていない。

 目を凝らして見ると、中では修験者か、はたまた僧侶なのか、大きな像の前でひとり禅を組み瞑目しているようだ。

 その大きな像は、どうやら甲冑で身を固め、矛らしき武器を手に恐ろしい形相でこちらを睨んでくる。足元に目を移すと、邪悪な鬼らしき者を踏みつけて、懲らしめているようだ。

 虎千代は更に歩を進め、修験者らしき者の後ろに恐る恐る立ってみた。

 その時だった。像の目が碧い光を放ちながら、かっと見開いたではないか。

それに驚いた虎千代は「あっ」という自分の声で飛び起きた。いつの間にか、身体はびっしょり汗で濡れている。

「夢か」

 このような夢を見るのは、初めてのことだった。

 これは何かの暗示ではないかという好奇心と恐怖心から、翌朝、天室光育和尚にその夢のことを話すと、意外な返事が返ってきた。

「虎千代様、それはきっと毘沙門天様でしょう」

「毘沙門天様」

「虎千代様は未だご存じではなさそうですな。北方を守り司る戦の神様です」

「その神が何故、儂の夢に現れたのじゃ」

「はて、それは拙僧にもお答えいたしかねます。しかし、これはおそらくですが、毘沙門天様が虎千代様に何事かを、お伝えしたかったのでございましょう」

「はて、何事とは。毘沙門天様がわしに何を」

 虎千代が考え込んでも、思いつくわけでもなかった。秋の乾いた心地よい風が、子弟の間を通り抜けて、庭木や草花を躍らせている。

 その後、虎千代が同じ夢をみることはなかった。これまで通りの厳しい修行の毎日に、明け暮れることになる。


  *父の死


 話は少し遡る。虎千代を林泉寺に預けて間もない天文五年(一五三六年)八月のこと、長尾為景は突如として家督を嫡男晴景に譲り、自身は隠居した。

 これは、反対勢力が拡大し、八方塞がりとなった為景の完敗を、世間に宣言したに等しい行為だった。しかしながら、それでも越後国内の内紛は、一向に収束の目途すら立たなかった。

 特に上田の長尾房景は上条定憲とともに、反・為景派の国人衆を糾合していた。為景の隠居はあくまで形式的なものであり、依然として実権は為景にあり、と読んでいたからである。

 為景は、彼らが一向に矛を収めようとしない以上は、春日山と反対勢力との緊張関係が続くだけでなく、国難が打開出来ないと判断した。考え抜いた挙句に、為景は残されていた「奥の手」に手を伸ばすことにする。

 為景は焦っていた。自身が既に不治の病に侵されていることを、自覚していたからだ。時折腹部を疝痛が襲う。また、血便が混じるようになっていた。疲れやすく顔色も良くない日々が続いている。

 この病魔が自分の身体を食い潰す前に、何としても国内の安定化を図り、府内長尾家の安泰を手に入れたいという為景の執念だった。

「奥の手」、それは虎千代の姉である未だ十歳の娘・綾姫(後の仙桃院)を、長尾房長の嫡男・新六(後の政景)に嫁がせることを条件とする、和議の申し入れだった。綾は事実上の人質となる。

 この和議の内容は上田長尾家にとって、決して悪いものではない。守護代家との親戚関係によって、自身の国衆内での優位性を高めることが出来るからだ。

そのうえ、長く続く内乱の疲弊は、越後国人衆全員が抱える悩みの種でもあり、この疲弊からようやく解放される、というのが一番の本音だった。

こうして、天文六年(一五三七年)双方間の和議が成立する。これによって、足掛け四年という長きにわたって続いた「越後天文の乱」が、ようやく終結することになった。

 しかし、越後に平和が訪れたことを喜んだのも、束の間だった。またもや思わぬところから綻びが生じ、国内を分裂させる事件が勃発する。

 その事件とは、守護の継嗣問題だった。為景から晴景への守護代交替で、守護としての存在感が、自ずと増した上杉定実である。しかしながら、定実は子宝に恵まれず、また高齢であることから、養子を迎え入れて、守護後継者を早急に決める必要に迫られていた。

 上杉定実は国内国衆から養子縁組することは、内乱の要因でもあることを憂慮し、養子先を国外に求めた。それが出羽国・伊達植宗の三男である時宗丸である。

 時宗丸は、伊達植宗と揚北衆の中条氏の娘との間で、生まれた男子である。中条氏と言えば、揚北衆の中では珍しく、常に親・為景派として与してきたから、当然のこととして、守護代家は賛成に回った。

 しかし、伊達氏と国境を接し、常に侵攻の危機に晒されている他の揚北衆が、黙っているはずがなかった。揚北衆は挙って、時宗丸の擁立に反対の意向を表明する。

 これによって、守護とその親戚筋に中条氏、それに守護代家が加わる賛成派と、揚北国人衆の反対派という対立構図が、自ずと出来上がってしまう。またもや、国内で一触即発の危機を生んでしまったのだ。

 そして、天文八年(一五三九年)、恐れていたことが、武力衝突という形で、現実のものとなってしまった。伊達氏が越後下郡に侵攻することがきっかけである。

 この伊達氏の越後侵攻に対して、為景の動きは迅速だった。たとえ時宗丸擁立賛成派として、同じ立場とは言え、他国からの武力侵攻による介入ならば話は違う。

 大いに危機感を募らせた為景は、朝廷に対して速やかに働きかけ、「敵すなわち伊達追討」の綸旨りんじを発給頂くことに成功する。

 これが揚北衆に対して、実に大きな効果を発揮した。この綸旨には、これまでと違い、為景の恣意的な意向が全く混ざっていないからだ。

 この綸旨によって、揚北衆による軍事行動が瞬く間に鎮静化した結果、戦う相手を失い、大義名分を無くした伊達軍は、おとなしく自国に撤退せざるを得ない。

 天文九年(一五四〇年)、こうして時宗丸騒動は一旦終結するが、為景の命運もここまでだった。

 既に身体もやせ細り、床に就いている時のほうが多くなっていた。それでも、「国内分裂回避と他国侵攻阻止」だけは、自身の手でやり遂げなければならない、という一念でのみでその生を保っていた。

 その執念が実を結んだ今、そして生き長らえる目的を失った今、為景の命はまさに風前の灯火だった。父・長尾能景の戦死を受けて、急きょ十八歳で家督を継ぎ、戦と政争に明け暮れた為景の生涯も、遂にその終焉を迎えようとしていたのである。

天文九年十二月、後継の晴景・次男の景康・それに林泉寺から危篤の報に接して駆けつけた虎千代の兄弟三人が、為景の枕元に揃った。

 為景は残っている限りの力を振り絞り、か細くも最期の言葉を息子たちに与えた。

「虎千代、そなたの成長は和尚から聞いておる。今は戦も一息ついてはおるが、儂が死ねば儂に反攻する国衆がいつ牙を剝いて、この春日山を襲うかしれぬ。それに、そなたは知らぬことであろうが、御屋形様の後継問題が未だ定まってはおらぬ。そこで、そなたは林泉寺を離れ、栃尾の瑞麟寺・門察和尚を頼って行け。既に和尚からはいつ来ても良いとの返事が来ておる。安心して赴くがよい」

「父上、虎千代は今すぐにでも元服して、兄上のため、そして越後のために働きとうございます」

 涙を堪えて虎千代が必死に訴える。

「それはならぬ。そなたはもう少し修行し、まだ色々と学ばねばならぬ。守護代はおるか」

「はい、ここに」

 晴景が為景にすり寄り、やせ衰えた手を握って応えた。

「晴景、虎千代を還俗させるか否かは、お主に任せる。数年後の成長をみて、お主が判断するのじゃ。良いな」

「ははっ」

 青白く、いかにも病弱そうな顔の晴景ではあるが、それでも声を張って返事をした。

「もし、虎千代が武将として心許ないと判断したのであれば、そのまま坊主として生涯を全うさせるのもよし」

「父上、虎千代は嫌でございます。栃尾で一所懸命修行に勤め、成長の暁には還俗して、必ずや兄上をお支えしてみせます」

「うむ、励むがよい。そなたの成長は、あの世からしっかり見守っているぞ。そして、景康」

「ははっ」

「晴景は病弱ゆえに、そなたが兄を補佐して、越後と府内長尾家の安泰のために尽くすのじゃ」

「承知しました。父上、そのように数多お話されては、お身体に差し障りがございます。もう何も言わずお休みください」

 自分では笑みを浮かべたつもりだが、果たしてどうだったか。為景は目を閉じた。暫くの後に、為景の閉じた目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。 

 肝心の晴景が病弱なうえに気が弱いときては、とても上田や上条、そして揚北衆には太刀打ち出来まい。景康は凡庸で、ああは伝えたが、晴景の補佐役などとても務まるとは思えぬ。 

 虎千代が唯一希望の光なのだが。

 もしも、儂の命があと数年持つのであれば、虎千代を還俗させ、晴景の補佐役として育てることも出来ようが、今となっては、それも叶わぬ身となってしまった。虎千代のことだけが実に口惜しい。

 すまぬ、お虎よ、虎千代よ、幼きそなたを残して逝く父を許せ。世が平らかであれば、そなたを寺になど出さずに、儂のもとで育ててやれたものを。元服する凛々しいその姿を、この瞼に確と焼きつけたかった。しかし、今となってはそれすら叶わぬ夢か。儂亡き後の越後が果たしてどうなるのか。これも戦国の世の習いとはいえ無念でならぬ。


「ここは何処か」

 周りの景色に記憶はない。いつの間に、春日山から出てきたのだろうか。

 枯れすすきが、辺り一面に広がっている。冷たい北風が、そのすすきをざわざわと音を立てて揺らしている。冷え切った四肢には、一層堪える風だ。

 気がつくと、周りは敵、敵、無数の一向宗徒が儂を取り囲んでいる。奴らが無言のまま徐々に距離を詰めて来た。誰もが生気のない眼差しで、儂を見ている。その薄汚れた手には、手入れの行き届いていない刀や槍、なかには鎌や鍬を携えている。もはや、逃げる隙間はない。行く手を完全に塞がれた。

 覚悟を決めて、長刀に手をかけようと試みるが、意に反して体が全く動かない。もはやこれまでか、と観念したその時、遥か彼方から、一向宗徒の囲みをかき分けて、一人の鎧姿の武者がどんどん間近に迫ってくる。

『父上』

 叫ぼうとするが声にもならない。

 そうか、ここは越中・般若野。

 その能景らしき武者は、為景の前まで来ると、無言のまま為景を凝視し仁王立ちしている。

『父上、儂は仇を討ちましたぞ』

 どうにも、言葉にならない。

 やがて、武者は表情をひとつ変えず、きびすを返し去っていく。

『お待ちください、父上。共に参りましょう。越後統一は叶いませんでしたが、己の限りを尽くして生き抜いたつもりです』

 為景は童心に返ったように、夢中で武者の後ろ姿を追いかけた。


 天文九年(一五四〇年)、年の瀬も押し迫るなか、越後第十代守護代・長尾為景は、こうして波乱の生涯を閉じた。享年五十二歳。

 常に内憂外患を抱えて、奔走し続けた生涯であった。積み残した多くの難題は、次代を担う者に、自ずと託さざるを得ない。

 これからの越後は、暫く虎千代の成長を待つことになる。この時、虎千代十一歳にて、歴史の表舞台に登場するまで、もう数年が必要であった。


  *栃尾へ


 為景の葬儀は厳戒態勢のなか、粛々と執り行われた。越後守護代として一時代を築いた者の葬儀としては、極めて質素で参列者の数も寂しいことになった。

 再び上条氏が挙兵し、春日山城下に攻め寄せてくるという噂話が、まことしやかに流布されたこともあって、常に緊張感が漂うなかでの執行だった。

 虎千代も仏門に仕える身とは申せ、万が一のことを考えて、物々しい甲冑姿で参列するという異例尽くめの葬儀となった。

 未だ十一歳の虎千代にとって、父為景の死は簡単に受け入れられる現実ではない。しかしながら、久しぶりに会う母や、かつて近習として仕えていた者たちの手前、精一杯強がって振る舞い、涙を堪えて葬儀に臨んだ。

 喪に服した母は、悲しみと疲労のせいか、やつれた表情をしている。それでも、虎千代の姿に気づいた母は、気丈な振る舞いを装い、静かに話しかけてきてくれた。

「虎千代、随分大きく立派になりましたね。亡き父上の命で、近々栃尾に赴くと聞きました。栃尾に行っても、しっかりと修行に励むのですよ。この母にとっては、そなたの成長が残された唯一の希望です。この母のためにも、どうか身体を労り、達者でお暮らし下され」

「母上、虎千代は未だ修行の身ですが、必ず武者として、この城に戻って参ります。それまでは、母上もどうかご健勝で。帰りを楽しみにお待ちください」

「そのように、母を喜ばしてくれることを言えるまでに、成長したのですね。何と嬉しいことでしょう。その言葉を信じて待ち続けましょう。何度でも言いますが、身体を一番に考え、新たな和尚様の教えを信じ、お勤めに励むのですよ」

 やつれた母の頬に少し赤みが差し、顔には優しい笑みが浮かんだ。お互いが寂しい想いを押し殺しての、安らぎを覚えた瞬間だった。


 上条勢が挙兵して攻め込んでくることもなく、単なる杞憂に終わり、恙無く為景の葬儀は終了した。

 虎千代が為景の遺志に従い、いよいよ栃尾の瑞麟寺に赴くに当たっては、道中警護のためにかつての近習衆が同道を願い出て、それが守護代・晴景から許されていた。

 ほんの僅かな時間とはいえ、懐かしい主従関係の復活だった。小島彌太郎、金津新兵衛、秋山源蔵、黒金孫左衛門、戸倉与八郎の計五名が、道中警護役として、栃尾への旅路に同行することになったのである。

 当初は足早に、馬で移動することも考えたが、徒歩での移動を選択した。乱世に乗じて、下郎や兇徒きょうと・盗賊の類いが、各地に跋扈ばっこし荒らしまわっているらしい。特に馬上の武者が、大勢の荒くれ者に狙われ易いという噂だった。そこで一行は、敢えて身分の低い武士と、その子供という姿に身をやつして、日をかけて栃尾を目指すことになった。

 春日山を出発した虎千代一行は、途中林泉寺に立ち寄り、天室光育和尚に対して、これまでの御礼を丁重に申し上げると共に、正式にお暇を頂戴する旨を告げた。

「虎千代殿、そなたは亡くなられた御父上によく似て、生まれつき将としての器を兼ね備えているようじゃ。しかし、その才を活かすも殺すも、これからのそなたの修行次第であることを忘れてはならぬ。御父上のように、いや、それ以上になりたいとお思いならば、栃尾の地でもこれまで以上に、精進なさるが宜しい」

「和尚様の、これまでのご厚情、この虎千代、決して忘れませぬ。再び和尚様にお目にかかる時は、一人の武者として成長し、舞い戻る時と心得ております。どうかそれまでお達者で」

 天室光育は、一路栃尾を目指して去り行く虎千代一行を、その姿が見えなくなるまで目を細めて見送った。

 林泉寺を後にした一行は、守護である上杉定実の居館を通り過ぎ、越後の海を左に見ながら、集落の点在する道を進んでいく。

 海から吹き荒ぶ冬の冷たい北風が、一行の身体を芯から冷やしたが、虎千代に同道している喜びが勝っている。寒さなど少しも感じないくらい高揚していた。

「虎千代様、本当にご立派になられましたなあ。この新兵衛、嬉しくて自然と笑みがこぼれ落ちて参ります。つい先日までは、大殿が亡くなられて、悔し涙に暮れておりましたが、今は心の中の嬉し涙が止まりませぬ」

「それがしも同じでございます。お身体も大きくなられて。武者修行も怠らず、日々研鑚なさっているとお見受けしました。覚えておいででしょうか。それがしが、幼い虎千代様に剣術の指南をした折のことです。虎千代様に怪我をさせてはならぬという一心で力加減したところ、それを面白くないと言って、それがしを困らせたことを」

 彌太郎が笑いながら振り返って語りかける。

「そんなことがあったか。儂もその頃に比べれば、多少は強くなったと思うが、そなたの腕にはまだまだ及ぶまい。これからも学問や仏門における修行だけではなく、武芸にも励んで一日も早く一人前の武者になるつもりじゃ。その時はまた、皆が揃って儂に仕えてくれるか」

「なんと嬉しいことを。勿論でございますとも。我ら一同、虎千代様の成長をお待ちした甲斐がございました。その時が参りましたら、例え如何なる妨げがあったとしても、真っ先に馳せ参じる所存でございます」

 源蔵が涙ながらに思いの丈を叫ぶと、与八郎が更に続けた。

「これなら、虎千代様の還俗と元服も近いことでしょう。その日を待ちながら、我らも虎千代様に負けぬよう、鍛錬を積まねばなりませぬなあ」

「そなたは今でも虎千代様に負けるのではないか」

 孫左衛門が与八郎をからかうと一同に笑いが広がった。

「皆の気持ち、この虎千代、決して忘れはせぬ。必ずや、皆の期待に応えてみせる。それまでの間、どうかそれぞれのお役目をしっかり果たして、待っていてくれ」

「承知しました」

 五人全員の声が揃った。

 虎千代一行は、その後も昔話に花を咲かせながら、一路栃尾を目指して歩を進めた。柿崎和泉守景家が治める木崎・猿毛の城、そして柏崎をも越えて、斎藤氏が領する赤田城下で二日目の宿をとることにした。この分だと予定通り、明日の夕刻には栃尾に入れそうだ。

 事件が起こったのは翌朝である。出発して暫く後のことだった。

「彌太郎、先ほどから後をつけられている気がするが、そなたは気づかぬか」

「はい、虎千代様も感じておられましたか」

「それにあそこを見ろ。あそこにみえる丘の木々の陰から、何とも言えぬ禍々しい邪悪な気配が感じられる」

 虎千代は顎と目線で右前方の森を指し示した。虎千代は厳しい禅の修行を通して、気を鋭く研ぎ澄ますことを、自ずと身に着けていた。

 目を丸く剝いて驚く彌太郎を尻目に、孫左衛門が先走ろうとした。

「虎千代様はここでお待ちくだされ。良からぬ物取りの下郎どもに違いありません。物見役として、先ずは探って参りましょう」

「いや待て」

 すかさず彌太郎が制した。

「我ら警護の者はわずか五人と無勢じゃ。それに単なる物取りのたぐいなれば、前後からの挟み撃ちなどという策は弄しまい。恐らく、我ら一行が虎千代様と警護の者と知っての待ち伏せ、と考えるべきだ」

 新兵衛が更に続けた。

英邁えいまいと噂される虎千代様を、亡きものにしようとする、いずれかの国人の手の者であろう。徒党を組んでいる人数が、どれほどかは知れたものではない。しかし、少なくとも数十人はいると考えねばなるまい。ここは虎千代様を中心に囲んで小さくまとまり、我らの命に代えてでも、お守りするぞ」

 刀の鯉口を切りながら、必死の形相で孫左衛門が反論する。

「しかし、それでは虎千代様を守り切れるか分らぬぞ」

「いや、丸く小さく固まれば背後を襲われる危険はない。敵が簡単に攻め入ってくることは出来ぬはず。時間を稼ぎながら、何とか死中に活路を見出そう」

 そう言ったのは虎千代だった。その冷静な一言に、一同は驚きつつ我に返った。

「虎千代様の言う通りじゃ。真冬の今なら雪の上でもあり、敵もそれほど早い動きは出来まい」

 源蔵が自らをも鼓舞するように声をかけた。

「春日山城下で我らの剣の腕前を知らぬ者はおらぬ。それでも、我らを襲おうとは、いずこの家中かは存ぜぬが褒めて遣わす。我らであれば、この場を凌ぐことなど容易きこと故に、考え直すなら今のうちじゃ」

 与八郎が賊徒に向けて、大声で叫んだ。見事な「はったり」だ。五人の中では一番剣術の腕が劣るが、一番機転が効くのも与八郎だった。

 ここは我ら全員が斃れたとしても、虎千代様だけには生き延びて頂かなければ、あの世で大殿様に会わせる顔がない。

 五人の誰もが、同じ思いで刀を構えた。

 真冬の陽光が雪面を眩しく照らし、抜いた刀が時折反射して光を放っている。

 やがて、身を潜めていた木々の間から、次々と出てきた武者は二十人余か。いずれもが頭巾や面で顔を覆い隠している。いずれの家中かは察しがつかない。

 背後をつけてきたのは七人、もう姿を隠す必要はなく、じわりと寄せて距離を詰めてきた。その輩は、せいぜい褒美欲しさに雇われた兇徒か野武士のたぐいだろう。髪の毛も髭も伸び放題で、眼光だけが鋭く獣のように輝いている。

 双方の間合いは縮まっているが、こちらの守りが堅く、腕利きと聞いて攻め手を欠いている様子だ。与八郎の「はったり」が効を奏している。しかし、絶体絶命の状況に何ら変わりはない。

 彌太郎が正面の敵に向かって叫んだ。

「我らの素性を知っての襲撃と心得た。しかし、顔を隠して狼藉に及ぶとは卑怯このうえなし。せめて頭巾や面を取って正々堂々と勝負せよ」

「問答無用」

 声の主は後方に控える敵方の頭らしい。この一言で敵は更に間合いを詰めて、にじり寄ってきた。真冬とはいえ、真剣を手にしての睨み合いで、気がつくと額に汗が滲んでいる。

 どれくらいの時間が経過したであろうか。遂に痺れを切らした一人の兇徒が、雄たけびとともに孫左衛門に対して一太刀浴びせてきた。孫左衛門はそれをがっちりと太刀で受け押し返す。

 この一太刀が睨み合いの均衡を破る引き鉄となった。他の四人にも次々と襲い掛かる。方々で刀の斬撃とともに火花が散る。双方数太刀を交わした後に、またもや睨み合いとなった。

 辺りをみると鮮血が飛び散り、真っ白な雪原を朱色に染めている。

 手傷を負った敵は、速やかに後方の新手と交代を済ませていた。「はったり」はともかく、こちらの腕前が予想以上とみてか、どうやら今度は焦らしての持久戦を目論んでいるらしい。

 虎千代は、このような命のやり取りの中でも、頭が冴えわたり、自分が冷静に様子を見ていられることが不思議だった。そして、近習五人の防御輪の中にあって、何とかこの危機的状況から脱出出来る手立てはないものか、と必死に考えていた。むろん、そのような妙案が、浮かぶはずもない。

 時間が経過すればするほど、味方の不利は明らかだった。こちらには敵の数倍の精神的疲労が、蓄積されてきている。やがて隙が生まれる。こうなると、全員討ち取られるのも時間の問題だ。

 手傷を負ったのは敵だけではなかった。背後の与八郎が、左腕を切られていた。傷の深さは分からないが、じわりと衣を赤く染めて、雪原に血が滴り落ちていた。

 もはやこれまでか。このような形で我が命運も尽きるのか。

 さすがの虎千代も観念しかけたその時だった。西の方角から、雪原を蹴散らす馬蹄の音が徐々に近づいてくる。

 新たな敵の加勢か。

 いや、違う。先頭を走る馬上にあって、一人の武者が腹の底からの大音声で、何事かを叫んでいる。馬が近づくにつれて、その言葉が虎千代一行に味方する叫びであることが分かった。

「待て、待て、待てぇ。このご一行をどなた様か、知ったうえでの狼藉と心得た。卑しき物取りならいざ知らず、左様に素性を隠し、白昼に多勢で襲うなど、卑怯の極みであろう。この直江与兵衛尉よひょうえのじょうが成敗してくれるから覚悟するがよい。者ども、逃してはならぬ。掛かれ」

 敵を蹴散らすその槍には「三盛亀甲に三葉」の紋が見える。越後三島郡与板城主の直江実綱さねつなに相違なかった。

 これが後の直江大和守景綱、後の謙信を終生支える「股肱ここうの臣」との出会いだった。この時、実綱三十二歳と言われている。

 この直江与兵衛尉実綱の加勢によって、形勢は一挙に逆転した。

 もともと褒美目的で雇われた兇徒・野武士の類いは、形勢不利とみるや、命惜しさに一目散で逃げ出し、一人も残っていない。

 顔を隠したいずこかの家中の武者共も、頭の撤収の一声でじりじりと後退し、やがては背を向けて、一斉に駆け出し去って行く。その逃げ様は、まさに這々の体という表現が相応しい。恥も外聞もあったものではなかった。

 血気盛んな小島彌太郎や黒金孫左衛門は、追い打ちをかけようとしたが、虎千代の一声で思い止まった。

「彌太郎、孫左、深追いはならぬ、危険じゃ。いずれは戦で決着をつける相手となろう。今、お前達に怪我を負われて一番困るのは、この儂じゃ。儂の前から一人たりとも欠けてはならぬ。それに今は、与八郎の傷の手当が先じゃ」

「虎千代様、それがしの傷は大事ございませぬ。この通り、幸い筋は切れておりませぬので、止血すれば心配ありませぬ」

 与八郎は腕を動かしてみせて、軽傷であることを訴えた。確かに傷口が塞がれば、大事には至っていないようだ。

 賊の撤収を目で追い、危機が去ったことに安堵した直江実綱は、ようやく下馬すると虎千代の前で跪いた。

「お初にお目にかかります、与板城主・直江与兵衛尉実綱でございます」

「長尾虎千代じゃ。此度は命拾いした。そなたは命の恩人じゃ、終生忘れぬ。この通り礼を申す」

「有難きお言葉。本当に間に合ってようございました」

「早速で済まぬが、家来が一人腕に痛手を負っておる。血止めの措置をしては貰えないだろうか」

「お任せください。そのようなこともあろうかと、多少手当てに慣れている者を同道させておりますので。おい、こちらのお方を、手当てして差し上げよ」

 実綱の命を受けて、同行した一人が、速やかに止血薬らしきものを、与八郎の腕に塗り込み、用意していた布を手際よく巻きつけていく。

「それにしても、直江殿は何故、我らが襲われていると気づかれたのか」

 虎千代は不思議そうに尋ねた。

「恐れながら、虎千代様を襲ったのは、黒田秀忠の家来衆に間違いございませぬ。実は、亡き御父上様ご危篤の報が、国内に広まった頃から、我が与板城からさほど遠くない黒滝城に、不穏な動きがあり、それを密かに探らせておりました。おい、こちらへ出て参れ」

 実綱のひと声で、どこからともなく、忍びの術を心得た者が駆け寄り、顔を伏せて跪いた。

「この者が異変に気づき、急ぎ我らの城に、報せて参りました。どうやら、皆様ご一行の動きは、昨日から筒抜けだった模様です」

「名は何と申すか」

 虎千代が問う。

「我ら陰の者にて、名はございませぬ」

 与兵衛尉より少し年下のように見える。

「虎千代様、この者が陰をまとめる頭です。当家において、長年銭で雇っております。普段は決して表に出ることはありませんが、任務は忠実に遂行する信用の置ける輩です。」

「そうか、此度は命拾いした。礼を申す」

 虎千代の一言に、その忍びの者は恐縮したように頭を下げた。

「いずれまた会おう」

「もう下がってよいぞ」

 実綱が命ずると、その忍びの者は風舞うが如く、何処へともなく消えていった。

「虎千代様が春日山を発ち、栃尾に向かわれていることは、我らの耳にも入っておりました。今朝になって、黒滝の城から武装した怪しい者どもが、次々と東に向かったとの報せを受けました。それを知り、虎千代様ご一行に、危険が迫っているに相違ないと断じまして、急ぎ馳せ参じた次第でございます」

 実綱の話に合点がいった虎千代だが、何故自分の命が狙われるのかが腑に落ちない。

「そうであったか。しかし、黒田と言えば、亡き父上に大恩ある国衆の一人と記憶しておる。そのような者が何故、息子であり、しかも未だ僧門の身である儂を襲うのか」

「虎千代様、人とは実に卑しき生き物でございます。今はまさに戦国の世、下剋上がまかり通る世にて、残念ではございますが、己の出世や儲け、勢力拡大のためならば、手段を選ばぬ輩が少なからずおります。越後の国内も決して例外ではございませぬ。恐らく、幼くして英邁と名高い虎千代様がご成長された暁には、必ず邪魔になると考えたからでございましょう」

「我らはなんとも虚しい世に生を受けてきたものだ。いつかは、かような醜い争いのない、秩序正しい国をつくり、民が安心して暮らせる世にしたいものよ」

「なんと頼もしいお言葉、虎千代様には是非とも、そのような国を築いて頂きたいものです。虎千代様が元服・挙兵の折は、この与兵衛尉、必ずや虎千代様の旗下に、いの一番で馳せ参じることをお約束いたします」

「還俗して武士となるは、我が望むところ。しかし、おさはあくまでも守護代である兄上じゃ。儂はあくまで、兄の補佐役に徹しようと思う。その節は大いに頼りにしておるぞ」

「ははっ」

 栃尾に向かって次第に遠ざかる虎千代主従一行の、仲良さそうな後ろ姿を、直江実綱は羨ましそうに見送っていた。

 噂には聞いていたものの、それを遥かに上回る、なんと健気で英邁な御子であろうか。絶体絶命の窮地に追い込まれながらも、決して平静を失うことなく、立ち振る舞っておられた。あの胆の据わり方は、尋常ではない。近習が皆あのように、心底からお慕いしているのも合点がいく。  

あの御方こそが、やがては、この乱れた越後を平らかに治める主君として相応しいのかもしれぬ。今の守護代殿は病弱ゆえに、そう長く務めることは出来まい。儂は決めた、一生をあの御方に賭けてみよう。これは実に成長が待ち遠しくなってきたぞ。

 一人物思いにふけった実綱は、冬の陽光の眩しさを避けるように、更に目を細めて、虎千代一行の姿を見送り続けている。

やがて、虎千代一行が見えなくなると、満足そうに顔を綻ばせて馬首を返した。

「おい、栃尾まで陰からお見送りせよ」

 いずこにいるとも知れぬ忍びの頭に、実綱は大声で指示を伝えた。


  *内乱再び


 直江実綱と別れた日の夕暮れ時に、一行は瑞麟寺に無事到着した。幸い、その後の道中では、何事も起きていない。

 寺の門前まで出迎えてくれた門察和尚も、虎千代の今後については、既に深く理解を示してくれているようだ。予め、林泉寺の天室光育和尚が書状に記し、虎千代のことを詳しく報せてくれていたらしい。

 瑞麟寺での虎千代は、元服する日を心待ちにしながらも、以前にも増して仏法の修行に励んだ。もちろん、修行に止まるわけがない。学問や書、芸能、武術、馬術、兵法の全てに対して真剣に取り組み、着実に腕を磨いていった。

 あらゆる面において卓越した虎千代の才能には、門察和尚を驚愕させること、しばしばであったという。

 こうして、虎千代は御仏の教えを真摯に学びながら、将としての器を研鑚すると同時に、様々な素養を身につけ、精進を重ねていった。

 虎千代が日を追うごとに成長していく様は、自ずと口伝えで越後国内の至る所に伝播していく。それは春日山城の主であり、兄・守護代晴景のもとにも例外ではなかった。

 虎千代が修行に明け暮れる日々を過ごす間も、越後の国内情勢は刻一刻と変化している。

 為景が亡くなった翌年の天文十年(一五四一年)には、揚北衆の間でまたもや内紛が勃発した。これを喜んだのは、他ならぬ出羽の伊達植宗である。先年は綸旨による内紛収束によって、越後介入のきっかけを失ってしまったが、再度、守護の上杉定実を焚きつけて、今度こそ時宗丸を次期守護に擁立しようと画策したのだ。

 再び、越後に国内分断という暗雲が立ち込める。しかも、為景亡き今、この危機を乗り越えられる者はいない。為景という後ろ盾を失った守護代の晴景は、手のひらを返すように、時宗丸の次期守護継承に対して反対の意向を示していた。これは中条氏を除く揚北衆の逆鱗に触れることを、恐れたからに他ならない。

 父・為景の存命中は、守護・定実と歩調を合わせ、時宗丸継承に賛成の意思を表明していたにも関わらずの翻意である。この優柔不断な晴景に対しては、さすがの守護・定実も黙っていなかった。

 激昂した定実が晴景に対して取った仕返しの行動は、「出家遁世とんせ」のための隠居宣言だった。

これに慌てた守護代・晴景は、守護・定実のもとを訪れて、すがる思いで懇願した。

「御屋形様、どうか出家だけは、思い止まって頂けませんか」

「しかしのう、守護代殿、この通り儂も年老いていくばかりじゃ。いつ、そなたの親父殿が迎えに来てもおかしくはない爺よ。それを皆が分かっているのに、一向に跡継ぎが決まらぬというのであれば、是非もあるまい。守護職を返納し奉り、新たな守護は、京におわす公方様に決めて貰うのが筋というものではないか」

「御屋形様、この守護代が浅慮でございました。御屋形様が、そこまで思い詰めておられるとは存ぜず、守護代として恥ずかしい限りです。かくなるうえは、あらためて伊達家に使者を遣わし、ご養子縁組の話を進めますので、暫しのご猶予を頂けませんか。どうか、どうか」

 この晴景による懇願により、守護継嗣問題は、少なくとも守護と守護代間では、時宗丸を軸として話が一本化される。天文十一年(一五四二年)五月のことである。

 しかし、この定実の言い分が全面的に通ったことによって、守護と守護代を巡る権力構図の変化は、想定を超えて大きく方々に波及する。

 本来、主従の関係で言えば、守護が主であり、守護代はそれを支える従者の関係にある。しかし周知の通り、越後では長年にわたり、為景が力にものを言わせて、これまで事実上の逆転関係を常としてきた。

 それが「守護継嗣問題」における晴景の弱腰と譲歩によって、これまで晴景に味方してくれていた国人衆の信用を、一挙に失ってしまうのである。ただでさえ、健康が不安視されている晴景が、自らの失策で招いた最大級の汚点だった。良きにつけ悪しきにつけ、強烈な決断力と行動力で、内外に力を誇示した先代・為景との差は歴然としている。今や、守護代失格の烙印を押されたのも同然だった。

 ともあれ、晴景の信用失墜という大きな代償を払いつつ、守護継嗣問題は決着に向かうか、と思われた矢先だった。今度は、意外なところから火の手が上がり、守護継嗣問題は再び暗礁に乗り上げてしまう。

 それは、伊達家の御家騒動だった。なんと、当主となっている伊達晴宗が、父である植宗を幽閉したことに端を発し、親子間での内乱が勃発してしまうのである。これはやがて、越後揚北衆を巻き込んでの大騒乱に発展し、天文十七年(一五四八年)まで尾を引くことになる。世にいう「伊達天文の乱」である。この伊達家お家騒動によって、越後守護継嗣問題は、またもや棚上げとなり、やがては水泡に帰することになる。

 このように、越後国内が混乱を極めるなかで、遠く甲斐国(現・山梨県)では、天文十年(一五四一年)十二月に、武田晴信(のち号して信玄)が、家臣団の合力を得て、父である信虎を駿河国(現・静岡県)に追放し、守護職に就いていた。その後は、着々と隣国・信濃攻略へと触手を伸ばしていくことになる。


  *毘沙門天


 守護職継嗣問題や揚北衆の争いを収拾出来ず、相次ぐ争乱への対処力の弱さが露呈するにつけ、守護代・長尾晴景に対する反感や侮蔑、離反は、揚北に止まらなかった。

 それは既に、府内長尾氏勢力の中心である中郡・上郡の国人衆にも広く及んでおり、既に失地回復は困難になっていた。

 かかる国難をよそに、虎千代は栃尾の地で、文武両道を貫き、更に武将としての素養を、着々と磨き上げ、著しい成長を遂げていた。

 天文十二年(一五四三年)初秋のある晩のことである。十四歳となった虎千代の身に、不思議なことが起こる。

 門察和尚の講義と、日課としている武者稽古のため、身体は相当疲れているはずなのに、何故かその日に限って、虎千代は寝つけずにいた。

 いつもは、床に就くと同時に深い眠りに落ちるのに、どうも勝手が違っていた。どれくらい時が経過したものか。ようやくまどろんできたという時に、何処からか、虎千代の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

 聞き覚えのないその野太い声の主は何処かと、目を開けて仰ぎ見ると、そこにはいつか夢でみた鬼の如き形相の像が、まさに仁王立ちしているではないか。

『毘沙門天様ですか』

 果たして声になっているのか。

 よく見ると「竹に雀」が描かれた軍旗を左手に掲げて、虎千代を凝視している。

「起て、虎千代。起つのだ」

 この声だけを残し、その像は虎千代のもとから姿を消した。

「毘沙門天様」

 そう声を発すると同時に、虎千代は飛び起きた。

 どうやら、夢だったらしい。しかし、毘沙門天様らしき像が夢枕に立ったのは、これで二度目になる。確か「竹に雀」の家紋は、上杉家のもの。これらが何を意味するのか。たとえ夢であったとしても、はっきりと聞こえた。間違いなく「起て」との仰せだった。


 翌朝、虎千代のもとに春日山からの早馬が到着する。守護代である兄・晴景より、直ちに春日山城に出仕するよう、との報せだった。

 栃尾に来て、早や三年半余の歳月が流れている。

 同じ時分に、栃尾城代である本庄実乃にも早馬が届いている。春日山まで虎千代に同道するようとの命であった。

「遂に、来るべき日が来たか」

 実乃はひとり呟いた。実乃は幾度も瑞麟寺を訪れては、虎千代の修行の様子を覗き見聞きし、その成長を肌で感じると共に、非凡なる文武の才能を見抜いていた。

 その翌々日、虎千代は本庄実乃を筆頭として、以降近臣として仕える、庄田定賢や吉江忠景らを従えて、春日山城に入った。

 しかし、直ちに叶うと思われた兄・晴景との久々の対面は、三日を経過してようやくの実現だった。理由はここ数日間、体調が優れず床に伏せっているとのことで、仕方がなかった。

 仮病を口実に面会を婉曲的に拒絶する手法は、古今問わず使われるが、自らが呼び寄せておいて拒絶される謂れはない。

 事実、晴景の病は思っていたよりも篤く、春日山城・本丸正殿に座する晴景は、まさに顔面蒼白の状態だった。相当無理を押して対面に臨んでいるに違いなかった。今にも倒れてしまうのでは、と虎千代は内心気が気ではない。

 虎千代の後方には、同道した本庄実乃、そして庄田定賢と吉江忠景が控えて座している。

「兄上、お久しゅうございます、虎千代でございます」

「うむ、大きゅうなったな。父上の葬儀以来か。あれから三年余り。早いものじゃ。如何じゃ、栃尾での暮らし向きは」

 病が篤いせいか、言葉も途切れ途切れで痛々しい。

「門察和尚様のご指南のおかげで、御仏にお仕えしながらも、日々文武両道の修行に励むことが出来ております」

「うむ、執着じゃ」

 この後、何事か言葉を続けようとしたが、激しく咳き込んでしまう。顔も歪み苦しそうだ。

「兄上、日を改めましょう、お身体に障ります故に」

「いや、良い。すぐに治まる」

 その言葉通り、暫くすると咳が止まった。顔を上げた晴景が再びかすれ声で話し始める。

「そなたの修行の様は、この春日山にも伝わってきておる。儂も兄として嬉しく思っておった」

「有難うございます」

「虎千代、門察和尚には既に儂から伝えておるから安心せよ。そなたに還俗を命ずる。儂が烏帽子親になろう。直ちに元服せよ。いみなは『景虎』、如何じゃ」

 虎千代は嬉々とした表情で即答した。

「この日を心から待ち望んでおりました。このうえは、兄上をお支えし、一日も早く平穏な国に戻るよう努めて参ります」

「頼りにしている。ついては、虎千代改め景虎に、古志郡司を命ずる。元服の儀が終了次第直ちに栃尾に戻り、そこに控える本庄実乃らと手を携え、中郡の要として励むよう」

「ははっ」

 平伏した景虎に向かって、更に晴景が続けた。

「多少はそなたも聞き及んでおろう。儂が病で臥せがちなことを尻目に、揚北衆のみならず、近頃は中郡の国人も一部儂に逆らい、勝手し放題じゃ。そなたには中郡の楔となり、不逞の輩を押さえつけて欲しいのじゃ。わかるな」

「無論、承知しております」

「儂は戦や争いごとが苦手じゃ。しかし、守護代でいる以上は避けて通れぬ。そなたには儂の先鋒となって貰いたい」

「ご期待に沿えるよう尽くします」

「うむ、重畳じゃ。さて、元服し古志郡司となれば、手足となる家臣も必要であろう。皆をここに呼べ」

 やがて背後の襖が開く。見覚えある五人の武者だ。 

 小島彌太郎・金津新兵衛・黒金孫左衛門・秋山源蔵・戸倉与八郎といった、懐かしい顔ぶれが揃っている。

 虎千代は思わず破顔した。

「兄上、有難き幸せに存じます」

 天文十二年(一五四三年)八月、虎千代改め長尾景虎の誕生である。

 景虎元服の儀は、雲ひとつない晴天の下、滞りなく催された。新たな若武者誕生の門出を祝するかのような空模様だった。


 元服の儀を終えたその足で、景虎が向かったところは、母が棲む庵だった。

 母に対しては、これまでも季節ごとに、自身の近況や暮らしぶりを文に認めていたが、父の葬儀で会って以来、直接話せていない。 

 今では髪を下ろし、青岩院と名乗り、亡き父・為景の菩提を弔う毎日を過ごしている。母が棲むその庵は春日山の麓の、城内の喧騒から逃れるような場所にあった。ひっそりとした佇まいの門前に、一人の尼僧が佇んでいるのが見える。母だった。成長した景虎に一刻も早く会いたくて、きっと待ち焦がれていたに違いない。

 母は以前のように、艶やかな衣装や化粧を施しているわけではない。しかし、袈裟を纏い法衣に身を包んだその姿が、飾り気のない素の美しさを湛え際立たせていた。

 庵の周りはもちろん、室内も清楚で調度品も整然と設えてある。母の心身共に穏やかな暮らしぶりが見てとれた。

「母上、お元気そうで何よりです。こうして再び、母上にお会い出来ましたこと、本当に嬉しゅうございます。此度は兄上より、還俗と元服を許され、春日山城に罷り越しました」

 母・青岩院は喜びの涙を、その目いっぱいに湛えている。

「あのお虎が、このように立派に元服なさる時が来ようとは。この母の膝の上で駄々をこねて、甘えていた幼子が、何とご立派になられたことでしょう。御父上が生きておられましたら、どれほど喜び、頼りに思われたことか」

 母の言葉に胸を詰まらせながら、景虎は必死に堪えていた。

「母上、元服した以上は、この越後のため身命を賭して、兄上をお支えする覚悟でございます。母上から頂戴したこの命、決して無駄にはいたしません。しかし、何時どのようなことが起こるかも分かりません。我が命、もうこの世には無きものとお考え下さい」

 あらん限りの見栄を張って、言い切った景虎の言葉だった。

「武者の母としての覚悟は、とうの昔に出来ております。しかし、景虎殿。貴方はどんなに大きくなられたとしても、また更に武将として成長なさったとしても、この母にとっては、いつまでも幼子のままの『虎千代』なのです。母の前では決して無理する必要はありませんよ」

「母上」

「そして、貴方はこれから人の上に立つ星の下に生まれて参りました。他の方々のお命を、預かる立場になるのです。ご自身の命はもちろん、ご家来衆一人ひとりのお命も、大切に守らなければならないのです。そのことだけは、決して忘れてはなりませぬ。そして、この春日山に戻ってきた時は、この母に、その元気な顔を見せてくだされ」

「はい」

 景虎はその母の温かい愛情に満ちた一言ひとことに、もう我慢が出来なかった。堪えていた涙が、止めどなく溢れ出て、顔を上げることが出来なかった。

 いくら強がっていても、未だ齢十四歳の若者だった。そこには、未だ七歳の頃より寺に預けられ、甘えることも許されずに、親元を離れて人一倍寂しい思いをし、何度も涙で枕を濡らした、幼い頃のままの虎千代がいた。

 母は、幼子に戻り涙を必死に堪えている我が子を、慈しみ包み込むようなまなざしで、優しく見つめていた。

「今日まで、よく頑張りましたね」

 母がやっとの思いで絞り出した一言だった。

 

 景虎が母の庵を出た時は、既に陽も大きく西に傾き、夕暮れも近づく頃合いとなっていた。

 春日山城へと急ぎ戻る道すがら、ふっと左横に目線を移すと、今まで見たことのない小道を見つけた。母の庵に向かう時には、露ほども気がつかなかった小道だ。人が時折踏み固めて出来た程度だから、見落とすのも無理はない。その小道をたどり、更に向こう側に目をやると、小さな御堂がひっそりと建っているのが見えた。

 こんなところに御堂が何故、と思いつつ景虎の足は、自然とその小道をどんどん辿り、御堂に近づいていった。御堂の周りは草も刈られて、綺麗に掃き掃除が行き届いている。景虎は凛とした佇まいのその御堂に心惹かれ、気がつくと、観音開きの扉に手をかけてしまっていた。

 御堂の中は陽が入らないせいか、暗くてよく見えない。ようやく目が慣れてくると、何やら奥に像らしきものが浮かび上がってきた。ここで祀られている御本尊か。

景虎はおもわず声を出して驚いていた。

 先日、夢とも現とも区別出来ないなかで見た仁王立ちの像ではないか。ただ、左手にあるのは「竹に雀」の軍旗ではなく、どうやら中国の矛という武器らしい。

 その時、背後に人の気配を感じて、景虎は振り返った。そこには、何と天室光育和尚が、小坊主を従えて、笑みを浮かべながら立っているではないか。小坊主は景虎が栃尾に行ってから、新たに預かった子なのだろう、見覚えはなかった。

「和尚様」

「此度の元服、まことに執着至極に存じます、景虎殿」

「ありがとうございます。こうして元服出来たのも、和尚様のお導きがあったればこそ、でございます」

 景虎はお礼の挨拶を述べながら、思わぬ場所で恩師と再会したことに動揺していた。天室光育はその景虎の気持ちを、見透かしたかのようである。

「ところで、景虎殿がここにおられるのは、どうしてであろう」

「勝手な振る舞いをお許しください。つい先ほどまで、母を訪っておりました。その帰り道でございます。この御堂が目に入り、気がつくと吸い寄せられるように、中に入っておりました。そして、驚いたことに、数日前、夢枕に立った御像がこちらに安置されていたのでございます」

「世には摩訶不思議なことがあるというが、やはりそうであったか。景虎殿、そなたが幼き頃に一度夢の話をしてくれたことを覚えておいでか」

「無論でございます」

「景虎殿、実はこの御像こそが、毘沙門天像じゃよ」

「やはり、さようでございましたか。この毘沙門天様がはっきりと仰せでした。しきりに『起て』『起つのだ』と」

 和尚はそれを聞き、覚悟を決めたようだ。

「よくお聞きなされ。ここは拙僧が知り得る限り、そなたの祖父である長尾能景のりかげ様から、林泉寺の先代住職が、大切にお守りするよう、命を受けて参った御堂じゃ。それ以来、先代を受け継ぎ、拙僧もこうして毎度、お浄めを欠かすことなくお守りしておる」

「さようでございましたか」

「この毘沙門天様が、貴殿の夢枕に一度のみならず二度もお立ちになり、お告げをなさったというのは、決して偶然とは思えませぬ。この意味を考えるに、毘沙門天様は、平三景虎殿に何らかの望みを託されたのではないかな」

「それは如何なることでしょう」

「それはしかとは分かりかねるが、例えばじゃ」

「例えば」

「毘沙門天様に成り代わって、この乱れた世を安寧に導いて欲しい、というお告げだったとしても、何ら不思議ではあるまい」

「さようなこと、俄かには信じられませぬ。もし、そうだとしたら、これから如何すればよいのでしょうか」

「それはご自身で考え、ご自身で判断し行動する他ございませぬ。冷たく突き放すようですが、ここから先は、御仏に仕える拙僧の考えなど、及ばぬ範疇ですので」

 景虎は混乱していた。それに自分がそのような大それたことを、成し遂げる自信などあるわけがない。

「しかし、既に武門の道を選び、歩み始めた貴殿には、心密かに決めた大義があるのではないかな。その道を迷うことなく、ただひたすら真っ直ぐに進むしかないと思うが如何であろうか。たとえ、それが如何に厳しいいばらの道であったとしても」

 光育和尚のその言葉は、景虎に一筋の光明を授けるものだった。しかし、その光は未だに弱く方向すら定まっていない。

「今日、毘沙門堂に辿り着き、こうして和尚様にお会い出来たことは、決して偶然とは思えません。畏れ多いことではございますが、確かに、毘沙門天様の思し召しなのかもしれませぬ。和尚様、お願いがございます」

「何なりと」

「これから、毘沙門天様の御前で禅を組ませては頂けませんか。毘沙門天様に向き合い、瞑目する中で、己と向き合い、己は何を成すべきかを、考えなければならないと思えて参りました」

「それは一向に構いませぬ。では、お城には拙僧から使いを出して、景虎殿の所在をお報せすると参りましょう」

「忝く存じます」

 景虎はこうして毘沙門堂に籠った。

 御堂から出てきたのは翌朝だった。陽の光が眩しい。森の木々に巣作る鳥たちのさえずりが、心地よく耳に響く。景虎は春日山城への道を辿った。


  *戦捷


 栃尾城内は大いに沸いていた。

 景虎と本庄実乃らが帰城後、直江実綱を筆頭として、直ちに揚北の安田長秀、城崎の柿崎景家らが、元服祝いと称して次々に訪れていた。また、赤田城の斎藤氏や小河氏からも、元服祝いの品々が到着し、その度ごとに、家来衆が慌ただしく動き回っている。活気ある声が城内のあちらこちらで飛び交う日々が続いていた。

 その一方で、黒田氏や、同族ながらも守護代家に反感を持つ三条長尾氏といった面々は、守護代・晴景の権威失墜と、求心力の衰退をよいことに、勝手な振る舞いを更に加速させている。黒田氏と言えば、三年前に虎千代一行を道中襲わせ、暗殺しようとした張本人である。

 景虎の元服を契機として、越後中郡を舞台に、にわかに緊張関係が高まっていく。

 景虎は元服祝いの宴などには、全く浮かれていない。目下の関心事は、近々に起こると予想される武力衝突に備えて、与板の直江与兵衛尉実綱を中心とした、味方国人衆との連携を如何に円滑に図るかである。

 有力国人衆との酒宴翌日は決まって、朝から綿密な軍議に時間を割き、納得がいくまで具体的な戦略を煮詰めていた。

 また、時間を見つけては、栃尾周辺の地形を自らが探索し、頭に入れたうえで、詳細な図面を作り上げ、あらゆる方向からの合戦想定を行っていった。

 一方、小島彌太郎や金津新兵衛といった武芸達者な近臣には、長槍攻めを中心とする集団戦術の調練を繰り返させ、兵力の強化を推し進めていった。

 兵と言っても、過半数は農繁期には、田畑に従事する者ばかりである。景虎は、調練に参加する者に対しては、その頻度に応じて年貢を減免するだけではなく、わずかでも日当としての扶持米を与えることで、戦闘意欲の向上も図っていた。

 こうして、農兵の「質」を各段に向上させると、思いがけない効果も生まれてきた。噂を聞きつけた者が、自ら志願して調練に参加するようになったのだ。その人数も日を追うごとに増えてきている。むろん、この者たちには戦場での働き次第での成功報酬も、予め約束していた。

 騎馬を利用した集団戦については、正式に新たな近臣として加えた庄田定賢、吉江忠景、それに古参の黒金孫左衛門を中心に、効果的な戦術を考えさせた。景虎は、頭の中で考えた戦術だけでは、あまり役に立たないと思っている。実戦形式の真剣な調練こそが大切で、考えた戦術を繰り返し実践することで、人馬一体の感覚を身体に覚えさせるよう鍛えていった。

やがて、これが戦況に応じた騎馬戦略を次々に編み出し、後々の戦にも活かされるように、工夫が加えられることになっていく。


 天文十三年(一五四四年)の夏を迎えた。

 景虎は三島の与板城に急ぎ赴いた。小島彌太郎他、僅かな近臣のみを伴っての秘密裡の移動である。後々の戦法に関わることでもあり、絶対に敵方に知られるわけには行かなかった。

 直江実綱は、賊徒襲撃の一件以来、修行の身である虎千代に対しても、書状を通して越後国内の動向を、逐次報せている。

 また、門察和尚へのご挨拶という名目で、瑞麟寺を訪ねては、元服前の虎千代が次第に成長してゆく姿を、密かに温かい目で見守っていた。

 およそ四年近くにわたって、水面下でこのような関係を続けてきた両者である。既に互いが、堅い信頼関係で結ばれた存在になっていた。元服の報せを聞いて、最も歓喜したのも、他ならぬ実綱である。

「与兵衛尉、いよいよ初陣じゃ。この秋、田の借り入れを待って、必ず黒田は攻めてくる。本音を言えば、お主には我が傍らで、共に戦況を見守って欲しい。しかし、儂はこの戦で、敵を完膚なきまで叩こうと思っておる。そのために、お主にはこの城で、敵の一部を確と引きつけて、牽制して貰わねばならぬ」

「承知しております故に、ご安心召されよ。しかしながら、それがしも若殿の指揮する晴れの初陣をこの目で見られぬ、というのはいささか心残りではございます」

 苦笑しながらも、実綱は嬉しそうだ。景虎の初陣を一日千秋の思いで、待ち焦がれていた一人である。

「実は与兵衛尉、そなたにはもう一つ願いがある」

「はて、その願いとは何でございましょう」

 実綱には思い当たるふしがない。怪訝そうに問うてみた。

「お主が抱えておる忍びの衆を、儂に譲ってはくれまいか。むろん、お主の下にも何人かを預けるが、これからは儂がお頭を筆頭とする一党全員を抱え込み、儂の意向で動くようにしたいのだ」

「何とそれは如何なる理由でございましょう。いくら若殿の願いとは申せ、彼らは我が直江家が代々抱えてきた輩にて、そう易々と承知することは致しかねますが」

 実綱の言うことは至極尤もな話だ。

「突然言い出して済まぬ。儂が考えるに、戦の趨勢が兵の強弱で決まるのは、今も昔も、そしてこれからも変わりなかろう。しかし、儂は今後の戦が情報戦になるとみている。数多くの情報を予め正確に、しかもどれだけ早く集めることが出来るかどうかで、戦の進め方が大きく違ってくるはずだ。この考えはどうじゃ、間違っているか」

「仰せの通りと存じます」

「つまり、儂は矢継ぎ早に起こる情勢の変化を的確に、そして出来る限り迅速に掴みたい。戦は生き物であり魔物でもある。予め、どんなに細かい段取りを決めていても、一つの些細な動きの変化が、戦全体に大きく影響を及ぼすことがある。戦場においては、その些細な変化に対応出来なければ、緻密な段取りも、絵にかいた餅と同じになるだろう。儂は臨機応変に判断し対応することで、絶対に負けない軍団を作りあげたい。それには、そなたが抱える優秀な忍びの衆の力が必要なのじゃ」

「なるほど」

 実綱はひょっとしたら、仕えようとしているこのお方は、自分の考える範疇を遥かに超えた、とんでもない傑物かもしれぬ、と少し怖じ気づいていた。それと同時に、高まる胸の鼓動を抑えきれずに、面白がっている自分にも気がついていた。

「若殿の慧眼けいがんには感服いたしました。そこまで言われては、この与兵衛尉、否とは申せませぬ」

 そう言うと、実綱はにわかに立ち上がり、庭にむけて一言大声で発した。

「いずこかにおろう。出て参れ」

 すると、忍びの衆の頭目と思しき者一人が、四年前のあの時と同じく、物音ひとつ立てずに降り立ち、庭に進み出た。

「儂が呼び出した理由はすでに承知であろう。お前の主は今日から、この若殿となる。良いな」

「我らは銭によって雇われている身にて、殿の命に従うまででございます。それに」

「何じゃ。おぬしが、かくも言葉多く語るは珍しい。申してみよ」

「引き続き、我ら一党、若君様を通して、引き続き殿にお仕えすることに変わりはございません。畏れながら申し上げますと、若君様はこれからの越後に欠かせぬお方と、お見受けいたしております。そのようなお方に我ら一党が、命をかけてお仕え出来るのは、陰の者ながらも誉れと心得ます」

「確かに、お前たちはここ数年の間、いつも陰から若殿を見守っていたから、儂より若殿のことを知っておるかもしれぬのう」

実綱は苦笑しながら景虎を振り返った。

「かように、儂はこの者たちに見限られたようでございます。何やら長年の思い人から、絶縁を伝えられた気分にて、寂しゅうございますが、どうぞ、ご存分になさりませ」

 自嘲と冗談を交えながらも、その実はすっかり納得している様子だ。

「あい済まぬ、礼を言う」

 景虎は実綱から忍びの頭に目線を移し、更に続けた。

「これからは儂がお前たちの主(あるじ)じゃ、良しなに頼む」

「ははっ」

「ところで、かつてそなたに名を問うたが、ないと申したな。儂が名を授ける。今日から、そなたは幻蔵じゃ。常に陰となって動き、それは幻の如き者ども。よってその一党を『幻の者一党』とする。良いな」

「有難き幸せ」

 幻蔵は言うや、少しだけ面を上げた。三十前後か、初対面の時に思ったよりも若いのかもしれない。鳶色の瞳で目は澄んでいる。少しだけ潤んでいるようにも見えた。

「下がってよいぞ」

 一礼した幻蔵は、再び音もなく立ち去った。

「ところで若殿、いよいよ初陣に際し、相応しい旗印が必要ですなあ」

 あらためて、着座した景虎に実綱が問う。

「そのことだが、実は既に心に決めた旗印がある。お主には一番初めに知って貰いたかった。筆と硯を用意してはくれまいか」

「それはまことに光栄なことでございます。さあ、どうぞご存分にお書きくだされ」

 手際よく準備された硯に墨を丁寧に摺ると、景虎は一挙に書き上げた。その真っ白な和紙には「毘」の一文字が、紙一面に大きく記されている。

「それは毘沙門天様の意味でございますね。確かに若殿には、これ以上の旗印は考えられませぬ。我ら一同は、毘沙門天様の化身となられる若殿に、お仕えするのですから、これは末代までの誉れとなります。この乱れた越後を、ひとつに纏めることが出来るのは、若殿を置いて他にはおりませぬ」

「さように大それたことを申すではない。儂は畏れながら毘沙門天様のように、邪悪を挫き弱き者を助け、正しき世の実現に、少しでも力になれたらとの一念で、旗印として一文字を頂戴したまでのこと」

 景虎の言葉を、実綱は全く意に介する様子がない。

「重畳でございます。それがしは、四年前の出会いから、貴方様こそが越後一国を束ねる盟主に相応しいお方、と信じ続けて参りました。こうして成長を遂げられ、元服なされた今、その思いは確信に変わろうとしております。その第一歩がこれから始まるのです。『毘』の旗を押し出して、我らが共に歩もうとしているのです。これを喜ばずしておられましょうか」

「与兵衛尉、儂はそのように大層な傑物ではない。ただひたすらに、毘沙門天様のご威光におすがりして、共に歩んでくれる皆のために、全力で突き進もうとしているだけなのじゃ。まこと買い被られては困る。しかし、与兵衛尉には、我が同朋の要として、これから力を貸して欲しいと思っておる」

「よくぞおっしゃいました。本日只今より、この直江与兵衛尉実綱、長尾平三景虎様に我が命をお預けいたします。ご存分にお使いくださいませ」

「宜しく頼む、与兵衛尉。お主の今の言葉は、十万の味方を得た心地がする」

「若殿こそ大袈裟でございますぞ」

「いいや、今の発言は、儂の本音じゃ。偽りはない」

「では二人で、いつか十万の大軍を率いて戦いましょう」

 実綱の夢物語のような冗談に、思わず景虎は笑っていた。

 この時に確かめ合った互いの結束と、深まった二人の信頼関係は、その後も変わることなく一生涯続くことになる。

 二人はこの後も、初陣における極秘作戦を、細部にわたって詰めたうえで擦り合わせ、連携の仕方を確認し合った。

 その密議を終えた二人は、ようやく和やかな談笑の時を迎えていた。

 すると、城内の何処からともなく、夏風に乗って涼やかな笛の音が聞こえてきた。景虎は思わず目を瞑り、その心地よい音色に酔いしれた。それは優しく、そして美しく何とも儚げな音色であり、景虎の耳に直接囁いているようでもある。

「あれは、我が娘、蒼衣の笛の音でございます」

 実綱は気を利かせて言ったつもりなのだが、景虎は心の中を見透かされたような気がした。

「暫しお待ちくだされ。若殿に挨拶するよう、蒼衣に伝えて参ります」

 景虎は自分の気持ちを言い当てられたのが、余程恥ずかしかったとみえて、立ち上がろうとする実綱を、思わず制してしまった。

「いや、今日はそなたと戦の相談に参った迄じゃ。それに長居をして敵方に悟られては拙かろう、急ぎ栃尾に戻らねばならぬ」

 言うが早いか、景虎は慌てるように立ち上がり、別れの挨拶を急ぎ済ませると、与板の城から逃げるように、駆け去ってしまった。

 一目会いたい、と何故儂は素直に言えぬ。景虎は自分の意気地のなさを馬上で悔いた。また、実綱の気遣いに素直に応じられない、自身の不甲斐なさにも憤っていた。城は遥か彼方に遠ざかるばかり、今更悔いても取り返しがつかないことだった。

 景虎がそんな後悔の念に苛まれていることなど知る由もない。与板城内からは、徐々に遠ざかる景虎の馬上姿を、密かに見送る一人の姫の姿があった。


 それから半月の後、栃尾城内では景虎を中心として、城代である本庄実乃他七名の近臣が、軍議を催す姿があった。全員がこれまでに探索したことを、詳しく書き込んだ周辺図面を囲み、目を落している。

 この年はとりわけ暑い夏の日々が続いていた。この日も風が通らない中、皆の額には汗が滲んでいる。

「よいか、儂に元服の祝いの品を届け、誼を通じてきた者の全てが味方とは限らぬ。直江与兵衛尉と安田長秀殿の他は、どこまで当てになるか知れたものではない。恐らくは、儂のお手並み拝見と、様子見を決め込む国衆が大半であろう。なればこそ、此度の戦は、我らが寡兵であっても圧勝しなければ意味がない。そこでだ」

 景虎は一同を見回して続けた。

「敵がこの栃尾めがけて押し寄せるのは、八月末か九月の初めになる。特に黒田はかつて我らを襲いながらも、失敗した苦い過去がある。恐らく、儂のみならず与兵衛尉をも憎んでいるはずだ。しかも、黒田の城と与板の城は目と鼻の先じゃ。与兵衛尉が城を留守にするわけには参らぬ。与兵衛尉には何としても、敵の一部を引きつけたうえで、与板の城を守り抜いて貰わねばならぬから、加勢は期待出来ぬ。よって、我らは安田長秀殿の援軍を含めても総勢一千。それに対して敵は、野盗や凶徒といった不逞の輩をも、銭で雇い集めていると聞き及ぶ。恐らく、この栃尾攻めの兵だけでも、二千五百は下るまい」

「我らの劣勢は否めませぬなあ」

 腕を組みながら、本庄実乃が一言挟んだ。

「そこで我らの策はこうだ。半数の五百の兵は、夜陰に紛れて先発し、予め決めた場所に埋伏する。一方、儂を含め残りの兵五百は、一旦城を背にして陣を敷く。しかし、敵の大軍を見て怖じ気づいたとみせかけ、直ぐさま城内に引き下がり、あたかも籠城戦かと思わせる」

「なるほど」

 蓄えた顎髭を撫でながら、彌太郎が唸った。

「埋伏した別働隊は、気づかれぬように敵の背後に近寄り、城に攻めかかったところに襲いかかる。同時に退却した我ら城内の兵も、城門を開き挟撃する。敵の動きは、新たに召し抱えた幻の者という忍びの者たちが、逐一儂のもとに報せてくれる手はずになっている」

「見事な策ですな」

 本庄実乃は勝利を確信したかのようだ。

「今は、幻の者の頭、幻蔵らに城全体を見張らせており、蟻一匹の入る隙間すら、つくってはおらぬ。万が一にも、この策が敵に漏れることはなかろう。しかし、今後はわからぬ。よって、これからの戦支度は、当日まで慎重且つ秘密裏に進める。よいな」

「承知」

 一同静かに声を揃えて応えた。

「別働隊の指揮は彌太郎と孫左に任せる。埋伏の場所をもう一度確認しておくこと。与八郎は、与板の直江と別働隊、そして我ら城方との連絡網を指揮せよ。他の四名は城代殿と共に、儂の目と耳、手足となって支えてくれ。それでは、ご一同、抜かりなく」

 そこには未だ十五歳とは思えぬ頼もしい侍大将の姿があった。


 天文十三年九月、遂に敵が栃尾城に押し寄せてきた。

その数ざっと三千。対する景虎勢は七百。予想の五百を上回ったが寡兵に変わりない。敵はやはり我らを侮っている。力任せに押し出してきた。

景虎は素早く櫓から降りると、計画通りに城を背に陣を敷き、出来る限り敵を引きつけた。

 城門は全て開け放っており、景虎の号令とともに、急ぎ退却する手筈になっている。

「鬨の声を上げよ」

 兵の士気は高い。皆が声を張り上げた。心地よい緊張感が体中を駆け巡る。

 周りの兵に目線を向けた。多少緊張している者もいるが、作戦に自信を持っているせいか、高揚感が勝っているようだ。

 景虎は後方中団の馬上に構えた。先鋒は策を知り、自らが名乗り出てくれた揚北の雄、安田長秀軍だ。如何に敵の先鋒をいなすかは、全て一任していた。

 まだまだ、もっと、もっとだ。引きつけろ、焦るな。景虎は自らの逸る気持ちを心の中で、たしなめた。

 この僅かな時間が、何刻にも長く感じられる。

「弓隊、前へ」

 ようやく、敵の先鋒が矢の届く射程圏内に入った。間髪入れずに、景虎は右手に持った軍配を振り下ろした。

 強弓を引く強者で揃えた弓手たちが、素早く三段に構えると、豪雨の如く矢を射かけた。

 敵の動きが止まり、明らかに怯む様子が伺える。矢除けの盾も揃っておらず、面白いように敵兵が斃れていく。それを見逃さず、安田長秀率いる長槍隊が突っ込んでいった。

 敵兵の動揺は更に大きく広がったが、景虎の合図で安田軍は深入りすることなく、素早く反転した。

 全軍が吸い寄せられるように城内を目指す。それを見た敵はすぐさま態勢を立て直し、半転する景虎勢を追い、栃尾城をめがけて殺到してきた。敵は数に頼んでの軍勢であり、それぞれが手柄を立てようと、必死の形相で迫ってくる。

 しかし、そこへ、先に城内に戻ったもう一つの弓隊が、撤退兵の援護のために矢を射かけるので、敵兵は城門の前で立ち往生のまま、釘付けとなっていた。

 景虎はほとんど無傷のまま全軍が城内に退却したのを確認し、素早く城門を閉ざした。更に弓隊の攻撃は激しく、敵は前進するどころか、命惜しさに後退する者まで出始めている。

 そこに遠くから鬨の声が聞こえてきた。

 小島彌太郎と黒金孫左衛門らが指揮する別動隊だった。手筈通り、敵に気づかれないように、絶妙な間合いで進軍してきたに違いない。

 初めて挟撃と知った敵に、大きな動揺がみられた。前方か後方か、矛先をどちらに向けるか、退却しようにも挟み撃ちでは、到底逃げ場がなかった。

 こうなると敵の指揮系統などは皆無に等しい。好機とみた景虎は大音声で叫んだ。

「城門を開けろ。全軍で押し出せ」

 城門が一斉に開け放たれ、右往左往する敵に向かって騎馬隊が鏃の如く一直線に突進していく。その後方から長槍隊が続いた。

 これで勝敗は決したのも同然だった。

 城攻めの総大将として、後方に構えていた三条城主の長尾平六長景が、慌てふためいて戦場を離脱すると、あとは収拾どころではなくなっていた。

 大軍とは言え烏合の衆であり、一度脆さを露呈すると崩れるのは、あっと言う間である。挟撃に遭って討ち取られる者、武器を捨て一目散に逃亡を図る者が相次いだ。

 その後、逃げる敵を追っての追撃は一刻に及び、挙げた首級は八百に及んでいた。

「おめでとうございます、若殿。大勝利ですな」

 返り血を浴びて鬼の形相の彌太郎が、兜を小脇に抱え息を切らして戻ってきた。

「実に見事な采配でございましたぞ」

 本庄実乃が興奮を抑えきれずにいる。

 先鋒の安田長秀も、思った以上の戦果に驚嘆するばかりだ。

「いやはや、これがとても初陣の若殿が指揮した戦とは思えぬ。心より感服仕りました」

「いいや、これも全て先鋒を進んで引き受けて下された、安田殿の絶妙な動きがあればこその、大勝利でございます」

 大将として手柄を長秀に譲り、讃えることを忘れていない。景虎は戦捷の興奮を抑えつつ、更に次の手を打つ。

「戦はまだ終わってはおらぬ。先ずは全員飯を食おう。皆、疲れているとは思うが、この好機を逃す手はない。飯を食ったら、直ちに西へと向かい、直江勢とともに黒滝城を攻める。不忠者の黒田秀忠を討ってこその大勝利じゃ」

 栃尾攻めが失敗と知れ、またそれが大敗北となれば、与板城を包囲する黒田勢も必ず撤退するはずだ。その撤退する兵を、直江勢が追い討ちをかける手筈になっている。

「よし、先ずは飯じゃ、飯じゃ」

 孫左衛門の大きな声で、城内に笑いの輪が広がった。


  *粛清


 景虎勢の動きは驚くほど早かった。

 負傷兵や一握りの守備兵を除き、栃尾城を進発すると、撤退する黒田勢の追い討ちを掛けていた直江実綱勢と合流し、夜半には黒田長秀の居城である黒滝城を囲んだ。

「お見事な勝ち戦、執着至極に存じます」

 陣中で再会した実綱が戦捷の祝いを述べた。

「お主の背後の牽制と、幻の者一党の働きのおかげじゃ」

 景虎も笑顔で応じた。

「ようやく、この日が参りましたな」

 大勝利の報せに、他の誰よりも喜んだ実綱は、顔を紅潮させている。

「ところで相談がある、これからの黒田の仕置きのことだ。お主は如何すべきと考える」

「若殿にとっては因縁の憎き敵でございましょう。この勢いで攻め落とし、首を取るという手もありますが」

「黒田は我が父のおかげで、城持ちになれたと聞く。その大恩があるにも関わらず、跡を継いだ兄上に逆らい、この儂を二度も襲うなど許し難い」

「ご尤も」

「しかし、それはあくまで儂ひとりの考えでしかない。守護代の一家臣の立場としては、この時点で厳罰に臨むことが、果たして適切かどうか。それに幻蔵からの報せによれば、黒滝城内の守兵はおよそ五百と聞く。攻め落とせぬ数ではないが、我が方の犠牲も多少覚悟せねばなるまい。それは儂の本意にはあらず」

 景虎の若さに似合わぬ思慮の深さには驚くしかない。

「儂は守護代の命を受けた古志郡司に過ぎぬ。ここは、あくまで降伏投降を勧め、裁断は守護代である兄上に委ねるべきと考えるがどうであろう」

「若殿がそこまでお考えなのであれば、この与兵衛尉が申し上げることはございませぬ。この戦で若殿のご武勇は、一挙に越後国内に伝播することでしょう。加えて、そのように冷静な仕置きを行えば、多くの国人が競って、若殿の下に馳せ参じること、間違いございませぬ」

 案の定、戦捷と黒滝城攻囲の報を聞きつけた近隣の国人衆が、景虎のもとに我先にと、軍勢を差し向けてきたために、総勢は四千に膨れ上がっていた。戦前はお手並み拝見と、様子見を決め込んでいた輩である。

 その大軍による包囲で、当初は高かった黒田籠城兵の士気も下がる一方で、黒田秀忠は打つ手を失ってしまう。

 その城内を見透かしたかのように、景虎は次の決定的な一手に打って出た。

 それは、栃尾城の合戦で惨敗し、居城の三条に逃げ戻っていた長尾平六長景が降伏したことを、黒滝城の籠城兵に向けて喧伝することだった。これからでも投降した者の命は保障する、という触れ込みも忘れていなかった。

 こうなると、黒滝城からは雪崩を打ったように、夜の闇を利用して、城外へと投降する兵が後を絶たない。

 遂に黒田秀忠は抵抗を諦め、自らも投降するに至った。

 景虎は拘束した秀忠の身柄を、早速、春日山城の晴景のもとに送還した。天文十三年(一五四四年)十月のことである。

 美しく色づいた山々の紅葉も、すっかり散り落ちてしまっている。越後の長く厳しい冬の足音が、ひたひたと音を立てて、すぐそこまで迫ってきていた。


「此度は完敗でござる。弟君を若輩と侮った、我らの驕りがもたらした敗戦。既に我が命は無きものと、覚悟のうえで投降しております。しかしながら、特段のお慈悲をもって、我が出家をお許し頂けまいか。叶うことなら、僧として俗世を離れ、戦で命を落とした者どもを弔いながら、静かに余生を暮らしたいと存ずる。如何であろうか」

 黒田秀忠は命乞いをした。場所は春日山城内、守護代・長尾晴景の御前である。

 秀忠は悪びれる様子もなく、更に嘆願を続けた。

「むろん、越後国内になど、我が居場所はないと心得ております。どこぞ、知らぬ国に参り、ひっそりと生き長らえる所存。守護代殿、どうか命だけは助けて頂きたい。この通りじゃ」

 この傲慢とも取れる嘆願、というより一方的な物言いだったが、気弱な晴景は判断出来ない。

 悩んだ挙句に、自身での裁定を投げ出して、側近の桃井氏と守護の上杉定実に、その断を丸投げしてしまう始末だった。

 そして、こともあろうか、この秀忠の嘆願を、守護の定実は「諾」との断を下してしまう。

 この頃の守護・上杉定実は、自身の継嗣問題で一旦隠居を強行し、それを慌てて晴景が止めにかかったことで、権力構図は逆転し、自ずと国人衆への影響力も増している。

 黒田秀忠は、もちろん、この権力構図の変化はとうに見抜いていた。当然、定実に対しては、かねてより接触を図り、誼を通じている。此度の開戦に当たっても、予め自身の正当性を、内密書簡で守護に訴え、抜け目のないところをみせていた。これが敗軍の将として裁かれる身になった今、活きることになった。

 あらためて言うが、長尾晴景は決して愚将ではない。しかし、病弱で気も弱いことが、この度も災いしてしまっていた。またもや、守護代としては致命傷とも言える失態を犯してしまったのである。

 かくして、自由の身になった黒田秀忠は、命乞いの時の約束など、元々なかったかのような行動に出ていた。

 国外退去や出家するどころか、姿を一時くらましながらも、黒滝城に残る家来衆と密かに連絡を取り続けていたのだ。それは、黒滝城を密かに奪還して、再起を計ろうと、暗躍していたことに他ならない。

 そして、天文十四年(一五四五年)十月、悲劇は起こった。

 兄である守護代・晴景から、黒滝城代に任じられ、城に詰めていた長尾景康が、黒田秀忠の手によって暗殺されるという事件が勃発する。秀忠は家来衆の手引きにより、夜陰に紛れて城内に入り込み、その足で景康の寝込みを襲ったのだ。

 腹違いとは言え、景康は景虎の兄に当たる。共に父・為景の臨終にも立ち会っている。その兄の悲報を耳にした景虎は、烈火の如く激昂した。

 景虎は兄弟としての情もさることながら、自分と同じく守護代・晴景を支える一人の忠臣が、謀殺されたことに、抑えきれない程の憤りを感じていた。

 同時に、前年の秀忠に対する甘すぎる沙汰に対して、全く異議を挟まなかったこと、更に遡れば、自身の手によって処断しなかったことを大いに悔いていた。

 こうなった以上は、景虎に残された道はただ一つ、兄の弔い合戦である。憎き黒田秀忠を討ち、兄・景康の墓前に、その首を供えることだった。

「兄上、此度の黒田秀忠の所業を、断じて許してはなりませぬ。すぐさま、この足で取って返し、黒滝城に籠る秀忠と、その一族郎党を殲滅いたす所存にて、何卒ご裁可くださいますよう」

 景虎は急ぎ兵をまとめて栃尾から春日山に急行し、兄・晴景に甲冑姿のまま謁見した。

「済まぬ、儂の弱さが景康を死に追いやってしまった。一生悔やんでも悔やみきれぬ過ちであった。頼りはそなたのみじゃ。儂の名代として、どうか黒田秀忠を成敗してくれ」

 景虎は、兄・晴景からだけでなく、守護・上杉定実からも、黒田秀忠追討の裁可も得ることが出来ていた。

 定実は、景康暗殺の原因が、自らの甘い判断が招いたことだけに、バツが悪いことこの上ない。景虎と会うことは断ってきたが、その代わり、秀忠追討を命じる書状を送り届けてきたのだ。

 これで大義名分は揃ったが、景虎はこの間、他の国人衆にも檄を飛ばし、黒田追討軍への合流を呼び掛けている。

 その効果はてき面だった。黒滝城に向けて進軍する途中にも、上郡・中郡だけでなく、揚北の一部からも軍勢が合流し、黒滝城に達した時は総勢六千五百にまで膨らんでいた。

 天文十五年(一五四六年)二月、景虎は黒滝城を包囲すると、反撃の隙すら与えることなく、電光石火の如き総攻撃で、これを落城させる。

 むろん、投降してきた秀忠を捕獲するや、申し開きなど言語道断と、即刻その首を刎ねただけでなく、その一族郎党と加担した家臣全てを誅滅したのだった。

 この景虎の徹底した粛清の断行は、越後国内に大きな衝撃を与えた。

 それまで、当たり前に横行していた反乱分子による横暴が治まっただけではなく、これまで旗幟を鮮明にしていなかった大方の国人衆が、雪崩を打ったように揃って、守護代家に忠誠を誓ってきたのだ。

 これは、守護代家を支える、頼もしい若武者の登場として、景虎が越後国内に認知された証でもあった。

 このように景虎の鮮烈な登場が、越後国内を席巻しているちょうど同じ頃、天文十五年四月、関東では覇権争いを決定づける大きな戦が起きていた。

 父・氏綱の後を継ぎ、新興勢力として拡大しつつあった相模国・北条氏康の軍勢八千が、武蔵国・河越城において、扇谷上杉と山内上杉の連合軍に、古河公方の足利晴氏の軍勢を加えた総勢八万の大軍を、夜襲によって大破するという大番狂わせを演じていた。

 このように、越後を取り巻く近隣諸国の情勢は、刻一刻と変化している。景虎が望まずとも、やがて歴史の表舞台に登場せざるを得ない土壌は、着々と醸成されつつあった。


  *春日山入城


 黒田氏の滅亡以降、守護代・晴景と景虎の兄弟政権が、越後一国を平らかに治めるかと思われたが、そう単純に事は進まない。

 人間のさがとも言える、嫉妬や劣等感といった感情が微妙に絡み合い、一瞬にして関係性を壊してしまうのは、五百年近く経った現代と、然程大きく変わるものではない。

 景虎とは親子ほどの年齢差がある異母兄の晴景は、日に日に名声が高まる弟の存在がうとましくなっていく。そして、晴景の微妙な感情の変化と心の隙間に、つけ込む国人が少なからず存在していた。

 晴景と景虎が手と手を携えて越後一国を統治することは、その兄弟に政事の主導権を完全に奪われるということである。それよりも、弱々しい晴景の単独政権を歓迎する国人が存在しているところに、越後という国の複雑さと難解さが表れていた。

 その国人の代表格が、上田長尾氏の房長・政景父子、そして揚北の黒川実氏だった。

 とりわけ、長尾政景は、父・房景の家督を継いでおり、居城である上田庄・坂戸城から、上田長尾氏の長として、国内における勢力の拡大を虎視眈々と狙っている野心家であった。

「守護代殿、この頃のご舎弟殿は、勝ち戦を鼻にかけて、些か調子に乗っているのではござりませぬか。この春日山を蔑ろにして、各国衆と頻繁に回を重ねては、何やら良からぬ相談をしているという、専らの噂でございますぞ」

 政景が春日山城を訪っては、守護代・晴景にけしかけることしばしばであった。

「その良からぬ相談とは何か」

「確とは分かりかねますが、どうやら、畏れ多くも守護代である貴方様を廃し奉り、力ずくで自らがその座に就こうとしているとか。その噂を耳にしたのも、一度や二度ではございませぬ」

「黒田を滅ぼして調子に乗っているという噂は、我が耳にも届いておる。しかし、よもやこの兄である儂に、弓を引くことなど、景虎に限ってはあり得まい。しかし、上田殿の耳にもそのような噂が届いているということ自体が、由々しき限りじゃ。奴に隙が生まれているということに他ならぬ」

 当初の晴景は、景虎に対する嫉妬はともかく、謀反などあり得ぬことと全く信じてはいない。しかし、景虎の意向はともかく、栃尾への各国衆や使者の訪いは後を絶つことがなく、それが日を追うごとに頻繁となっていたのは、紛れもない事実だった。

 誠実で礼節を重んじる景虎は、わざわざ遠路足を運んでくれた者に対して、会わずに帰すなどという非礼に及ぶことは出来ない。儀礼的に挨拶し、ただ労いの言葉を交わすだけなのだ。しかし、それがまた、誠実との評判が立ち、訪問者が増えるという妙な循環に陥っていた。

 栃尾を訪う人数と回数が増えるほど、それが晴景の耳には、秘密の謀議を巡らしている、かのように喧伝されてしまう。やがては、兄弟間の深い溝をつくるまでに、発展してしまっていた。

 つまり、反景虎派の策謀によって、「景虎謀反の兆しあり」と晴景に吹聴され、それが更に歪曲誇張されたかたちで、頻繁に晴景の下に届くようになっていく。

 当初は単なる噂として、全く耳を貸さなかった晴景も、やがて「栃尾の景虎謀反」を本気で、疑うまでになってしまっていた。

 もう一方では、晴景に代わって、景虎を守護代として擁立しようという動きも存在しており、その勢いは日毎に増幅しているのも、隠しようのない事実だった。

 その筆頭が与板の直江実綱であり、揚北の中条藤資と安田長秀、義叔父でもあり北信濃の高梨政頼、栃尾の本庄実乃、三条の山吉行盛、栖吉の長尾景信らが、それに名を連ねていた。

 これらの動きが表面化するに連れて、晴景派と景虎派が火花を散らし、遂には一触即発の危機に至るまで、対立は悪化していったが、景虎自身はこの状態を、決して喜んではいなかった。そして、この状況は我が本意にあらず、という弁明を認めた自筆の書状を、幾度も晴景に送り届けていた。

 この時、景虎は幼い頃に傾倒した「義経の物語」を思い出していた。兄・源頼朝と弟・義経の関係が、今の兄と自分に酷似している。そして、同じ悲劇的結末を繰り返してはならない、と自らを戒めていた。

 そのうえ景虎は、信義に悖ることは絶対に行ってはならない、という天室光育和尚の教えを自身の強い信念としている。親景虎派と呼ばれる国人それぞれに対して、根気強く説き続けたが、それは父とも兄とも慕う直江与兵衛尉実綱に対しても同様だった。

 しかし、そんな景虎の必死の抗いも、時流という大きな渦の中では、風に飛ばされ舞い落ちた一枚の木の葉のようなものだ。ただ虚しく渦の中に巻き込まれ、呑み込まれるしかなかった。

天文十六年(一五四七年)四月、守護代・晴景の命を受けた長尾政景を中心とする反景虎勢が、兵四千余を率いて春日山城を発ったという報せが幻蔵の手によって、もたらされた。

 乱世の習いとは言え、何故血を分けた兄弟同士が、争わなければならないのか、景虎は悩み苦しんだ。双方が無駄な血を流し合った結果、残るのは遺恨だけでしかない。どれだけ考えても、全く無益な争い、としか景虎には考えられない。

 これまでも幾度となく、景虎は謀反の意図を否定し、兄である守護代への忠誠を誓ってきた。それにも関わらず、かかる仕儀に至ってはもう、解決の糸口は残されていない。

 景虎もやむなく味方の国人衆に加勢を願い、出陣するしかなかった。

ところが、景虎の意を受けた直江・本庄らの国人衆の連携の速さと大きさは、景虎の想定を遥かに超えていた。軍勢は見る見るうちに膨らんで、柿崎の原野に到着した時は、八千の軍勢を越えるまでになっていた。

景虎擁立派は、実のところ、この日が来るのを待ち望んでいた。いつ出陣しても良いように、戦支度を整えており、景虎の要請に瞬時対応した格好だった。

この大軍を前にして、景虎は驚くと同時に、大いに喜んだ。戦に勝てると踏んだからではない。数で圧倒することで、戦をせずに和平交渉に導ける、と考えたからだ。この時期、戦になれば、田畑の作物への影響は避けられない。戦になれば、無駄な血を流すだけでなく、民の疲弊にも繋がってしまう。

この大軍勢に驚き、及び腰になったのは、他ならぬ長尾政景を中心とする反景虎勢だった。味方は相手の半分しか軍勢は集まっていない。途中から招集に応じた国人は殆どおらず、軍勢は当初の四千のままだ。

 おまけに、敵の陣構えには隙が見られない。各陣営から沸きあがる闘気も、自軍とは桁違いに大きい。味方の形勢不利は明らかだった。攻め手を欠いた反景虎勢は、一戦に及ぶことを逡巡せざるを得ない状況に追い込まれていた。主戦論を主張する長尾政景だったが、他の国衆はそれを退けて、早くも退陣論が大勢を占めるに至っていた。

 敵が迷っている間に、景虎は密かに守護の上杉定実に使者を送っていた。和平調停の仲立ちを乞うためである。

 定実はこの時、人生の終末に差し掛かっている。これまでの人生を振り返ると、自身で褒められることは何一つとしてなかったと言ってよい。これからの残された僅かな命は、せめて一人の人間として、恥ずかしくない生き方をしようと、心に期するものがあった。守護職継嗣問題も伊達家のお家騒動で頓挫したまま、今日に至っている。自らの手で何とか国の将来に道筋をつけ、守護として最後の花道を飾りたい、というのが偽らざる本音だった。

 守護として生きた四十年間は、常に傀儡としての詰まらない人生だったが、定実にとって人生最後に、最大の功績を残す機会が、今、訪れようとしていた。

「既に国内の人望は若き景虎に集まりつつある。守護代勢に倍する軍勢が集まっているというではないか。越後の未来のため、ここは儂が晴景に引導を渡す他あるまい」

 独り言の後、老体に鞭打って向かった先は、春日山城だった。

「守護代殿、戦わずとも既に勝敗は決まっておる。お主もそう見ておるのではないかな」

 守護・定実の指摘が的中しているが故に、守護代の晴景は何も返答出来ずに、沈黙したまま困惑している。その様子を見かねた定実は更に続けた。

「この際、和議を結んで、双方軍を引いては如何かな」

「しかし、それでは敵が納得いたしませぬ」

「自分の弟をこの後に及んで、敵という言い方はおやめなされ。この和議の仲裁を頼んできたのは、他ならぬその弟君ですぞ」

 初めて、人を叱ったような気がした。今更ながら、以前からこうやって、何事も本音で話していれば、守護代との関係も円滑だったのでは、とも思った。しかし、時すでに遅きに失するか、と自嘲した定実だった。

 晴景の顔に目を移すと、驚きと安堵が交差した表情が見て取れる。

「如何かな、守護代殿」

「弟がそう言うのであれば、当方に異論はございませぬ」

 元来、気が弱い晴景である。最悪の場合、自分の首も危ないと、内心びくびくしていた晴景なのだ。本音のところでは、定実からの和議の打診は、願ってもない助け船だった。

 こうして、国を真二つに割った兄弟骨肉の争いは、景虎の思惑通りに一滴の血も流すことなく、決着がつくことになった。


 正式に和議が成立し暫くの後に、景虎は与板城にいた。

「与兵衛尉、此度の儂の判断だが、味方してくれた国衆は正直、儂の判断をどうみておる」

「ご安心ください。皆が安堵しております。正直を申せば、好き好んで戦をする者は、誰一人としておりませぬ。ましてや、越後国内の争いとなれば、時には身内同士が戦い、血を流すことまで覚悟せねばなりませぬ。兵を駆り出すだけでも物入りなのに、死ねば残された一族の処遇まで考えねばなりませぬ。此度は一兵も失うことなく、事実上の大勝利です。若殿に対する期待と信頼は、一層高まったと申せます」

「まことにそうであろうか」

 景虎は自分への誉め言葉を簡単に信ずるほど、目出度い性格ではない。

 その性分を見抜いている実綱は更に続けた。

「確かに若殿は、果敢に戦を仕掛ける勇猛な武将、という一面が強調されがちです。しかし、その一方では、信義を大切にする慈悲深いお方の面も持ち合わせており、その人望は遠く離れた揚北の国衆にも、既に浸透しているという噂ですぞ」

「それならば良いのだが」

 景虎はまだ素直に実綱の話を信じられない。

「何か気になることでも」

「儂はこれまで僧門に身を置くなかで、様々なことを二人の師から学んできたつもりじゃ。御仏の道に止まらず、書や芸能、兵法、武芸と毎日が必死だった。しかし、今こうやって政事に携わるようになって初めて、考えや手法に誤りはないのかと迷いを生じてしまう。いまひとつ、自信が持てないのだ」

 それを聞いた実綱は、大笑いした。

 すぐさま、拙いと思い、非礼を詫びた後に続けて言った。

「さようなこと、ご心配には及びませぬ。未だ殿はお若こうございます。何事も場数を踏むことが肝要。これから嫌というほど、様々な判断に迫られることでしょう。しかしながら、最初から完璧な人など、この世にはおりませぬ。成功と失敗を繰り返しながら、人として将として、これから成長なさるのです。但し、信賞必罰という言葉がある通り、手柄のあった者に対する公平で相応の褒美を与えることが、これから最も重要となります。このことだけは決してお忘れなく、胆に銘じてくださいませ。主従関係を良好に保つためには、むろん信義も大切ながら、一番は目に見える褒美なのです」

「あいわかった。しかし、人の豪とはまことに面倒なことじゃのう。人は欲という魔物から逃れることは出来ぬものか」

「それは難しゅうございましょう。欲というものは、時に人を支配し惑わすもの。その一方で、活力の源にもなり得る厄介な代物でございます。欲を力で実現させようとすると、それが時には戦になってしまう」

 確かに与兵衛尉の言う通りだった。気が滅入る話に、景虎は思わず目を閉じてしまう。

 するとそこに、いつか聴いた懐かしい笛の音が、かすかな風に乗って、心地よく景虎の耳をくすぐった。

「若殿、今日は我が城にお泊りください。久しぶりに一献傾けましょう。畏れながら、若殿は少々生真面目が過ぎるところがございます。あまりに根を詰め過ぎますと、心と身体の均衡が保てませぬ。せめて、今宵くらいは面倒なことを全て忘れて、酒に溺れるのも一興かと存じますぞ」

「それもそうじゃ。では、お主の言葉に甘えて、今宵は飲み明かすとするか」

 実綱の一声で、手際よく膳と酒が二人の前に運ばれて宴が始まった。

 酒が進むにつれて、心地よい酔いが景虎の身体を包んでいく。

 生来、酒豪の景虎は、どんなに飲んでも、酒に飲まれることはない。しかし、今宵だけは酒の力が自らの舌を饒舌にしているようで、それが不思議だった。

 久しぶりに、心の中では父とも兄とも慕う実綱との、肩の力が抜けた話に興じて、どれくらいの時が経過したものか。ふいに襖が開き、そこにはひとりの姫が手を揃えて平伏している。

 実綱の娘、蒼衣だった。

「蒼衣、栃尾の若殿にご挨拶しなさい」

 実綱が上機嫌に促した。

「直江与兵衛尉が娘、蒼衣でございます。ようこそ、お越しくださいました」

「若殿、この与兵衛尉が親馬鹿なのは、自ら重々承知しております。しかしながら、蒼衣の笛はなかなかのもの。是非とも一度近くでお聴き頂きたいと存じ、勝手ながら、この場に来てご挨拶申し上げるよう、呼びつけてしまいました」

「確か、儂が初陣を前にした時だと記憶しておる。ここ与板の城に参った折に、一度遠くに聴いた覚えがある。澄んだ音色に心が洗われる思いであった」

 景虎は酒の勢いとはいえ、気持ちを素直に表している自分に驚き、戸惑っていた。

 それを聞いた蒼衣の頬が、ほんのり桜色に染まった気がする。

 蒼衣も自身の恥ずかしさを隠すように、すぐさま笛を口元に運び添えて奏で始めた。

 梅雨の晴れ間に現れた月が、見事に冴える夜だった。間近で蒼衣が奏でる笛は、そよ風のように優しく、清雅な音色であり、やはりどこかはかなげでもある。

 景虎は叶わぬ夢とは知りながら、この至福のひと時が、いつまでも続けば良いと願っていた。心を奪われているのは、笛の音にだけなのだろうか、それとも。

自分の気持ちを悟られぬように、景虎はひと息に手元の酒を煽った。


 天文十六年(一五四七年)六月、景虎は府内に構える守護・上杉定実の館に赴いた。前の和議仲裁の労に対する御礼が目的である。

「御屋形様、此度は兄である守護代との和睦に際し、特段のご尽力を頂戴いたしましたこと、あらためまして御礼申し上げます」

「いやいや、当然のことではないか、礼には及ばぬ。それよりも、今日はよくぞ来てくれた。そなたが未だ『虎千代』と呼ばれ城におった時分に、一度だけその腕白ぶりを目にしておる。しかし、その時はかような日が訪れることなど、夢にも思わなかった。人の縁(えにし)とは不思議なものよ」

 上杉定実は老いて衰えた身体を、従者に支えられながら、目を細めている。

「さようなことがございましたか。幼き頃のこととは申せ、お恥ずかしい限りでございます」

「しかし、その後は林泉寺、そして瑞麟寺での厳しい修行に耐え、多くのことを学んでこられたと聞いておる。今や、越後の国中で、そなたを知らぬ者はおらぬ。よくぞ立派に成長してくれたものじゃ」

「有難きお言葉。天室光育和尚様と門察和尚様に教わったことは、御仏の道のみではございません。人として如何に生きるべきかを深く考え、修行に励む日々でした」

「正直を言うと、最初にそなたから和議の仲裁を頼まれた時は驚いた」

「それは何故でございますか」

「そなたほどの戦上手じゃ。上田長尾が率いる守護代軍よりも、遥かに大軍を率いての対陣だったであろう。戦で決着をつけるものと、勝手に思っておった」

「此度は恥ずかしながら、兄弟・一族間の争いごとでしかございません。さような揉め事に、血を流すいわれはございましょうか」

「なるほど、それも道理じゃ」

「戦は民を疲弊させ、国をも疲弊させます。万やむを得ぬ時のみの、最終手段であるべきと考えます。ましてや、此度は如何なる理由があれども、兄に弓引くということなど、とても耐え難いことでした。そのような忠義の道に反する戦を行えば、いつか必ず報いを受けることになるでしょう」

「さように殊勝な考えであったか」

「その代わり、民に利をもたらし、義に適う戦であれば、如何なる場合であろうとも、全身全霊をもって戦う所存でございます」

「そなたは民の利まで求めると申すか」

「政事を担う者は自らの利にあらず、常に民のことを最優先に考えて、事を成すべしというのが、天室光育和尚様の教えでございました。それが仁愛の道に通ずるものと心得ております」

「うむ」

「それに、民が豊かであれば、その国や家を守るために、必死の思いで戦ってくれるはずです。この越後をそのような国にするために、兄上を支えて参りたいと心底考えて参りましたので、今はただ無念でしかありません」

「そうであったか。思い返せば、儂の一生は詰まらぬことばかりであった。しかし、最後にそなたのような清々しい若武者に会えたことを、心底嬉しく思うぞ」

 そう言いながら、定実の頬を一筋の涙が伝ってこぼれ落ちた。

 その晩、定実は身体の衰弱とは裏腹に、これまで覚えたことのない程の、満ち足りた感慨に浸っていた。

 夏の湿った生ぬるい風すら、今宵だけは、心地よく感じられる。

 今更ながら、自身の老いを恨めしく思った。もう少し若ければ、儂なりに景虎を支えて、面白い歳月を重ねられたかもしれない。

 景虎こそ、これからの越後を任せるに相応しい逸材だ。つまらぬ儂の生涯であったが、お陰で最後に一花咲かせられそうじゃ。 

 天文十七年(一五四八年)十二月、上杉定実は守護代・晴景を説き伏せ、景虎を晴景の養子として家督相続させる。同時に、晴景は隠居の身となり、歴史の表舞台から姿を消すことになった。

 年の瀬も迫った同年十二月三十日、景虎はついに越後第十二代守護代として春日山城に入城した。年が明ければ、景虎も早や二十歳を迎えようとしている。

 

  *戦雲


 晴景と景虎の久々の対面は、春日山城・本丸広間で行われた。立会人としては、病を押して守護・上杉定実が、薬師とともに傍らに控えている。

「兄上、決して我が本意ではありませんが、かかる仕儀となってしまいました」

 景虎は結果として、自らが兄を隠居に追い込んでしまったことを率直に詫びた。

「何も申すな。儂の方こそ、一番信頼すべきお主に対して、刃を向けてしまった。周りに唆されたとは申せ、そなたの力量と人望に嫉妬してしまったのは紛れもない事実。どうか許してくれ」

「お手を上げてくだされ、兄上。兵を出したのは私も同じでございます」

「今となっては恥ずかしい限りじゃが、ここにおわす御屋形様から、そなたの真の思いを聞かされなければ、気づくことさえ出来なかった、情けない兄じゃ」

 晴景の目には涙が滲んでいる。

「いいえ、弟のそれがしこそ、もっと色々とお報せや相談をなすべきでした。そうしていれば、要らぬ誤解を生むことも、周りに隙を与えることもなかったと、今では悔いるばかりです」

「思えば、景康亡き後は、たった一人の男兄弟。もっと互いに心を通わしていれば、無駄な争いは、避けることが出来ていたのかもしれぬ」

 どうやら、兄弟双方の蟠りは溶けたようだ。その様子を感じ取った守護・定実が、景虎に向かって語りかけた。

「そなたの真心を信じ、こうして快く守護代の職を禅譲する兄君は、そなたにとっては今から養父でもある。そなたの才は誰もが認めておるが、未だ若さ故に経験が足りぬ。これからも、養父となった晴景殿を、何かと頼りにするがよい」

 定実の言葉は、か細く、さすがに力がなかったが、景虎を見つめる目だけは、しっかりとした光を放っている。

「此度は何から何まで、御屋形様にご心労とご足労をお掛けいたしました。お身体が優れぬご様子にも関わらず、ご登城頂き、御礼の申し上げようもございません」

「いやいや、儂が望んで世話を焼いた迄のこと。礼には及ばぬ。これが守護らしき最後の務めとなろう。これからの越後は、そなたの双肩にかかっておる。しかと頼みましたぞ」

「承知仕りました。御屋形様も、最後などと寂しいことをおっしゃらずに、ご養生ください。そして、また元気なお姿をお見せください」

 景虎はあらためて、責任の重さを肌身で感じていた。もう後には引けない。如何なる艱難辛苦かんなんしんくにも耐えて、この越後を守らなければならない。

 自らの想定を遥かに超える、波乱に満ちた人生の第一歩が、いよいよ始まろうとしていた。


 景虎は春日山城に入り守護代に就任したが、それを最も不快に思い、冷たい目でみていた国人がいた。上田庄・坂戸城の長尾房長・政景父子だった。

 二人は苛立ちを覚えつつ、降り注ぐ長雨を憂鬱そうに眺めている。この年の梅雨は長雨続きだった。この日もなかなか止みそうもない空模様だ。

 天文十六年の対陣では、晴景の名代として、景虎との対決姿勢を露わにしており、最後まで戦いに拘ったのも政景である。

 その後も景虎との関係は、雪解けを迎えることなく、天文十八年(一五四九年)の初夏を迎えていた。

 元を辿れば上田長尾家は、越後長尾家の祖である長尾景恒の長子の系統であり、正当な長尾家の継承者としての自負がある。

 景恒の四男である長尾高景を祖としている、府内長尾家などは傍系に過ぎず、房長・政景の代に至った今でも、府内長尾家を主とは認めていない。上田長尾家では常に、府内長尾家の風下に立つことを是としない家風に満ち溢れていた。

「坊主上がりの小倅が。御屋形様に擦り寄って、守護代職を我が物にするなど断じて許せぬ。盗人猛々しいとはまさにこのこと。近いうちに必ずや、一泡を吹かしてやろうではないか。のう、新五郎」

「はい、必ずや」

 父・房長が語る背後で、家督を継いでいる新五郎政景が、その決意をみなぎらせていた。

 降り注ぐ雨は激しさを増す一方で、二人の会話をかき消していく。雨雲が周囲の山々にかかったままだ。そんな雨模様の空を、二人はただ眺めるだけだった。

 それから暫くの後、長かった梅雨明けが間近に迫ったある日、春日山城に運命の使者が訪れていた。

 関東管領・上杉憲政の使者だという。

 上杉憲政は、かつて若き長尾為景に討たれた、関東管領・上杉顕定の養子憲房の子にあたる。

 上杉憲政は武蔵国・河越で北条氏康の軍勢に大敗を喫していた。同盟していた扇谷上杉朝定は討ち死にし、扇谷上杉氏は滅亡。憲政自身も命からがら逃げ去るという有様だった。

 北条軍の十倍の軍勢を擁しながらの大惨敗によって、関東管領とは名ばかりとなり、その頃の山内上杉家は、衰退の一途を辿るばかりだった。


 この使者の春日山城到着より、時は少しだけ遡る。

 天文十八年(一五四九年)四月、北条氏康は兵二万を率いて北上し、上野の国境を流れる神流川(かんながわ)まで押し寄せた。

 これを管領麾下の太田資正(すけまさ)と長野業政(なりまさ)が迎え撃つも、散々に蹴散らされ、憲政居城の平井城まで逃げ帰っていた。

 既に山内上杉家は、家の存続すら危ぶまれる、まさに「風前の灯」状態だった。

「憎きは伊勢(北条)の子倅、氏康よ。どうやら、関東管領の儂まで本気で滅ぼす気でおるらしい。資正、儂は如何したらよいのじゃ」

 関東管領である上杉憲政は、狼狽うろたえながらも、思ったことを口にして気を紛らわすだけの、実に小心者であった。これでは北条に惨敗するのも頷ける。

「殿、誠に無念ではありますが、お味方が次々と離反している以上は、打つ手がございません」

 数か所に刀傷の後が残る甲冑姿のままで座し、太田資正は涙ながらに訴えた。

「では、ここで儂に降伏しろと言うのか。それはすなわち、儂に腹を召せ、と言っているにも等しいことじゃ。儂は嫌じゃ。絶対に腹は切らぬ、嫌じゃと言ったら嫌じゃ」

「いいえ、そうは申しておりませぬ。ここは関東管領としての意地を、皆にお示しください。この平井城は、そう容易くは陥落いたしませぬ。敵が攻めてきたなら、兵を鼓舞して籠城し、戦いましょう」

「そうか、落城はしないのか。それならば守りに徹しよう」

「しかし、いつまでもというわけには参りませぬ。万事窮す、という時には討って出て、華々しく散る他に、残された途はございません。どうか、その時はお覚悟召されますよう」

「あいや、暫くお待ちくだされ」

 それまで瞑目して、二人のやり取りを聞いていた長野業政が、ようやく目を見開き、その口を開いていた。

「長野殿、他に何か策があるとでも」

 資正の問いかけに直接応えることなく目で制すると、業政は管領憲政に対して、次のように問い質した。

「殿、ただ一つだけ策がございます。但し、この策は関東管領という矜持を、全てかなぐり捨てて頂かねばなりません。誠に屈辱的な手段ですが、殿にそのお覚悟はおありでしょうか」

「この期に及んで、関東管領の矜持など、とうの昔に捨てておるわ。この命が助かるのであれば、何でもする。何でも耐えてみせよう。早く言ってみよ、その策とやらを」

「されば申し上げます」

 ひと呼吸を置いて、業政の口から発せられた内容は、憲政の想像を大きく超えるものだった。

「越後の守護代・長尾景虎殿を頼るのです」

 憲政は暫く絶句の後、一言発するのがやっとだった。

「なんと、儂に越後を頼れと申すか」

「さようでございます。殿にとって、越後は仇も同然。御父上が越後の地で一敗地に塗れただけではなく、先々代の顕定様が討たれた、憎き相手であることは、重々承知のうえで申し上げております」

「しかし、よりによって越後とはのう」

 憲政の逡巡をみて、すかさず代弁するように太田資正が口を開く。

「聞くところによれば、先だって長尾景虎殿は兄を追いやって、守護代の地位を射止めたというではありませぬか。さような男を頼り、騙し討ちにでもされようものならば、それこそ後世の笑い者でございますぞ」

「いいや、我が耳にしたところによると、景虎なる若き当主は、兄に取って替わることを最後まで固辞したという。あくまで兄を支えることに拘った、今時珍しい忠義の者との評判だ。それを守護である上杉定実殿が、兄の前守護代を説き伏せ、景虎殿を養子縁組させたうえで、後を継がせたとのことだ。前守護代の晴景は生来身体が弱く、国衆を統べることも出来ぬ気弱な性格であったらしい。それ故に、見かねた守護が一計を案じたもので、景虎が力ずくで兄を追い出したのとは、全く訳が違うといいますぞ」

「それは真の話か」

憲政はにわかには信じられない。この乱世にあって、そのように殊勝な者がいるなど、そもそも考えられない。

「まこと相違ございませぬ。そのうえ、景虎は戦上手で情け深く、弱き者を助けるという極めて義侠心の強い若武者と伝え聞いております。また、幼少期より禅寺での厳しい修行にも耐え抜き、己の信ずる義を第一として貫き通す、この世で唯一無二の律義者と評判の漢でございます」

「いや、しかし、越後では未だに景虎の守護代就任を、快く思わない国人がいて、とても越後が安泰とは言えぬとも聞いております。そのような中で、果たして援軍などとても叶うとは思えませぬが」

 太田資正が危惧するのも、尤もな話だった。しかし、長野業政は更に続けた。

「いや、景虎殿が噂通りの義将であるならば、多少の困難をも厭わず、加勢してくれるはず。我らには残念ながら、このわずかな可能性に賭けるしか、策はもう残されてはおりませぬ」

 資正は武蔵国・松山城主であるのに対し、一方の業政は越後と国境を接する上野国・箕輪城主である。越後の情勢は時々刻々と伝わってきており、また近年の景虎の台頭と活躍ぶりも詳細に把握している。

「殿、事ここに及んでは、一刻の猶予もございません。ここは過去の遺恨を捨てて、越後を頼り再起を期する他に途はありませぬ。どうか、ご決断を」

 暫くの後に、憲政が重い口を開く。

「わかった。そなたに任せる」

「では、殿。早速、筆をお取りくだされ」

 書状の相手はもちろん越後守護代・長尾景虎宛である。

 業政は考えた。太田資正の言うことにも理がある。景虎は家督を継いで間もない身であり、簡単に身動きが取れるとは思えない。たとえ、評判通りの人物だとしても、今の景虎が軍を率いて越山するのは、相当無理があろう。

 結局、内容は援軍を乞う要請にとどめ、自らの越山を乞うことは控える内容にした。

「ところで、肝心な使者だが、誰か適任の者はいるのか」

「それがしが参ります」

「それは困る。お主に万が一のことがあれば、儂はどうすればよいのじゃ。他に替わりとなる者はいないのか」

「御家の存亡を賭ける大事な使者を、他の誰かに任せることなど出来ませぬ」

 そう業政に言われては、憲政が反論する余地はなかった。

「必ず、無事に戻って参りますので、ご安心召され」

 業政は未だ見ぬ越後の若き盟主に、想いを巡らせていた。それは北条との戦に敗れ、荒んだ心に灯った、かすかな希望の光であった。

 この時、傍らにいる太田資正の居城・武蔵松山城に、危機が間近に押し迫っていようとは、思いもしない三人だった。


 景虎は山伏姿に身をやつした関東管領・上杉憲政の使者との対面に臨んでいる。

 頭を垂れたままの使者は、その名をようやく明かした。それまではどれだけ名を問い質されても、景虎に会うまではご容赦願いたい、と頑なに拒み続けてきた。

 景虎の身を案ずる近臣衆も、当初は、暗殺を狙う他国の曲者と疑ったが、すぐさま護身用の刀を忍ばせた金剛杖も預け、丸腰のまま関東管領からの書状を示されては、正式な使者と認めざるを得ない。

「それがし、関東管領・上杉憲政が臣にて、上野国箕輪城主・長野信濃守業政でございます。ご家来衆の皆さまには、名乗らずにこの場まで控えて参りました非礼を、どうかお許し頂きたい」

「貴殿が勇猛果敢で名を馳せ、関東管領殿の懐刀ふところがたなと言われる、長野信濃守殿でござるか」

 景虎は自分の前に座する者が醸し出す気配から、只者ではないとは感じていたが、まさか長野業政本人であるとは思っていなかった。

「さような過分のお褒めに預かり、恐悦至極に存じます。先ずはこちらをご披見くださいませ。憲政公直筆の書状でございます」

 その書状には当家、すなわち関東管領・山内上杉家と、越後守護代・長尾家の間にある過去の遺恨を水に流し、切に関東への援軍を乞い願う、とある。

 景虎は考えた。

 互いに先々代の話とは申せ、両家間の遺恨を解消したいと、関東管領家の方から頭を下げてきている。これには応じなければ不義というもの。しかし、今すぐに援軍と言われても、未だ越後の国内は不安定で、纏まり切ってはいない。しかも、越山には上田長尾家の坂戸城の傍を避けては通れぬ。未だ断絶状態にあり、いつ戦になるか分らぬ今の有様では、自身の出陣はもとより、援軍ですら、到底叶うものではない。

 景虎は目線を書状から業政に移した。

「関東管領憲政公のお気持ちは、この平三景虎が、しかと承りました。また、過去の遺恨には拘らず、という寛大な御心には、つくづく感服いたしました」

「では早速、援軍を」

 間髪入れず、ここぞとばかり業政が回答を促す。

「伊勢(北条)氏康とその一族は、鎌倉以来の名家である『北条』を名乗っているようですね。元を辿れば、血筋はともかく今川家に取り入り、伊豆を乗っ取った新九郎長氏の孫と、その一族でありませぬか。所詮は成り上がり者の誹りを、免れぬ輩です。それが自らの武威を笠に着て、関東の秩序を混乱させ、己の欲のまま、他国を我がものにせんとするは、許せぬ所業と心得ております。すぐさま、軍勢を率いて越山し、伊勢一族を討ち滅ぼしたいのは、この景虎も同じ思いでござる」 

 この気持ちに嘘はない。長尾家の祖は坂東八平氏として名を馳せた家柄で、鎌倉北条家は、その主筋に当たる。鎌倉幕府とともに、滅亡の憂き目に遭ったとは申せ、その『執権北条氏』と同じ姓を名乗っている氏康ら一族を、景虎が認めるはずもない。謙信は生涯を通して、後北条家を伊勢という早雲以前の旧姓で呼んだという。

「それはまことに心強い。憲政公が聞いたら、どれほどお喜びになるか」

 業政は更に期待を膨らますが、景虎もこれ以上の発言は控えざるを得ない。

「しかしながら、ご存じとは思うが、家督を継いで未だ日が浅い身。そのうえ越後国内も未だ平らかとは言えぬ現状では、他国への出兵など時期尚早としか申し上げられませぬ。信濃守殿には、どうか了見頂きたい」

「では、援軍は叶わぬと」

「今は出来ぬとしか言えませぬ。しかし、国内を平定した暁には、この平三景虎自らが必ず出陣し、管領憲政公とともに、憎き伊勢の輩を討伐してご覧に入れましょう」

「些か残念ではございますが、致し方ございませぬ。当方こそ、越後国内事情を顧みずに、手前勝手な申し様、何卒ご容赦願いたい。しかしながら、長尾殿は我らに漏れ伝わる以上の、義に篤い御方であると、確信いたしました。それがしも五十路を越え、いつまで生き長らえるかは分らぬ身でございます。されど、長尾殿越山の折は、老体に鞭打ち、是非とも露払いの役目を、務めとうございます」

「それは頼もしきお言葉。我が越山の際は、その役目是非とも貴殿にお任せいたしましょう。それまでは、なんとか敵の攻勢を凌いで頂くようにと、憲政公にもお伝え願いたい」

 景虎の返事を受けて、業政は逗留の勧めを丁重に辞去し、帰りを急いだ。

 振り返ると、春日山城は既に遥か遠くに、霞んで見えるだけとなっていた。長野業政はあらためて思った。

 越後守護代・長尾景虎という若武者は、想像以上の切れ者に違いない。しかも、義に篤く誠実な人柄が、その言動から溢れ出ていた。ご家来衆との絆も、固く結ばれているらしい。我らとは大違い、なんと情けないことか。景虎殿を本当に頼ってよいかを、この目で確かめるために来たが、此度はその甲斐が十分にあった。となれば、我らはこれから何とかして、平井城だけは死守せねばならぬ。

 そんな帰路を急ぐ業政を待ち構えていたのは、絶望的な報せだった。

 越後路を通り抜け、三国峠も無事越えたばかり。上野国に入りひと安心と思ったのも、束の間のことだった。業政の帰りを峠の麓で待ち構えていた家来の話に、業政は落胆するしかなかった。

 武蔵国・松山城の太田資正が、氏康の大攻勢に屈し、北条の軍門に降ったというのだ。これで武蔵国内に、誰も味方はいなくなってしまった。

 冷静に考えれば、かなり以前から、憲政の無策と臆病に、愛想をつかしていてもおかしくはない。むしろ、武蔵国で孤立する中で、ここまでよく辛抱してくれた、とも言える。越後への援軍要請にも懐疑的だったのはなく、諦めの気持ちが強かったのかもしれない。

 業政の気持ちは急くが、足取りは重い。考えれば考えるほど、資正離反の影響は計り知れないのだ。落胆するなという方が無理な話だった。

 気がつくと、鋭く刺すような真夏の陽光を避けて、木陰で油蝉が競って鳴いている。大粒の汗を滴らせながら、業政は平井城への帰路を急いだ。


  *政景


 長野業政が来訪してからというもの、生真面目な景虎は、関東遠征を現実のものとして、考えざるを得なかった。

 その根底には、景虎自身の義侠心が強くあるとは申せ、越山には父祖の代から抱える深い因縁がある。

 景虎にはどうしても、前世から背負わされた宿命に思えてならなかった。その思いは萎むどころか、日を追うごとに増幅するばかりだった。

 もちろん、浮ついた気持ちなどではない。越山決行のためには、後顧の憂いを絶たなければならない。つまり、真の越後国内の統一が先決であり急務だった。

 国内統一の後に、ようやく外征が可能となる。越後は四方を敵に囲まれており、いつ攻め寄せられてもおかしくはない状況にあった。景虎は越後を他国の脅威に屈することのない、強国に変貌させるために、軍事力の拡充を目指した。そのためには、財政基盤の安定確保と更なる権益拡大が、必要不可欠であることを早くから認識している。

 守護代就任後直ちに着手したのは、当家の財政状況を近臣と共に自ら確認し、米以外の権益増大策を強力に推進したことであった。

 その財政政策の最たるものが、青苧あおそである。青苧は麻糸の原料となる植物の樹皮を細かく割いたものである。それを織った反物が越後上布として、当時の京でも高級品としてもてはやされていた。

 もともと、青苧の流通に着眼したのは父・為景であり、そこから生み出される膨大な利益を財源として、軍事的な優位性を保持していたのだが、景虎は更にそれを推し進めようとした。その方法とは、青苧の流通を支配統制する権利を独占することだった。

 青苧は当時、頚城・魚沼・三島を主な産地としていた。その流通を盛んにするために、景虎は国内河川の舟運や馬を使った陸運の統制を進め、各要所で通行税の取り立てを開始した。

 更に、柏崎や直江津の港を直轄化し整備することで、日本海を往来する交易を盛んにすると共に、海運からの利益をも取り込み、自らの財政基盤を益々確固たるものにしていった。

 むろん、これらは一朝一夕に確立出来たのではない。為景と晴景の代からの慣行を基盤として、歳月をかけて築き上げていった権益である。

 しかし、景虎が財政を最重要視し、それも決して米の石高だけに頼るのではなく、つまり農民からの搾取ではなく、商いを発展させることで国を富ましたことは特筆すべき事実だった。

 その莫大な蓄財が基盤にあったからこそ、驚異的な回数に及ぶ越山、信濃出兵や北陸への征西、そして二度の上洛という、華々しい軍事的政治的奔走を成し得たことは言うまでもない。

 また、京との積極的外交を行う、つまり、父・為景に倣って、朝廷や有力公家衆、足利将軍家との交誼を結ぶに当たっても、その豊富な財源が役立ったことも忘れてはならない。

 因みに景虎(謙信)は金山を殆ど支配下に治めていない。晩年支配下に置いた、越中の松倉金山が唯一あるのみである。

 国内の高根金山と上田金山は、それぞれ揚北国人と上田長尾氏の支配下にあり、佐渡金山も景勝の代になって、初めて摂取したに過ぎない。

いずれにせよ、軍事的天才としてのみに、焦点が当てられがちな景虎(謙信)ではあるが、有能な経営者としての側面を持つ武将でもあった。謙信急逝時に春日山城の金蔵に蓄えられていた金の量は、二万七千両だったいう。

 その豊富な財政基盤構築に貢献したのは、府内商人の二代目蔵田五郎左衛門であった。初代は父、為景の代から仕えており、景虎に仕えたのは二代目の五郎左衛門である。

 五郎左衛門との初対面は天文十八年九月のことだった。

「殿、蔵田屋がお越しです」

「来たか、待っていた、直ぐに通せ」

 景虎の前に表れた蔵田五郎左衛門は、景虎の想像とは全く違っていた。若々しく、その体は逞しく、およそ一般的な商人の印象とはかけ離れたものだ。何よりも目に媚びるところが少しもない。景虎は一目で気に入っていた。

「其の方は二代目ときいておる。父の代から世話になっているそうだな」

「はい、家業を継いで未だ五年目でございます」

「儂はこの国を、そして民を豊かにしたい。先ずは手始めに、青苧の取引をもっと盛んにしたい。そのためにも港湾を拡大整備し、国外との商いを増やさねばならぬ。そうすれば、国内外の人の往来が激しくなろう。そこに通行税をかけて更に収入を増やす。どうだ、一緒にやってみないか」

「畏れながら、申し上げても宜しいでしょうか」

「構わぬ、何なりと申せ」

「驚いたのでございます。これから申し上げますことは、誠に失礼なことです。先ずはご容赦くださいませ。此度の守護代様は、大変な戦上手とは伺っておりましたが、そこまで商いをお考えとは思いもしませんでした。今日はあくまでご挨拶までと思い、罷り越したつもりです。初対面の者に対して、そこまで重要な相談事を、打ち明けて頂けるなどとは思いも寄らず、今はただ困惑いたしております」

「確かに其の方とは初対面だが、当家との付き合いは数十年となろう。他に相談する相手などおらぬ」

「畏れ入ります」

「確かに儂は戦人じゃ。しかし、その戦はあくまでも、この越後を守り、民が安心して暮らせる豊かな国をつくるための手段でしかない。そして、その手段である戦は、数多の銭を必要とする。米だけでは、とても戦など出来ぬ。一国の主であれば、その財源をつくり増やすことを、考えるのは当然と思うが」

「その当然のことを考えて出来る御方は、限られているかと存じます。感服いたしました」

「感服など、せずともよい。どうだ、儂の力になってくれるか」

「はい。この蔵田五郎左衛門、商いを賂とする身ながら、本日ただいまより、殿のご家来衆と同様に身命を賭して、お仕え申し上げたいと存じます」

「うむ、頼んだぞ」

その後、景虎は五郎左衛門の類い稀な才覚と力量を見抜き、直ちに士分に取り立てた。

 以降は蔵田五郎左衛門と称し、春日山城の留守居役兼金庫番として、重要な役割を果たし、景虎(謙信)を支えていくことになる。


 天文十九年(一五五〇年)二月、四十余年にわたり越後守護の座にあって、時代の移ろいに身を投じて来た上杉定実が、最期の時を迎えようとしていた。

定実危篤との報を聞き、景虎は府内の館に馬を走らせた。

定実の寝所には常時薬師が控えている。定実の顔からは、既に血の気も失せていた。

「御屋形様、平三でございます。景虎でございます」

 景虎のささやきに定実は虚ろな目を開いた。

「おお、守護代殿か」

 再び目を閉じた定実だったが、とぎれとぎれに話をし始める。それは守護としての遺言でもあった。

「そなたも存じておろうが、そなたの父とはいろいろあった、ありすぎた。時には手を結び、時には反目し敵対し。奴は、この儂に対して、幽閉という屈辱さえ、与えたこともある」

「御屋形様、もうお止めください。お身体に障ります」

「よいのだ、もう長くはないことを知っておる。儂には、力も人望もなかった。それに戦は知らぬ。そなたの父には、全て敵わなかった。だがな、だが、儂は最後に、そなたの父が出来なかったことを、こうしてやってのけた。何か分かるか」

「いいえ、分かりませぬ」

「それは、そなたを、そなたを守護代に据えたことじゃ。為景ならば、晴景を不憫に思うがあまり、かような判断は出来なかったであろう。どうじゃ」

 どうじゃと言われても、景虎は何も言えない。

「自慢ではないぞ。儂の守護としての最大の功績。それがそなたを守護代に担ぎ上げたことじゃ。そなたには、守護代として、どうかこの越後を守って欲しいのじゃ。頼む。どうか」

「御屋形様」

 ここまで言うのが限界だったのであろう。深く息を吸うと定実は深い眠りについた。

 その後、定実が目を覚ますことは二度となかった。

 天文十九年二月二十六日、桜の花びらが散るように、守護・上杉定実は静かに黄泉の国へと旅立った。館の外に目をやると、春の日差しが眩しいくらいに降り注いでいる。桜が咲き誇るその日に見罷るとは、なんと対照的な死だろう、と景虎は思った。 

 この定実の死により、越後守護の上杉家は、継子が決まらぬまま断絶した。

 定実の訃報は、直ちに越後全土へと広まった。上田庄の長尾房長・政景父子の下にも例外ではなかったが、父子を憤慨させる報せも同時にもたらされていた。

 それは、室町幕府第十三代将軍・足利義藤(後の義輝)、景虎に対して白傘袋と毛氈鞍覆の使用が許可されたという内容だった。このことは、守護・上杉定実の死去に伴い、景虎が越後の事実上の国主としての地位を、幕府から公式に認められたことを意味している。

 事ここに及んで、政景の嫉妬と焦燥は頂点に達した。

 朝廷や幕府といった既存の権威に対する崇拝の度合いは、景虎の場合、当時の武将の中でも異常なまでに高く、みやこに対する憧憬も並々ならぬものがあった。

 むろん、それは京の権威を拠り所にして、自らの権威の高さを、近隣諸国や越後国衆に知らしめるという効果も、十分に認識している。

 しかし、景虎にとっては、朝廷や幕府に対する揺るぎない純粋な忠誠心が全て、と言ってもよかった。各国の守護・守護代は、朝廷や幕府といった保守的国家体制を支える、義臣であるべきという確固たる信念を持っている。

 その信念こそが、生涯二度に及ぶ上洛の決行にも表れていた。当時の国持大名が数か月という長期にわたり国元を離れるなどは、自殺行為に等しい。ましてや「天下号令」などという大それた野心も、持っていないにも関わらず、である。

 一度目の上洛は、越後国主としての天皇への挨拶と御礼が目的であり、二度目は将軍・足利義輝の要請に基づく三好一党の牽制という意味があったにせよ、純粋な主従関係が前提であったことは疑いようがない。

 そのような考えの景虎が、白傘袋と毛氈鞍覆の使用を許されたのだから、法外の喜びであったに違いない。

 将軍家からの報せに手放しで喜ぶ景虎をよそに、坂戸城の長尾房長・政景親子は、景虎に対する怒りを露わにしていた。

「若輩のお調子者が、どうやら図に乗っているようじゃ。将軍家に銭三千疋を献上した見返りに、白傘袋と毛氈鞍覆を手に入れただけのことではないか。そんな奴に、もう政事は任せられぬ。今こそ、揚北を含めた反守護代の国衆を糾合して、反旗を翻す時じゃ。我ら上田長尾衆の力を、存分に知らしめてくれよう」

「父上、よくぞご決断頂きました。早速お味方してくれる国衆に使者を送り、決起を促しましょう」

「うむ、直ちにかかれ」 

 しかし、この上田長尾父子の不穏な動きは、逐一、他の国衆から景虎のもとにもたらされている。時流を見誤った上田長尾父子に呼応する国人は、柏崎の琵琶島城主である宇佐美定満を除いては、当初から皆無であり、そもそも無謀な反逆計画だった。

 だからと言って、景虎がこの動きを看過出来るわけがない。

「国内で我ら同族同士が争っている時ではない。関東では上野国まで伊勢(北条)の軍勢が迫っている。会津の葦名や米沢の伊達も、隙があれば越後を侵食せんとし、虎視眈々と狙っているのだ。信濃では甲斐の武田がやりたい放題というではないか。いつ他国の刃が越後に向けられるか分らぬ今、何としてでも、内戦だけは避けねばならぬ」

 このような景虎の願いも虚しく、事態は悪化する一方だった。為景の代で棚上げとなっていた姉・綾(後の仙桃院)の嫁入りも、長尾政景側の拒絶によって白紙に戻っており、残された和平への道は、完全に閉ざされたままであった。

 天文二十年(一五五一年)一月、ついに長尾政景は反・景虎を掲げて蜂起した。

 忍びの頭である幻蔵から政景挙兵の第一報を聞いた景虎の動きは早かった。戦が避けられない以上は、如何に早く収束させ、双方の被害を最小限に食い止めるかであった。

 景虎は先ず、政景方の出城である板木城を攻め、これを落城させた。政景方の栗林経重と金子尚綱が率いる援軍が、到着する前に陥落させる、というまさに電光石火の如き早業だった。板木城の主将である発智永芳とその一族は捕縛され、直ちに春日山城に送検されている。

 続いて、この板木落城を聞いた琵琶島城主の宇佐美定満が抵抗を諦め、景虎方に寝返ことになる。直江実綱が水面下で、定満と接触していたことが効を奏した。これで政景は完全に孤立無援となり、降伏も時間の問題と思われた。

 この機を逃さず、景虎は坂戸城に、近臣の小島彌太郎と秋山源蔵を使者として派遣する。むろん、和議の交渉が目的であり、条件は政景の弟を人質として春日山に住まわせることだった。

 しかし、今度は先代当主の父・房長が、屈辱的和議に応ずること能わず、と和議の提案を蹴り、使者の二人を追い返してしまう。

 こうなっては、景虎の面目は丸潰れである。戦況は圧倒的に有利であり、これ以上の争いは避けなければならない、という思いからの和議提案だった。

 それをも蹴ってくるとなれば、あとは景虎自身が出陣して、同族とはいえ上田長尾氏を滅ぼす他ない。景虎は天文二十年八月一日をもって自ら出陣する、と布令を出した。

 ところが、これには思わぬ方から、横槍が入る。

 それは剃髪し御仏に仕える身である母・青岩院からの諫言だった。

「決して短慮はなりませぬ。そなたの気持ちは分かっているつもりです。しかし、上田長尾家は、私の実家・栖吉長尾家とともに、越後にとっては必要な御家と御血筋です。これから、そなたが越後を治めるうえで、味方にしなければならぬ御家です。この度、そなたが寛大さを示すことで、今後は同族という立場から支えてくれることを期待しましょう。何よりも、慈悲深さこそ御仏の教えであり、貴方が幼い頃より学んできた道ではないですか。今が貴方にとっての正念場なのですよ」

 これまで、政事に一切口を挟むことのない母である。事実、後にも先にもこれが最初で最後の忠告だった。この母の言葉は、景虎が冷静さを取り戻すのに十分だった。

 景虎は総数八千という軍勢で、上田庄・坂戸城を遠巻きに囲んだ。矢を射かけても到底届かぬ距離での攻囲である。

 坂戸城内には水も兵糧も数か月持つほどの蓄えがある。しかし、大軍による攻囲を目の当たりにした政景は、到底勝ち目がないことを悟った。戦をせずとも、既に雌雄は決している。事実上の完敗である。

 景虎が本気になれば、この城を攻め落とすくらい、決して難しくないはずだ。それは黒滝城への猛攻と黒田一族討滅という、過去の戦から十分にわかっている。

 政景は、頑なな迄に降伏を拒否する父・房長の説得に動いた。

 父の府内長尾家に対する対抗心と、上田長尾家の気概と矜持は、十分に分かっているつもりだ。政景自身もつい最近までは同じ気持ちでいたのだ。しかし、もうなす術は皆無で、降伏か玉砕しか、途は残されていない。

「父上、ここ迄です。気持ちはそれがしも同じ。内心は忸怩じくじたるものがございます。しかしながら、今や孤立無援、このまま籠城しても、水も兵糧も限りがございます。討って出ても全員討ち死にとなるは必定。ここは当家存続のためにも、降伏を申し出ることといたしましょう」

「しかし、我らは最後通告を断り、使者を追い返しておる。戦では苛烈を極める守護代のことだ。我らを許すわけがない。今更、降伏など申し出ても、拒否されるに決まっておる」

「いいえ、あの通り大軍で我らを取り囲んでいるのですから、攻める気になれば、いつでも出来るはずです。決して隙を見せてはおりませんが、遠巻きに囲むばかりで、一切攻撃を仕掛けてきておりません。これが本当の最後通牒であり、我らの投降を待っているとしか考えられません。父上、どうか、どうかご決断を」

 この政景の必死の説得で、房長はようやく首を縦に振った。

 長尾房長・政景親子が、起請文と共に降伏の申し入れをしてきたのは坂戸城攻囲から五日目のことである。起請文には、以後、守護代家に忠誠を誓い臣従すると認めてあった。

 この起請文に満足した景虎は、寛大な措置で応えることにした。その内容は、何人たりとも一切処罰せず、本領も安堵するというものである。房長・政景親子には、俄かには信じられない内容だった。

 それから二週間の後のこと、長尾房長と政景父子の姿は、春日山城正殿広間にあった。

 傍らには景虎の近臣衆が控え、そして直江実綱や本庄実乃らの、景虎を支える数名の国衆が、二人の両脇を固めている。

 景虎が首座につくと、政景が伏して口上を述べた。和議とは言え、その実態は完全降伏である。

「此度は遅参と相成り、父子共々ここに深くお詫び申し上げます。また、これまでの度重なる我らの不始末にも関わらず、かような寛容なる仕置きを賜り、あらためて御礼申し上げます」

「新五郎(政景)殿、我らはこれまで、互いの立場の違いや、歩んで参った道が些か離れており、その結果、干戈を交えることになってしまった。しかし、本日この時より、これまでの遺恨を全て水に流し、共に手を携えて、越後というこの国を支えては貰えないだろうか」

 景虎の口から出た本音だった。

 しかしながら、この場で多少の叱責を受けることを覚悟している政景は、景虎の真意を測りかねて、無言を押し通すしかない

 その様子から、政景の気持ちを察した景虎は更につけ加える。

「今言ったことは、決して冗談や戯言ではござらぬ。そもそも、当家と上田長尾家とは、祖を一にする兄弟同然の間柄。何やら隣国の動きが慌ただしい昨今、我ら同族が争っている時ではござらぬ。ここに列席の国衆や、我ら同族が心を一つにして、越後国をまとめ上げ、隣国からの干渉や侵入を排除することこそが、肝要と心得るが如何かな」

「それは仰せの通りでございます。ただ、我ら親子を何ら罰せず、また叱責もせずというのは、こちらにお越しの方々を含め、他の国衆に対して示しがつかぬ仕儀と心得ますが」

 景虎の口元には微かに笑みが浮かんでいる。

「このことは和議を結ぶに当たり皆に話し、既に同意を得ておる話です。新五郎殿の仰せもご尤もなこと。本来であれば、そうすべきなのかもしれませぬ。しかし、我が越後が置かれている状況を考えると、上田長尾家に罰を与えているような場合ではござらぬ。貴殿には直ぐに我らの仲間として、役目を果たして頂かないことには、立ち行かぬのでござるよ。上野国や信濃国では不逞の輩が、他国にも関わらず我がもの顔で蹂躙しているという話です。それが、いつ我が越後に及ぶとも知れぬ昨今の状況なのです。今こそ、国中が一丸となって国難に当たるべき時です。それに上田長尾家から土地を取り上げても、貴殿の御家中から恨みを買うことになってしまう。この際、後顧の憂いは絶たなければならないのです。ご理解頂けましたかな、新五郎殿」

 政景は、この男には何もかもが敵わぬ、この男に臣従するしかない、と心底から思っていた。

「ようやく合点が参りました。守護代殿の本心を伺い、これまでの蟠りが嘘のように消えて無くなりました。これからは、ここにお揃いの皆さまと共に、家臣団の一員として、お仕え申し上げましょう」

「よくぞ、決心してくだされた。そこでじゃ、新五郎殿」

「はて、何でござろう」

「あらためて、お願いしたい。我が姉の綾を、新五郎殿の妻として迎えて頂きたいのだ。これは父の代からの約定でもある。是非ともご承知頂きたいのだが」

 景虎はこれまで口を真一文字にして、一切開いていない政景の父・房長に視線を移した。

「わが府内長尾家と上田長尾家の絆が深まることは、今の越後に一番大切なことだと思うのだが如何でありましょう、のう親父殿」

 景虎の問いかけに応じて、観念した様子でようやく房長が口を開く。

「儂は隠居の身にて、当主の新五郎さえ良ければ異論はござらぬ」

「ではあらためて新五郎殿、如何かな」

「さすれば、守護代殿のご配慮に応えぬ謂われはござらぬ。慶んで我が妻としてお迎えいたしましょう」

「これで我が胸の痞えも取れる気がします。まことに目出度い。これからは新五郎殿を兄上とお呼びいたしましょう」

 長尾政景は大永六年(一五二六年)の生まれであり、景虎の四歳年上である。

「はて、守護代殿も、そろそろ身を固めてもよい時と存ずるが」

 そう口を開いたのは、つい先ほどまで口を閉ざしていた政景の父・房長である。

内心では、この場で景虎からどのような沙汰が、別途下されるか、気が気ではなかったはずだった。それが杞憂に終わり、気が緩んだ結果、思わず口から出た言葉だった。

予期せぬ方向からの口撃に、一瞬戸惑う景虎だったが、皆の前で宣言する良い機会と思い直し、自らの決心を語り始めた。

「それがしは、故あって妻帯する気はござらぬ。周りの皆に急かされても、一切断っております。どうか、その儀だけは何卒放免願いたい」

 しかし、その時の景虎には、自身の言葉とは裏腹に、意中の姫の顔が思い浮かんでいた。未だ嫁いでいないと、実綱が言っていたことも頭を過ぎる。景虎は周りに気づかれぬように、騒ぐ心を必死に抑え込んでいた。














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