屋根裏に棲む

染谷市太郎

屋根裏

 元カレに見つかるまいと、縁もゆかりもない田舎に越してきた。

 誰にも行き先は伝えなかった。夜逃げ同然、持ち物は必要最低限。

 最悪、山か森かで首をくくればいいと思っていた。


 緩やかな自殺願望を止めたのは、役場の移住関係職員だった。

 今にも死にそうな私を心配して……などということはなかい。

 職員の目的は、案内されただだっ広い古民家に私を住まわせることだった。

「月3万円です」

 営業スマイルの職員に、私はこの古民家が特殊な事情を抱えた、いわゆる事故物件であることを察した。

 なんでも、前回貸した30代男性が一人で亡くなったという。一部新品の畳を見て職員は語った。

「それと」

 と職員は付け足す。

「この家には、ルールがあります」

 私は眉を顰める。それはもしや、前の入居者の死よりも、重要なことではなかろうか。

「難しいことではありません。

一つ、毎朝神棚に手を合わせること。

一つ、手を合わせたあと食事と水を供えること。

一つ、神棚の奥を覗かないこと」

 以上、簡単でしょう。と職員は笑った。


 私はため息を吐いた。

 またか、と。

 私の元カレは、モラハラのひどい男だった。いちいち理詰めでしゃべり、私の話は否定し聞かず、何かにつけて指摘する。

 付き合い始めた頃は、すっぱりとした性格が好みだった。だが、もう耐えられなかった。

 挙げ句の果てには、家のなかに勝手なルールを作り、それを守れないと私の人格を徹底的に否定した。

 心も体もボロボロになり、このままでは死んでしまう、と逃げてきたのだ。

 しかし、逃げた先、紹介された古民家にはまた変なルールが。

 神棚っていうくらいなのだからカミサマがいるのだろう。結局、ヒトもカミサマも横柄な性格だというのか。

 私はため息を吐く。




 紹介された古民家にはうんざりした。

 しかし、結局のところ、私はあの古民家に住むこととなった。

 ルールは嫌だが、職員が紹介してくれた仕事場に近いし、家具家電はそのまま利用可、庭も広い。何より、初回一ヶ月は家賃不要という厚待遇。

 まあ、向こうからすれば私を挟むことで事故物件というレッテルを剥がせればいいのだ。思う存分、利用されることにした。


 柏手をならし、ご飯と水を神棚に供える。角度的に奥はみえなかった。

 もうこの習慣をつけてから数週間たつが、今のところ問題はない。

 ついでに、この古民家の同居人にも慣れた。

 神棚からにゅ、と出た生白い腕が、供えたご飯を奥へと引き込む。

 最初にみたときは、そりゃあもう驚いたさ。腰も抜かした。

 しかし今は酒をせびられる間柄になっている。態度がでかいが、まあいいとしよう。

 姿の見えない者にルールを課されるよりも、腕だけでも形があるほうがいい。

 私はそいつをカミサマと呼んでいる。神棚にいるんだ、カミサマだろう。

「じゃ、行ってきます」

 支度を終え、仕事へと。カミサマは私に手を振って見送ってくれた。


 観光用の道の駅が今の職場だ。

 道の駅とはいえ、小さいのでそこまで人は来ない。私はそこでレジを打ったり品出しをしたりする。スーパーと似たようなものだ。

「これからお昼?」

「っす」

 声をかけてきたのは、地元野菜を仕入れてくれる農家の長男。

 わりとよく声をかけられるが、正直男はしばらくいい。適当に返事をするだけだ。

「この野菜、炒めるとおいしいんだ、持って帰ってよ」

「はあ、どうも」

 長男は話しかけるだけで害はないので、放置している。内向的なのか、だからこんな田舎に残って農家を継いでいるのだろう。野菜貰えるのでありがたいが。

 突拍子もなく飛び込んだ田舎暮らしだが、うまくやれている気がする。

 貰った野菜を片手に、帰路についた。

 昼休憩はいったん古民家に帰ることが多い。昼休憩は長いので、そのまま昼寝をすることもある。まるで老人のような生活だが、悪くはない。


 古民家が見えてきたところで、じゃり、と私は足を止めた。

「……あいつっ」

 元カレだ。遠目から見てもわかる。まさか、ここまで追ってきたのか?

 私は身を固くする。

 元カレは私には気づいていないらしい。玄関をうろついた後、なんと屋内に侵入した。しまった。田舎特有の防犯意識の低さに毒されて、鍵をかけることを忘れていた。

 私は自分の領域に踏み込まれたことが怖くなり、職場に逃げるように駆け出した。


 その後私は、閉店後もぎりぎりまで職場にいようとした。なにかと理由をつけて閉店後の作業を手伝ったが、それも終わってしまえば帰らなければならない。

 しかし、あの古民家には元カレが。まだ中にいるかもしれない。

「お、送っていこうか?」

 浮かない顔をしていると、あの長男に声をかけられた。

「もう、暗いからさ。鹿とか、出るかもしれないし」

 鹿はあまり怖くない。

 長男のまぬけな顔を見ていると、逆に落ち着いてきた。そういえば、ここは田舎とはいえ駐在所がある。こういったことは警察に相談すればいいのだ。勝手に侵入されているのだし。

 長男にいきさつを話すと、驚きながらもすぐに駐在所に取り合ってくれた。

 駐在は長男の友人でもあるらしい。白い原付で駆け付けてくれた。

 駐在と、長男、私の三人であの古民家に向かう。

 さすがに男二人もいれば、元カレも退散してくれるだろう。そのあとはちゃんと警察なり役場なりに相談しよう。駐在のDV被害対策を聞きながら、私は決心した。

 負けたくはなかった。あんな男に。


 古民家は真っ暗だった。駐在が警棒を片手に中に入る。私と長男は外で待機だ。

 ぽつぽつと一つ一つの部屋に明かりがつき、ガラ、と駐在が玄関から出てきた。

「いませんね……でも」

 駐在は言葉を濁し、私たちを中へ誘導する。

 座敷に上がったとき、その理由が分かった。

「ここだけ、荒らされてたんですよ」

 散乱した榊や器。神棚の下にあるふすまも、数か所穴が開いている。まるで、足で蹴ったような。

 まさか、カミサマが。

「なにか、とっていったんですかね?」

 駐在が奥を照らそうとする。

 あっ、と叫んだときには、遅かった。

 あの生白い腕が駐在の頭を掴んでいた。そしてものすごい力で神棚の中へ引きずり込む。

「あああああっっっ」

 長男が叫んで真っ先に逃げ出した。

 私はその場にへたり込む。

 駐在は帽子を残して神棚の奥へ消えてしまった。

 ルールを破ったからだ。神棚の奥を覗いてはいけない、そのルールを。

 そして、私の目も、恐怖でそらすことができず、駐在が消えた先、神棚の奥を覗いてしまっていた。

「あ」

 生白い腕が伸びる。

 ひたりと私の頭を掴む。

 冷たい。

 殺されちゃうんだ。

 私も。

 引っ張られる強い力。

 毎朝あんなに手を合わせたのに。

 涙がこぼれる。

 頑張ってご飯も用意したのに。

 叫ぶ。

 怖くても我慢したのに。

 ダメだった。

 頑張ってルールを守っても、たった一度、ルールを破っただけで。

 そっか。




 なあんだ、ヒトもカミもおんなじだ。
















「こちらに住んでいただくためには、みっつのルールを守っていただく必要がございます」

 あの職員の声だ。

 いつぶりだろう。

 あ、子供の足音がする。今回は、家族連れか。

「そんなに丁寧なルール、いったいどんな神様が?」

 父親らしき男が問う。

「はい、こちらの屋敷は元はこの辺りでも有力な地主のものでした。その地主が、土地を利用する際に神を踏むことは許されないため、屋根裏に土地神を棲まわせたことが始まりだと伺っております」

「へえ、おもしろいわね」

 そんな由来だったんだ。

「土地神はシャイなお方ですので、自身の領域である屋根裏を覗かれることを嫌います」

「大丈夫なのか?」

「心配ございません。お供えする際は、角度的に見える心配はございませんので、このように」

 職員がお供えのおはぎをおいてくれた。

 生白い腕が伸びる。

 ごとん。

 私は腕を酒瓶で叩いた。誰が先に食べていいと言った。

 生白い腕、カミサマと呼んでいたやつ、は怯えたように暗がりに消える。

 私はそれを鼻で笑った。

 職員に教えてやりたい。

 今、屋根裏に棲んでいるやつは、土地神なんかじゃなくって、私だぞって。

 屋根裏にいるのは私なのだ。

 私なのだから、ルールもなにも関係ない。

 ルールなんて守らなくてもいいし、守ってもいい。守っても見返りないけど。

 だってここのカミサマはもう、私なのだから。


 話がまとまったらしい。

 家族連れがここに住まうようだ。

 にぎやかになる。子供がいるから、いいものも供えられるだろうか。

 味次第では、なるべく守ってやらんこともない。


 まあ、ルールも規則も関係なく、私の気分次第で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

屋根裏に棲む 染谷市太郎 @someyaititarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ