第4話 父、帰る
帰宅するや、先程の主人公を演じていた学生の男は念の為にしっかりと玄関のドアを閉じてから、靴を履いたままの姿で大声で叫んだ。
「母ちゃん大変だ! オレさっきオヤジと激似の親父を見たあっ!」
息子の大声にはすっかり馴れっこだわよといった風情で、ダイニングにいた母親が出迎えた。
「ああ、きっとその人なら、もううちに来てるわよ。」
息子より一足先にダイニングに上がり込んで娘とコーヒーを啜っていた私は、彼の声を聞き付けて玄関へ向かい、改めて対面した。
「よっ、お帰り。」
「うわっ、母ちゃん、この人だ!」
当然息子は驚き、気味悪がるばかりであったが、母親は半ば呆れ顔で、落ち着き払った口調でこう返した。
「まさか、こんな日が現実に来るとはねえ……。」
「どういう事だよ、説明してくれよ、オヤジ。今までどこにいたのさ?」
私は妻を制して、息子に毅然とした態度で説明した。
「別に逃げたり隠れたりしてた訳じゃない。普通にお前たちの知らない所で生活してただけだ。」
「じゃ、今になってどうしてのこのこ現れたりしたんだよ!」
「そんなの決まってんだろ! お前が詰まんねえ芝居を興行するからだ! だからワシはお前たちに警告とお願いをしにやってきたんだ!」
「ちょっと待てよ! どうしてオレたちの知らない所にいて、オレのやってる芝居の内容とか劇場の場所とかの情報を掴んでるんだよ? おかしいじゃないか、話がっ!」
激昂する息子を前に、私は鼻から一つ深呼吸をしてのち、こう言った。
「実はな、お前たちはみんな、ワシが脳死で幾つかの臓器を移植して以来ずっと、その……、関係者たちに監視されてたんだよ」と、それを聞いて驚愕の表情を隠せない息子と娘。
「関係者って誰よ?」
「誰って、臓器移植ネットワークに利害関係で群がってくる諸々の人たちだよ。」
「するとオヤジも、その悪の秘密結社の一味なのかよ?」
「まあ、悪だけ余計だが、そこで作られたクローン人間だから関係者の一人には違いない。」
「で、パパはどうしたの? 裏切ってここに来たの?」
「違う!」
「じゃあさ、何のためにこの世に生き返って来たのよ?」
そうそう、よくぞ聞いてくれたとばかりに、私は予め準備しておいた模範解答のような答えを言った。
「人類が到達した医療や科学技術の水準を、よりいっそう進歩・発展させるためだ。だからワシは、人類に、中でも科学者たちに勇気を与えているっ!」
「んんん、昔からそうだけど、言ってること、わけ分かんないのよね。」
「ちぇっ、どいつもこいつも生前にはワシの事なんか全然気にもしてなかったくせに、ニュースとかで脳死移植の報道とかされたら味占めたのかなあ、ずっとワシの事、心の中で引き摺ってたろ? しかもお前、選りに選って何でワシの心臓を移植した女の子と付き合うかなあ? でもって芝居にあんな紛らわしい脚色しやがって、世間が疑うじゃねえか!」
ここで一番冷静な妻が割って入り、ねえねえ、立ち話もなんだから、みんなリビングに移らないかい、と促した。
テーブルの四方を囲んで、それぞれが思い思いにソファーや椅子に座る。皆が収まるべき所に収まった、こんな光景はいつ以来だろうか……、と思い出そうとしたが、今の私に思い出せる筈もなかった。
「じゃあさ、オヤジはオレたちに一体どんなお願いがあるの?」
「それはだな、ワシがこの世にいて迷惑をかけるのは、ワシの事を知っている極数人だけだろ。中でもお前たちだ。お前たちには、ちょっとの間だけクローンのワシがこの世に存在することを黙っててもらえれば非常に助かる。」
「なに? ちょっとの間って、どれくらいよ?」と娘。
「だからな、人類の持っている最大の知恵はだな、許すという事なんだよ。そしてそれは脳みその持つ忘れるという機能と結びついているんだな。だからお前たち、お願いだから母さんみたいにきれいにワシの事を忘れてくれ。いつまでも執念深く記憶していてはいけない。お前たちは人間だ。覚えておくなんて、そんな面倒臭い事はコンピュータに任せておけ。記憶というのは忘れないでいることが重要なんじゃない。むしろ、必要な時に記憶した情報を取り出せることの方が圧倒的に大事なんだ。だからだな、さっき言ったちょっとの間というのは、お前たちがワシの事をすっかり忘れてくれるまでの間、ということになるんだけどな。」
「そんなの、忘れられるわけないでしょ、親子なんだから」と、今度はちょっぴり涙ぐんでみせる娘。
「それよりも保険屋さんにばれたら一大事だわ」と、急に現実的な捉え方をし始める妻。「いくらクローンのアナタでも、DNA鑑定とかされたら、やっぱりアナタは死んだ私の夫のアナタなわけでしょ。だから保険金の返還なんて求められたら、そんなのとっくに使っちゃったから、今更返せるわけないしねえ……。」
「いや、それより何より、この世にクローン人間が実在するって事の方が面倒だよ。もうこれって間違いなく世界的ニュースになるからね」と息子。すると娘が
「そうね、でもそれって誰にとって面倒なの?」
「あら、そしたらうちにテレビとかのマスコミが大勢押し寄せて来るわけね。いや〜ん、どうしましょう、恥ずかしいわあ」と妻。
「そんなんじゃなくって、人類全体にとっての大きな問題じゃあないのか?」と息子。
と、こんな調子で三人の頭の中は混乱していくばかりであった。私はまたしても寂しい思いに打ちのめされた。このままだと誰も気づいてくれそうもない。私は自分の口から言うしかなかった。
「一番面倒なのは、当の本人であるこのワシにとってだ!」
「じゃ、ここに帰って来なきゃ良かったのよ」と娘が言ったところで、全員の意見が一致した。
私が家を後にした事で、我が家を取り巻く情況はまた振り出しに戻った。沈んだ思いの中で黙ったまま歩いていた私に、連れの男が言ってくれた。
「良かったじゃないか。これで家族は、誰もオマエを探さなくなるだろう。」
良かった、これで良かったんだ……。
問題は次の段階へと移行した。(了)
生殺与奪之奇譚 脇坂 幸雄 @denjuku66
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