第3話 闇を暴く舞台

 地下に通じる階段は鉄で出来ていて、足を下ろす度にコンコンと堅い金属音を響かせた。我々は大手プレスの文芸部記者を装い、二人で学生劇団の卒業公演を取材、調査しに来た。目的はここの舞台に掛けられた演目の内容であった。

「オレは知りたかった。その時、臓器を提供するドナーと、念願叶ってそれを移植されるレシピアントとの間に一体感は存在するのかと。……つまり、至福を越えた愛は感じられるのかと……」

 劇場を名乗るにはややおこがましい位の小さな芝居小屋に「臓器移植の殺人犯」の主人公を演じている学生役者の声が、重く、そして力強く響き渡っている。検査着のような白衣を着て顔をやけに白く塗った役者が、閑散とした場内に向かって、大袈裟な身振り手振りでもってがなりたてていた。猫の額程しかない狭い舞台で、煌々たるスポットライトを浴びた役者の顔じゅうには汗が噴き出ていた。

 私はネクタイを緩め、首元を締めていたワイシャツのボタンを外した。

 まばらな客席の中には、よく見るとさらに刑事役の男が二人、演技をしながら待機していた。一人は舞台から二列目の右端で身を乗り出すように腰を浮かし、前の椅子の背もたれを両手で掴んで控えている。その姿は芝居を見ているというより、いつでも飛び出すぞという身構えであった。もう一人は三列目の左端で背もたれにそっくり返り、だれたように両足を投げ出して、盛んにガムを噛みながら見ている。見ているといっても目は半眼に閉じ、ガムを噛んでいなければ芝居に飽きて眠り込んでしまったようにさえ見える。

 舞台中央では依然として、学生役者が扮する殺人犯の主人公が吠えている。

「その答えはこうだ。あった。確かにあったんだよっ! それは実際に移植を受けた者でない限り、決して味わい知ることの出来ない、他者と共に同化して生きる喜び。この生に有意義な意味を与えてくれる至福の感覚を、……確かにこのオレは、至福を感じ取る事が出来たんだ!」

 と、その時である。主人公が急に台詞を中断して小さく坤いた。手で口を抑え、全身を震わせ出した。スポットライトが消された。そして暗転、舞台全体が明るくなるやいなや、途端に左端にいた刑事役の男が舞台目掛けて走り出した。檻からいきなり放たれた豹を思わす見事な動きだった。リラックスし切っていた仕種から傍にいた客は全く予想もつかなかったのであろう、目を丸くして驚いていた。

 そのだれた刑事が舞台へ駆け上がった時、漸く右端の刑事役の男がはっとして立ち上がり、遅れてドタドタと舞台へ走り上がった。

 舞台へ先に上がった刑事は再び動きを穏やかにし、子猫に対する親猫のように優しくなった。しかしその男の耳許で囁く口調は低声で、やはりそれは咽をゴロつかせながら唸る野生の豹を思わせた。

「○○△△だね……」

 抱きかかえられた主人公がちらっと刑事役の役者を横目で見て頷く。

「殺人容疑で逮捕する」

 今度は真っ直ぐ前を見たままでおとなしく頷いた。背中をさすっていた刑事の手がいつの間にか身体検査に変わっている。と思った時にはもう手錠を取り出して、主人公の腕と自分の腕とをつないでいた。

 ここで再び舞台は暗転し、場内から天の声で以下のようなナレーションが入った。

「○○は臓器提供をしてくれるドナーを得る為に、臓器移植ネットワークの関係者数名に対して、以前からある働きかけを行っていた。その内容とは、ドナー登録されていた名簿リストから〇〇自身と型の合う適当な人物を先方に探し出させ、その人物の情報を提供させる。その情報を元に、〇〇の方でその人物を確実に脳死状態にして最寄りの病院へ搬送させ、そして自身への心臓移植手術を実施させた…」

 続いて天から、今度は主人公の声が流れた。

「オレは生きたい、生きたかったんだアー」

「オレは何も特別なことを望んでいるわけじゃない。ただフツーの人と同じになりたいと願ってるだけなんだっ。なのに、どうしてオレが、このオレだけが、みんなと同じになりたいと望んじゃあいけないんだっ?」

 そして再度、ナレーションが入った。

「その後〇〇は拘置所内で、拒絶反応と思われる心臓発作が原因で死を迎える事となる……」

 舞台上ではライトが点された。場面は逮捕された主人公の回想シーンになっていた。場所は〇〇の自室のようで、彼が一人、部屋の中で机に座り、今から何か手紙のようなものを作成しようとしている……。                 


 (タイトル)臓器を提供してくださったあなたへ


 この度は誠にありがとうございました。お蔭様で、術後の経過も順調で、只今はこうして筆を執るまでに至っております。

 手術日の決定の知らせを聞いたときは、正直申しましてとても嬉しく思いました。ですが、私は決してあなたの死を待っていたわけではありません……。


 そして舞台は暗転し、再び明るくなった時には、そこにオールキャストとスタッフが勢揃いしていた。芝居の終了である。場内から一斉に拍手が湧き起こった。

「本日は御来場いただき、誠に有難うございました!」

 主演の学生役者の一礼の後に、残り全員が続けて一斉にお礼の挨拶とお辞儀をした。

「尚、くれぐれも断わっておきますが、本日のこのお芝居は、ほとんど大部分がフィクションであり、登場する人物や団体名等は、実在するものと一部を除いて一切関係ございましぇ〜ん!」

 主人公を演じた役者の「しぇ〜ん・ポーズ」とともに、再び場内、拍手喝采で幕を閉じた。

「ちぇっ、その除かれた一部が、こっちとしては大問題なんだよ。」

「まあまあ、大丈夫でしょ、この脚本なら。彼等が我々の裏を取っているとは考えにくいですから、へっへっ。」

 帰り際の通路の所には、役者とスタッフが全員、観客をお見送りするために出てきていた。学生演劇を見に来る客の年齢層からは完全に浮き上がったような感覚を覚えながら、我々二人はそそくさと出口へ向かって歩いていた。するとその時、遠くにいた、主人公を演じた学生役者の目と「私」の目とがバッタリ合ってしまった。彼は驚きのあまり素頓狂な声を上げてこう叫んだ。

「すげーっ、あいつオレの死んだオヤジと激似ーっ!」

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