第8話 にろく同盟

【薮坂さまの第7話はこちら】

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「はァー、ああァァーーー」


 後輩に啖呵をきったときとはうってかわり、オレは夢の国で出してはいけない声を上げていた。ジェットコースターで酔った訳でも、パレードの動画撮影に失敗した訳でもない。


 単独入国しんどっ!


 右を見ても左を見ても、カップルが多すぎる。制服、お揃いのカチューシャ、果てはパークで買ったペアコーデ! 真夏の太陽並みに眩しくて、胃液がせり上がりそうだぜ。


 なりふり構わず、いちゃつくな! キスするか、写真撮るかどっちかにしろよなァ! 恋人とのキスシーンをカメラに収めたいなら、プリクラに行け! 美男美女でもないお前らのキス顔は、見るに堪えられん。強制的に見せつけられる側の立場になってみてくれ。


 姫が長い眠りから覚めたのは、真の王子がキスしたからだ。モブでしかない一般市民が軽々しくする行為ではない。囚われの姫の元へたどり着けないオレにとっても、縁のないものになっていた。


 最後にしたのはいつだっだか。ロマンの欠片もない胸板に触れると、甘やかな感触が思い出せた。


「このサイズがイイんだよなァ」

「失礼ね。ほかの女の子だったらビンタされていたんじゃない?」


 クッションに寄りかかって寝ていたオレを、背もたれにする方が常識を疑う。今日締め切りのレポートを、締め切り10分前に提出してきたばかりなんだ。レポートを出すためだけに履修講義のない日も通学したオレを、存分に労ってほしい。


「そんなに揉みたかったら、下着脱ごうか?」


 マジでやめろ。小さくさせているときの形が好きなだけなんだ。


「両手に収まらなくなってしまうとオレの守備範囲外ですから、勘弁していただきたいです」

「ブレないなぁ。太一のそういうキャラ、嫌いじゃないよ。ちゃんと私の内面を見てくれたって分かるから。じろじろ見てくる男の人より、何倍もかっこいいよ」


 彼女は振り返ると、鼻先をこすり合わせた。ご丁寧に、鼻へのキスは大切にしたいという意味があるんだよと解説して。


 手の繋ぎ方やデートで食べるものにも、こだわりを持つロマンチストだった。だが、初めて会ったときは、信じられないほどに気性が荒かった。今思えば、出会い方が最悪だっただけかもしれないけれど。


 サークルの新歓で、俺は先輩からビールを飲まされかけていた。何度もやんわりと断っていたが「大丈夫大丈夫。この店、そうゆうの緩々だから」と、肩に手を回されるようになった。


 全然話が通じない上に、苦手なボディータッチをされるのは精神的に堪えた。解放してもらえるのなら、さっさと飲んでしまおう。

 先輩から渡された新しいジョッキを、ひょいと掴んだのが彼女だった。


「無理に飲ませるのは紳士的じゃないんじゃない? お姉さんが正しい酒の飲み方を教えてあげよっか? 最後まで着いて来られたら、何でもお願い聞くよ」

「ぜひぜひ指南してもらいたいっす! この店を出た後も!」


 1時間も経たないうちに、先輩の顔は赤黒くなっていた。オレを除いた、同じサークルの男子全員。


「ザルの人と飲むときは、自分のペースを守らなきゃ。へべれけに酔っ払って睡魔に襲われちゃうぞ?」


 今まで飲んでいたものが水ではないかと思うほど、彼女の顔は白かった。


「ごちそうさま。ほらほら、キミも荷物持って。あれだけ早く帰りたがっていたじゃない」


 オレ達の飲み代まで払ってくれた彼女は、店の外で名前を聞いた。


「キミ、名前は何てゆーの?」

「下根太一です」

「そう。下根くん、キミさ」


 彼女が手を振り上げたところまでは目視できた。甲高い音が鳴ったときには、彼女からの平手打ちを頬に食らっていた。


「バッカじゃないの? 未成年なのに酒なんて飲もうとして! 法律で禁止されてるって、保健の授業でも習ったよね? 体に悪いことだから禁止されているんだよ。好奇心で人生を棒に振りたいの?」

「でも、去年の定期試験の問題を教えてくれた先輩なんで」

「間違ったことをするのと、恩義に報いることは違うよ。断って先輩の考えを改めさせることも、立派な恩義になると思う」


 そうですねとは返せなかった。理解していても、できないことはある。人の動向を気にせずにはいられない人間は特に。

 曖昧に笑って去ろうとしたとき、彼女の身体が大きくよろけた。


 段差のないところでこけるなんて天然かよ。口を押さえて俯く彼女を見ると、笑い飛ばせなかった。


「ごめんねぇ。お茶を頼めばよかったんだけど、途中でトイレに行くのは勝負に負けたみたいでやじゃん。正しい飲み方ができないのは、私の方だったかな」

「お姉さん、ほんとは酒強くないんですか?」

「そ。顔が赤くならないだけで、そんなに強くないよ。キミ達の席にお邪魔する前は、お冷やしか飲んでなかったんだ。仕事終わりに彼氏を待っててさ。『本命のオッケーもらったからキープはいらねぇ』なんて連絡が来て、今日はヤケ酒祭りじゃいと思った矢先にキミと目が合ったの」


 公園のベンチに彼女を座らせて、俺は向かい側のコンビニへ走った。ひどい顔をした俺を放っておけなかったから助けてくれたんだろうなと、気づかされながら。


「水、買って来ました。自分で飲めそうですか?」

「ペットボトル何本買って来たの? 4本も飲めらいよぉ~。ふた開けて、飲ませてくりゅりゅ?」


 急に幼児退行するんじゃない。何が悲しくて巨乳の介抱をしないといけないんだ。


「ほら、口開けてください」

「あ~」


 そんなに大口だと、服に零れるだろうが。面倒くさくなったオレは、口に水を含んだ。左手で彼女の唇をぎゅっと細め、小さくした入り口に注ぎ込む。


「少しは気分よくなりました?」

「よくなったけど、よくなくない! 私、さっきまでお酒飲んでたんだよ? 何しれっとディープキスかましてんの! 未成年飲酒にカウントされちゃうかな。唾液に過度なアルコール量が分泌されていませんように!」


 耳元で叫びまくる彼女に、オレも負けじと言い返した。


「医療行為で深い意味はねェよ! そんだけ酔いが醒めたらもう立てるよな。オレは帰るぞ」

「待って。このままだと、私は嫌な覚え方をされる。せめて、これだけでも受け取ってくれないかな?」


 緑のアヒルが印刷された名刺には、布信市ふしんし店店長と記されていた。

 こんな店長の淹れるコーヒーなんて、たかが知れている。名刺をもらった夜はひねくれた考えを抱いていたが、どうしようもなく暑い日の帰り道に寄ってみた。彼女に興味が湧いたからではない。涼しい店内で息をつきたかっただけだ。


 だのに、呪文のように長いオーダーを復唱する彼女を一目見て、オレの世界が造り替えられてしまった。恋人に求める唯一の条件を曲げてまで、彼女を独占したいと感じたのだった。


 運命的な馴れ初めのおかげで俺は意志薄弱から卒業できたかのように思えたが、人の本質はすぐに変えられなかった。付き合って1年後、タバコを吸い始めた友人の影響を受けた。


「どうしてタバコに手を出したかな? タバコも体によくないのに。バイトとして雇ってあげられないじゃん」


 待ち合わせ場所に着いたと同時に、彼女は鼻を摘まんだ。


「肺のトレーニングにはなってる」

「痛めつけてるだけじゃない。漆草市店に来てほしかったのにな。夏休みの短期バイトでもよかったんけど」


 何だってそんな田舎の店に。

 オレが訊く前に、彼女は異動が決まったことを告げた。言い出せずにいたのではなく、昨日の出勤で知らされたのだと。


「タバコをやめる理由になれそう?」

「努力はする」

 

 そう答えて、6年が経つ。オレは何度も禁煙に試みたが、成功したためしはなかった。


 命を削る行為なんて、大いに結構。35歳だった彼女は、今年で42になるはずだ。浦島太郎のように、寿命を終えた後で戻って来ない限りは。

 彼女のいない老後を何年も過ごすより、あいつと一緒に逝きたい。いつも茶化す方とは違う意味で。そのために、オレはお前をる!


 ターゲットに向けて、オレは駆け出した。霊感がないオレが可視化できるよう、捕縛の札を投げた。


「いっだああああああっ! 足つったってレベルじゃない! 助けて、晴明」

「どうしたんだよ、ユウ!」


 地面にのたうち回ったのは、ほのかに青白い女の子だった。いかにも阿部が好きそうな胸の大きさに、ぞっこんになるのも無理はないかと納得した。


「すまんなァ、阿部ェ。青春を謳歌しているところ悪りィが、こっちにも譲れないものがあるんでね。あいつが戻ってきたら、オレの財布を渡してやってくれ。遺書みてェなもんだってな」


 オレは柄を握りしめた。

 手荷物検査対策で、刀身には透過の札が貼られている。傍目から見れば、エアーで演武をしているようにしか見えないだろう。キャストに止められる前にカタを付けねェと。


「海賊ジャック・スパイダーと、呪われた海賊だ!」

「シーのキャラクターグリーティングに入っていたっけ?」

「いいんだよ、そんなこと。見られてラッキーじゃん!」


 おいおい、スマホのカメラ向けんな。復讐の邪魔だろうが! 

 目立たない格好として選んだ服装が、裏目に出てしまったらしい。オレが唇を噛んでいると、阿部は幽霊につけた札を素手で取った。


「キーチューブの撮影なんで! 勝手に撮らないでもらえますか?」

「晴明、ありがとおぉっ!」


 いやいやいやいや! 使用者以外は剥がせない札だぞ。剥がせて当然みたいな顔で、野次馬を追っ払うなよ。阿部家は陰陽師の血を引いてないんじゃなかったのか?

 オレが2枚目の札を掴もうとすると、睨まれた阿部に身体が動かなくなる。


「下根、俺は急いでいるんだ。ユウを襲った理由や、ヤバそうな小刀を持っていること。聞きたいことはたくさんあるが、今は停戦させてくれ。アトラクションの時間を優先させたい。全員26だから、にろく同盟といこうじゃないか」

「時間は取らせない。俺も同じ時間のチケット持っているんだ。恋ストーリーマニアの中で話そうぜ」

「あいにく、対決したい相手はほかにいるんだ。乗った後なら、いくらでも聞いてやるから」

「待て。逃げるな!」


 あいつの仇をかくまう阿部が許せない!

 三角帽を抑えながら、二人を追いかける。人盛りの隙間をぬって、できるだけ距離を離されまいとした。


 3Dメガネを装備したオレは、ライドを操作するお姉さんに「イってきます!」と手を振った。いかん、オレには復讐があるのに、はしゃいでどうする。


 ハードボイルドな展開を無理やり終わらせるなんて、大いなる力が働いたとしか思えない! こうなったら目いっぱい楽しむまでだ! あきらめて腹を括るかァ。




【薮坂さまの第9話に続く!】

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