第10話 最高のふたり
【薮坂さまの第9話はこちら】
https://kakuyomu.jp/works/16817330661653398946/episodes/16817330667178754717
俺はユウの肩に左手を添えた。肥後守を持ったまま、荒い息を整える。
「寝ている王子にナイフを突き刺すか悩んだアミエルも、今の晴明みたいな顔だったね」
俺の緊張をほぐすように、ユウは明るく微笑んだ。殺されることへの恐怖は、微塵も感じさせなかった。
やめろ。そんな目で俺を見るな。
人魚姫アミエルが生き残る条件は、最愛の人を殺すことだった。自己犠牲を選んだアミエルと、俺の目指す方向は違う。曇りのないユウのまなざしが、決意をゆらがせた。未練を断ち切るために、俺は言いそびれていた本音を囁く。
「俺のわがままに嫌々付き合わせて悪かった」
「晴明は悪くないよ。悪いのは迷惑をたくさんかけた、ぼくの方。ぼくはもう心残りないから、その小刀で刺して。大丈夫、痛くないよ。注射みたいなものじゃないかな」
強がるなよ、ユウ。手の震えは隠しきれていないぞ。いや、それは俺も同じか。憎んでもいないのに、惚れた相手を刺さないといけないんだから。
それにしても、まさかユウがアミエルの名前を出すなんて思わなかったな。今にも死にそうな状況で言えるほど、ディスティニープリンセスが好きだったのか。ほんと、神様ってのは残酷な存在だぜ。昼のうちに知っていれば、何かしてやれたってのに。
違うな。俺は前に、ユウの憧れを聞いている。聞いていたにもかかわらず、気の利いた言葉一つかけてやれなかった。ユウが自分から捨ててしまった願いを、せめて最期に叶えてやりたい。まだユウの時間が残っているのなら、ほんの少しだけ猶予をください。
――よかろう。自決した我の主にも、あれくらいの妹がいた。明確に思い描け。貴殿の願いを。
手の中の肥後守が、俺に応えた気がした。刀身に宿っていたはずの禍々しい空気は、いつの間にか霧散している。あるのは、竹林の中を歩く厳かな静寂だけだ。
いける。
一つの確信を胸に、俺は呟いた。
「ちっちゃい子だけがプリンセスになれる。その認識は間違いだって証明するよ。キミもだ、黒ユウ。前に言ってたよな。この世に未練がすごくあって、どうしても叶えられなくて、ずっとこの世を恨んでたと。光を消してしまったら、誰がキミを照らしてくれる? お前の闇を晴らさなきゃ、意味がねぇんだよ」
ユウも来ればよかったのにね。寝坊なんてもったいないなー。
肥後守を強く握ると、幻聴が聞こえた。黒ユウではない、女子高校生のものだ。遠慮のない咀嚼音も響く。
――目の前にいるってば。ポップコーンが減ってるの、おかしいと思わないの? あぁ。せっかく、みんなで回れているのに、全然楽しくない。どうして私だけが、むなしい思いをしなきゃいけないの。こんなことなら。アノ子ヲ助ケナキャヨカッタンダ。
「キミはずっと『友達とランドに行きたい』って、願っていたんじゃないのか?」
「バッ、バッカみたい! そんっな、子どもじみた未練じゃないってば! し、心外だわ!」
「どう思うよ、下根氏」
「虫の息の人に訊くかァ? どうもこうも、見たまんまの通りだろ。典型的なツンデレじゃねェか」
「だよな」
俺はスマホをかざした。表示している画像は、倉間から送られていた金色の鳶だ。旅の安全祈願と聞かされたが、使うのは今だと俺の直感が告げていた。
「魔法をかけられるのは子どもじゃないといけない。そんなの誰が決めたんだ? 子どもじゃなくなっても、願うことはやめられない。いや、止められてたまるか!」
光の花びらが画面から吹き荒れた。黒ユウらが眩しさに目をつむった後、視界は青くライトアップされた城が主役になる。
「これは夢か? さっきまで夜のシーにいたはずだよなァ。オレの出血も綺麗さっぱり消えてるしよォ」
「夢でも現実でもない異次元空間だ。今のランドもパレードが近い。通行止めになるエリアが出てきている時間だ。俺達が見ているのは、今日の昼に行っていたかもしれないランドの景色。実際に起きたことを、アーカイブで視聴しているとでも思ってくれ。……てか、異次元空間って何だ? 勝手に俺の口が動いたんだけど。こわっ!」
定期的に俺の部屋を掃除しに来ていたおかんはいつも、晴明は思いを込めすぎるとぼやいていた。部屋中に塩スプレーを振りかけ、電化製品には香の煙を当てるおかんの奇行は、俺の身を案じてくれたのだろうか。
「阿部が怖いわ。阿部が。とんでもねェスキルに目覚めやがって。転生前の社畜が才能開花するんなら、死んでいくオレにも何かギフトがないと理不尽だろ」
「まだ死ぬな。それで、ユウ。ここに来たら、最初に行くところは決まってるよな」
「スプラッタマウンテンだね!」
「グレイトフルアメリカン・ワッフルカンパニーよ!」
ユウと黒ユウの意見が割れる中、下根がラプンツェル城じゃねェのと正解を導き出した。
「ラプンツェルの過ごした幼少期やランタンを空へ放つシーンの追体験ができる、ライド型アトラクションが新しくできてただろ。富士ユウが死んだ年にオープンしたアトラクションだ」
「あんな子どもじみたアトラクション、ぜーんぜん楽しみじゃなかったわ!」
「ぼく、も、別にきょーみないし。行きたいなら晴明だけで、行ってきたら?」
素直になれない二人に、思わず笑みがこぼれそうになる。だが、俺は最期の奉仕を果たすため、ユウに手を差し出した。
「お手をどうぞ、お姫様」
一生使わないと思っていたセリフがむず痒く、体中にじんましんを発症しかねない。まばたきしたユウは、俺の手を取った。何度も触れてきた、冷たい指先が心地よい。
「エスコートしてよね。王子様」
「おうよ」
待ち時間十五分。ラプンツェルのフェアリーテイル・ホールを、俺達はゴンドラで進んでいった。生後間もなく親と離別したラプンツェルが魔女に幽閉され、奪われた王冠を取り戻すまでの物語。ユウも黒ユウも人が変わったように、真剣な表情で見ていた。呑気そうな下根も、同じくらいの表情をしてほしい。小銭が落ちていないか底を凝視するなんて、夢がなさすぎる。
そんな下根が顔を上げたのは、物語の山場であるランタンのシーンだ。ゴンドラで願いを語り合ったカップルは永遠に幸せになれるとか、テレビ番組で取り上げられていたっけ。オレンジ色のランタンは暗い空にいくつも浮かび、俺達の感嘆を誘った。
黒ユウがぽつりと話し始める。
「私ね。両親が夜逃げしてから、勉強とバイトしかしてこなかったの。特待生でい続けないと、学費が払えなくなる。友達と外で遊ぶのは修学旅行だって決めてた。結局、叶わなかったけど……わいわい回れたのは悪くなかったわ。あなたはどう? 私の光」
「ぼくのやりたいこと、全部叶っちゃったよ」
青白く透けていたユウの体が、闇に溶けようとしていた。俺は鼻水をすする。永遠のさよならだ。
「晴明、ありがとう。ぼくに青春をくれて」
お別れだねと言いかけるユウを俺は制止した。
「言うな。次に会うまで時間はかかるかもしれないけど、絶対ユウを見つける。そのときは、呪プラの再戦を受けてくれるよな?」
「もちろん。ぼくが勝ってみせるよ!」
物理的にも輝いたユウの笑顔は掻き消え、二度と彼女の姿を見ることはなかった。
視界が歪み、俺と下根は現実に引き戻される。ヴォルケイニア・ギャレーのテーブルで、コーヒーはまだ湯気を立ち上がらせていた。なのに、ユウだけがいない。今年の夏を眩しく彩ってくれた彼女だけが。
「泣くなよ。阿部ェ。みっともないだろ」
俺の背中を叩いてくれようとした下根は、あろうことか腹パンを炸裂させた。ひっでぇ悪友だなぁ!
文句を言いかけた俺の目に、巨乳の美女が映る。パークに来ているのにスマホすら持ったない軽装ぶりだ。よく見たら靴も履いていない。
「太一なの……?」
「あぁ。このときを、ずっとずっと待ってたぜ!」
巨乳の美女に手を伸ばそうとした下根は、口元を押さえて膝をついた。
「ここまで来て、時間切れか」
「太一! 血が」
泣き出しそうなきょ(以下略)に抱きかかえられ、下根は満足そうに目を閉じた。死ぬときは貧乳ロリ幼女に抱かれたいって言ってただろうが。話が違うぞ。
「浄化します」
何もなかったはずの空間から、老婆を抱えた青年が現れた。高そうなベージュのスーツは、新卒が着るには不似合いだ。
青年が何事か呟くと、虫の息だった下根の傷がふさがっていく。
「こちらの御仁が例の想い人ですか。人は見かけによりませんね。何百年と生きていますが、外れたのは初めてです」
「場合によっては、名誉毀損で訴えるぞ」
「私はただ、太一がかっこいいところを話しただけだよ。コールドスリープ状態の私達を古河さんに起こしてもらったときに『かくりよのものを食べたら、あちら側の存在になる』って言われてね。水は古河さんに生成してもらったんだけど、食べ物は幸せな気分になれないと作れないらしくて。太一との思い出をたくさん語っちゃった」
俺は今、猛烈に姿を消したい。現実離れしたことが起こりすぎて、容量オーバーだ。
古河というのは、三人目の失踪した店長だったような気がする。それじゃあ老婆が二人目の店長で、下根の彼女が一人目なのか?
「下根さん、興味深いメガネをつけていますね。怨念がうじゃうじゃと。早いところ処分された方がいいですよ」
「肥後守が特級呪物じゃなかったのかよ? 寿命が半分なくなる話は?」
「金さえ払えば手に入る代物は、ろくでもないものばかりです。もちろん、本物が混ざっていることもごく稀にありますが」
復讐に息巻いていた男は、目を回して倒れ込んだ。自分の寿命を削ってまで取り返したいものがあると言っていた分、こっぱずかしくなったようだ。
生きててよかったじゃねーか、下根。死んじまったら、やり残したことが叶えられないもんな。
俺も最大の問題をこなさねーと。ランドのチケットを一人で消費する、お一人様の苦行を。
その後の俺は、海外赴任を現実にするため、漆草市店で好感度と資金集めに精を出した。ユウとの約束を早いとこ果たさねーと、あの世で再会したときに愚痴られちまう。
三人の失踪者は、漆草市店以外の配属になった。あんなことがあったのに長期休暇を与えて間もなく働かせるとか、血も涙もない職場だ。それだけ優秀な人材なのだろうが。
南下出荘に住んで早数年。相変わらず4号室ではユウの声が聞こえる。あくまでも気がするだけだ。我ながら未練がましいよな。こんな壁の薄いアパート、とっとと退去すればいいものなのに。
真夏の昼下がり、アイスを食べながら何の気なしに外を見ていると、引越しトラックが止まった。あろうことか、南下出荘に入居希望らしい。物好きもいるものだと思っていた俺の耳に、インターホンが聞こえた。
「邪魔するぜェ」
引越しの挨拶に来たのは下根夫婦だった。咥えていたアイスの棒が折れる。
「新しく駅前にできる店を任されてね。せっかくだから太一に現場を教えたいと思って、連れてきちゃった」
「何考えているんですか。あなたにとって、特に下根にとっては悪夢のような場所ですよね」
「住みやすくていいアパートだよ。9号室の宇部さん、元気かな。挨拶して来なきゃ」
「阿部が一人で淋しくねェかと心配してやったんだ。ありがたく好意を受け取っておけよなァ。ほら、怖くねェから阿部にご挨拶してやれ。
下根の足の間から、女の子がにゅっと顔を出した。俺に会わせたくないと言っていた娘らしい。肩にかかるボブと、くりっとした目は、かつてこの部屋にいた人を思い出させる。
「おうじさま」
「は? 優結、こんなのがタイプなのか?」
「ん。ぼく、はるあきとけっとうしたい。しゅぷら、しよ?」
三歳児に熱烈な告白をされたおっさんは、逮捕されないだろうか。
「うちの娘は、やらん! 阿部、欲情した目を向けんな。優結の教育上によくない」
「お前の子育ての方が不安だわ」
「パパ。ぼく、まだきゅーこんしてないよ。やくそくをはたしたいだけ。ほんばんは、ずっとさきだもん」
まだ本番じゃないのかよ。俺、ヒロインになっちゃうのか?
幽霊らしくない幽霊との、二度と戻らない日々は騒がしかった。俺は久々に感じる胸の高鳴りに目を細めた。
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