【短編】シャンディガフのお姫様(18+)

さんがつ

【短編】シャンディガフのお姫様

41歳のバツあり子無し。現在独身で彼女は居ないけど困ってない。

そんな男の前にお姫様が堕ちて来た。

だから俺は持ち帰った。

え?普通だよね?




*****




「このマザコンクソ野郎!」


そんな罵声が聞こえて来たのは、遊びに行った帰り道。

何の遊びかって?まぁ、それはあれだ。

割愛だ、割愛。


時刻は18時過ぎ。

眠いから今日は早く帰りたい…そう思っていたのに、その罵声で目が覚めた。


結婚式の帰りかな?

淡い黄色のドレスを着たお姫様は、「マザコンクソ野郎」とその隣に居るに怒っているみたい。


「お前の…お前の母親面が、うっとおしいんだよ」

「ねぇ、あの人怖いって。早く行こうよ」


よくある修羅場ってやつかな?お姫様と彼氏とその相手の普通の女?

彼氏君…いや「マザコンクソ野郎」の浮気なのか、本気なのか、どうやら少々揉めているらしい。

う~ん。

そこ、通り道なんだけどなぁ。どこか、他所でやってくれないかなぁ。


「わ、別れてやる!」

「はぁ…こっちこそもう良いよ…」

「おね~さんバイバイ~」


お姫様も流石に切れたのか、手にしていた小さな花束を大きく振りかぶって「マザコンクソ野郎」の顔面に投げつけた。


それは「ストライク!」と思わず言いたくなるほどの綺麗なクリーンヒットだった。

花束の持ち手の硬い所が「マザコンクソ野郎」のこめかみに当たったらしく、「ゴンッ」と鈍い音が鳴った。


こういう時は拍手?

うん~。巻き込まれるのも面倒だし、静観かな?


そんな事を考えていたら、さらに続いたお姫様の攻撃もクリーンヒットだった。


「この下手クソ野郎!」

「なっ⁉」


その言葉に「マザコンクソ野郎」はキレたらしく、腕を大きく振りあげた。

あ、まずいね~!

それ、本人が気にしてるやつだ。

だから俺はお姫様を助けようと咄嗟に動いたけれど、ちょっと間に合わなかったみたい。

颯爽と飛び込んで、お姫様を抱きよせようとしたのに、避けようとするお姫様と、抱き寄せようとした俺のタイミングが合わなかった。


俺のせいでバランスの崩れたお姫様の腕に「マザコンクソ野郎」のこぶしが、ガッとかすめるように当たり、勢いが過ぎた俺はお姫様を抱えて一緒に転んでしまった。


つまり颯爽とお姫様をさらうはずが、俺も一緒に巻き込まれて転倒しちゃったって話。

カッコ悪いよねぇ。


「えっ!」

「はぁっ⁉」


急に修羅場に飛び込んで、その上勝手に転んで「…痛てぇなぁ…」と呟く俺。

そんなカッコ悪い王子様の登場に、物語の3人が驚いたようだ。

そりゃそうだろうな。

だけど、痛いなぁ。


「ま、取りあえずセーフかな?」


転んだ際にお姫様の頭の感触が俺の胸にあったから、頭はぶつけてない…はず?

胸に抱えたお姫様のつむじが動いてお姫様が俺を見る。


お姫様のピンチに王子様が登場!

…って王子様はおじさんの俺だけど、突然の出来事にお姫様はただ驚いているようだった。


そして傍でキレているのは、攻撃が外された「マザコンクソ野郎」だな。

もう一人いるはずの普通の女は無反応か?

この際、どうでもいいや。


「そんな事よりも…」


お姫様が無事ならいいやと、彼女の様子を観察する。

とりあえず、無事かな?

だったら今度は俺の方。

手は無事か?大丈夫か?


仕事に障りが出ると困るなぁ…なんて思いながら、冷静に腕をぐりぐりと回して確かめる。


「ちょ、誰ですか?って、あなた大丈夫なのっ?」

「あはは~ごめんねぇ~、間に合わなかったかぁ~」

「ちょ、なんなんだ、あんた!」


黙ったまま腕をぐりぐりと回す俺にお姫様が心配の声をかける。

整えたヘアもメイクもボロボロじゃないか。

ボロボロのくせに、心配顔のお姫様を見れば、俺のせいでこうなった事に気が付いた。


あ~あ、ストッキングも破けて、すりむいちゃった?

でも…そうだな…。

それよりも痛そうだなぁ。

その腕とその顔は。


「あの…?」


しびれを切らしたお姫様が俺に声をかける。


「行こっか?」

「はぁ⁉、ちょ、まてよ、お前!」


お姫様を連れ出そうとする俺。

そんな俺たちに、横やりを入れられたと思ったのだろう。

「マザコンクソ野郎」は、混乱して、勝手にキレまくっている。


はぁ、こいつ面倒だな。


仕方が無いので俺はため息と共に、アスファルトの道路の上に胡坐をかいだ。

ジャケットの内ポケットから携帯を取り出し、そして電話をかける…ふりをする。


「あ~すみません、女性が襲われました。場所は…」


そんな俺の行動に「マザコンクソ野郎」は急に冷静になったらしい。


「っつ!もう行くからな!お前なんかこっちから捨ててやるわ!」


そんな捨て台詞を吐いて、慌てて去って行った。

一方の俺はそんな男を見送るはずも無く、ぽかんとした表情のお姫様の顔を見た。


う~ん。なんか幼くて可愛いな。


「は~おかし」


口元のゆるみを押さえながら、携帯をしまうと、その場から立ちあがる。


「行こっか?」

「え?」


彼女に向かって手を差し出して微笑めば、ぽかんと口を開けてたままのお姫様が固まった。

ボロボロになったお姫様は、俺の言葉に動かない…。いや動けないのかな?


「う~ん?」


仕方が無い。

俺は道路に落ちているお姫様のバッグと、放り投げた…ブーケトスの花束と思われる花束拾って、ついでに彼女の手を取った。


ってあれ?


「このブーケ、普通のと少し違う?」

「それ…コスメトス…。小さな化粧品が入っているから、当たれば相当痛いと思った」


少し気まずそうに答えるお姫様。そんなお姫様の転機に俺は感心してしまった。


「あは、最高の女じゃん!」


手にした彼女を引き上げて、お姫様抱っこにすると、そのままその場を引き上げた。

お姫様抱っこ?

当たり前じゃん。お姫様を運ぶのはこのスタイルしかないでしょ。


「え、ちょ、ちょっと!」

「あはは~取りあえず行くよ~」

「あ、あ、歩けます!ってちょ、降ろして…むぐぅ」


お姫様を抱えて歩き出した俺に驚いたらしい。

お姫様が騒ぎ出したので、唇を使ってふさいじゃった。

だって両手がふさがってるから仕方が無いじゃん。


「ん~ん~~っつ」


そんな俺に抵抗を試みるも、無駄だと悟ったお姫様は諦めたらしい。

やがて大人しくなったので、俺は最後にお姫様の唇に軽くキスをして離れた。


「な、な、なんなの!」

「あはは~王子様の登場?いや俺、おっさんだけどね、まぁいいじゃん」

「はぁ?」


機嫌の良い俺に呆れたお姫様。

そんな宝物を抱えて、そのまま大通りに出て、タクシーに乗り込んだ。


「〇〇駅まで」


押し込んだお姫様の横に座り行先を告げる。

俺はそのままお姫様をホテルに連れこむ事にした。


「ちょっと!あんた、どこへ行くつもりなの?」


タクシーから降ろす時に怒っていたお姫様も、繁華街の裏通にある大人のホテル街に着く頃には黙って付いてきた。


だってバックが人質だもんね。

俺のジャケットも着てるもんね。

仕方が無いよね。

気まずそうな顔をしたまま黙って付いてくるお姫様。

俺からすれば、そんなお姫様は妙に可愛くて仕方が無かった。


ホテルの部屋に入ると、待ってましたとばかりにお姫様は口をきいてくれた。


「どういう事ですか?一体何ですか?」

「あはは~黙って付いてくるなんて、悪い子だね~」

「って、あんたが勝手に連れて来たんじゃない!」


お姫様の反論に俺は何も答えなかった。

代わりに彼女の頭でズレている髪飾りを一個ずつ外してあげた。もちろんゆっくり丁寧に。


あ~あ、ほんと、ボロボロで可哀そうなお姫様だなぁ。

あいつ相当酷い奴だなぁ…って、俺のしでかした事は、どこかに捨てて来たから、同情しても良いだろ?


お姫様の崩れた髪を手櫛でゆっくと解いていく。

意外と柔らかい髪だな…。


そのままピアスを外そうと思ったけれど、これ、どうなってんの?

うまく外せないじゃん。


「う~ん…どうやって取るのこれ?」


色々試してみたけれど、ギブアップ。

そんな俺の言葉が面白かったのか、お姫様は「プッ」とふき出した。


「これクリップ」


そう言って自分で耳から外して、見せてくれた。


「知らない」

「穴、開けて無いし」

「ふ~ん」


すこし凹んだ耳たぶを舌で撫でて遊んでみる。


「くすぐったいんだけど」

「楽しいよ~」


そう言って首元にキスをしながらお姫様の背中のジッパーを下げる。


「…やっぱそれが目的?」


ちょっと声の低いお姫様…あれ?怒ってるのかな?


「う~ん」


俺はもう一度お姫様を抱きかかえて、ベッドまで運んで寝かせてあげた。

そしてお姫様の上に四つん這いのような形で乗り上げて、髪を撫でてちゃんと目を見て教えてあげた。


「俺、上手いよ?」

「はぁ?」


少しキレたお姫様。

そんな彼女に俺は優しく諭す。


「泣きたかったら、ずっと鳴かせてあげるけど」

「…」

「優しい方がいい?でももう酷いのは嫌だよね?」


そう伝えたら、お姫様の目から涙が零れちゃった。

ボロボロと、本当にボロボロと泣いちゃった。


だよね…。

可哀そうなお姫様。

だけどその顔も凄く可愛い。


だからその日はずっと優しくして、いっぱい鳴かせてあげたんだ。




*****




翌朝…と言うか、まだ夜も明けぬ午前3時。

あぁよく寝たなぁ。

隣に人が居るのにこんなに寝たのは久しぶりかも。

運動のし過ぎ?

年は取りたくないね…なんて思いながら俺はベッドから抜け出て浴室へ向かった。


体を叩くシャワーの水滴に、いつもは何かがずるりと流れるような感覚があるけど、今日はまだ流れてくれないらしい。


あぁ、参ったなぁ…。


頭を掻くように、髪をガシガシと洗う。

目を閉じて頭から熱めのシャワーを浴びる。


彼女の感触が流れますように…。

すっぽりと収まったこの感触が消えますように…。


そんな願いを浮かべながら、俺は目を閉じて頭からシャワーを浴び続けた。


そんな俺の耳にシャワーの流れる水音の隙間を縫うようにして、「キィ」と扉の開く音が届いた。

その音に驚いて振り返ると、ドアの隙間にお姫様が見えた。


「シャワー浴びに来たの?」


戸惑いを誤魔化しながら、そう問いかけて、お湯を止めようと少しかがむ。


「え?」


柔らかさが俺の背中に抱き着いた。


「…」


驚いて声も出ないってこういう事だったかも…。

どこかで冷静にそんな事を思いながら、何も言わないお姫様の方へと振り向く。


見えたのはお姫様のつむじ。

そしてぎゅぅぅっと音が出そうなくらい、俺の腰にしがみつくお姫様の腕。


そんな姿を見ていたら、なんだろ。

急に何かがプツリと切れちゃった。


そうそう、男はオオカミだなんて言うけど、あれ本当だったわ。

だってお姫様が無茶苦茶にしゃぶられて、噛みつかれて、食べられてたんだもの。

それに気が付いたのは、だらだらとお姫様が流す白濁を見た時だった。


「っ、はぁ、っつ…はぁ、はぁ」


短く息を吐きながら、涙を流すお姫様。

そんな彼女が俺を睨むように見つめていたから、俺はまた彼女を食べたくなった。


「っ、ん~ん~~っつ」


少し無理やりだったかもしれない。

彼女の唾液やら、白濁やらを押しのけて、俺は自分の思いのままに再び中に挿し入って、何度も熱を吐き出した。


ごめんねぇ、痛いよね。

ごめんね、優しく出来ないや。


涙を流す彼女。

あ~あ、なんでこんな事やっちゃったんだろ?

どこかで冷静に思ってもいたけれど、何だろ?

まぁいいやって、徐々に何かが堕ちて行った。


だってさ。

それでお姫様が俺の所へ堕ちて来てくれるんなら、最高じゃんかって。

そんな風に思ったからだろう。

次に思いが溢れた時、震える身体を止めるように俺の方が、ぎゅぅぅって音が出そうなくらい、お姫様を抱きしめた。


そこから一緒に湯船に入ったかな。

俺は多分上機嫌だったけれど、お姫様はどうだろう?


きっとこれで、会ってくれないような気がするな。

だから俺はお姫様の背中にいっぱい印をつけた。

「僕のものだよ」って印をつけた。

お姫様は嫌がっていたけれど、沢山つけた。


お姫様が誰のものか忘れないようにって、僕のお姫様だって、沢山印を付けておきたかったから。



そこから部屋に戻って帰りの支度をした。

お姫様をタクシーに乗せた時、「さよならが」どうしても口に出なくて、俺は自分の店の名刺を差し出した。


「俺の店…」


待ってるとも、来てねとも、会いたいとも、なぜか言葉にならなかった。

だけどお姫様はちゃんと名刺を受け取ってくれた。




*****




お姫様と別れた後、俺はフラフラとしながらも、どうにか家に着いた。

そしてそのままベッドに倒れこんだ。


良かった…今日休みで…。

そうやって意識を手放した。

そして夢を見た。


それは、あの時の夢だった。

そう。

俺が今よりも、ずっと若い、あの日をなぞる夢だった。



俺は好きな人と結婚をした。

彼女との生活は、すれ違う日々ばかりだったけど、それでも俺は上手く行ってるって信じてた。だって俺の仕事が夜の仕事で、彼女が昼の仕事って、分かっていて一緒になったんだもの。

だから結婚してくれるって聞いた時は嬉しかったし、絶対に幸せになろうって、そう言ったのに。


だけど彼女の幸せは、俺じゃ、叶えられなかった。


それはいつもと変わらない、何の変哲もない月曜日だった。

やっと休みが合った祝日のだと言うのに、彼女は朝から一人で出かけてしまった。

夕方になってようやく帰ってきたと思えば、話があると言う。


帰ってきたまま、着替えもせずに彼女はダイニングへ行くので、俺もそれに続いた。

いつもの席にいつも通りに座る俺達。

だけど、彼女は目を合わせずに、何も言わなかった。

何か変だな?

そう思いつつも、気分転換に「コーヒーでも飲む?」と言えば、彼女は黙ったままで、バックから緑の枠の紙を出して来た。


「え?…」

「離婚して欲しい」


人間、驚きすぎると声が続かないらしい。


彼女の言葉を頭で何度も確認するも、言葉の意味が全く分からない。

それでも、暫くすると、その言葉の意味が頭に馴染んで来た。

だけど再び起きたのは、驚きと戸惑い。

俺は壊れた人形のように、さっきと同じ、「え?」と言葉を漏らすだけしか出来なかった。

だって、口が緩んで半笑いのような形で、言葉を紡げなかったんだ。


それでもどこかで、なんで俺はこんな時に笑ってるんだろう…って、冷静な俺も居た。

だから俺は俺なのに、俺じゃなくて、それが凄く変な感じだった。


一方の彼女は、そんな俺を見る事無く、無表情のまま、みっちりと書き込まれた離婚届をジッと見続けていた。

いたたまれない空気。

俺は逃げ出すように…じゃなくて、本当にその場から逃げ出した。



気が付けば、俺は近所の公園のベンチに座っていた。

そのまま暫くベンチで項垂れた。

考える事は多いハズなのに、何故か何も思い浮かばない。


少し冷えた体で、着の身着のまま飛び出した事に気が付いた。

上着も無いし、家の鍵も無い。

携帯も無ければ財布も無い。


行くあての無い俺は、仕方無いと言い訳をして、家に戻ってきた。

恐る恐る玄関のドアに手を掛けると、カチャリと鳴ってドアが開いた。

良かった、鍵はかかってない。


だけど良かったのかな?

俺、ここに帰って来て良かったのかな?


そんな事を考えながら、寒い玄関を抜ける。

それでも明日が来れば、俺も彼女の仕事に行く。


何も考えられないままにお風呂に入り、黙って静かに彼女の隣のベットで眠る。

ふと目を向ければ、壁に向かったまま眠る彼女が見えた。

今日は眠れない…。

そう思ったけれど、気が付けば朝になっていた。


そして夢の中で目覚めた俺と同時に、俺の目も覚める。


「あぁ、夢か…」


ベッドの上で上半身を起こせば、しわくちゃのシャツとパンツが見えた。

帰ってきたまま、飛び込むようにベットで眠ったので、何もかもが、ぐちゃぐちゃだった。


あれからどうなったのか?だって?

そうだな。

何も話せなかったな。

話しかけても、無視…じゃないけれど…いつも彼女は顔を横にふるだけだった。

多分だけど、彼女の中での離婚は、決定事項だったんだ。


まるで初めから他人だったような彼女。

そして家に居るのか居ないのか、どこに居るのか分からない同居人のような存在に変わってしまった彼女。

彼女が家を出たのは、それから数週間後だったかな?

それとも何カ月か経っていたのかな?

悪い。この頃の出来事は、あんまり覚えていない。


多分だけど、俺が書類に名前を記入した次の日に出て行ったと思う。

いつものように空っぽのような家に帰ると、彼女の荷物だけが、ぽっかりと抜け落ちていた。


空っぽでも、まだ空っぽになるんだ。


覚えているのはそれだけ。

だから、多分だけど、その日から俺も方も、何かがぽっかりと抜け落ちたのだと思っている。


だってその抜けたものを埋めてくれる人を、その日からずっと探しているからね。

だけどそんな人は居なくて、多分それは無理な話で。

もし見つかったとしても、またぽっかりと抜けてしまうんじゃ無いかって、反芻する気持ちもあった。


そんな日々を過ごしていたら、気が付けば、俺は情けないおじさんになっていた。


だからかな?

あんなにボロボロのお姫様なんだから、俺の所に堕ちて来てくれるんじゃないかって勘違いをしたのかも。

でも、違うな。

きっとあのボロボロにしてしまった罪悪感と、そんなボロボロになった姿が自分を見ているみたいで可哀そうだったんだ。



そんなお姫様との出会が、実は俺の記憶の捏造なのかな?と疑い始めた頃。

お姫様は俺の店、小さくて少しレトロなバーに現れた。


「…いらっしゃいませ…」


多分声が震えていたと思う。

その日は雨が雪にるような日で…たまたまお客さんも誰も居なくて…。


静かな店内をゆっくり見回すようにして、お姫様は俺の前のカウンター席についた。


あんなにボロボロだったお姫様は、その柔らかな髪を一つに束ねて、ダークグレーのパンツスーツに太いフレームの眼鏡をかけて、普通の大人の女性になっていた。


「…」


ダメだった。

俺はどうしても声が出なかった。


「シャンディガフを」


そんな俺の情けなさを見抜いたかのように、彼女は注文を口にした。


「…かしこまりました」


絞り出すように答えた俺。

それでも体は勝手に動いてくれる。

慣れた手つきで差し出した「シャンディガフ」を彼女はゆっくりと口に含む。


こくりと鳴った彼女の喉。その白さを俺は黙って見つめていた。


「おいし」


その声で我に返った俺。

驚いたままで顔を見ると、彼女は笑っていた。

だからかな?

俺の声がやっと出てくれた。


「もう会えないかと…」


しわがれた声の質問に、彼女は一呼吸置いて答えてくれた。


「マザコンクソ野郎のゴミ処理に追われてまして」


その懐かしく感じる言葉の響きに、思わずふき出してしまった。


「で、ヤチンクソ野郎さんは、いつもあんな事を?」

「っつ!」


ヒヤッとする鋭い指摘に、俺の笑顔は一瞬で消え去った。


「…まぁ良いわ。宣言通り、上手だったし」


何だろう、すごくいたたまれない…。冗談の通じない女性って怖い。


「私ね、ダメ男製造機らしいの…」


そう言って彼女は独り言のように話し出した。


「尽くす?っいうか、面倒見が良すぎて、恋人から母親になるみたいでね。

だってしょうがないよね、弟と二人でずっと生きてきたんだもの。

ずっとそうやって面倒見て来たから…それが…当たり前になるの…普通じゃん…」


ぎゅっと口を一文字に結んで、握ったこぶしが震えているように見えた。


「だから嬉しかったな。お姫様って呼んでくれて…」

「え?そんな事言った?」

「はぁ?」

「っつ!」


失言だった。

これは失言だった…と後悔をするも、もう遅いらしい。


俺は自分の口に手をあてて塞いだ。

これ以上、余計な事は言ったらダメだ。

この人に口答えは、いけない…。俺の本能がそう囁いている。

だから俺は子供みたいに口を塞いだんだ。

そんな俺を訝しげな顔でお姫様は睨みつける。


「ずっと言ってましたけど?風呂で背中にキスマーク付けてながら、おひめ…」

「っつ!」

「…なんでそんなに顔が赤いんですか?」


どうやら俺の顔はお姫様から見ると赤いらしい…。

そう言えば、さっきからすっごく恥ずかしい感じがする。


「声に…出てた…と…」

「出てましたね」


何だろう。

どうして俺は、こんなに「いたたまれない気持ち」になっているんだろう。


「あなた、既にダメ男でしょう?」

「え?」


そう言ったお姫様は真剣な表情だった。


「あ~…そうだね。41歳のバツあり子無し。

現在独身の彼女無しで、女の子は好きな方だから…合ってるかな?」


そんな事を言いながらも、俺は彼女の目を見る事が出来なくて、その場から逃げるようにカウンターの奥へ進んだ。


「もう遊ぶの止めたら?」


温度の無い声を背中で受けながら、俺は「…なんで?」と真意を尋ねた。


「だって、お風呂場で抱いてるとき、ずっと謝ってたもの」

「っつ!」


指摘されてた俺は何も言えず、そんな俺にお姫様も何も聞かず、二人の間をただ静かな時間だけが流れた。

けれど、そんな時間が動き出す。


それは、お姫様の愛だった。


「あなたに何があったのかは、分からないけど、なんか絆されちゃったみたい」

「え…?」


振り向けば、そこに居たのは、凄く良い笑顔で、優しい顔のお姫様だった。

呆気に取られる俺。

そんな俺を見た彼女は席から立ちあがり、両手を大きく広げた。


「え…?」

「ん」


微笑みながら広げた両手を、さらに広げる様にするお姫様。

それは、まるで小さな子を迎えに来た母親のようだった。


「面倒見の良い三十路、未婚、現在彼氏なし。家族は弟と二人。

別に男は好きじゃないけど、あなたの事は気に入ったみたい」

「え?…」

「結婚するのもしないのも自由、今なら彼氏になれますが?」


そんな彼女の言葉に導かれるように、俺はカウンターを飛び出して彼女の元へ飛び込んだ。

そしてあの時と同じ位、いや、それ以上に、ぎゅぅぅって、お姫様を抱きしめた。


俺はお姫様の感触を確かめたかった。


本当にここに居る。

俺の胸の中にいる。

束ねられた彼女の髪をほどいて、前よりも柔らかな髪を撫でる。


「…俺、ダメな男なんだけど」

「…知ってます」

「ここに今すぐ入りたい」

「っつ!お、お店、ここ、あなたのお店!!」


俺の無理難題にお姫様は慌てて俺を押し返す。


「チッ」


無意識に出た舌打ち。

俺はそのまま店の外に出て、看板を「close」に裏返えした。

そして外の照明を落として、扉の鍵を閉めて店に戻った。

部屋を暗くすると、彼女も俺の行動の意味が分かったらしい。


「だ、ダメ男じゃん…」


詰めた襟を緩めて、お姫様にゆっくり近づく。


「み、店だよ?ダメでしょ」

「…」

「ま、ま、まさか、いつもこんなこ…」

「っ!やらない、絶対にしてない!」

「な、なら、なんっ、んっん!」


今日もお姫様はうるさいなぁ…ちょっと静かにして欲しい。


「っつ、ぷはぁっ、だ、ダメだと思うなぁ…」

「だって僕のお姫様は、ダメ男製造機でしょ?」

「っつ!」


強く言い切れば、絆された彼女は諦めたらしい。

結局その日はお店で二回も挿し入る事になった。


震える身体を彼女に押しつけながら、彼女が逃げ出さないように抱きしめた。


「行かないで…行かない…で」


消えるような俺の呟きは、彼女に届くだろうか。


やがて事が済むと、前よりもボロボロになったお姫様が居た。


「…っつ…はぁ…はぁ…だからって…いきなり生で中はダメだと思うなぁ…」

「…」

「…はぁ…ちゃんと…話をしよう…」


その言葉を聞いて、離婚届けを見た、あの日の光景が急に押し寄せて来た。


違う。大丈夫。

今なら彼女は逃げられないはずだ。


「なんの話…?」


彼女の肩口に額を付けながら、ぎゅっと目を閉じる。


「だって…お互いの事、知らなすぎる」


その言葉に俺は自分の体をぐっと押しつけた。


「…知ってる」


そう言いながら、まだ彼女の中に居る安堵を押しつける。


「…そこじゃなくて」


拗ねる子供を宥めるように、彼女は俺の髪の毛をゆっくりと、すきながらと笑っている。


「私の名前も知らないくせに」

「…」


答えられない俺に笑いながら、彼女は名前を告げる。


「ヨリコ…あなたは?」


その声が本当に優しくて。

俺は彼女の肩口から額を外して、小さな彼女の唇に「アキト」と答える事が出来た。


「ん…覚えた…」


微笑む彼女が愛しくて。

だから俺はもう一度、お姫様が俺の名前を忘れないようにと願いながら、唇を優しく塞いでキスをした。


離れがたい気持ちを我慢して、お姫様から抜け出ると、二人して酷い状態だったのが見えた。

だからそれなりに整えて、取りあえずという感じで、俺の家に二人で帰ってきた。


「これは連れ込めないね」


家に入って早々に、僕のお姫様になったヨリちゃんはそう言った。

雑風景なのに、およそ手入れの届いていない部屋の荒れように呆れているらしい。


「お風呂とかトイレとか入るの怖い…」

「それなりに大丈夫かと」

「…」


訝し気に睨んでくる…怖いなぁ、僕のヨリちゃん。


「はぁ、じゃ、お風呂洗ってくるから、あなたトイレ掃除ね」

「はい」


そう言って仕切り出すお姫様。

頼もしいなぁ。


「ふふっ」

「…なに笑ってんの…」


思わず零れた笑みにとヨリちゃんの冷静な突っ込みが入る。


「なんか、家は家なんだなって、久しぶりに感じたから」

「何?…家は家でしょうに…」


呆れてジトっとした目で睨むヨリちゃん。

あ~そうか。俺浮かれてるんだ。

へぇ。

僕のお姫様が、俺の家に居るから浮かれてんだな。


「明日は祝日だから、いっそ、全部、掃除しよう」

「あはは、ヨリちゃん頼もしい」

「ヨリ…ちゃん…?」

「ん?」


急に照れ出したヨリちゃん。

やっぱ僕のお姫様は可愛いと思う。



こうしてお姫様が俺の所に堕ちて来た…じゃないな。

ヨリちゃんが僕の所まで来てくれて、ついでに引き上げてくれたんだ。

女性を月に例える人もいるけど、僕のお姫様のヨリちゃんは、僕の太陽になった。



そんなヨリちゃんが「アキトさんの子供が欲しいから籍に入れて」と言って、茶色の枠の書類を出して来た時は驚いた。


差し出された書類は、俺の名前以外の欄が全て埋まっていて、その隙間のような名前の欄だけが目立っていた。

俺は何かに導かれるように何の感情も頂かずに名前を書いたと思う。


けれど、全てが書き込まれた婚姻届を見て、何故だか涙が溢れて止まらなかった。


「ひゃ~、滲む~って、大丈夫かなぁ?」


真っ先に婚姻届を心配したヨリちゃん。

そんなヨリちゃんに大声を出して、思いっきり笑えた俺の気持ちは、俺とお姫様だけの秘密のお話だ。




















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