【短編】偶然と夕立で多分恋人に

さんがつ

【短編】偶然と夕立で多分恋人に

今日の部活は、朝の9時から他校との練習試合だった。

結果は1勝1敗の引き分け。

その試合の片付けも終わり、解散は13時を過ぎた。


試合の疲れと、お腹の空いたチームメイトは、そのままファミレスへ行くらしい。

だけど私は居残り…と言う訳じゃ無いけど、何となく彼女らの輪に入り辛く、今日は用事があるからファミレスには行けないと断った。

そして、忘れ物があるから先に行ってと言って、彼女らと別れて、そのまま部室へ戻ってきた。


別に忘れ物があった訳では無い。

別にファミレスへ行くのが嫌だった訳では無い。

そんな気持ちを誤魔化す為か、何となく部室の掃除を始めた。

それもすぐに終わると、その手を止めて、真ん中に置いてある長椅子に座った。


暑い…。

部室棟は校舎裏の日陰にあるとは言え、午後の2時を過ぎれば風も止まり、段々と室内が暑くなってきた。


私は解放している風を通さなくなった役立たずの窓を睨み、「もう良いか」と、部室を後にする事を決意した。

諦めたように椅子から立ち上がると、右の足首にほんの少しの違和感が走る。


そう。


「怪我さえなければなぁ…」


そう呟いて、屈み込んでまだ少しだけ違和感のある足首をさする。

そう。

だから今日は見学に留め、打ち上げにもいかず、部室で一人拗ねているのだ。


「一緒に行きたかったな」


悲劇のヒロインよろしくとばかりに感傷的になるのも、10代の若さゆえ。

乙女の葛藤は仕方の無い事かも知れない。

感傷に浸った後は、そこから出る。これポリシー。

私は窓を閉めて、部室の扉を閉めた。


「あ、鍵だ…」


無意識に呟けば、顧問の嫌そうな顔が浮かんで、勝手に居残っている事を後悔した。

それでも仕方がない。鍵は返さないと。


鍵を返すべく、仕方なく職員室へ向かうと、先生は不在だった。

私は今がチャンスとばかりに、鍵を所定のフックにかけて一目散に職員室から脱出した。バレると思うけど明日から暫く会わないし、まぁ良いやと、割り切って自分で慰めた。


職員室を後にして自転車置き場へ行くと、小さな日陰がハンドル部分に横たわり、サドルは炎天にさらされ、とても座れそうにないのが見てとれた。


はぁ、めんど。

まだぬるいハンドルを握り、そのまま自転車の向きを変えて、その小さな陰に自転車と二人?で並ぶ。


「夕立でも降らないかな?」


そんな気持ちで夏の高い空を睨みつけたが、一向に黒い雲はやって来ないつもりらしい。

やがて体力のある10代の乙女でも、空腹と暑さにやられたのか、知らぬ間にウトウトとしていたらしい。気がつけば目の前に人がいたので驚いた。


「「うわっ!び、びっくりした!」」


その人影も私と同じタイミングで驚き、同じ言葉を発しているようだ。

妙なシンクロニシティ。声をかけて来た男子生徒と目が合う。


「はぁ、良かった。熱中症かと思った。大丈夫?」

「あ、大丈夫。ありがとう…」


「うん」と返事をして、濡れたタオルを渡してくれたのは、同じクラスの眼鏡男子だった。名前は…何だっけ?

そんな事を考えていたら、迷っていると思われたらしく、有無を言わさず濡れタオルを首元に押し付けられた。


「っつ!!…つ、冷たくはない…?」

「ごめん、水道水もお湯だった…」


その言い得て妙な表現に、思わず笑みが溢れた。

眼鏡男子は太陽から逃げるように、私の横の小さな日陰の領域に入ってきた。

そしてガサゴソとカバンをあさって、ペットボトルのスポーツドリンクを渡してくれた。


「さっき自販機で買ったけど、もうぬるいかも…」


そう言ってキャップを外して渡してくれた。

こちらも有無を言わさず飲めと言う事らしい。


「ありがとう」


私はその好意を素直に受け止めて、ゴクゴクと喉に流し込んだ。


「ぷはぁ、生き返った」


半分になったペットボトルを見ていたら、何となく、そうした方が良いような気がして眼鏡男子に「飲む?」と聞いた。

眼鏡男子は一瞬固まるも、そうした方が良いと判断したらしい。ペットボトルを受け取ると、大きく口を開けて流し込むように飲んだ。

そうか、私の後だし、口はつけにくいか…。

何となく浮かんだその考えに、急にいたまれない気持ちが湧いてきた。


「ぷはぁ、生き返った」


またしても起こる、妙なシンクロニシティ。

さてと。落ち着いた所で、さてどうするか。

とりあえず、「帰る?」と聞いてみる。


「あ~、体調は戻ったの?」

「スポドリありがとう」

「うん、どういたしまして」


う~ん。さてどうするか。帰るのか、帰らないのか…。

変わらぬ炎天を見上げて見ても、雲一つない。故に何も変わらない。


「15分ほど歩くと、図書館がある」


急に眼鏡男子は宣言かのように言い切った。


「二人乗りならなお早い」


またしても宣言のように言い切った。


「鍵貸して?」

「おぉう?」


今度は頼み事を言って来た。

私はスカートのポケットから自転車の鍵を取り出し、そのままの鍵を開けた。

眼鏡男子は自転車のサドルに座って、自転車の向きを変えて、私が乗るのを黙って見ている。

う~ん。乗っていいのかなぁ?迷いながら自転車の荷台に横乗りになる。


「この場合、人命が優先される」


またしても宣言のように言い切る眼鏡男子。その妙な言い回しに、思わず「プッ」っとふき出してしまった。


「…えっと、掴まってくんない?」


笑われて恥ずかしかったのか、眼鏡男子は小さな声でお願いしてきた。

そうか。私が掴まるのか…。ん?捕まる?ん?あれ?

眼鏡男子の声と、その妙な言い方に混乱した私は、きっと暑さにやられているらしい。その事に気が付いた私は、そっと眼鏡男子の腰に手をまわして、彼がこぎ出すのを待つ事にした。


「行くよ」


そう言って眼鏡男子は自転車をこぎ出すと、私の顔にぬるくて重い風が押し寄せた。

その風を受けたくないのか、何の気も無しに私は自分の耳を眼鏡男子の背中に押し当てた。

汗で湿ったシャツと、息遣い、心臓の音、むせ返るような暑さを感じて、もう言葉が出なくなるような感覚に襲われた。


「…あっちい」


眼鏡男子がそう言えば、その声に妙ないたたまれなさを感じで、私はそっと耳を外した。ほんの数センチ、だけど私は離れたはずなのに、さっきの感覚がずっと残っている。


やがて自転車に乗って5分ほどで、目的地の図書館についた。

駐輪場に自転車を止めて、建物横の自販機でまたスポーツドリンクを買って、今度は二人で二本、一人一本を一気に飲んだ。

ゴクゴクと大きな音が横から聞こえた。先に眼鏡男子が飲み干したようだ。


「あっちい…」


その声に目を向ければ、眼鏡男子が眼鏡をはずして、額に湧き出た汗を二の腕のシャツで拭っていた。眼鏡の下は、そんな顔なのか…。

続くように私もスポーツドリンクの飲み続けた。やがて、二人とも飲み干せば、並んで吸い込まれるように図書館の中に入って行った。

自動ドアの内側に二人並んで入ると、更に冷たい風がヒヤッと二人の間を抜け、頬を撫でた。


「「は~涼しい~」」


またしても起こるシンクロニシティ。今日、何回目だ?

きっと暑さで語彙力が低下しているから、何度も起きるのだろう。

私達はそのまま冷気に導かれるように歩いて、一番涼しそうな場所を探して二人で並んで座った。


「生き返る…」

「人命優先は正解だった」


そんな眼鏡男子の妙な言い回しに笑みが零れる。

熱っぽい体が冷房に慣れても、二人してそのまま動けずに、目の前に広がる大量の本棚をずっと眺めていた。もう暑くは無い。でも涼しくも無いのはなんでだろう。


結局、図書館で殆ど何もせずに1時間過ごした。

とは言え、途中で本を探したり、手に取ってペラペラと、めくったりはしたけれど。

やがて体の芯の熱さは抜けないけど、体調が戻ったような感じがしたので、そろそろ良いかな?と帰るタイミングを考えていたら、眼鏡男子が絶妙なタイミングで聞いてきた。


「そろそろ帰ろっか」


ここも妙なシンクロニシティ…。


「うん、帰ろっか」


私は眼鏡男子のタイミングの良さに笑っていたと思う。


図書館を出ると、眼鏡男子は学校の方へ戻ると言う。バス停に向かうのかな?

空を見上げると雲があるとは言え、まだ気温は高い。どうせ私は自転車だ。


「一緒に行ってあげるよ」


ここまで連れて来てくれたお礼の代わりに、バス停まで見送るつもりで、二人で並んで学校まで歩き出した。

そしてもうすぐ学校という所で、急にひんやりとした風を感じた。


「あ~やばい?夕立来るんじゃない?」


そう言った眼鏡男子は、「この場合、人命が優先される」と、再び妙な宣言をしたので、私はハンドルを眼鏡男子に預けた。


「急ごう」

「うん」


図書館へ行った時のようにまた二人で自転車に乗って学校へ向かった。

すると、ポツポツと雨が降り出した。


「やばい、やばい、やばい」


眼鏡男子の自転車をこぐスピードが上がるも、雨の方が強いらしい。


「す、スマホ、スマホ!」

「あ、そうか濡れちゃう!」


自転車を止めて、お互いにスマートフォンをカバンの奥にしまい込んだ。

二人共カバンを抱えて空を見上げると、もう真っ黒な雲に覆われていた。


「あ~、多分もうだめっぽい」


そんな眼鏡男子の言葉を合図にするように雨がざ~~~~~~と降り出した。


「やばい、あはは、もうダメじゃん!」


眼鏡男子の眼鏡に雨粒がだらだらと垂れている。どうやら前は見えていないらしい。


「あはは、ぬるいやら、痛いやら、わけわからん」


彼は役に立たなくなった眼鏡をはずして、私の方を向いて、「あはは」と笑ってる。

その顔があまりにも良い顔だったので、私もつられて「あはは」と笑ってしまった。


「もう雨か服かわかんねぇ」

「それはやばい」


そう言いながらも、ここに居ても仕方が無いので、私は自転車の荷台から降りて、眼鏡が役に立たなくなった眼鏡男子のシャツを引っ張り、行ったことの無い道を進んだ。

眼鏡男子は前が見えないのだろう。ハンドルを握りながら大人しく私に付いてきた。

気の向くままに何となく進むと、道の向こうに大きな木が見えたので、公園かマンションがあると思い私達はそのまま前に進む事にした。


大きな木の下にあったのは小さな児童公園だった。

古い公園のようで、真ん中にタコのような遊具がぽつんと有るだけの、ちょっと寂れた公園だ。


「屋根…あれしかない…」

「何?あの赤い丸いっぽいやつ…?」


役に立ただずの眼鏡は外して、目を細めて遊具を確認しようとしているけど、多分見えてないな…。

私はそのまま眼鏡男子を引っ張って、タコの足の小さな穴に入った。

自転車はタコの外にそのまま放置した。


子供が抜けて遊ぶ穴のようだから、天井が低くて、そこにしゃがみ込で雨宿りをする事にした。

床まで水が入っていなくて良かった。

そんなに雨は長く降らないはず。


「タイミングが悪かったなぁ」


カバンをゴソゴソとあさる眼鏡男子。


「夕立ってこんなもんだよ」


私もカバンの中にあるタオルを探す。


う~ん。

部活のシャツがあるけど…汗をかいたシャツだし、それに此処では着替えにくいか。取りあえず二人してタオルを取り出すと顔と髪の毛を拭いた。


「あはは、おっさんみたいな顔の拭き方!川口はメイクとかしないのな」

「おっさんって失礼な!まぁ、部活で汗かくからね~ほとんどしないかなぁ」

「いいじゃん、そのままで可愛いし」

「っつ!」


私が多分凄い顔で驚いたからだろう。


「あっ…いや、なんかごめん」


眼鏡男子は視線を外しながら謝った。

だから何となく私も視線を外して「大丈夫」と言いながら笑ってごまかした。

そんな妙な間に、いたたまれなくなった私は、チラッと横から眼鏡男子を盗み見た。


「⁉」


眼鏡男子のシャツが濡れて肌が透けている…。という事は。

恐る恐る自分の胸元を見ると、しっかり下着が透けているのが見えた。


「おおおおおぉぉぉぉ⁉」


思いっきり声に出てたけど、心の動揺を悟られないように、そっとカバンを抱きしめて隠す事にした。

その不穏な空気を感じたのか、眼鏡男子が、突然宣言のように言い出した。


「眼鏡が!眼鏡外してたから!見えてないからっ!」


そう言えば、顔を拭く時に眼鏡を外していて、今もかけてないな…と妙に納得もしたので、「お、おぅ…」と曖昧な返事をした。

すると、何故だろう。目の前で裸眼になった眼鏡男子がシャツのボタンを外して脱ぎ出した。


「おおおおおぉぉぉぉ⁉」


突然起きた裸眼眼鏡男子の奇行に変な声しか出ない。

その声を無視するかのように、裸眼眼鏡男子は自分のシャツをぎゅーと絞って、狭いタコ穴の中でバンバンっと洗濯を干す前のあれをし出した。


「な、な、何を…」


すっかり動揺する私の目の前に、裸眼眼鏡男子は脱いだシャツを差し出した。


「き、着替えるなら…そうぞ…」


そう言って背を向けながらシャツを差し出す裸眼眼鏡男子は、耳と首が真っ赤になっていた。そんな彼を見て、私は物凄く動揺したらしい。


「あ、ありがとうございます…」


何故だろう、濡れたシャツを受け取ってしまった。

そして受け取ってから我に帰る。えっと…これ、どうしたら良いのだろう?


「あの~」と私が問いかけると、顔をそむけたまま眼鏡をかけ直す眼鏡男子。


「あ、やっぱり嫌だよね、あはは、どうしていいか分からなくて…」


えっと、嫌…なのかな?私…?

でもそれを着るなら…、自分のTシャツを着た方が良い…という事を考える程の理性は残っていた。


「あの、クラブのシャツがあるので…それは目隠し用でお願いできますか?」

「は?」


って、あれ?結構凄い事を言ってる気がするぞ!

でも…多分それが今の状態ならベターのような気がする。ベストでは無いけど。


「その、佐倉君のシャツが大きいので、それで目隠しをしてくれれば何とか?」

「っつ!…う、うん分かった…」


恥ずかしくて死にそうになりながらも、何とか言葉にすると、それを聞いた佐倉君は、何故だか深呼吸を繰り返す。


「で、出来るだけ隠すとは…ど、どうやって?」


佐倉君の素朴な質問に、ここが一本道のタコ穴である事を思い出す。

えっと、反対側をシャツ隠して…もう片方は?と見ると、私より大きな佐倉君の体が見えた。


「っつ!」


いや、まずいかな?でもそれしかない…?


「あ~、へ、変な意味じゃなくて…佐倉君が腕を伸ばしてシャツを持っていてくれたら、その間で…?ってか、それは無理か…」


いやぁ、私、頭がおかしいな?

自分で突っ込んで、やっぱりそれは止めようと私が言い出す前に、何故だか佐倉君は承諾してみせた。


「っつ!…う、うん分かった…」

「え?良いの?」

「よ、よ、良くないけど、じ、人命を優先する!」


その妙な宣言に、何だかちょっと気が抜けた。


「すみませんが目を閉じて欲しいです」

「は、はいっ!」


そんなお願いに佐倉君は眼鏡をおでこにあげて、目を閉じで、思いっきり顔を背けて、腕を伸ばしてくれた。

必死な佐倉君の努力に私も気を許して、彼を背中に、出来るだけ当たらないように、シャツと佐倉君の間にかがんで着替えた。


多分だけど、目隠しの意味は無かったかもしれない。だけど、無いよりはマシで、大雨できっと誰も見ていない…はず。

そんな風にガサゴソと狭いながらも工夫して動いていたら、それなりに着替える事が出来た。だから、ふと佐倉君の方へ振り向いた。

すると佐倉君は、おでこの眼鏡が下にずれていて気持ち悪いらしい。

ズレた眼鏡を直せずに、目を閉じて俯きながら、鼻を動かして、違和感に耐えているように見えた。


そういや、目を閉じるなら眼鏡を外さなくて良かったじゃん…と、心の中で突っ込みをいれつつも、真面目な佐倉君にちょっと笑ってしまった。


「な、何?何かおかしな事があった?大丈夫?」


目を閉じながらも慌てる佐倉君。


「あ、着替え終わったよ」


仕方が無い、私は佐倉君のおでこの眼鏡を、目にかけてあげた。


「え?」


不意に動いた眼鏡に驚いた佐倉君は、目を瞑ったまま顔を動かした。

だから彼の顔が急に私の方へ近づいてしまい、今度は私が驚いてしまった。


「「あ!ご、ごめん」」


また声が被る。シンクロニシティ。今日、何回目だ?

やっぱり今日は、何か変な気がする。


「目、開けていいよ」


私が伝えると、佐倉君はそっと目を開けて、至近距離の私の顔に「ひぃっ!」と驚いた。

そして驚きながらも、徐々に離れつつ、自分で丁度良い位置に眼鏡をずらした。

眼鏡が良い位置に落ち着いたのか、佐倉君は再び深呼吸を繰り返す。

そしてゆっくりと私を確認した。


「あ~、あ。あぁ…。そうかクラブTシャツ」


着替え終わった私の姿に安心したらしく、笑っていた。


「うん、汗かいたやつだけど…」

「うん、そっちの方が良いわ」

「シャツありがとうね」

「おぅ」


私の着替えに満足そうな返事をすると、佐倉君は脱いだシャツを再び羽織り出した。


「うへ、気持ち悪りぃ」

「濡れてるもんね…」

「あ~…えっと、脱いだままでも良いですか?」

「…致し方なく…」

「なんだそれ」


佐倉君は笑いながら、タオルを首にかけて、シャツを脱ぎ出した。


「裸のままは、ちょっと寒いな」

「あはは、って笑い事じゃないか…」

「う~ん、濡れたやつを着てるよりはマシっぽいけど」


何だか可哀そうになって「何かあるかなあ?」と私はカバンの中身を探る。

予備はのシャツ無いしなぁ。あったとしても、サイズが小さいよなぁ…って考えていたら、佐倉君が不意に話しかけて来た。


「なぁ、お前彼氏とか好きなやつとかいる?」

「な、何を藪から棒に」

「あ~、ちょっと最終手段的な?」

「…い、いませんよ…」

「…そっか」


って急に何を聞きだすんだ、この男は。

と思ったら、「熱、貸してくんない?」とまた変な事を聞いてきた?


「え?」

「この場合、人命が優先される」


どこかで聞いたそのセリフを思い出そうとする前に、「ここに入ってくんない?」とかがんでいる佐倉君の膝の間を指さした。


「な、な、な、何おぅぅ…」

「…致し方なく、なんです…」


恥ずかしそうにお願いする佐倉君の表情とセリフに戸惑いつつも、佐倉君の言う通り、致し方なく彼の膝の間に入った。

暫くすると背中を覆うように佐倉君の感触が広がった。


「あ、あの」

「あったけ~」


私が逃げ出すより前に、佐倉君が命の補給をし始めたので、私は何も言い返せなくなって、大人しくする事にした。

けれど再び意を決して問いかける。


「あ…あの~?」

「この場合、人命が優先されると思う」


う~ん。妥協案を探す前に説得させられてしまったようだ。


「「はぁ…」」


諦めのため息と、佐倉君安堵のため息が重なったらしい。

そんな佐倉君の安堵のため息で気が付いたけど、確かに背中に感じる佐倉君は、私より冷たい感じがする。なるほど、寒い時は人の温度が良いと言うのは本当らしい。

だから、私の胸の前で組まれた佐倉君の腕を私も自分の腕で温めた。

こっちの方が良いかな?って。善意ですけど…?いや、これ大丈夫か?


「っつ⁉あの…」


と思ったら、ダメだったみたいで、佐倉君が動揺し出した。

やっぱりダメかと思いつつ、「はい」と佐倉君の言葉を促す私。


「それは流石に不味いかと…」

「す、すみません、善意なのですが…」

「あ、いや、ありがとうございます」

「はい、どういたしまして…」


妙な空気になってしまった。いたたまれなくなった二人。

少し雨音が小さくなって来た気がするけど、それは心臓の音が大きくなったからだろうか?

う~ん。何だろう。凄く変な感じがする。

背中のTシャツ越しに佐倉君のドキドキが伝わってくるし、耳元で佐倉君の呼吸音が聞こえる。


私の動揺が伝わったのか、佐倉君が不意に謝り出した。


「…なんか、すみません」

「…いえ、お構いなく…」


そんな佐倉君の謝罪に、私は努めて冷静を装った。

やがて佐倉君の熱に、雨、止まないかなぁ…と思いつつ、止まない方が良いのかなぁ…って考えだした。

って、私は何を考え出した?

そんな混乱を止めるかのように今度は佐倉君が切り出した。


「あのさ…」

「何でしょう…」

「…さっきの、本当?」

「?さっきの?とは?」

「あ~、あ、いや…やっぱいいや」

「はぁ…」

「…」


はて、さっきのとは?腕の事かな?

でも何だか良くないような、不穏な感じと言うか、変な感じになりそうな気がする。


「…これ、独り言だけど…」

「…はい…」

「はぁ~っ」


大きなため息の後に佐倉君が語り出す。


「クラスにさ…ちょっとかわいい子がいるなぁって思ってて…」


あれ?佐倉君の恋の相談?が始まった?


「でも俺、普通に地味だし、眼鏡だし、あんまり釣り合いそうにないし…」


確かに眼鏡かも知れないけど、地味では無いような…いえ、眼鏡を取ると結構いい感じでしたけど?って私、何を考えてますか?


「その子、いつも元気そうで、明るくて…良いなって思ってて」

「…」

「話す機会が無かったけど…急に出来たから…何を話せば良いのかと…」


なるほど?取りあえず同じクラスの誰かさんと急に仲良くなったので、お話を弾ませたい…という相談ですかね…。


「…」


あれ?何だかちょっと面白くない話のような感じがするのはなぜだろう?


「…」

「って…川口?」


何だろう、そんなの好きな事、話せばよくない?佐倉の好きにすればよくない?


「あ…そうだろうけど…何か怒ってる?」


おこ、って、なんで私が佐倉の恋愛相談に怒る必要がありますか?

関係ないですよね?私、その話に関係ないですよね?

相談だったら、他の女子に聞けばっいいじゃんか!


「っつ!!」


佐倉君が急に私の肩をくるりと動かしたので、至近距離でお互いに顔を見合わる形になった。


「好きな事を話せばいいけど、関係無い事、無くない?他の女子じゃなくて、お前の事なんだけど!」


佐倉君が顔を真っ赤にして、必死になって言うから、私はぽかんとしたした顔をして固まってしまった。


「え?」

「…」

「声に出てた…?」

「…いや、そっちかい…」


そう言って私の肩口で項垂れる佐倉君を見ていたら、「俺、もう好きなんだけど…」と突然はき捨てる様に言い出した。


「好き…と」

「だって、可愛いなって思ってた子が、こんな近くに居て、着替えたりして、くっついたりして、これでどうにかならなかったら、そいつ頭がおかしいわ!」


今度は私の顔を見て切れだした。


「っ…」


その時、私の頭は沸騰したかもしれない。

だって、両肩を掴まれて、上半身が裸で、うつむいた姿勢のまま私を見上げるから、眼鏡がずれて、佐倉君の目が強くて、それで、あの…えっと…。


「よ、よろしくお願いしますっつ!」

「は?」


だから、焦って変な返事をしてしまった。


「えっと?」


私の返事に困惑を表す佐倉君。

だよね、意味不明だよね。


「え、えっと、お、お付き合いするなら、そうなるかと…」

「っつ!!」

「え?」


言葉を詰まらせて、また俯く佐倉君。

ま、間違えましたか?


「…好きになったの?」

「え?」

「…俺の事…好きなの?」

「え?」


その言葉に我に帰る…。そうか…そ、そうか、そういう事か!


「た、多分…」

「多分なんだ」

「まだ、多分かな?」

「じゃあ、またくっついて良い?」


さっきのちょっと強い目の佐倉君がそう聞くから、私は「…うん」と答える事しか出来なかった。

すると佐倉君はそのまま私の肩を引き寄せて、今度は本当に抱える様にゆっくりと抱きしめた。


「…あったかい」

「…うん」


暫くそのまま黙っていると、雨音の間隔が小さくなっていくのが分かった。

雨が止み始めたらしい。


「さすがに、もう服着るわ」

「そうだね」


そう言って佐倉君はまた洗濯物を干す前のあれをして、濡れたシャツを着た。


「あぁ、やっぱり冷たい」

「あはは、仕方ないね」

「雨止んだら帰ろうか」

「…そうだね」

「…もうちょっと降ってて欲しいけど」


佐倉君が私の顔を見ながらそう言うから、私は恥ずかしくて、顔を背けながら「そうですね」と答えた。


そんな他愛の無い会話をしていたら、何かを思いついた佐倉君がカバンの中からスマートフォンを取り出した。


「連絡先…聞いて良い?」


佐倉君の言葉に私もカバンからスマートフォンを取り出してメッセージアプリの操作をする。

友達の登録画面まで進めていると、佐倉君が尋ねて来た。


「そう言えば、俺の名前…知ってる?」

「…多分」


恥ずかしくて本当の事が言えなかったけど、佐倉君とはそのまま連絡先を交換した。

すると佐倉君は直ぐにメッセージを送ってくれた。

通知音が鳴ったのでメッセージアプリを開くと新しい友達の欄に通知バッチがあった。


メッセージを開くと、『佐倉 徹です。よろしくお願いします。』と書いてあった。


「名前、覚えれそう?」

「…多分」

「酷いなぁ」


そう言った佐倉君は凄く良い顔をしていた。なんだろ?私の顔って嘘が出るのかな?

そう思うと何だか恥ずかしくて俯いてしまった。

その俯いた耳に再び通知音が入り、メッセージを確認すると、『俺、嫉妬深いけど大丈夫ですか?』と書いてあった。


「…多分、大丈夫です…」

「あは、そっか」


そう言って笑い出す佐倉君。

なんだろう、急に彼氏感が強くて、心臓に悪い。


「多分じゃなくて、早く俺の事好きになってね」


今度は多分と言えず、そのまま頷いたら、「そっか」と言う、佐倉君の少し弾んだ声が聞こえた。


そっか、私に彼氏が出来たのか。

すごいな、実感がない。

そんな事を考えていたら、急に肩を掴まれて、クルリと向きを変えられて佐倉の顔が近くにあった。

そして、ちゅっ…と小さなリップ音がして、柔らかい何かが唇から離れて行った。


「え?っと?」

「…実感した?」


そう言った佐倉の顔は真っ赤だった。


「…また、声に出てた…と?」

「また、そっちか」


そう言った佐倉の顔は凄く嬉しそうだった。


なんでだろ。今日の夕立は、上がっても涼しくは、ならないみたい。

さっきからずっと熱いままなのは、きっと気のせいではないだろう。

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