『苦手だった爺ちゃんに酌をした』
小田舵木
『苦手だった爺ちゃんに酌をした』
夏休みになると祖父に会わなくてはいけないのが憂鬱だった。
別に会わなくてもいいじゃん、という方も居よう。しかし、そうもいかないのが親類の面倒臭さである。
祖父は厳しい人で、僕は会う度、説教をされた。おかげでどんどん彼が苦手になり。
「母ちゃん。
「そんな事言わない。爺ちゃんアンタの事が好きなんだから」彼女は言う。
「ならさ。会う度に説教するの止めて欲しいんだけど」
「そういう事でしか子どもとコミュニケーション取れない人なの」彼女はそう言って。
「母ちゃんと似てるかも」爺ちゃんは彼女の父である。
「私はそんなに叱ってないじゃない」
「いやあ。事あるごとに説教してくるじゃん」
「…」ああ。彼女の導火線に火を点けてしまった。
爺ちゃんの家は九州のド田舎。あそこには何もない。びっくりするほど何もない。
そんな場所に里帰りするのはなかなか憂鬱だ。毎年、飛行機に乗るのが嫌だった。
たどり着くのは街の中にある狭い空港で。そこに着くと湿気を含んだ熱気が僕の身を包む。
身体から汗を流しながら、地下鉄に乗って。そこから街の中心へと行き、私鉄に乗り換える。
蛍光グリーンの派手な電車に乗り込んで。田舎の方へ向かっていく道は、祖父へと近づく道で。
「ああ。憂鬱だ」と僕は車両の窓から外を眺めながら言う。
「爺ちゃんか」隣の席の父ちゃんは言って。
「そ。中学生になっても説教が止まらないじゃん?」
「爺ちゃん、お前の事好きだから」
「…父ちゃんもそう言うかい?」
「そりゃあ。俺なんて相手にされないんだからな…嫌われてるんじゃないかって思うこともあるぞ」
「そうでもないでしょ?」一応、酒を酌み交わしてたりするのだが。
「そうでもあるんだよ。俺に対してはびっくりするほど優しくてな」
「羨ましい」
「そうか?俺は相手にされてない感じがするんだよなあ」
「相手にされてない?」
「そう。表面上優しく相手して…決して本心を見せてくれない感じだ」
「本心…ねえ。そんなモノ知ったところで嬉しかないよ」
「いいや。あの人は中々面白い人だと思うんだけどな」父ちゃんは頭に手をやりながら言う。
「は?面白い?ジョークとか言わないじゃんか」
「そういう面白さじゃねえよ。人間的に興味深いって言うのかな…」
「人間的に面白い…ねえ」それは父ちゃんが人を評する時によく使う台詞だ。父ちゃんは営業の仕事に就いてるせいか、人に対する独特の審美眼がある。
「海の男だったろ?爺ちゃん?」爺ちゃんは海苔の養殖をやっていた人だ。だから漁師なんかと一緒で海の男である。
「そうだねえ。一応」
「だから俺みたいなサラリーマンとは少し…いや大分感覚が違う」
「かも知れん。だけどそれが面白いのは父ちゃんだけじゃない?」
「否定は出来んけどさあ。どうせ、お前もサラリーマン行きだ。今の内に海で働く男の価値観を知っとくのは悪いことじゃない」
「…一理あるよ。でも僕が爺ちゃんに何か聞いてもさ。説教されるのがオチだよ。そしたら話を聞くどころじゃない」僕は眉に手を置きながら言う。
「そこはお前、工夫しろ。いつも通りに行ったら即説教コースなのは間違いねえ。こういう時はな、爺ちゃんをヨイショするんだよ」
「ヨイショ?」
「持ち上げて、盛り上げる。俺がやっちまうとわざと臭くなるが。お前なら若さでカバー出来る」
「ねえ。それ仕事でも使ってるテクニック?」
「そりゃね。営業だから。客を気持ちよくさせてナンボだ。財布の紐を緩めるのも簡単じゃない」
「流石あ」なんて僕はヨイショを実践してみる。
「その調子だ。良いか。年寄り…いや年上ってのはな。若もんに教え説きたいモノなんだ」
「それが爺ちゃんの場合、説教であると?」
「そそ。
「そんな愛情はノーサンキューですわ」
「そういうな。んで今年くらいは話を聞いてやれよ」
「頑張るかな…」
外を見れば田園風景が広がり始めて。爺ちゃんの家の方に近づいてきている。
◆
爺ちゃんの家は私鉄の駅から離れている。そこからタクシーで30分はかかる。
タクシーに揺られながら僕は考える。爺ちゃんは僕が大切、か。
そんな事思いもしなかった。と言うかガキの頃から説教されすぎて嫌われてるんじゃないか、という思い込みがあった。
でもそうじゃないらしい。彼は僕への思いが強すぎて、どうしても説教をしてしまうらしい。
はてさてどうしたものか?父ちゃんは話を聞いてやれと言う。母ちゃんは理解してやれと言う。
しかしなあ。もう、爺ちゃんに説教され続けて何年になるか。そしてそれは幼少のときから続いている。そういうのは心理的に刷り込まれる。そうして恐怖心へと移ってしまう。
そう。僕は爺ちゃんが怖いのだ。あの鋭い目で睨まれたら萎縮してしまって言葉を
タクシーからの車窓からは川が見える。そこは爺ちゃんのかつての仕事場の一つだ。
川の流れは優雅だ。そこには何もかもを押し流してしまいそうな力強さもある。
◆
ああ。着いちまった。
家の前には
「
「婆ちゃん!元気してたよー」なんて僕は
「さ。家に上がって頂戴」婆ちゃんは僕ら家族を家に招きいれる。
爺ちゃんの家は入ってすぐ
しかし、今はただ何もない土間が広がっていて。そこには寂しさが
土間の脇に家の中に上がる入口があって。そこをくぐると居間になっている。
そこには爺ちゃんが鎮座していて。
「お
「爺ちゃんお久しぶり」と僕もそれに重ねとく。
「おう。
「長らくご無沙汰しておりました…仕事が忙しくて」父ちゃんは言う。
「良いんだ。今年はこうやって会えた。さ、上がりなさい」
そうして。僕ら家族と爺ちゃんと婆ちゃんは居間に入る。それからはしばらく世間話。父ちゃん母ちゃんが最近の出来事を報告している。
そんな中、僕は暇になっていた。爺ちゃん達の話を話半分で聞き流していた。
「航」じいちゃんは油断しきった僕に言う。
「はい」やばい。話に入ってなかったのが
「私達が話をしているというのに、何だその態度は」
「済みません…自分に関係ない話だったから」ああ。始まっちまった。
「あのな。こういう場では自分に関係なくても相槌打っとくもんだ」爺ちゃんは顔をしかめながらそう言って。
「まあまあ」と婆ちゃんが間に入る。「世間話なんて中学生には暇でしょ?」
「ゴメン。婆ちゃん」僕は謝る。
「良いのよ…とりあえず仏壇に手を合わせてきたらどう?
「うん。そうする」こんな訳で。僕は爺ちゃんとのファーストコンタクトをミスってしまった。
◆
仏壇に手を合わせて、線香をあげる。会ったこともない曾爺ちゃん。彼はどんな人間だったのだろうか?しかし爺ちゃんの父だ。さぞかし目つきの鋭い人だったに違いない。仏壇に飾られた遺影は優しい顔をしているが。
母と父が入ってくる。世間話は終わったらしい。
「まーた説教されて」母は呆れながら言う。
「しゃあないでしょ?」僕は言い訳をする。ホント、爺ちゃんと母ちゃんは似てるよなあ。
「ま、こういう時もある。切り替えろ」父ちゃんはそう言って慰める。
そこに婆ちゃんが入ってきて。
「航くん、ゴメンね。あの人があの調子で」と謝ってくる。
「いや。婆ちゃんが悪い訳じゃないし。僕が油断してたのが悪いんだよ」
「あの人、航くんが可愛いから、ついつい…ね?」婆ちゃんまでそう言うか。
「ねえ。婆ちゃん。僕、爺ちゃんとどうやったら仲良く出来るのかな?」思わず聞いてしまった。
「うーん」婆ちゃんは思い悩む。
「父ちゃんはヨイショして話を引き出せって言うんだけど」
「ちょ、それを婆ちゃんに言ってどうする」父ちゃんは突っ込む。
「いや。もう婆ちゃんの知恵借りないとどうしようもなくね?」僕は父ちゃんに返す。正攻法や父ちゃんの入れ知恵じゃどうしようもないのだ。
「そうねえ…私から言えることは…アレかな。お酒を
「シラフの時は駄目なん?」
「あの人、お酒を呑んでる時は気が緩むから…そうだ。お酌でもしてあげると良いのよ」
「お。接待ぽいな」父ちゃんは言う。
「お酌の仕方なんて知らないよ」僕は未成年だ。
「…とりあえずアレだな。ビールの場合、ラベルを上にして…」親父はウンチクをたれ始めて。
「別に世間的なマナーは良いのよ。ただ。お酒をついで、あの人に話しかけなさい」
婆ちゃんは言う。
「それでうまくいくかなあ?」僕は不安だ。なにせあの厳しい爺ちゃんにお酌をしなきゃいけないんだから。
◆
時間は進んでいく。夕方になると近所に住んでる叔父さん達も集まってきていて。
従兄弟に久しぶりに会った。相変わらずの日焼け具合のスポーツ少年。共通点は爺ちゃんが苦手な事。
「航、久しぶりだな」訛りの強い喋り方。
「うっす。今年も憂鬱な時がきたな?」僕は爺ちゃんの話を振る。
「まったくだ。今年はどう避けるよ?」僕と彼はこういう場でしばしば共同戦線を張る。いかに爺ちゃんにバレずに宴会を過ごすか。
「…今年は積極策でいくぞ、僕は」
「航、マジかよ?あのじーさん相手に何かするつもりか?」
「いやね?爺ちゃんにお酌をしようかと」
「無謀な。どうせ酌の仕方でケチつけられるぞ?」彼は眉をハの字にしながら言う。
「大丈夫だ。婆ちゃんの入れ知恵がある…無策ではないぞよ」
「大丈夫かねえ…俺は知らんぞ?でもうまくいったらパクらせてもらおうかな」彼はニヤニヤしながら言う。
「おいおい…僕に特攻させる気かよ」
「ま、頑張れや」
◆
宴会が始まった。仏間に親類全員で集まって。叔父さん達と父ちゃんはすでに乾杯をしてしまっている。
上座に爺ちゃんは鎮座している。その顔は厳しい。日焼けをした茶色い顔に鋭い目線。こんな場でなんつう顔をしてるんだか。
「う〜い。それじゃ、もういっちょ乾杯しますかあ」叔父さんの一人がそう音頭を取って。みんなで飲物のグラスを掲げる。
「乾杯!!」グラスを皆でぶつけ合う。そして皆、
「おい。行くならこの後だぞ」横に居た従兄弟がヒソヒソ声で話しかけてきて。
「さっさと済ましとくもんかね?」僕は言う。もうちょっと酔いが回ったタイミングが良いんじゃないか?
「爺ちゃん、酔うの早いからな」
「そら知らなんだ」
「お前は会うの年イチだから仕方ない。だが俺は度々会うからな。そこら辺は把握してるぞ」頼もしいんだかなんだか。
「んで?酔うと拙い訳?」
「説教グセがヒートアップする。俺の親父はその被害によく遭ってる」
「わお。それはヤバイな」僕の作戦はヨイショだけだ。酔われたら効かなくなるかも知れない。
僕は意を決して。
爺ちゃんの方を盗み見る。グラス半分減っている。後少ししたら決行だ。
◆
僕は叔父さん達と父ちゃんの方に向かっていく。そしてビール瓶を手に入れる。
「おっと?未成年はダメだぞう」と叔父さんの一人が絡んできた。
「呑まないっすよ」僕は応える。
「ん?じゃあなんでビール瓶要るのさ?」
「…今から爺ちゃんに酌でもしようかと」小声で言う。
「チャレンジャーだなあ」と叔父さんも小声で応える。
「…もう説教され通しは勘弁願いたいんすよ」
「んで酌か。ま、航は好かれてるからな。うまくやれよ」叔父さんもそう言うか。
「頑張ってきます。やられたら骨、拾ってくださいよ」僕は敬礼しながら言う。
「うし。行ってこい
上座に僕がビール瓶を片手に向かって行くと爺ちゃんは話していた親類の一人から目をあげる。
「航…どうしたビール瓶なんか持って?飲酒はいかんぞ?若いうちから呑むと脳が萎縮する」爺ちゃんは言う。その口調は微妙に重くてヒヤヒヤする。
「呑みませんよ…いや爺ちゃんにお酌をしようと思いまして」僕は勇気を出して言った。
「そうか。では受けよう」あっさりと受け入れられた。
僕は爺ちゃんの隣に座り。爺ちゃんのグラスにビールを注ぐ。
その時に泡だらけにならないよう、ゆっくり注いだ。これは父ちゃんの入れ知恵だ。
「…うむ。返杯しようか」爺ちゃんはその辺にあったコーラを取る。
「お受けします」僕は用意しておいたグラスを差し出して。
爺ちゃんもゆっくりと泡立ち過ぎないようにコーラを注いでくれる。
「じゃあ。乾杯!!」僕と爺ちゃんはグラスをカチンと合わせる。
「ねえ。爺ちゃん」僕は受けたコーラを飲み干して問う。
「なんだ?航?」さてここからどうするか?父ちゃんマニュアル的には相手をヨイショする場面だが。なんとなく正攻法の方が良いような気がしてきた。入れ知恵なんてその内バレるものだ。
「どうして僕にガミガミ言っちゃうんだろう?」僕は言ってしまっていた。遠くの方で従兄弟がアホかよ、という顔をしていた。
「うん。それに関しては…済まん」爺ちゃんは珍しく
「僕ね、爺ちゃんの事嫌いたくはないんだよ。でもさ、会う度に色々言われるから萎縮しちゃって」遠くの親父があーあ、という顔をしているのが見えた。
「…今までゴメンなあ。航」爺ちゃんはそう言った。
「いや…良いんだ」僕は応えて。
「なんと言うか。お前には油断しないような生き方をしてほしくてな」爺ちゃんは僕を見つめながら言う。
「それでついついキツい物言いをしてしまう?」
「そうなんだよ」
「ま、それは隙を見せた僕が悪いのかな」
「お前の歳くらいだと本当は仕方ないんだが」
「それなのに。どうして小さい頃から説教してきたのさ?」少し言い方がキツい
だろうか?
「ああいうのは習慣だ。小さい頃からの積み重ねが大人になってからのお前を形づくる」
「…なるほどね。
「そういう事になるかなあ。それに今さらお前を甘やかす方法も分からん」
「別に甘やかして欲しい訳じゃないさ。ただ、普通に話せる仲にはなりたいけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいよ」爺ちゃんは微笑む。
「…その顔。良いね。その顔なら僕も接しやすい」
「そうかあ。でもなあ、私はしかめっ面が顔に張り付いててな」
「うん。でもさ。僕もしっかりするようにするからさ。爺ちゃんもしかめっ面をどうにかしてみない?」ちょっと上から目線すぎるが。僕はこういう物言いしか出来ない。
「…やってみようかな。せっかく航に酌してもらったしな」爺ちゃんはビールを飲み干しながら言う。
「酌くらい。何度でもしてあげるよ」僕はそう言いながら爺ちゃんのグラスにビールを注ぐ。その後ろで従兄弟が僕の行動をパクろうとしていた…
◆
こうして。怖かった爺ちゃんはすっかり丸くなった。まあ、たまには厳しい事も言うけど。
あれから数年が経った。今や僕は社会人で。
帰省するのは数年に一回。大分ご無沙汰してしまっている。
丸くなった爺ちゃんには色々教えてもらった。主に油断せずに生きていく方法を。
爺ちゃんはある年のある日。船に僕を乗せてくれた。
そしてその上で海…自然の中で仕事をすることについて語ってくれた。
「いいか。航。自然相手の仕事ってのは油断したら命取りなんだ」
「そりゃそうかも」
「お前は甘く見過ぎだ。ホント、一瞬の気の緩みが命の危険に繋がるんだ」
「爺ちゃんはそういう経験あるの?」
「いくらでもあるぞ?
「そっか。ねえ…爺ちゃんの周りにもそういう経験で危険な目にあった人が居るんだろ?」
「ああ。仲間が何人かな。油断して海に入って行ってそのまま帰って来なかった」
「そりゃ、僕にも油断するなって言いたくなるよな」
「ああ。大事な孫だからな」
「ありがとう」
「なーに。
僕は私鉄の駅に降り立って。タクシーを呼び寄せる。
タクシーの車窓からはあの川が見える。僕に油断してはいけない、と諭した川が。
その流れは変わらない。自然というものはそういうモノだ、という爺ちゃんの言葉が頭をよぎる。
爺ちゃんの家は相変わらず。タクシーから降りると婆ちゃんが迎えてくれる。
「航くぅん。元気しちょった?」
「お久しぶり婆ちゃん。なんとか今日まで生き延びれた」
「滅多な事言わない」
「いや。爺ちゃんにそう教えられてきたからさ」
爺ちゃんの家の居間に上がる。そこには先に来ていた母と父。
「おっす。
「はいはい」
「さぁて。仏壇に線香とビール上げに行きますかね」
爺ちゃんは僕が大学生の頃に亡くなってしまった。少し早く寿命を迎えてしまっていた。
僕は仏前でビールを開ける。そしてグラスにゆっくり注いで。そのグラスを
「航、戻りました。爺ちゃんの教えの通り油断せずに生きてますよ」僕は供えたビールの残りを呑みながら言う。
「…油断してるぞ航」と聞こえてきた気がしたのは気のせいか?「私が呑むのを待たないなんて」
「…しゃあないっしょ?」と僕は仏壇に向かって言う。
「しょうがなくない。まったく航は…」懐かしい爺ちゃんの説教。
僕は線香をあげると、婆ちゃん達の居る居間に戻っていった。
◆
『苦手だった爺ちゃんに酌をした』 小田舵木 @odakajiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます