第21話:予期せぬ
* * *
午前二時を過ぎても、まだ雨が降っていた。とは言え粒は小さく、さす傘を打つ音も聞こえない。
いつも通りに真地さん達を先に帰して一人、自動販売機の脇。
天気が良くても悪くても星が見えないのは変わらないはず。なのに夜闇の濃い気がして、来ないかなと寒気のする足を揺らす。
あの人だって雨の中、飲み物なんか買わないで帰るだろう。それをあたしが引き留めるのは良くない。
そう思うのに、濡れた道に気をつけてくらいは言ってあげたい。などと余計なお世話を考える。
待つこと十分、飛沫も上げない速度でスクーターがやって来た。自動販売機の真横から半歩踏み出し、手を振ってみる。
上下、真っ黒なカッパの人影が左手を上げて答えてくれた。
「雨なのに、寒いでしょ?」
「私は全然。出島さんのほうが寒いと思って――」
言うなり、用意していた硬貨を自動販売機へ投入する。いつも彼が買う、赤い微糖のコーヒーを選んだ。
「気をつけて帰ってくださいね」
「これの為に?」
「いえ。今たまたま出てきたところです」
おずおずと出された手が、覚悟を決めたようにサッと缶を取った。「ありがとう」と聞こえて、今夜はこれで終わりだなと小さくため息。
「あ、あれ? 帰らないんですか」
缶コーヒーを前カゴにでも入れて、走り去るだろうと思っていた。しかし出島さんはスクーターを降り、スタンドを立てる。
開いたシールドに雨粒が増えていく。背伸びをして、彼のヘルメットの上に傘を掲げた。
「ちょっとね、渡したい物があって。雨の中でどうかと思うけど、いいかな?」
「渡したい物?」
突然、どうしたんだろう。首を傾げたあたしに構わず、出島さんは背負っていたリュックを下ろす。
そんな物、いつもはないのに。登山へでも行きそうな、大きなリュックサック。
玉のような水滴をザッと払い、蓋が開いて中身が取り出された。白い、厚手のナイロン袋は一抱えもありそう。
「コーヒー、美味しかったから。端居さんの誕生日は知らないけど、たまたま近かったりしないかなと思って」
「ええっ、お返しなんかいいのに」
そう言っても、ナイロン袋が突き出される。どこかのお店で買った物に違いない。
あたしの為に、だ。それを突き返すのは酷く失礼でもある。
どうしよう。どうしよう。
迷っていたら、傘を奪われた。あたしの手はフリーになり、雨も出島さんが防いでくれる。
「何か、すみません」
「すまなくないよ。気に入ってもらえたらいいんだけど」
観念して、受け取った。両手で持ったが、大きさの割にかなり軽い。
気に入ってもらえたらって、開けてみろってこと? 目の前で? どんな顔をしていいか、練習をさせてほしい。
もちろんそんな猶予はなく、ニコニコとした出島さんに引き攣って笑いながら袋を開いた。
「え……これって」
目に映ったのは、グレーのボールみたいな物体。にしては短い毛に覆われた、ぬいぐるみのような。
そのフォルムは、あたしに親しみがあった。でもまさかと思いながら取り出すと、そのまさかだ。
「キバドラじゃないですか」
「うん。端居さん、好きかなって」
「え、いや、あたし。言いましたっけ?」
問いかけはしたが、絶対に言っていない。ヘタにキバドラ好きと言って、パケモンの話題を振られても困る。
なんで?
ぶちょっと。上下に押し潰したようなキバドラの顔と対面しつつ、悩んだ。いや待って、袋にまだ何か残っている。
ぬいぐるみを落とさないよう胸に抱え、探る。硬い感触に、これまたまさかと驚いた。
「こ、これ。どうしたんですか、もう手に入らないはずなのに」
先月まで公開していた、パケモンの映画の来場者特典。今さら映画館へ行っても貰えないし、ネット上で取り引きされる物は諭吉さんが必要だった。
「その、キバドラ? のグッズでいいのがないか探してたら、同僚が分けてくれてさ。奥さんが勤めてて、余ったのを確保してたんだって」
「そ、そんなの。あたしが貰って大丈夫なんですか」
「大丈夫だよ。代わりに飲ませてやったから」
ホルモンが旨かった、と笑う。
でも笑いごとじゃない。パケモンのモンスターは何百種も居る。パケモンのキャラだと知らなければ、世の中に似たようなモンスターがどれだけあるやら。
そんな中をどうやって。その前に、あたしが好きだとどうして知ったのか。
「あたし、言ってないのに……」
「ああ、リュックに付けてるから。いつもオシャレだなあって思ってて、だけどその人形だけ系統が違うなって」
彼の指が、あたしの後ろをさす。
そうだった。付けっぱなしで存在を忘れがちだけど、ヒントはあった。
「それだけで?」
「あ。もしかして、そんな好きじゃなかった? 服とかは全然分かんないから、勝手に決めつけちゃったよ」
「いえ、好きです! でも出島さん、パケモンのこと知らないでしょ?」
くれると言うなら嬉しい。会社の人に譲ってもらってまで、用意してくれたことも。
だから喜んでいないとか、勘違いはさせたくなかった。大声で叫ぶと、彼は気持ちよくニカッと笑った。
「良かったぁ。いやパケモンはね、ご明察で全然知らなくて。白状すると、さっき言った同僚に全面的な支援をいただいたんだ。灰色で丸くてとか言って『そんなんじゃ分かりません!』って叱られながら」
二人でパソコンの画面でも見て捜したのかな。見つけた時、これだって喜んでくれたのかな。
想像すると、喉の奥から熱い息が上がってくる。
「ふっ。うふふっ。災難でしたね、同僚の人」
「平気へいき。配車係でさ、無茶な運行をぶち込まれても文句言ったことないし」
「あははっ、どっちもどっちですか」
そうそう。と答える彼と、声を上げて笑い合った。ぬいぐるみとサインペンと、ぎゅうっと強く抱き締めながら。不思議に、カイロでも仕込んだみたいに温かかった。
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