第19話:幸せの伝播
次の日、十月十二日は木曜日。たしか出島さんは明日の分の荷物を積みに行く日だったか。
だとすると仕事の時間帯が違うかもしれない。今まで出会ったのは、水曜日か土曜日だった。
「後ろ通るね、ありがとう」
「っス」
お客さんが途切れ、飲み物を作る真地さんの向こうへ。使いやすい厨房だけど、洗い物用の流しだけは手前が良かったのではと思う。まあ、大した問題でもないが。
さておき出島さんだ。
今日も会えたとして、どうしても伝えなければという話題はない。でも、ええと、その――ああ、そうだ。プレゼントしたコーヒーがどうだったか気になる。
「すみません。お水、いただけますか」
「はーい、お持ちします」
この流しからは近い、いちばん奥まった席から呼ばれた。いつも図面ケースを担いでいる、パンツスーツの女性だ。たしか随分と久しぶり。
デザイナー。それとも建築系? あたしより五つくらい上に見える、たぶん明さんと同年代の人。
「呼んでいただいて、ありがとうございます」
「ええっ、そんな。薬を飲みたくて、こちらこそありがとう」
「どこか体調が?」
「そうでもないんだけど。風邪ひくかなって予感がしてて」
まだ大したことはないらしい。お気に入りのシナモンコルネも、しっかり食べ終わっている。病気で来れなかったのではなさそうでホッとした。
「大丈夫なら良かったですけど、お大事にされてくださいね。教えてくださって、ありがとうございます」
モカコーヒーはたっぷり残っていた。コルネの皿を手に取ると、なぜか女性も「良かった」とあたしを見上げる。
「ええと。何かありましたか?」
「先週、何だか物凄く元気なさそうだったから。今は元気そう。というか、いいことあったって顔」
先週? 来店してもらった記憶がない。あたしが接客したという言いぶりなのに。
「彼氏とケンカしてて、仲直りしたとか?」
「いやいや、彼氏とか居たこともないので」
クスクス笑いながら、からかうように。厭味な感じもなく、釣られてあたしも笑う。
「まあ、でも。遠くはないかもしれないです」
「――そういうの、つらいよね。うまく行ったなら良かった」
瞬間、女性の顔が痛々しく曇る。しかしすぐに微笑みが戻り、脇に立つあたしの腕を優しくつかむ。
「そうだ、ちょっとお願いがあるんだけど。アニメとかゲームって好き?」
「うーん。見なくはない、という程度です」
「じゃあ、私よりかなり詳しいってことね」
つかんでいた細い指が、今度はテーブル上のタブレットに向く。ブラックアウトから一転、ない色はないほどの賑やかな画像が映った。
「パケモンですね」
「そうそう、やっぱり詳しい。私、ファミリー向けの担当にされたはいいんだけど。こういうの、全然知らなくて。勉強してもなかなか追いつかないし」
「たくさんありますしね」
画像のタイトルを見ると、ウェブマガジン用広告の一月分とある。デザイナーという予想が半分は当たっていた。
「大型量販店のイベントの広告なんだけど、どれがいいか選んでくれない? 直感でいいから」
「えっ、私が選んでいいんですか」
「気負わなくていいの。参考にするだけ」
映っていた画像が小さくなり、他に似たような物と含めて八つが並ぶ。なるほど幾つかには、近所のショッピングモールの名前が入っている。
――ん、ちょっと待って。私の好きなキバドラが居る!
「あれ。これだけ全然違うんですね」
これに決まり、と即答するところだ。仮にも仕事でデザインされた物なら、あたしも真剣に見なければ。
だからまじまじ見比べたが、どうもキバドラ入りの画像だけ別物に見える。先月まで公開されていた映画のポスターが背景になっているし。
「ああ、ごめんなさい。それはちょっと前に作った奴。映画館の来場者特典だったかな、今回の参考に並べてるの」
「来場者特典……?」
そんな物があったのか。
キバドラと、映画の主役らしい知らないキャラクターが中央。特典とは、その下に写っている何からしい。目を皿にして見ると、どうやらサインペンのセットだ。
「良さげなのあるかな。全部ダメって思ったら、正直に言ってね」
「あ、選ぶんでしたね」
そもそもキバドラは、さほど人気のあるキャラクターでない。人気なのはアニメで主人公が連れていたのか、強力な敵として登場したのだ。
「目を引かれたのは、これですね。たしか凄く強いモンスターのはずだし、赤と青が目立つし」
「あっ、そうなんだ。調べて、人気らしいとは分かったんだけど。やっぱり詳しい人が保証してくれると安心ね」
この選択に、キバドラは候補にも入っていない。一旦は忘れ、真剣に選んだ。しかし、こうまで詳しいと言われては騙したような気分になる。
「うん、これに決めた。あ、でも私も最終候補の一つと思ってたから。深刻に考えないでね」
「は、はい。そう言っていただくと気が楽です。と言うか、貴重な経験をさせていただいてありがとうございます」
おじぎをするのに、手にピッチャーがあるのを思い出した。今は仕事中。
ああそうか。あたしに嫌なことを思い出させたと思って、気を遣ってくれたのか。
「うん。今日ね、何度もありがとうって聞こえてくるの。何だか凄く幸せな気分にしてもらってる、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
いいお客さんに出会えて、あたしも幸せな気分になった。家に帰って調べてみると、サインペンセットがかなりの高額で売買されていたのを除けば。
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