幕間
第17話:一日の終わりに
午前零時過ぎ。高速道路の深夜割引が適用される時間を待ち、インターチェンジを出る。大阪から七時間弱の道のりを終えても、母港たる会社までの十数分が気を抜けない。
灯火の落ちた街。コンビニか、夜通し照らされる看板くらいしか明かりのない道。真っ暗な建物が並ぶ中を走るのは寂しく、時に明るい建物を見ると虚しい。
寂しいと虚しいと、どう違うのか。
問われても、うまく答えられない。たぶん後者は、きっと家で眠っている誰かの気配を感じるように思うから――か?
点滅の信号を折れ、目指す裏通りへ。街灯もなく、左右に並ぶ建物の輪郭はどうにか見える。その真ん中へ極太の筆で書いたような直線。
ただ。ずっと、ずっと先へむしろ場違いなくらいの明かりが一つ。今日はあそこに、あの女の子は居るだろうか。
いやいや女の子は失礼だ。何度言い聞かせても、ふと思い浮かべると、子供扱いしてしまう。
歴と成人した女性だ、と復唱する。
前回会ったのは、ちょうど一週間前。その間に九月も終わり、なんだか秋を通り越したような気温になった。
彼女は見るたびに違う服装で、しかしなんだか手足を出した寒そうな恰好に見える。最初は子供と言って、男の子かと思ったのは絶対に内緒にしなければ。
「おつかれー」
さて、ようやく帰社すれば、同じ時間帯を走る仲間が洗車中。それがいつも一人か二人、あとは事務所にも一人。
「ああ出島さん、これで今日は終わりですね」
配車係の、俺より幾つか若い男。顔を見るなり机の上を片付け始め、コーヒーカップを手に立った。
「そうだけど。定時は俺の顔じゃなくて、時計で確認してくださいよ」
「あはは。いいじゃないですか」
良くない、こともないか。それでいくらかの会話になるなら。
気安く冗談を言ってくれるのだから、少なくとも俺に一物抱えていたりしないはず。
報告箱へ書類を放るころ、配車係の彼は事務所を出ていく。その後を追うように、ドライバー達も姿を消す。
さあ、ここからポイント稼ぎだ。今日は予定を変更して、冬用タイヤのチェックでもやろう。
――帰社して一時間を目安に、作業を切り上げることにしている。小学校のグラウンドみたいな敷地へ一人で居ると、どうにも悪事を働いている気分になる。
というのは恰好をつけているだけで、たぶん物寂しいのだけど。
最近は、端居さんが心配だという言いわけも増えた。それならあの自動販売機で、十分でも一時間でも待っていろよと言いたい。
自前のシャンプーとボディーシャンプーを惜しみなく使い、そもそも汗かきの体臭を刮げ落とす。
スッキリとかシャッキリとかが売り文句の、メントール入りの奴。この時期、湯を止めた瞬間にクシャミが出る。
だが自分の臭いは自分で分からない。知らないうちに誰かを不快にさせるよりマシだ。
警備会社の機械を作動させ、最後の扉を閉める。一旦は離れてから、すぐに戻ってきてノブをガチャガチャやるのが毎度。
よし、かかってる。指さし確認でスクーターに乗り、裏通りへ。
辺りが暗すぎるせいか、異様に明るく思う自動販売機。目の前で止まり、いつも光を避けるように座るあの子を探す。
「あら、居ないか」
何の気なく言ったつもりが、いやに不満そうだ。別に、
ここがカフェの裏手なのは以前から知っている。話しぶりからすると、彼女の勤め先に違いない。
表の様子は全く見えず、もう閉店しているか分からなかった。
俺みたいなおっさんがウロウロしていれば、どう考えても怪しい。とっとと立ち去るに限るのだが、あと十秒だけ、五秒だけと引き伸ばす。
自動販売機の裏、プラケースも前回から動いてないかなとか覗き込む。
「……どちらさまですか」
昔から、どこまで間の悪い人間かと自分を恨む。最も踏み込んだところで、建物の裏口が開いた。
出てきたのは濃い茶髪の女性。俺とさほど変わらない背丈で、睨む眼も含めて格闘家みたいな。
だとしたら空手やボクシングみたいな打撃系だろう。などと現実逃避をする俺を前に、女性は取り出したスマホに指を向けた。
「あっ、あのっ! 俺、そこの運送屋の者で!」
「はあ」
「でっ、出島と言います。ちょっと知り合いが居るかなと思って、探してて」
「へえ。自販機の裏でですか」
女性にしては低い声。それがさらに篭もり、ドスの利いた具合いに変わる。
まあ見ず知らずの男が、こんな夜更けに空き瓶入りのケースをいじっていたのだ。怪しむなと言うほうが無理筋というもの。
「あの、すみません。泥棒とかじゃないって証明はできませんけど、免許でも社員証でも見せますんで」
慌てた手では免許証入れもうまく取り出せない。財布と一緒に落としたりしつつ、どうにか二枚を出して見せた。
女性は何も言わず受け取り、眺める。
「いやまあ、途中で気づいたんですけどね」
「は、気づいた?」
「アレでしょ。穂花ちゃ、端居さんが相談に乗ってもらってるっていう」
「はいっ、それですっ」
どうやら助かったらしい。端居さんに迷惑だなと、目の前の女性を怖がらせたかなと、両方に対して頭を下げる。
「すぐ言えば良かったじゃないですか、あの子の知り合いだって」
「それは……そのほうが良かったんでしょうけど。結果として迷惑をかけた恰好ですけど、ご迷惑じゃないですか」
女性は一瞬も視線を外さない。どういう意味だか「ふうん」と、頭からつま先までじっくり見られたとも思う。
「端居さんは今日は休みですよ」
「あっ、そうなんですね。はは、なんだ」
腕組みで、一方の手が顎を支える。あそこに細いタバコでもあれば、昔のギャング映画みたいだ。
端居さんより上だろうけど、俺よりもかなり歳下。そんな女性に、どうにも気圧されて愛想笑いなんかしてしまう。
「ああ。私はここで働いてる、育手と言います」
「で、出島です」
「はい。出島さんは何のご用で?」
あれ。端居さんの知り合いと、話が通じたのではなかったか。疑問はさておき、問われるまま答える。
「ええと、相談に乗ってるなんていうと偉そうですけど。先週に話したことがどうなったか気になって」
「端居さんを心配してくださってる?」
「え、ええ。そうです」
質問の真意は、たぶん言葉の通りでない。圧迫面接めいた空気を感じても、正直に答えるほかなかった。
「若い女の子だから?」
「いえ、それは違います。断じて」
どうしてそうなるんだ。胸が苦しくて、俺の声も低く篭もる。
「見ての通り、俺はむさ苦しいおっさんです。トラック乗りで、いつも一人で、端居さんが話しかけてくれたのを調子に乗ってるのは否定しません」
寂しいと考えたことはない。しかしそんな時、嬉しいと感じるのは普通じゃないのか?
こんな俺に、ああまで真剣に話してくれる相手を案じて当然だろう?
「でも端居さん、頑張ってるじゃないですか。実際の様子は見てませんけど、分かりますよ。頑張っても結果が出なけりゃ意味がない、ってのが仕事ですけど。俺は彼女の上司じゃないんで」
自分の言葉に、そうだったのかと自分で思う。
「だから私情で心配してるんです」
付け加えて、たしかにそうだと頷く。すると育手さんは、小さくフッと笑った。訝る眼はそのまま。
「ええ。上司は私ですから」
「もし、やっぱり迷惑だと仰るなら。二度とこの自動販売機に近づきません」
端居さんが違うと言っても、勤め先の人に睨まれては迷惑でないはずがない。
謝罪と、あわよくばの期待を乗せ、あらためて腰を折った。
「通報はやめときます」
女性の声に、圧が消えた。だからか頭を起こすのも軽く素早くなった。
「端居さんに迷惑をかけてるのは私なので、相談相手を奪うなんてできません。それにここ何日か、別人みたいになってて。いい意味でですよ」
前からいい子なんですけどね、とも言ってスマホをしまってくれた。
どうやら、いいほうに向かっているらしい。また二つの意味で、育手さんに頭を下げる。
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