第16話:優しい人
「ごめん、時給がどうこうって発想がなかった。社畜はダメだね」
頭を抱えて俯いた出島さんを、すぐさま引っ張り起こす。謝らなきゃいけないのは、自分で考えようとしないあたしのほう。
「出島さんが謝ることなんか何もないです。話したのは、ここからどうすればいいか思いつかないからで。すみません」
「うーん……」
渋い顔をして、彼は唸る。
よく考えたら、考えなくとも。ついつい話してしまったが、あたしなんて見ず知らずの他人だ。こんな面倒な話、聞かされても迷惑でしかない。
「ごめんなさい、自分で考えます」
「い、いや。待って!」
さっと立ち上がり、プラケースを片付けようとした。けれどもその手を、ぎゅっとつかまれる。
「えっ」
「ほんと――俺と似てるのかもね」
あたしが、出島さんと?
何をどう見て言ったのか、細められた眼を見つめ返しても続く言葉はない。
「あの、出島さん。すみません、ちょっと痛いかも」
「えっ、あっ、ごめん」
荷物運びの賜物か、機械に挟み込まれたみたいにギリギリと締め付けられた。慌てて放してもらって、ドクンと血の通う感覚がする。
「すみません、あたしこそ」
「いや俺が。なんか謝ってばかりでごめん」
へへっ。空気の抜けたような力みのない、出島さんの笑い声。頭を搔いて「困ったね」とダメ押しされて、あたしもうっかり「フッ」と噴き出す。
「ほら、ええと。そう、アップルティー。冷めないうちに飲んでよ、良かったらだけど」
いかにも継ぎ接ぎに言われ、アタフタとプラケースの埃を払う仕草までされては、座り直すしか選択肢はなかった。
たしかにその通り、缶の中身はなみなみと残っている。
「俺、カフェのことは分からないんだけど。物を直したりとか、形に残ることばかりじゃないと思うんだよ」
まだ教えてくれるんだ。
たっぷりのひと口を含み、飲み込む。アップルティーはまだまだ温かい。
「でも気づいてもらえないと、ポイントにならないですよね?」
「だねえ。例えばなんだけど、降ろし先で受け取り役の人がね、毎回同じじゃなくて名前を知らない人も多い。でも碌に会話もないのに、いい人だなってすぐ分かる人も居る」
いい人、と繰り返す。それはほんの少しの接点で、ポイントを稼いだ人ってことだろう。
どんな気の利いたことをすればいいやら、見当もつかないが。
「先方にあるフォークリフトを借りるんだけど、頼みもしないのに毎回持ってきてくれる人が居る。でも要らない時もあって、そんな時にも『お邪魔やったなー』なんて、笑って持って帰ってくれる」
「それはいい人ですね」
「でしょ?」
言いながら、出島さんはニヤッと笑った。今、掻い摘んで話した以外にも、楽しい人に違いない。
「あと、そう、俺らは仕事で運んでるんだよ。こういう条件でって依頼があって、その通りにしてるだけ。なのに必ず『ほんま助かりますわ』とか、受け取りの書類とお礼を一緒にくれる人も」
うんうん、そういう人は居る。二度、三度と繰り返しに頷いた。
たぶん、あたしは違う。しかし明日からでも、モノマネはできる。具体的にどんな時、どんな風にかはまだ思いつかないけど。
「なんかそういうのって、できないかな」
「できると思います、やってみます。それなら居残りしなくていいですもんね」
同じシフトの人達をよく見て、何をしてほしいか察しろということ。それから、どんな些細なことにもお礼を言う。
幸いと言っていいのか、みんなの声や動きには敏感になっているところだ。
「ほんとに? 的外れなこと言ってたら、無視していいんだよ」
「そんなことないです。出島さん、優しい人ですね」
「へっ、俺が?」
目を丸くした彼は、すぐに「ああ」と納得の声を発した。
「優しくなんかないよ。余計なこと言って端居さんに迷惑かけたから、挽回しようとしてるだけ」
「十分それが優しいと思います。でもそうじゃなくて、降ろし先の人が優しいことに気づいてるから」
優しくなければ、聞き流すと思う。現にあたしは、今の今までそんな風に捉えたことがない。
「そうなるの? 自覚はないんだけど」
「間違いないです」
少なくとも、あたしにはそう思える。大きく頷くと、彼はわざとらしく笑い始めた。顔じゅうの汗を拭うように袖を擦りつけ、そのまま立ってスクーターに向かう。
「あはは。じゃ、じゃあもう遅いし、気をつけて帰ってね」
「あっ」
よく顔の見えないまま、ヘルメットをかぶる。ダメだ、まだきちんとお礼を言っていない。
近年ないくらいに素早く、あたしも踏み出して出島さんの腕をつかむ。
「相談に乗ってくれて、ありがとうございます。また結果を聞いてくれます?」
「う、うん。教えてよ」
早口に言って、「じゃ」と。彼はスクーターを発進させる。前回よりもゆっくり、片手を振りながら去っていった。
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