第14話:採点の結果
さっそく次の日、何か始めようと店じゅうを見回した。まだ家に居る間も、あれこれ考えてはいたが。
すぐに浮かぶのは、やはり掃除。具体的にどこをと探し、お客さんのテーブルに目が向く。ツヤツヤと木目が綺麗だけど、よく見れば長年の細かな傷でくすんでいた。
でも、みんな気づくだろうか。借金を返す為と思うと、気づかれなければ意味がない。
他には――建物の外の席のテントを縫うとか。看板や壁のあちこち、剥がれた色をペンで塗るとか。あたしにできそうなのは、どれも地味だ。
うーん。こうして見つければ気になって、直さない選択肢はなくなった。けれど他に、もっと効果的なのはないか。
ピンとこないまま、時間が過ぎていく。
「ええっ、マジで? 美香、今日は三回目なんだけどぉ」
不意に、お客さんにも聞こえそうな不満の声。何もないフリで接客を続けながら、盗み見る。飲み物を作る途中の真地さんが屈み込んでいた。
お客さんのスペースとを隔てるカウンターと、背面の作業台。それぞれの下に冷蔵庫や冷凍庫がある。
どうやらミルクサーバーが空になって、補充しようと冷蔵庫を開けたらそれもなかったらしい。
「真地さん、いいよ。私が取ってくる」
「えっ、マジで? いいの?」
「うん。こちらのお客様、持ち帰りのケーキだけだからお渡ししてもらえる?」
「分かりましたー」
待たせることになるお客さんにも断り、倉庫へ向かう。厨房の真裏で手間ということもないけれど、接客のリズムみたいなものが途切れるので嫌う人が多い。
厨房の冷蔵庫へ、一度に入れられるミルクパックは六つ。他に生クリームや濃縮ジュースなど、置いておく種類がたくさんあってそれだけだ。
かなりの重量だが、どうにか両手に抱えて運ぶ。
「ありがとうございますぅ、ごゆっくりどうぞ」
ちょうど、あたしの応対した次のお客さんが席に向かうところだ。ミルクパックを冷蔵庫に収め、ミルクサーバーにも補充を終える。
「真地さん、お待たせ」
「あっ、りょーかい」
細かなオーダーがあるかもしれない。待っているお客さんの飲み物を真地さんに託し、あたしは次のお客さんに「いらっしゃいませ」を言う。
――そうか、これがいいんじゃない?
見つけた。閉店作業のほとんどを終え、真地さん達の帰った後。あたしは厨房と倉庫とを何往復もした。
途切れた食材の補充は、その時に使おうとした人が自分でということになっている。このカフェのマニュアルには載ってなく、最初から何となくだ。
だから今日の真地さんのように、一日で幾つもの補充に当たってしまうこともある。しかし閉店後に全てを満タンにしておけば、その可能性は減る。
どうってこともない作業だ、と思ったら二十分くらいかかった。じゃあ三十分かけようということで、十分ほどはテーブルの一つを磨く。発見したツヤ出し剤も使って。
たった一つだけど、ピカピカになったテーブルが可愛く見える。危うく全部をやり始めるところだったが、堪えた。毎日やることに意味があるんだ、と自分に言い聞かせて。
そうして五日が過ぎた。店を出る時間が遅くなったからか、出島さんには会わなかった。相談の結果もまだ言えないし、あたしも数分しか待たなかったのだけど。
あたしのお休みを挟んだ次の日だ、休憩室に明さんがやって来た。
「穂花ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりですね、どうしたんですか?」
オーナーでもある店長が店長室に居るのは、前触れもなくよくあった。奥さんの明さんは、そういう姿をあまり見ない。
「例の件のね、続報をって思ってるんだけど。まだこれってことは言えなくて」
「ああ、いえ。私は別に困ってないので」
何もないと言えば嘘になる。でも、困ってないは嘘でない。同僚の人達が雑談をするような場所、タイミングに近づかないようにしていたから。
「ほんと? 何かあったらちゃんと言ってよ?」
「はい、もちろん」
制服と違う薄紫のパンツスーツで、男装の
つまり元気そうだ。
立ち直れないくらい落ち込でいたりはしていなくて良かった。本心は分からないが。
「わざわざ、それで来てくれたんですか?」
「うん。もう一つ気になることもあるけど」
気になること? とオウム返し。明さんは小さく微笑み、長机の対面に座る。
「最近、こっちの開店は私がやってるんだけど。ここ何日か、冷蔵庫がいっぱいにしてあるの、何か知ってる? あと、テーブルがめちゃくちゃ綺麗になってるのも」
「あ、ええと、その。実は私が」
褒められるのかな。それは何だか、畏れ多い。
なんてことを胸に浮かべつつ、正直なところは期待したと思う。もうポイントが貯まった、と。
だが明さんは、「ごめん」とあたしを拝む。
「私らが気づいて、マニュアルにしとくべきだったね」
「え? なんで明さんが」
謝られる理由に想像もつかない。あたしの顔には、きっと疑問符が数えきれなかった。
「たぶん穂花ちゃん、一人で頑張ってるんでしょ? 不公平にならないように、いつ誰がやるかってルール決めるから。ちょっとの間、前のままで我慢してて」
「不公平なんてことは。私が自分でそうしたいって思っただけで」
せっかく見つけたのに、なんで。
あせる気持ちのままが声になった。すると合掌の向こうで、凛々しい眉がお尻を下げる。それはあたしに「困らせないで」と読めた。
「ほんとにごめん。うちのバカが一存で夜シフトにして、その上こんなこと。穂花ちゃんは、いつも頑張ってくれてるのに」
明さんは拝むのをやめ、今度は頭を下げた。
「だけど他の人に、同じようにしてとは言えないの。穂花ちゃんだってそうだよ? 働いてくれたら、その分のお金はきちんと出したいし」
「あ……」
なるほど、タイムカード。
補充やテーブル磨きは勝手にやるのだから、タイムカードを打ってからした。警備システムの時間と照らし合わせればすぐに分かる。
ではなぜ照らし合わせたかと言えば、補充がされているから。
明さん以外の誰かが気づいて、お店の終わった後も働くのはズルいと言ったのかもしれない。どちらにしても時給に関わることだ。
「すみません、そんなつもりはなかったんですけど。気づかなくて……」
「ううん、分かる。穂花ちゃんは悪くないからね」
それきり何も言えなくなったあたしに、明さんはお店のオランジェットを奢ってくれた。
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