第5話:洪笑の裏

 もう、なんでそんな話ばっかり。あたしに言ったのでないと分かっていても、顔が熱くなる。

 いやいや、そうでなく他のお客さんに迷惑だ。続くようなら注意に行こう、そう思うあたしの眼もきついものになった。


 しかしそのひと声だけで、二人連れの声は収まる。キャッキャとはしゃぐ感じは変わらないが、目くじら立てるには足りない。

 が、それから二十分ほども経ったろうか。


「それでパクろうってー?」


 再び高い声。今度は言われたほうも「デキたって」なんて、なぜか自慢げな顔。

 ただし遅まきの自制心みたいなものはあるらしい。また声を落とすので、踏み出しかけたあたしの足も止まる。


 結局そのまま閉店まで、同じような場面が三、四回あった。

 お喋りの場所を提供する店なのだから、楽しんでもらうほうがいいのだけど。できればあと三割くらい、全体的に声を絞ってくれたら。


「あの、お客様。ご歓談のところ恐れ入りますが、閉店時間となりましたので——」


 ともあれ今日は閉店だ。残ったもう一組のお客さんに真地さんが向かったので、あたしがその二人組みへ声をかける。


「えっ、いつの間に?」


 ネトラレなどと叫んでいた女性が答え、フォーマル寄りの服に似合いのバッグをさっと手にした。

 仕事終わりの雰囲気でない。学生からの友人と一日お出かけ、とはあたしの想像。この二人の服装と、漏れ聞こえた会話で。

 だから話の弾むのも分かるけれど、恥ずかしいという感覚はないのかなと思う。


「あら、ごめんね。あんたたちも早く帰りたいのにね」

「いえいえ、それは大丈夫です」


 ネトラレを称賛のようにニヤついた女性も、コーヒーを飲み干して立ち上がる。まだいいじゃない、などと粘られるかと思った。

 いや偏見は良くない。自省したのも束の間、出口へ向かおうとしたネトラレ女が振り向く。


「そういえばハシイちゃん。あんた高校生でしょ、こんな時間までバイトしてていいの?」


 名札をチラ見して、ネトラレ女はニタァッと笑みの脂分を濃くした。


「ご心配いただいて、ありがとうございます。でも私、成人してるので大丈夫です」


 ありがとうございます。感謝しております。

 心の中で呪文みたいに繰り返し、張り付けた笑みが崩れないようにする。と、もう一人も似たりよったりのニタニタで言う。


「もう、やめなさいよ。ごめんね、ハシイさん? この子、昔から人をイジるの好きでさ」

「あはは、そうなんですね。構ってくださってありがとうございます」


 んん? と喉に引っかかるお客さんなんて、幾らでも居る。それをいちいちイラついても仕方がない。

 だからこうして、笑って見送る。出入り口のガラス扉を出て行ってさえ、まだ見え続ける背中を。


「うるさい人らでしたねー」


 駐車場を出ていく小豆色の軽自動車が完全に見えなくなって、あたしは背を向けた。そのままガラス扉の鍵をかけたほうがいいのだけど、一旦は景色を変えたかった。

 するとすぐに真地さんが、へへっと意味ありげに笑った。カウンターに近い椅子へ腰掛けて。


「いや、まあ、楽しそうでいいんだけどね。よく来る人?」

「うーん、見覚えないかも?」

「そっか」


 一見さんなら、これきりかも。できればそうなってほしいと、ため息で鍵束を取り出す。ガラス扉を閉ざす為に。


「ええっ。真地さん、そんなわけないでしょ」


 向かっていると、もう一人の同僚の男の子が飛び出てきた。調理専門の彼の持ち場からだ。


「んだ、賀屋がや美香みかって呼べってんでしょ」

「い、いやまだ仕事中だし」


 平然とした顔を作る賀屋くんに、真地さんは蹴りを入れるフリをした。

 ふーん、なるほど。

 事実は知らないが勝手に察し、さっさと施錠してからの椅子をテーブルに上げ始めた。


「よく、ってほどじゃないけど。たまに来ますよ、今年の始めくらいから?」


 手の追いつかない時には、調理係が料理を運ぶこともある。それでも真地さんが覚えていないものを、記憶力がいいのかもしれない。


「いつもあんな感じで目立つの?」

「どうですかね、僕は気づかなかったですけど。じゃなくていつも今日みたいに、閉店まで居るんで」


 賀屋くんも椅子上げを手伝ってくれる。真地さんは黙ってどこかへ行ってしまったけど、いいのだろうか。


「ふうん。真地さんが印象にないって言うんだから、今日が特別に楽しいことでもあったのかな」

「そうかもしれないですね」


 いくら話しても、想像に過ぎない。戻った真地さんが賀屋くんとの間で掃除機をかけ始めたので、あたしはレジ締めをさせてもらうことにした。

 今日は昨日より早く帰ろう。そう思っていると、二人連れのことは気にならなくなった。


 大学の卒業も確実で、最近暇だ。というくらいの雑談を賀屋くんから聞きつつも、ほとんどの作業が四十分ほどで終わる。

 あとは売上げや釣り銭を金庫に入れ、警備装置を作動させるだけ。それには同じ大学へ通うらしい男女を、先に帰らせなければ。


「金庫に入れてくるから、先に帰って」

「はーい。お疲れさまっしたー」


 二人が休憩室へ向かう中、あたしは店長室に入った。あたしも同じパートなんだけど、と首を傾げつつ。

 店長室の、あたし自身も入れそうな金庫を前にため息を吐いた。もしきちんと鍵をかけられなくて盗まれたら、あたしのせいだ。

 緊張でうまく指が動かない。お金を収めても不安で、きちんと締まったか何度もたしかめる。


 おかげで十分近くもかかった。

 真地さんと賀屋くんはまだ居るかな。居るなら一緒に、自動販売機でジュースでも飲もう。早足で店長室を出て、短い通路の突き当たり、休憩室とを隔てる引き扉に手をかける。


「高校生ってウケる」


 楽しそうな真地さんの声が響いた。思わず笑って、そのひと言だけ高まったのだろう。それから後の声はよく聞こえない。

 高校生についての話題など幾らでもある。でもなんだか嫌な予感がして、そっと扉に耳を近づけた。

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