きみさらず

セントホワイト

きみさらず

 私が体験したことを誰かに語るべきではないと解っている。

 それでもあの夜に体験したことを思い出すと鮮明な記憶として残っていながらも、非現実性に満ちた出来事故に本当なのか虚構なのか分からなくなる。

 あの日の夜に吹いた冷たい風も、木々に揺られる葉も、そして今も香る潮風の臭いも、布団に包まっても止まらない冷や汗だって現実だ。

 しかしあの夜に聞いた声も姿も、本物だったのかは今でも自信が無かったのだ。


 ―――――――――


 その日の夜は桜が咲くには未だ早い時期のことだ。

 C県K市は東京湾に架けられた有名な高速道路が通っていることでK県と結ばれて休日には渋滞が出来ることもある。

 しかし平日はよくある地方都市のひとつでありがちな人の少なさを見せた。

 そんなK市には幾つもの伝承があるが、その中には全国的に広がる【ヤマトタケル伝説】が存在する。

 何でも東京湾を渡る際に荒ぶった海の神を鎮めるために身を投げたひめがいて、それを悲しんだヤマトタケルがその岸から離れなかったという話だ。

 そんな話にあやかって建てられたタワーは夜にはライトアップされることで有名であり、恋人たちのデートスポットとしても有名であった。

 そんな場所だがそのタワーは小さな山に建造され、奥に行けば昼間はお年寄りやペットを連れた散歩コースになっている。

 起伏のある散歩コースを私は夜になれば走るようにしていた。

 日々の運動不足を痛感し、幾度も仕事場の健康診断に引っかかり健康を意識し出したからだ。

 身体は永遠の資本。決して蔑ろにしていていい物ではないとネットニュースに流れていた。

 しかし長年蓄積している脂肪や体力の衰えはいかばかりか。少し走るだけで息はあがり、足は鉄にでもなったのかと思うほどに重くなる。

 自分でも何をしているのか分からなくなるほどに、ぼんやりとする頭と身体中から吹き出る汗を冷ましに公園の休憩所に立ち寄った。


「(……今月もいる)」


 第四週の水曜日。週の真ん中にわざわざ夜に出歩く者も少ないだろうと思って走りに来たが先週と同じように公園のベンチに座っている人がいた。

 不思議な話だが他の曜日に走りに来たときは見かけないが第四週の水曜日には同じ格好で同じ場所に居るのだ。

 その後ろ姿から細身の女性ではないかと思うが、こんな夜更けに知らない男に声をかけられたという理由で通報されては堪ったものではないと今まで見えない振りをしてきた。

 それにここはデートスポット。彼氏を待っているだけなのだろうと考えれば納得も出来る。

 しかし立春を迎えたとはいえ未だに寒い夜に、暗い公園に女性が一人だけというのは大丈夫なのかと思う。

 今時は24時間開いているコンビニもあるのだから、そちらに居ればいいのにと何度も考えてしまうが他人事であったのは間違いない。

 恋人など居たことのない自分には理解し難いことだが、待ってる時間も楽しみのひとつだと学生時代の時に友人から聞いたことがある。

 だが、やや広い公園を一周しても未だに一人で座っている女性が居たら気にもなるのが人情ではないか。

 そんな気まぐれを起こしてしまい、私はその人に声をかけた。


「あのぉ……大丈夫、ですか?」

「「「「ま……テタ」」」」

「え?」


 女性が何かを呟いたが、それは複数の人が同時に同じ言葉を喋ったかのように思えるほどに重なって聞こえた。

 少しずつ振り向く女性の髪はベッタリと濡れ、海の臭いを漂わせた女の顔が振り向いた。


「ひっ!?」


 そこには幾つもの目があった。幾つもの口があった。幾つもの顔がごちゃ混ぜに合わさったような顔がひとつの顔の輪郭に収まろうと無理やりに合わさっているかのようだ。

 前で交叉していた手には藤壺が住み着き、身体にはフナ虫が這いまわる。

 私は恐怖のあまり、それが何なのかすら思考を放棄して走った。あの海の臭いが背後からするからだ。

 一心不乱に走り、駐車場に停めていた車に乗り込んで家路につく。

 それが昨日のことだった。

 だが今も、あの臭いがすぐ傍で漂っている気がするのだ……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きみさらず セントホワイト @Stwhite

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ