第31話
ルティとオーウェンは、それから二日間、フェルナンドの監査の目をうまくしのいだ。
喜ばしいことであるはずなのに、三日目になるとオーウェンはさすがに疲れた顔をしていて、いつもよりも表情がいかめしい。
というよりも、表情筋が死んでいるようにさえ見える。
「……だからベッドで寝てくださいって言ってるのに。ソファだから眠れないんですよね?」
「大丈夫だ。少々寝なくても慣れている」
オーウェンは眉間にしわを寄せたまま目頭を押さえている。ルティは彼の頬に手を伸ばして触れた。とたん、オーウェンは弾かれたように目を見開く。
「やっぱり疲れたお顔をしています。今日はベッドで絶対に休んでほしいです」
みるみる彼の頬に赤味が増していく。ルティは首を傾げた。
「えっあれ? 熱ですか!?」
「違う、君が急に触ったから驚いて」
オーウェンはルティの手を自身の頬から引き剥がした。
「ともかくわたしは平気だ。それよりも、君はきちんと眠れているか? その……わたしと同室だし……」
「ベッドを使わせていただいているおかげか、ぐっすりなんです」
「……そうか。ならよかった」
オーウェンはため息交じりに手で顔を覆った。
「すまないが、眠気のさめる飲み物を用意するように、厨房に頼んできてもらえないか?」
不眠三日目の午後ともなると、オーウェンは限界のようだ。
ルティは快諾して厨房に向かう。その途中で、フェルナンドが向こうからやってくるのが見えた。
「フェルナンド様、こんにちは」
「こんにちはルティさん。今からどちらへ?」
オーウェンのためにお茶を用意することを伝えると、フェルナンドは薄く笑った。
「てっきり痛いのが出たのかと思ったけれど、それはもう大丈夫なようだね」
「痛みですか?」
「ああ。聞いていないのかな? ほら、人に触れると痛くなる……」
ルティは辺りを見回して大慌てでフェルナンドを廊下の端に押しやった。
「フェルナンド様、ちょっとお声が大きいかと!」
「あはは、ごめんごめん。そんなに怖い顔しなくても」
悪気がないように見せかけて、フェルナンドはわざとやっているに違いない。どことなく見た目はオーウェンに似ていても、中身はまったく別もののようだ。
「オーウェンは君に触れることができるのかな?」
「もちろんです。ご覧になったことがありますよね?」
それにフェルナンドは首を横に振る。ルティの手をすっと握るなり、挨拶のキスのあとに力強く指を絡めて握ってくる。
手を引っ込めようとしたが、力が強くて敵わなかった。
「素手で、こうやって触れているのは見たことがない。相変わらず手袋を外せないらしいね、オーウェンは」
ルティは答えに詰まる。見上げると灰色の瞳が間近にあった。
「一度でも触れているところが見られれば合格なのにね。この用紙に『問題ない』と書いてわたしはすぐに王都に戻れるんだけれど」
フェルナンドは板に挟んであった紙をちらりとルティに見せた。彼は屋敷の中やオーウェンの職場に出向き、色々な人から二人の評価を聞き取りしている。
「それとも、君は『偽物』だからオーウェンが触れないのかな?」
「違います」
ルティはフェルナンドから目を逸らせないまま、固まった。
「君に触って痛みが出たから、鎮痛剤を用意する準備をしているのかと思ったよ」
「眠気覚ましのお茶を用意するところです。痛みなんて出ません」
「そう。でも、もしかすると、いまだにオーウェンが君に触れられていないという線もありうるね」
「そんなことはありません」
ルティが必死に否定すると、フェルナンドは穏やかそうな笑顔になる。
「オーウェンは君に触れるんだね?」
「もちろんです」
「だとすると考えられるのは……二代前の当主が、庭の別荘で研究していた強力な鎮痛剤を使用しているのかな? たしか副作用もないとか。処方箋もまだ中にあると思うけれど、それを常用しているのかい?」
「お薬は使っておりません」
「おかしいな。あれを使わなければ、人に触れた時の、のたうつくらいひどい痛みを何日も続けて抑えることなんてできないのに」
足元で心配そうにボーノがぷうぷう鳴いている。早くこの場から去ろうと催促しているようだ。
そちらに気を取られた隙に、フェルナンドが距離をつめてきた。
「嘘をつかないほうがいい。本当は、君に触れないんだろう? 偽物の恋人なんだから」
「ち、違います!」
大きな声を出してしまってから、誰もいないことにルティは安堵した。
「ケチなオーウェンのことだ。病に臥せっている君の弟の、騎士学校への入学費用を請け負うとでも言って丸め込んだんだろう」
あまりにも図星すぎてルティは言葉を失った。フェルナンドはさらに一歩、間合いに踏み込んでくる。
「君も安請け合いすぎるな。わたしなら君たち姉弟が十年先まで困らないくらいの資金を出すのに」
なんだかルティは悔しくなってきてしまい、奥歯をギリッと噛みしめた。
「まあいい。オーウェンが嫌になったらいつでもわたしを頼ってきなさい。君のような素直で頑張り屋な子は大歓迎だ」
ルティは今度こそ、フェルナンドに掴まれていた手を振り払った。
「私はオーウェン様の恋人です。あなたのところに行くことはありません」
彼は笑顔になると「では、わたしはこれで」と、丁寧にお辞儀をしてから廊下の奥に去っていく。
オーウェンによく似ている後姿を見送ってから、ルティはボーノを抱えあげて脇腹に顔をうずめる。口惜しさと怒りがこみあげてきていた。
「ボーノ、私絶対にオーウェン様の味方で居続ける。なによ、あの言いかた」
ルティはいつもよりも大股で歩きながら厨房に出向き、特製の苦みマシマシ茶を持って執務室に戻った。
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