第2章 いよいよ本番、溺愛開始!?
第9話
首都より徒歩一時間。
自然豊かな田舎にある修道院で暮らしていた元貴族令嬢のルティの状況は、一日にして激変した。
ボーノに起こされて、ルティは「ここはどこだったっけ?」と一瞬訳がわからなくなる。
『ぷぷぷぷーん!』
頬にすり寄ってきたボーノを撫でると、千切れんばかりに尻尾を振っている。
「ボーノ! おはよう、今日もかわいいっ!」
もふもふの毛並みをたっぷり堪能し、顔をうずめてすーはーすると、やっとルティも目が覚めてきた。ここがクオレイア侯爵家のお屋敷なのを思い出す。
ルティは飛び起きるなり、カーテンを左右に引いた。
「うわぁ……!」
さらに窓を開けるとテラスが、そしてその先には緑のガーデンが続いていた。深呼吸するとみずみずしい香りが肺に広がる。都会のど真ん中だったので少々不安に思っていたのだが、どうやら庭には緑があふれているようだ。
朝日が差し込むゲストルームは、非常に豪華だった。
「本当にすごい。こんな広いお部屋を、私が使ってもいいなんて」
品の良い瀟洒なつくりの家具が揃えられ、ベッドは天蓋までついている。足元にある絨毯のフカフカ具合は、気をつけないとよろけるほどだ。
天井からつるされたシャンデリアの細工部分には、宝石がちりばめられていた。
壁にはクローゼットと姿見、そして仕切りの奥にはバスルームやキッチンまで完備されている。華美すぎてなれない空間で、むずむずしてしまいそうだ。
いつまでも寝巻でいるわけにもいかず、ルティはクローゼットをあけると、持って来ていたシンプルなデザインのカジュアルドレスを引っ張り出した。
母が使っていたものは少々古いデザインではあるが、生地も上等で大人っぽい。急に懐かしくなってしまったのをこらえて、ルティは支度にとりかかった。
だが、まだ着終わっていないというのに、オーウェンが来てしまった。
「コルボール伯爵令嬢。支度はできているか?」
「開いてますからどうぞ! それから、元・伯爵令嬢です」
「失礼。朝食の前に、使用人たちに挨拶を……っ!」
入室したオーウェンは目を見開いた。
「すみません、助けてくださいオーウェン様」
オーウェンは息を詰まらせながら乱暴に扉を閉めた。
「なにをしているんだ!」
「なにって、紐を結ぼうとしていて」
ルティのカジュアルドレスの、背中の調整紐が絡まってしまっていた。
そんな時にオーウェンがやってきたので、そのまま入ってもらうしかなかったのだ。
「なにこれ、この紐はもしかして生きてるの!?」
「紐が生きているはずないだろう!」
「でも、なんだか生き物みたいにうまく逃げ回られて」
「もういい、わたしがやる!」
オーウェンはギリッと奥歯を噛むと、姿見の前までルティを連行する。
「すみません。ここ数年はドレスを着てこなかったせいで、着方を忘れてしまって。身の回りのことは、裁縫以外でしたらできるんですが……」
状況説明を聞きながら、オーウェンは器用に紐の絡まりを解き、丁寧に結び直していく。
「人に触れるのがお嫌いなのに、ごめんなさい」
「反省する気持ちがあるのなら、言い訳をするんじゃない」
「ひゃぁ! きつい!」
騒ぐルティと同調し、ピギィー! と言いながらボーノも足元をウロチョロする。
「なんて獰猛な紐なんでしょう! 吐く、吐きますこれじゃ!」
「うるさい、静かにしてくれ!」
すったもんだの末に、吐かない具合に調整してもらうことに成功した。
すると、コンコンとノックの音が聞こえてきて、ルティが返事をすると扉の隙間からレイルが顔だけ中に入れてニコニコしていた。
「昨日の特訓の成果かな? 朝からなんだか仲良さそうだね、二人とも」
レイルは今日の予定を確認しようと、にこやかに告げた。
「お前は目玉をどこかに落としてきたらしいな、レイル。この状況を見てどう解釈したら仲がよさそうになるんだ!」
「そうですよ、レイル様! オーウェン様の紐さばき、とっても乱暴だったんです」
「誤解されるような言いかたをするな!」
ルティはオーウェンに思いきり睨まれた。レイルはクスクス笑い始める。
「十分、仲がよさそうだよ。さてと、今日のことをちょっと説明してもいい?」
ルティが姿勢を正すと、オーウェンが話し始めた。
「まず、屋敷にいる使用人は衛兵・庭師コックも含めてざっと四十人だ。表立っては君のことを歓迎するだろう。だが、裏ではどうかわからない」
オーウェンが説明を始めると、今度はレイルが口を挟む。
「でも、お姫様抱っこ作戦は、みんなをかなりびっくりさせられたみたいだよ」
オーウェンの派手な登場で、屋敷中が騒ぎになっていることをレイルが報告する。それを聞いているオーウェンはというと無の表情で固まったまま動かない。
決して女性と話さない目を合わせない、ましてや触らなかったオーウェンが、まさか本当に女性を連れてきたと公爵邸では大騒ぎになっているらしい。
「このまま、みんなをしばらく驚かせ続けよう。昨日の僕の演技指導も役立ちそうだね。二人とも例の『熱愛アピール』頑張って!」
レイルの言う通り、お姫様抱っこの衝撃にみんなが驚いているうちに、本当に付き合っているんだと刷り込んでしまえばこちらの勝ちかもしれない。
齟齬がないよう恋人設定を再確認し、誰かに質問された時の返しを細かく取り決めて、三人は使用人たちの待つ広間に向かった。
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