第10話
昨日は寝たふりをしていたのでよくわからなかったが、改めて見ると、陽の差し込む屋敷の中は圧巻だ。
壁にはいくつもの絵画がかけられており、窓ガラスにはクオレイア家の紋章の形に色ガラスがはめられている。
廊下の先に広がっている踊り場では、昨日と同様に大人数が集まっているのが見えた。
彼らからは見えない物陰でいったん立ち止まると、ルティは呼吸を整える。自分が貴族だったのは遠い昔だ。だがそれでも、両親に教わったことは身体が覚えている。
そうして気持ちを貴族令嬢に切り替えている間、オーウェンは隣で待っていてくれた。
「君が恋人だというのを疑っている者が何割かいるはずだ。気をつけてほしい」
言いながら彼がすっと肘を出してくれたので、ルティは手を添えた。
手のひらでなければ、オーウェンは触れても触れられても痛みは出ない。それを教わっていたとしても、ルティは少々心配になった。
「本当に布越しなら、痛みはないんですよね?」
「ああ、問題ない」
あまり心配しすぎなくていいと、オーウェンはほんの少し口の端を持ち上げる。彼が一歩を踏み出したので、ルティも背筋を伸ばした。
使用人たちは歩いてくる二人を視界にとらえると、一斉に頭を下げる。ルティはオーウェンの半歩後ろを胸を張って歩いた。
堂々としているように見えるだろうが、内心は(背はまっすぐ、顎は地面と水平に!)と念じ続けていた。
「――ルティ様、ようこそお越しくださいました」
いかにも仕事ができそうな
「みなさま、初めまして」
ルティは一歩進み出ると、はつらつとした雰囲気で自己紹介する。みんなが向けてくる視線の大半は驚きだが、多くの羨望も伝わってくる。
やはり、オーウェンに憧れている人も多いのだろう。オーウェンのような、より地位の高い貴族の家は、名家の令嬢たちの花嫁修業の場でもある。
あわよくばオーウェンと恋仲になりたいと、下心を持っている者も一人二人では無いようだ。
そういうこともあって、視線の一部からルティへの疑いが含まれているのを感じた。所作の隅々までをチェックし、値踏みしているような重圧がある。
無事に自己紹介を終えたところで、背の高いすらりとした人物が一歩前に出てきた。
「オーウェン様、ルティ様。わたくしが朝食会場までご案内します」
一見して厳しいのがわかる顔立ちをした妙齢の女性――メイド長だ。
射貫くような視線から強い意志がひしひしと感じられる。それほど身長が違うわけではないのに、気を付けないと委縮してしまいそうなほどだ。
ルティはスカートの裾を持ち上げて可憐に挨拶した。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
メイド長の『フラン』は一礼すると先に立って歩き始める。
「ところで、ルティ様は侍女をお連れでないと聞いております」
早々に切り込むかのように言われるとは思っていなかった。表情が崩れないので、内心どう思っているのかさっぱりわからない。
それにはオーウェンがさりげなくフォローをいれた。
「彼女はご両親の痛ましい事故のあとから、修道院に身を置いているからな」
「事情は聞き及んでおります。しかし恋人としていらしていただいた以上、この屋敷内では手伝いがいないとお困りになるはずです。滞在中はわたくしが専属の侍女になりましょう」
ルティはどうしようかとオーウェンを見上げる。これは想定外だ。
なにしろメイド長は要注意人物だ。侍女として四六時中付きまとわれたら困ってしまう。
「屋敷の仕事が滞ると困る。メイド長の仕事は他の人では代わりがきかない。彼女は身の回りのことはだいたいできるから、手の空くことの多い者でいい」
「お言葉ですが、オーウェン様と『愛しあっている恋人』であるルティ様には、それなりの役職の者がお手伝いするのがふさわしいのでは?」
突っかかってくるような彼女の言いかたに、オーウェンは仏頂面で応戦しようとする。
「あ、あの! では、私のほうからリクエストしてもいいですか!?」
ルティは話に笑顔で割り込んだ。
「以前は年の近い人に世話をしてもらっていました。なので、同じような年齢のかたでしたら私も過ごしやすいです!」
以前は侍女がいるほどの身分で、今もオーウェンと釣り合う人間であるアピールだ。同時に、年齢を理由にメイド長をうまく退けようとする。
ルティの提案に、メイド長は完全には納得できていないようだ。だが少し逡巡したあとに「わかりました」と首肯した。
「では、ルティ様が心地よくお過ごしいただけるように、適任を探しておきます」
「ありがとうございます」
「それまでは、わたくしになんでもお申し付けください。朝食会場に到着しました。中へどうぞ」
メイド長に付き人として監視される危機は、ルティの機転によって回避できたようだ。オーウェンとルティはひとまず胸中でほっとした。
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