第8話

 いよいよメイン玄関が近づいてきたところで、ルティは小窓から様子を見て声を失った。


 エントランスから両脇に並ぶ、数十名のメイドと執事たちの数々に圧倒されてしまったのだ。


 いったいどんな恋人が現れるのだろうと、ソワソワした様子なのが窺える。


「気合い入れて寝たふりしなくっちゃ」


 力こぶしを握り締めているルティに向かって、馬車に置いてあった毛布が手渡される。ルティはそれを身体に巻き付けた。


 準備が整ったところで馬車が停車し、御者の手が扉にかかる。ルティがカチンコチンになっていると、オーウェンの手が伸びてきた。


「いいか、荷物と子豚はレイルに任せて絶対に目を開けないでくれ」

「だから子豚じゃな――」


 途端、身体がふわりと持ち上がった。

 とっさにオーウェンにしがみつきながらルティは目をつぶる。肩に担ぎ上げられるかと思っていたのに、横抱きの形で馬車から下車していた。


(待って! 私、お姫様抱っこしてとは言ってない――!)


 寝たふりをしていて使用人たちの姿が見えなくても、どよめいている空気がひしひしと感じ取れる。


 ルティはみんなに顔を見られてはいけないと思い、オーウェンの胸に必死に顔を押し付けた。


 彼のとんでもない登場に驚いたのは、両脇に並んだ使用人だけではない。


 玄関で出迎えた初老の家令スチュワードは、眼球を地面に落としそうなほど目を見開いて、石像のように固まってしまった。


 エントランスに到着したレイルがコホンと咳払いをすると、家令は我にかえったように慌てて頭を下げる。


「お、おかえりなさいオーウェン様。ルティ様をお部屋までご案内します」


 家令の定型文のような申し出を、しかしオーウェンが断った。


「コルボール伯爵令嬢は、緊張で疲れて寝てしまった。このままわたしが部屋まで連れていく。すまないが、彼女には明日の朝挨拶してもらう」


 オーウェンはルティが落ちないように抱きしめ直す。


 家令は言葉を失い、家主を見上げたままコクコクと首を縦に振った。


「彼女にはゆっくり休んでもらいたいので、ゲストルームには近づかなくて結構だ」

「かしこまりました」


 ボーノを抱えたレイルを引き連れて、オーウェンは颯爽と屋敷の廊下を歩く。遅れてうしろから、侍女たちの黄色い声が遅れて聞こえてきた。


 耳を澄ませていると、どうやらオーウェンのあまりの格好良さに、鼻血を出して倒れた使用人が何名かいるようだ。


 彼らの声から逃げるように、オーウェンは駆け出す寸前の足早で歩く。ルティはずり落ちないようにするのでいっぱいだ。


「お、オーウェン様……落ちそうなのと、お顔が怖いです」

「君のせいでこういうことになっているというのに……!」


 キッとにらまれたが、ルティはぶすっと口を尖らせた。


「それはごめんなさい。でもお姫様抱っこしてほしいとは、ひとことも言っていないですし、そもそもの原因は私じゃなくてオーウェン様です」


 瞬間、オーウェンの雰囲気が凍り付く。


「…………よーくわかった、コルボール伯爵令嬢」

「……元・伯爵令嬢です」

「屁理屈はいい。こうなったら、徹底的にわたしも恋人の演技をする」


 やっと腹を括ったらしいオーウェンは、本当に王子のような丁寧さと紳士さでルティをゲストルームまで運んだ。


 しかし、レイルが部屋の扉を閉めた瞬間、少々ぞんざいにベッドにルティを転がした。毛布のせいで動けなかったので、ルティはコロコロしてしまう。


「今から再度特訓するぞ、二人とも準備してくれ」


 今度はレイルではなく、オーウェンが謎のやる気をみなぎらせ始めた。元々オーウェンは真面目で完璧主義な性格だ。


「……私にはゆっくり休んでもらいたいと、先ほど執事長に言っていませんでした?」

「早くしろ、さもないと寝かせないからな」

「えええ……」


 結局、彼の気が済むまでルティは練習に付き合わされたのは言うまでもない。

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