『台風よ、僕を休ませてくれ』

小田舵木

『台風よ、僕を休ませてくれ』

 台風が近づいてきているらしい。僕の家の玄関のドアが外の暴風でガンガン音をならしている。

 僕が住む九州はこの時期、必ずと言っていいほど台風に襲われる。ま、立地が立地だからね。仕方がない。

 さっきからスマホは災害警報のアラームが鳴りっぱなしだ。内容を確認してみれば大雨の警報。ここらへんは水害が多い。


 窓を覗けば灰色の空。そこにはこれから災害が起こる予感がある。

「洪水は勘弁してほしいよなあ」と僕はつぶやく。だけどそれは無理な話だろう。

 毎度毎度、水に浸かる街。それが僕の街で。

 小学生の頃から経験しているとは言え、慣れられるものじゃない。ま、ガキの頃ははしゃいでたけどね。


 水に浸かる街。そこには何かかれるものがある。被害にう方には申し訳ないけど。

 なんで僕がそんな事を考えるか?それは水に浸かる街に文明の滅びを見るからだろう。

 滅びゆく街。そこには美しさがある。栄華を誇った街が崩れゆく様。

 人はおごっている。文明を築くことで自然を攻略できる、と。しかし洪水は容赦なく人の驕りを流す。そして驕りの塊である街を沈める…

 人は自然には敵わない。そう。これだ。僕が水に浸かる街に惹かれる理由は。

 人の営為など関係なしに自然は荒れ狂う。その様に力強さを感じる―

 

 なんて。適当な事を考えたけど。

 いやあ。これはカッコつけだ。

 実のところ。街が水に浸かって、会社が休みにならないかどうか、ワクワクしてるだけだ。

「だって会社行きたくねえもん」うん。ここ最近、我が業界はバブルのようなモノを迎えており、残業がエラい事になってきているのだ。先月も100時間近くは働いた。おかげで僕の身体はボロボロだ。

 

 会社の非常事態用のメッセージグループを確認する。今のところ休みの連絡は回ってきていない。

 おいおい…この台風が近づいてる状況でも出社しろってのかい?

 僕は電車通勤なんだけど。鉄道会社はすでに運休を出している。

「車で出社しろってか」いや僕、車持ってないけど。

  

                  ◆


 会社からの休みの連絡がくるまで、僕は時間を潰す。どうせ出勤は出来ない。

 スマホの動画アプリを起動してニュースを見たが、どこのチャンネルも台風情報であふれている。

 台風はずんずんと近づいているらしい。よしよし。来い来い。そうしなきゃ僕は休む事もままならないのだ。

 窓を眺める。外は暴風が吹き荒れているらしく。街路樹が揺れていた。

 空には何かがくる気配がムンムンしている。期待は高まる。

 

 最近の僕は。残業続きのせいで疲れているを通り越して、病み気味だ。

 人間、あまりにも働き過ぎると疲れを通り越して病んでくる。

 残業祭りの最初の方はキチンと疲れられていたが、最近になってくると逆にテンションが上がってきたのだ。そのテンションの上がり方はちょっと怖くなる感じ。いくらでも働いてみせる、なんて思っちゃうくらい。

 僕は頭の大事なネジが外れかかっている予感がして。

 ああ。これはヤバイと思った。んじゃ、転職すれば?君は言うかも知れない。

 しかし、この業界に8年も勤めていると、中々動き出せない。どうせ同業他社に行っても残業祭りなのだ。

 かと言って。異業種に移るには頭が硬直し過ぎてる。今さら作業服をスーツに着替えるような事はしたくない。

 

 まあ、そんな訳で。僕はいけない事だと思いつつも台風が直撃して、あわよくば街が水に浸かって欲しい。そして会社が休みになればいいのに。

  

                  ◆


 時間は過ぎるが。雨が降り出しそうな気配はない。僕の期待は裏切られるのだろうか?

「神様…どうか僕に休みをください」なんて祈っちまう。その願いの代償は台風直撃だが。

 とりあえずテレビを点けて、地方局に回してみた。

「台風8号は依然として勢力を保ったまま、九州に接近しようとしており…」うん。そろそろ、台風の端っこが鹿児島を捉えようとしている。

「鹿児島は凄い雨です…」中継に切り替わったテレビはそんな事を告げている。

 そうそう。こうやって街を水に沈めておくれ。


 僕は部屋のベットに寝転がる。そして鉄道会社の運行情報を確認して。

 まだ、運休は解かれていない。会社にいく方法はまだない。だから僕は会社のメッセージグループに『まだ、出勤できそうにありません』と送っておく。

 ああ。今日は有給ぶち込んでしまおうか?そんな欲求に襲われる。

 しかし。このまま台風がきて街が水に沈んだら損になりかねない。

 

                   ◆


 街が水に浸かっていた。僕の家のマンションも一階部分の駐車場とエントランスが水に浸かっていて。

「お母さん!!今日、学校休みだよね?」と小学生の僕は聞いて。

「これじゃ流石にね」と母は言う。

 

 僕は窓から街を眺める。街は見事に水没していた。絶望的な高さではないが、建物の一階部分は浸かるような浸水。

 それを見て僕はいけないな、と思いながらもわくわくしてしまう。


 街は静かに水に浸かる。泥色の水が建物をおかしている。

 街は機能を停止して。人はその中で慌てふためいている。

 きっと。僕が子どもだったから、こんな呑気のんきな事を考えられたと思うのだが。

 

                    ◆


 目が覚める。子どもの頃の浸水の夢を見ていた。

 スマホの時計は11時を指していて。テレビは相変わらず台風情報を流している。

「台風8号は九州に上陸しました…ご覧の地域の方は避難を…」お。台風が我が九州に上陸したらしい。窓を眺めれば、外はポツポツ雨が降り出していて。

 よし。これで休みが近づいてきたぞ…と思いながらスマホのメッセージアプリの会社のグループを見る。しかし、特段新しいメッセージはない。まだ様子を見るつもりなのだろうか?


「スッポコペンペンポン…ポンポポ」とスマホが着信。直属の上司だ。

「お疲れ様です。風野かざのです」

「おはよう。今日、出社駄目か?」なんて聞いてくる。電車が運休してるの知ってる癖に。

「いや…電車止まってますって」

「そう言ってもなあ。生産計画まってるんだぜ?」

「台風近づいてるじゃないですか?」

「んなもん。浸水でもしない限りは関係ないぞ」

「後生な…」

「後生な…は俺の台詞な。お前が居ないせいで詰まってるんだから」

「ストック積んであるでしょ」

「そろそろストック尽きるぞ」

「…電車が動き出したら、出ますよ」

「頼んだぞ」


 まったく。業界がバブル状態になって、残業が増えだしてから上司の頭のネジも外れちまったらしい。手段がないのに出社しろってどんな神経してたら言えるんだか。

 台風くん。ぜひとも我らが福岡、佐賀にやってくきてくれ。本州にれるなよ。

 

                  ◆ 


 12時になった。僕は昼飯にカップ焼きそばを作って。それをすすりながら台風情報を確認していたのだが。

「台風は熊本県南部に留まっています…」うん。雲行きが怪しい。とりあえず外は雨が降っているが。まだ、大した強さじゃない。

「コイツは本州にれるんじゃ無かろうか」うん。熊本辺りから本州方面に向かいそうな予感がする。

 そしたら。鉄道会社は運休を解き、会社に出社する羽目になるだろう。

 そうなったら最悪だ。何故、昼から出にゃならんのか。帰りは夜中になるだろう。

 僕は窓を覗いて。熊本方面に祈りを飛ばす。どうかこちらにいらっしゃい。そして街を水に沈めるくらいの雨を降らせておくれ。

 不謹慎な祈りなのは分かってる。でも、こうでもしないと僕は休めないのだ。

 ああ。こんな事を考えるくらいに病んじまってるなんて。

 情けない。これも僕が弱すぎるのがいけないんだろうか?

 でも。僕は特段よわいつもりはないのだが。会社が100時間近くの残業をさせているのが悪い。大体、僕は通勤に片道1時間半は使っている。往復で3時間。それに加えて毎日3時間残業して、休出してたらプライベートなんてありはしない。心が病んでくるのも自然な流れだ。

「あ〜休ませてくれえ。明日も休みになるような台風、こっち来てくれよお」叫び。なんとも情けない叫び。

 

                  ◆


 現実は非情である。時刻は14時。台風は僕の願いを聞き入れず本州へ逸れていった。それと同時に鉄道会社も運休を解き。

 これから出社か、と思うと気が重い。

 外を眺めれば、また曇天どんてんの灰色の空。雨は止んでしまった。

 僕は会社のメッセージグループに『今から出社します』と書き込み。身支度を始めて。

 ため息をつきながら服を着替え、顔を洗い、歯を磨く。

「台風くん頑張れよお」なんてくうに向かって呟いても返事はない。

 

 外に出て。駅へと急ぐ。

 その道すがら街が水に沈むのを想像したが。僕には想像力が足りていないらしい。うまく想像できず終いだった。


                  ◆


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『台風よ、僕を休ませてくれ』 小田舵木 @odakajiki

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