あいつの仕業

春光 皓

あいつの仕業

「もう、何なのあいつ! 本当に腹が立つ!」


 静けさを切り裂く大きな独り言を言いながら、坂巻成美さかまきなるみは会社のセキュリティーゲートに入館証を強めにかざす。


 成美は今日、彼氏である明敏あきとしにドタキャンを食らっていた。


 ゲートを抜け、首に掛けた入館証を荒々しく鞄にしまうと、成美はわざと足音を立てて会社を後にする。


「明敏のやつ……そっちから予定空けといてって言ったくせに。いっつもそう。接待だの付き合いだの、わかるよ? わかるけどさ……、今日くらい断ってくれても良いじゃない。あーあ、せっかくの誕生日が……。もう、今日だけは絶対に許してあげないんだから」


「てか、自分で予約したレストランにキャンセルの電話してって何? 電話一本掛けられない程大事な用事ってこと? 誕生日プレゼントがお前の尻拭いって、本当いい度胸してるわ」


 文句ばかりが口を衝く。


 ブツブツと呟きながら会社の駐車場に着くと、持っていた鞄を助手席に投げ捨て、エンジンを始動する。


「はぁ……、どこかでお酒でも飲みたい気分だけど、車だしなぁ」


 ハンドルに顎を乗せたまま、車を置いて帰るか、自宅で一人お酒を飲むかを考えていると、先日同僚の千佳ちかに言われたことがふと頭を過った。



「成美、知ってる? 二つ隣の駅にある骨董品屋さん。なんかおばあちゃんが一人でやってるお店らしいんだけど、そこのおばあちゃん、不思議な力を持っているんだって。」


「不思議な力?」


 千佳は昔から、こういう類の噂話が大好物だ。


 成美は事務所の給湯室にあるコーヒーメーカーでコーヒーを淹れながら、話半分で聞いていた。


「なんでも、売られている物に色々な力が宿っているみたいなの」


「何その胡散臭い話。もしかして千佳、またそんな話信じているの?」


「だってね、この前私の先輩がそこで『探し物が見つかるコンパス』を買ったみたいなの。そしたらなんと、見つかったんだって。二年前から行方不明だったピアスが」


「絶対偶然じゃない! そもそもどうやって使うのよ……、あれ、丸を綺麗に書くための道具よ?」


「使い方は聞いてないけど……、でも、見つかった場所がね、椅子の脚に付けていたカバーの中よ? 普通そんなところ急に探そうと思う?」


「カバーって、床が傷つかないように滑りやすくする、あれ?」


「そうそう、それよ! コンパスを買った日に突然そこが気になったみたいなの」


 どれだけ迫真の表情で言われても、成美の中では偶然の域を出ることはない。


「そう言われてもねぇ……」


 成美は淹れたてのコーヒーを啜る。

 すると千佳は、含み笑いを浮かべながら口を開いた。


「しかもこの話にはまだ続きがあって……」


「何、そんな変な顔しないで。怖いから」


「今はそのコンパスが行方不明なんだって」


 そう言うと千佳は一人、事務所内に響く程の大声で笑った。


「やっぱりインチキじゃない!」


「こらこら君たち、まだギリギリ定時内だぞ。もう少し頑張りなさい」


 千佳の笑い声を聞いた上司が呆れた顔をしながら、給湯室まで二人の様子を確認しに来て言った。


「すみませーん」


 二人は揃って頭を下げた。

 そしてその体勢のまま首を傾けると、千佳は笑顔を見せながら成美に言う。


「とにかく時間がある時一度行ってみて。色々と置いてあるみたいだから」


「早く席に戻りなさい」


 まるで学校の先生に怒られている気持ちになりながら、成美は上司の横を会釈して抜け、デスクへと戻った。



「十九時か……、まだやっているのかな、あのお店」


 千佳から一方的に送られて来た店の住所を、無意識のうちにカーナビに入力する。

 車ではここから約十二分の距離と表示されていた。


「意外と近いじゃん。暇だし、ちょっと覗いてみようかな」


 そう言って成美はアクセルを踏み、ゆっくりと車を走らせた。

 対向車のライトが目に入る度に目を細めながら、目的地に近づいて行く。


 大通りから通りを数本入ったところで『目的地周辺です。お疲れ様でした』というカーナビの案内が車内に響く。


 成美は周りを確認しながら、徐行運転で尚も車を進ませる。


「んー、本当にこの辺なのかなぁ。もしかして、千佳の住所が間違っていたとか? ……、ありえる」


 そんな独り言を言っていると、成美の視界にそれらしき店が映り込む。

 看板は出ていないが、窓に小さく『骨董品 今福いまふく』と書かれていた。


「あ、たぶんあれだな……」


 成美は近くにあるコインパーキングに車を停め助手席に置いた鞄を手に取ると、店へと向かった。


「まだやっているのかな」


 店の前までやって来たが、店のことを知らなければ間違いなく通り過ぎてしまいそうな程、店内は薄暗かった。


 恐る恐る中を覗き込む。


 思いのほか小綺麗な店内には、骨董品だけでなく可愛らしい雑貨やアクセサリーも並べられていた。


 しばらく店内を見渡していると、奥に飾られていた一つの置物に目を奪われる。


「え、何あの置物。かわいい」


 そう思った時には思わず店のドアを引き、片足を店内に入れていた。


「いらっ……しゃいませ」


 独特の間を含ませた挨拶が、微かに耳を刺激する。


 若者向けの商品が多く並べられていたので、「昔、そういうお仕事でもされていたのかな」と成美はおばあさんに笑顔で返事をしながら考えていた。


 そして、外から見ていた置物の方へと足を運ぶ。

 手のひらに納まりそうな大きさの、口元の緩んだ木彫りのカエルだった。


「やっぱりこれ可愛い。ん、なになに……。え、どういうこと?」



 置物の値札には『このカエルは、記憶を食べます』と記載されている。



「そういうおまじない? ドリームキャッチャー的なものか何かかな……」


「そのカエルはね、記憶を食べることが出来るんです」


 不意に後ろから聞こえた声に、成美は思わずすくみ上がった。


 振り返ると、いつの間にか小柄なおばあさんが成美の真後ろに立っていた。


「そのカエルも、今着ているこの名前入りの洋服も、私のお手製なんですよ」


 強調するように摘んだ洋服の胸の辺りには、『今福チヨ』と刺繍が施されている。


 成美は乱れた呼吸を整えながら、「そ、そうなんですね」と返した。

 チヨは嬉しそうな表情を見せながら言葉を続けていく。


「人間、生きていれば色々なことを経験しますからねぇ。良いことも、悪いことも。そういった記憶を、このカエルは食べてくれるんですよ」


 当たり前のように話を進めるチヨに、成美は言葉を選びながら返答する。


「記憶を食べるっていうのは……、気持ちを落ち着かせるアロマみたいなものなんですか?」


 チヨは優しく首を振る。


「いえいえ、本当に記憶を食べるんです。ですから、食べられた記憶のことは、記憶からなくなるのです」


 ――ヤバいお店に来てしまった……。


 成美はそう思った。


「お嬢さんも忘れたい記憶の一つ、持っておられるでしょう? そういう記憶は、いっそのことなかった事にしてしまった方が楽だったりするものです。いつまでも引きずって幸せな時間を奪われるより、よっぽど良いと思います。但し――……」




 ――……。


「買ってしまった」


「ありがと……ざいました。くれぐれも、使い過ぎには……さい」


 店のドアの前で、チヨが深々と頭を下げている。

 成美は手に持ったビニール袋をチヨに見せるように軽く上げ、笑顔でその場を後にした。


 コインパーキングに戻り運転席に座ると、ビニール袋からカエルの置物を取り出す。


「どうして買ってしまったんだか……。とんだ誕生日プレゼント。まぁ、たまにはこういうのも悪くないか」


 そして、成美は再び車を走らせ帰路に就いた。




 時刻は二十二時を指している。

 帰宅してからシャワーを浴び、軽い食事も済ませていた。


「明日はお休みだし、今日くらい、酔っぱらっても良いよね」


 家にあったウイスキーを少し多めにグラスに入れてソファに座る。

 グラスに入った氷は、時折心地良い音を奏でながらウイスキーと一つになっていく。


 成美は音を楽しむようにグラスを回しながら、一口ずつたしなんだ。


「あ、そういえばあのカエル……」


 グラスを机に置くと、成美はソファに置きっぱなしにしていたカエルを手に取った。


「本当に記憶を食べてくれるのかしらねぇ……」


 明敏からはドタキャンの連絡が来た以降、何の音沙汰もない。

 思い返すだけで、成美の中の苛立ちは再沸騰した。


「あー、やっぱり腹が立つ……、そうだ、試しにこの記憶、食べてもらおうかしら。確か使い方は……」


 成美はチヨから教わったやり方を実践する。


「このカエルを両手で包むようにして、強く念じるだけ……だったよな。よし。あのむかつく連絡の記憶よ、消えろ、消えろー」


 何度も口に出しながら、苛立ちを覚えた時のことを思い出していく。

 暫く強く念じた後、成美はふと我に返った。


「……って私、何やっているんだろ。ちょっと飲み過ぎちゃったのかな」


 成美のスマートフォンが振動する。


「あ、明敏からだ」


『成美。今日は本当にごめん。この埋め合わせは必ず! 必ずするから!』


 成美は暫く画面を見ていた。


「……、変なの。何に謝っているんだろう……。『別に良いよ』っと……」


 それから日付が変わるまで成美はお酒を楽しみ、眠りについた。



 翌日、千佳が家に遊びに来ていた。


「昨日はごめんねー。予定が無ければ飲みに行けたんだけど……。明敏くん、ちゃんと連絡くれた?」


 千佳は怪訝な顔をして、成美に問いかける。


「明敏? うん、連絡来たよ?」

「あれ? もう怒っていないの? てっきりまだ怒っていると思って、せっかく甘いもの買ってきたのに」


「怒る? 私が? 何かあったっけ?」


 千佳は目を見開いて成美を見ると、手に持った白い箱を落とすように机に置いた。


「何かって……。昨日、成美の誕生日デートをドタキャンしたことよ! 成美、ずっと前から楽しみにしていたじゃない」


 成美は頭を捻り記憶を辿ったが、どうしても思い出すことが出来なかった。


「え……、そうだったけ。記憶にないなぁ……。昨日、飲み過ぎたからかも」

「もう、しっかりしてよ。それにしても、明敏くんは何年経ってもちっとも変わらないね。成美じゃなかったらとっくに別れて……、って、何? あの気味の悪いカエル」


 テレビ台に置かれたカエルを見つけると、千佳の顔は更に引きつっていった。


「実は昨日、千佳が言っていた骨董品に行って買ったのよ。『記憶を食べるカエル』なんだって」

「……そのカエル、もう使った?」


 千佳の手が成美の手に重なり、ひんやりとした体温が伝わる。


「う、うん。使ったよ? あー、そういえば何に使ったんだけ」

「記憶……、あのカエルが本当に食べちゃったんじゃない?」


 カエルはあの時と変わらず、薄っすらと笑みを浮かべるようにこちらを見つめている。


「どうかなー。でもそれが本当だとしたら、私、結構ラッキーかもね」


「ラッキー?」


「だって私、明敏から『すっぽかし』食らっていたんでしょ。そんなことあったら、絶対に許さないもの」


 まるで機械のように、千佳は瞬きだけを何度も繰り返す。

 そして少しの沈黙の後、千佳は言った。


「試して……みる?」

「え、遊び半分でやるのはちょっと怖いかも。それに、おばあさんもやり過ぎたら大変なことになるって――」


 成美の話を最後まで聞かずに、千佳は言葉を被せた。


「大丈夫だって。もし怖いなら、終わった後にカエルの記憶も食べてもらえば良いじゃない――……」





 ――辺りはすっかり暗くなっている。


「ふふふ……。良いデータが取れたわ」


 千佳は興奮を堪えながら車を走らせていた。

 視界に映る風景が、次々と姿を変えていく。


「全く、成美ったらくだらない記憶しか消さないんだから」


 千佳の頭の中には、鞄の中にしまったカエルのことだけが浮かんでいた。


「このカエルの記憶を忘れさせてしまえば良いんだもの、これを使って商売すれば大金持ちにだってなれるわ。いや、使い方によってはもっと凄いことも出来そうよね……」


 そう言った瞬間、突然千佳の視界はぼやけ、色を失った。

 声も出ず、身体を動かすことも出来ない。


 動揺して固まる思考とは対照的に、何かの意思に導かれるように車は加速し、目の前でハンドルは右へと舵を切っていく。


「いやー!」


 その直後、車に強い衝撃が走ると、何かがボンネットを転がり、フロントガラスにぶつかる。


 何かと目が合った――、そんな気がした。




「わからない……! 本当にわからないの! 友人の成美に聞いてください! 信じられないかもしれないけど、全部あのカエルの仕業なのよ!」


 事情聴取を行う警官は、呆れた表情を浮かべている。


「何度もお伝えしているように、既に坂巻さんには話を伺っています。その上で、彼女はカエルのことなど何も知らないと言っているんですよ」


 千佳は膝の上で、震えた拳を強く握る。


「そんな……。違う、絶対に私じゃない!」

「もう一度お伺いします。この防犯カメラの映像。ここに映っているのはあなたですよね? ここでぶつかった後、凄いスピードでこの場を立ち去っている……。それに、事故現場にはあなたの車の破片も残っています。流石にこれだけの証拠が残っている以上、言い逃れは出来ませんよ……」



「おかしい。こんなの、絶対におかしいわよ……」



 千佳はいっその事この記憶を忘れてしまおうと、大粒の涙を流しながら声を殺すように鞄の中を探したが、笑みを浮かべるカエルの姿はどこにもなく、あの時の光景だけが繰り返し、脳内に再生されていた――。




『但し、カエルが食べられる記憶の量は決まっています。一度に大量の記憶を食べさせるのは大変危険です。その量を超えた時は……忘れられない記憶の中で苦しむことになるでしょう』





『くれぐれも、使い過ぎにはお気を付けください』

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あいつの仕業 春光 皓 @harunoshin09

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