第20話 再現部:予兆と団欒

 人型の主は皿に残ったパンのかけらを指でつまんで拾い、口に入れた。


「冷めても美味しいものだな」


 指先を優雅に手巾で拭いてから、再び話しはじめた。


「黒い部分が増えすぎた亜空間の生命体は、破綻して消えていく。優秀な常世霞はうまく調整して生き残って、幻影と実体を使いこなす技術の要領を会得すると、主に昇格する」


 鮎田も皿からパンのかけらをつまんで口に入れた。


「主もそうだった」

「優秀な知的生命体は上の善導に忠実に従う」


 一切照れず、主は鮎田の言葉を肯定した。


「破綻を注意深く避け、伝統を継承して仕事をしていれば、常世霞から主になり、やがてさらに部屋の主の上で統括する者、席に着く存在となる」


 主は無表情で話し続けていたが、急に穏やかな笑みを浮かべた。


「ただ、常世の国のものが仕事以外の目標を見つけることも認められている。命を縮めても目標を全うし、その中で学んだ内容を仲間に伝えていくことも、上は認めてくれる」


 鮎田は先ほどから自分をさいなんでいた罪悪感が収まるのを感じた。


「じゃあ、僕たちの姉になって、何千年かの命を放棄するのが、主の希望」


 主はうなずいて、楽しそうな優しい表情になった。


「私は仕事を続ける。しかしごちゃごちゃした話を鈴木氏、家族の歩としたい。鮎田氏、家族の数樹とごはんを食べたい。そういう黒い点が増える生活もしたい」


 鮎田は主の語る希望を聞きながら、強くうなずいた。


「上席にはすでにこの気持ちは報告済みだ。だから、今回の報酬についても、おそらく承って大丈夫と思われる」

「ありがとうございます。でも、本当に良いのですか?」

「私は決めた。そして、数樹にはそれを今、伝えておきたい」


 しばらく黙った主は、その後、真面目な表情で続けた。


「このことや、常世の国と連合の歴史について、いますぐに歩に伝えないからと言って、歩を軽んじる訳ではないということも理解してほしい」

「もともと歩は優秀でした。でも、今回の経験を通じ、成長した。しかし、彼女の伸びしろはまだまだある。僕もそう思います」


 ふたりは顔を見合わせ、うなずきあった。


「より深く理解できるようになる時を見定めて、丁寧に伝える。数樹は私たちを見守り、一緒にいてほしい。長い時間をかけて、ふたりとは関わっていきたい」


 ――千尋の谷に突き落としたり、情報を遮ったり。主なりに考えているのだな。3人で諸々のことに段階を踏んで関わっていくことを、望んでくれている。


「はい、わかりました。家族で協力しましょう」


 そう言った数樹は、次の主の言葉に再び面食らう。


「ところで、数樹は、現在の第六十五世界の平穏な状況のことを、どう思っているか?」


 ――急に飛ぶ!


「超現象は便利すぎる。都合が良すぎます。そして今回、異端たちのような存在もあることを知りました。よくできてはいるけれど、危うさを孕んでいる」

「うむ。連邦は連合の善導を巧く利用した。しかし、その楽園の中に湧く異端の問題は、これから私たちの仕事の課題となるかもしれない。そのあたりは、貴殿らとさらに深く話すことはあるだろう」


 鮎田は曖昧に笑った。


「壮大な話になってきましたね。よく意味がわかりません」

「私は万能であるからな。そのうち理解してもらえると思う」


 万能と言ったとき、主は豪放な勇気と諦めのこもった謙虚さを同時に発するように笑った。鮎田は見た。


 ――万能ならいま理解させるべきなのではないか? まあ、いつもの主のペースというやつか。


「平穏と安らぎだけを与える前提で継承されてきた伝統的な定法じょうほうが、うまく機能してなかったことが、異端の発生の原因かもしれない」

「難しいですね」

「そうだな。連合の他のものたちと協力して、異端を異端たらしめた混沌と怒りを静める努力をしてみたい」


 鮎田はふたたびとっておきの美しい顔をしてみせた。


「はい、勇者鮎田数樹に、白い部屋の主の壮大な計画のお手伝いをさせてください」

「頼む」


 ふたりは握手した。

 

 ***


「高橋の処罰に関わることで、学んだことは多かった」


 生真面目な表情で再び話題を急に変えた主だった。

「高橋は歩をしあわせにする努力は惜しんでいなかった。邪悪な意図への誘導という動機は感心しないし、同じように不実な隠しごとをするつもりはない」

「同感です」

「しかし、歩のように、弱さと強さが混在する者に伝わる言い方というものが存在する。私は高橋の気配り方法を聞いて、学ぶことが多かった。これから学んだことを取り入れて、実践していく」

「それは、僕も資料を読んで思いました」


 王国で起きた事件の処罰のことも思い出しながら会話したあと、主は言った。


「やらかしたことの罪と罰、そして更生。情けをかけて反発されたり、裏切られたりすることもあるだろう。許せない、どうしようもない、突き放すしかない、そういうときもあるだろう」


 主は真剣な顔で鮎田を見た。鮎田は目で同意を伝えようとした。主はそれを受け取ったように目でうなずいて、続けた。


「決まった罰を免れさせない。手心は一切加えない。しかし、私は連合の他のものと共に、高橋の更生に、これからも手を貸していきたいと思う。他の異端のものたちについても、向き合っていきたい」


 ふたりは黙って座っていた。鮎田は空を見上げた。良い天気だ。晴れた緑色がかった空に薄く浮かぶ雲の色は白い。


 鮎田は、ふと気になったことを聞いてみた。


「あのう……常世霞は常に勇者の上で観察しているのですか?」

「討伐が完了して、報酬の交渉が終われば、伝承すべき事柄はない。常世霞の仕事はなくなる。ゆえに、討伐に携わっていないときはつきまとわない場合が多い」


 ――つまり、討伐中はいつもいる、いたのですね……。あと、「多い」って。


 鮎田はがっくりと肩を落とした。見られて恥ずかしいことをした、または、これからするわけではないが、ちょっと抵抗があった。


「それと、申し訳ないが、これからもいくつか常時監視する常世霞を貴殿らにつける」

「えええっ!」

 主は理由を説明した。

 

 ***

 

 鮎田は納得した。


「僕たちが王国にいる間、亜空間でそんなことがあったんですね」

「私の手を離れていたからな。如何ともし難かった。私が担当していても、そうなったかもしれない。我々の不手際で、申し訳ない」


 主は辛そうな表情をした。鮎田は励ますように笑った。

「じゃあ、さっそく、監視を除外してもらうときに使う勇者魔法をご教示ください」

「うむ。警護を続けながら、監視の対象外にしてほしいタイミングを常世霞に伝える勇者魔法を、まず教える」

「はい」


 主はそのあとしばらく黙り込み、意を決したように再び話し始めた。


「歩は、許可を取れないし、私との念話があるから、警護のみにする。近い将来、私の寿命のことも、この件も、さっき言ったように、私から必ず話す。歩と数樹はいままでもこれからも私たちの仕事仲間だ。しかし、家族でもある」


 鮎田は真面目な顔をして、いたずらっぽく言った。


「よろしくお願いいたします。僕は、ドナート氏から紹介いただいた件でも、春から義姉さんたちのお世話になります」

「呼び方は主で良いと言った」

「はい」


 鮎田は勇者らしく美しい姿勢を意識して、微笑んでうなずいた。


 ***


 あれからそろそろ1ヶ月ほど経つ。監視除外と再開のため使う勇者魔法にもすっかり慣れた。


 晩秋の日本地方は寒い。しかし、凪海浦大学近くの鮎田数樹のアパートは、暖房がほどよく効いて心地よかった。古びたテーブルを囲み、3人は賑やかに食事を続けていた。


 数樹はしあわせそうな顔をした婚約者の周りを見た。数樹も手伝ったけれど、ほとんど歩が作った料理。共有される懐かしい思い出に満ちた献立。家族の団欒。


 ――主。横暴で非常識で、とても大切な姉。

 ――僕、地味な顔立ちで、言うことがいちいち青臭いヘタレだが、師に学んだように美しくなろうと頑張っている、誰よりも歩を愛おしんでいる婚約者。

 ――そして、しあわせそうなあゆあゆ。


「赤ワイン出そっか。少しだけ冷やしてある」

 歩は微笑みながら立ち上がった。

「いいね、お願いします」

 歩はキビキビと冷蔵庫に向かっていく。数樹は、その後ろ姿を感謝と敬愛を込めて見守った。

 

---


2023-10-20 第20話のタイトルが19話と同じでした。訂正


Ch.1の登場人物まとめ https://kakuyomu.jp/works/16817330661673670560/episodes/16817330665078786821


次、 Ch.2 数樹と歩と家族と仲間たち

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