第16話 グイダック子爵邸庭にて~2075年、鮎田家の秋のごはん
グイダック子爵邸に設置されたガーデンキッチン近くで、居心地が良い椅子に座った白い部屋の主は
「承ろう。契約書では、鮎田氏の報酬は、後日協議となっていたな」
鈴木と共通の報酬はいくつかあった。それはあらかじめ合意している。
例えば、戻るのは11月1日、ハロウィンの翌日と定めた。
大学四年生の多忙な時期に2ヶ月以上も日本地方を離れてしまえば、鈴木の総代卒業は危うい。それどころか、ふたりとも落第しかねない。そういう時間操作は、白い部屋の主はお手の物らしい。
鮎田は真剣な表情で主の目を見て、言った。
「僕の人生における最大の目標は鈴木歩さんとのしあわせです」
主は若々しい女性の姿に似合わない古めかしい重々しさがある口調で答えた。
「ふむ、具体的にそれが報酬とどう結びつくのか説明してくれたまえ」
「まず、日本地方の現金が欲しいです。鈴木さんに僕のアパートへ引っ越してきてもらいたい。いままで高橋と一緒に過ごしたときの家具や調理道具は全部捨ててほしいので、買い直す費用を負担します。一緒に美味しいものも食べたいので、その分も現金を」
「なるほど」
鮎田は真剣な表情を保ちつつ、柔らかく笑みを浮かべた。
「それを賄うのは、僕の手持ち資金、仕送りやバイトでは無理です。僕の初任給3ヶ月分くらいの現金を僕の銀行口座に入れてください」
「了解、それより多めの金額をこちらで決めて入金する」
鮎田は首を横に振った。
「学生が持っていてもおかしくない程度でお願いします」
「ふむ。それだと鮎田氏の提案程度の額が良いな」
「ですよね」
再び、鮎田は表情を引き締めた。
「さらに、もうひとつ欲しい報酬があります」
「何だ」
鮎田は主の目をしっかりと見た。
「僕は鈴木歩さんとしあわせになりたいけれど、彼女の親や兄弟姉妹にはなれません。あくまで夫です。夫は家族ですが、他人です」
鮎田はとっておきの決然たる表情をした。
――これからいうことは、最高に美しい姿で言いたい。
「白い水玉の部屋の主」
鮎田は正式な呼び名で主を呼んだ。
「貴方に鈴木歩さんの家族になってもらいたいのです」
京人形のような切れ長の目が、驚いた表情で見開かれた。
「はあ? いま貴殿が言ったことの意味を私はわからないのだが?」
「僕は鈴木歩さんと結婚したいです。でも、男女の関係はうつろいやすい」
鮎田が遠い目をした。
「鈴木さんがいつか僕に愛想尽かしするかもしれない」
――勇者はあらゆる状況を想定するものだ。
「だから、主に彼女の姉になってほしいのです。何があってもうつろわない『鈴木歩の家族』」
鮎田はじっと白い部屋の主(人型)の目を見つめた。印象の薄い顔から、真剣なまなざしが返ってきた。
「僕の父母・弟・妹も、彼女を義理であっても血のつながった家族同様に大切にします。でも、それより確固とした、鈴木歩さんを誰よりも優先する家族に存在してほしいのです」
主は数回首を縦に振り、気遣わしげに言った。
「……ふうむ。上の許可が要る。しかし、許可が出たら承ろう」
鮎田が緊張を解いて、いたずらっぽく笑った。
「それに、僕も小さい頃から、『ねえさん』が欲しかったんです。僕の家族にもなってください」
印象の薄い顔に笑みが差した。
「わかった。ふだんの呼びかけは、ふたりとも主で頼む」
「はい」
笑みが消え、古風な京人形のような無表情で、ひとつ区切るように咳払いして、主は静かに話しはじめた。
「貴殿を勇者として育てるのは、私にとっても喜びだった。この気持ちは義姉というものに近いのかもしれない」
主はお茶をひとくち飲んで、再び微笑の表情をぎこちなく浮かべた。
「いま、一緒に同じものを食べる喜びを教えてもらったので、貴殿に育ててもらう弟か妹になることも良いのではないかと思うが、如何であろう」
主はくりっとした瞳で詰め襟の黒い制服を着た坊主頭の高校生に姿を変えた。
「いえ! 義姉で」
男子高校生はいたずらが成功して、してやったりとほくそ笑むやんちゃ坊主の笑顔を浮かべ、元のカウンセラー姿に戻った。
「しかし、欲がないな。他に報酬の希望はないのか?」
「鈴木さんから引っ越しの報告がきたら、お祝いに夕ごはんを食べに来てください。今日と同じように、食べられる人間の姿で。そして、このことを、僕たち3人が家族であることを、鈴木さんに説明してください」
「引っ越すところに持ち込むまでは、ちゃんとできるか?」
鮎田は頼りなげに笑った。
「頑張ります……僕は勇者です。第六十五世界を、主の教えを受け、鈴木さんや桑田くんや隊のみんなの力を借りて救えました。たった2種類の特定猛獣を倒したのが主な成果のショボい勇者です」
実はたくさんの空想物語を読破してきた鮎田は、密かに自分のショボい成果に落胆していた。
「過去、核戦争などで壊滅しかけた第六十七世界を救ってくれた勇者たちのように、めざましい活躍をしたわけではありません。でも、やり遂げました」
主は励ますようにうなずきながら聞いてくれた。
「うむ、そうはいうが、今回のあれらは意外と厄介なのだ。鮎田氏が赴かなければ、ウルデンゴーリン王国は荒廃し、滅亡していたかもしれない。よくやってくれた。改めて礼を言う」
この奇天烈な袋はお世辞は言わない、言えない。それを知っている鮎田は有難く思った。
「はい、こちらこそ得難い経験でした。人生が変わりました」
鮎田は感謝を込めたしっかりした表情で、同じように敬愛のこもったまなざしを向ける年上女性形態の主の目を見て言った。
「だから、次は、相棒の鈴木歩さんと家族になってしあわせに生きることをやり遂げたいのです。勇者として、僕はこれからも戦います。他にも僕に適した贈りあう案件があれば、頑張ります」
一呼吸置いて、鮎田は強く宣言した。
「でも、いちばん大切なのは、歩と、僕の父母弟妹。そして歩の姉である主、家族みんなとしあわせに生きる件です」
***
この内容は、のちに主から歩に念話で伝えられた。
鮎田はその念話の前に、「人生における最大の目標」を達成するための第一歩を踏み出した。
主に心配された「引っ越すところに持ち込む」ことには、なんとか成功した。我ながら拙いやり方だったが、思いを伝え、受けてもらった。
鈴木歩を大切にし、幸せにした。鈴木歩も鮎田を大切にしてくれて、鮎田は幸せだった。
鮎田は鈴木と結婚を前提とした同棲を始めた。そこに主がごはんを食べにきて、伝えたのだ。
豪快な唐突さで念話を送られた鈴木はまた泣いた。
異世界転移直後とは違う。今回は感動と嬉しさによる涙だった。
そのあと、食事は賑やかに続いた。
鮎田は、食卓に落ちたポテトサラダのかたまりを拾って無造作に口に入れた。
具だくさんのポテトサラダの中のかぼちゃは、鮎田が数日前に作った野菜のオイル煮の残りを刻んで入れたと思われる。
同棲して以来、ふたりは空き時間に料理を作っておいて、顔を合わせると一緒に食べる生活をしていた。忙しすぎる歩は、「美味しい……でも、もっと私も料理したい」と、鮎田の手料理を食べながらつぶやいていた。
今日は念願叶って嬉しそうだ。歩が作った料理は卓を埋め尽くし、冷蔵庫や調理台に次が控えている。
家族で食べるごはんは鮎田にとって水道から水が出るように当たり前の幸せだった。
でも、今日は特別な幸せを感じていた。鈴木歩と白い部屋の主と鮎田数樹がはじめて家族として食卓を囲むごはんは、とても格別だった。
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次、第17話 閑話:学食の仲間たち:溺愛生活と畑中と神崎
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