第15話 家族直伝オムレツとウルデンゴーリン王国のパン

 鮎田数樹と鈴木歩がウルデンゴーリン王国から日本地方に戻る前日。そろそろ冬が始まろうとしている。

 しかし、セプテヌトリオヴァ大陸の南方に位置するライトウエルマーシュは、その日も晴天で過ごしやすい気候に恵まれていた。


 白い部屋の主が第六十五世界ライトウエルマーシュ近郊のコーガ・桑田=グイダック子爵・夫人のキャサリン(通称キット)の邸にやってきている。勇者一行と最後に打ち合わせするためだ。

 打ち合わせはまず桑田(グイダック子爵)、そして鈴木。ふたりとの個別の打ち合わせはすでに済んでいる。


 鮎田が最後に白い部屋の主と面談する。

 場所は庭だ。

 

 鮎田は調理材料の入ったボウルを持ち、気合いを入れた。これからガーデンキッチン野外調理設備でオムレツを焼くのだ。


 勇者鮎田伯爵が執事に相談してガーデンキッチンを設計し、出資した。

 管理運用はグイダック子爵家。時々使わないと傷むので、積極的に運用するよう管理者に依頼済み。


 ガーデンキッチンの近くには居心地の良いテーブルと椅子が数組置かれていた。ひと組は美しい設えのパーゴラにあり、もうひと組は草原と山の見晴らしのよい野外にあった。


 白い部屋の主が野外の椅子に座っている。

 主は人型の幻影をまとって、鮎田とボウルを見ながら座っていた。


 専門職女性風のグレーのスーツを着ている。黒髪のサイドをねじり編みし、後ろは小さなまげにまとめている。

 印象の薄い面長な色白の顔は、古風な京人形を思わせた。薄く丹念な化粧が施されている。

 今日は手提げ袋の姿ではないので、視線がどちらの方向を見ているかも、いつもよりわかりやすい。


 あたりにはトースト済みのパンの香ばしい香りが立ち込めていた。


 鮎田はカウンターにビルトインされた熱した金属の板にバターを落とし、そこに素早くボウルの中身の溶き卵を流した。父親直伝の鉄板で焼くオムレツの手順はしっかり身に付いている。


 手際よくまとめ、出来上がった薄いオムレツをトースト2枚で挟んだ。カリッと焼きたてのトースト片面には、あらかじめ赤いソースが薄く塗ってあった。

 鮎田はオムレツサンドウィッチを半分に切って、ふたつの皿を主のいるテーブルに運んだ。


「どうぞ、熱いうちに召し上がってください」

「ふむ」

「食べて、味わうことはできるのですよね」

「その能力は私にあるはずである。試す」

「初めて?」

「初めてだ」


 ***


 鮎田の前もっての依頼で、白い部屋の主は、食事ができる人型になって鮎田が準備して待つガーデンキッチンにやってきた。

 念話で伝言を依頼された鈴木は感心していた。


「主、そんなことができるんだ」

 

 桑田は、今日の打ち合わせの際に、白い部屋の主に「ことばわたりの術」を解除してもらう予定になっていた。

 第六十五世界に来たときの桑田の状態では「ことばわたりの術」は不可欠な術だった。しかし、現在はさほど必要なかった。

 業務や社交の複雑な会話・交渉は、超現象を詠唱すれば可能だ。何より「キットくんと術を通さず直に話したい」と桑田は望んでいた。


 そう、あの夫婦は「キットくん」「コウくん」と呼び合っているのだ。


 子ども向けのことばの教科書を用意し、キットくんの指導を受け、コウくんは学びはじめていた。

 その他、第六十七世界の桑田関係で諸々の処理の打ち合わせもあった。その確認も終わり、今ごろは術を外したカタコトのウルデンゴーリン王国語で愛妻と夢中で話している最中だろう。


 ***

 

 サクッ。

 

 鮎田が見守る中、優雅な所作で主は手に持ったサンドウィッチをかじった。静かに咀嚼そしゃくし、飲み込んだ。黙ってそれを何回か繰り返す。


 鮎田はホッとして、続いて食べはじめる。中のオムレツはちょうどよくトロッとして美味しい。パンの厚さもちょうどいい。


 ――よし、たまごとの真剣勝負に勝った。

 嬉しい鮎田だった。予行演習のとき食べてもらった鈴木には絶賛されたが、本番はまた格別。

 ――執事さんが用意してくれた冷たいお茶もサンドウィッチによく合う。この世界のお茶には濃厚な芳香とコクがある。


「同じものを食べている鮎田氏は、いま私と同じことを感じているのだな。具ごとのあたたかさ、歯ごたえ、口の中に広がる食材の組み合わせ、舌にさまざまな感覚が伝わって、それがやがて消化器官におりていく。心地よい」

 

 鮎田は嬉しくなって、うなずいた。

 

「はい、サクサクとトロッとした食感の組み合わせが僕はとても好きです。ライトウエルマーシュのパンとバターとクリームとたまごは味が良く、新鮮で、手早く調理して組み合わせると、とても美味しくなります」


「なるほど。質の良い材料と、調味料……塩、砂糖、トマトのエキスであろうか、それらの組み合わせもよく効いている」


 ――細かい……勇者修行の講義を思い出す。

 鮎田は心の中で、くすりと笑った。


「ちょっと辛みもある、鮎田氏が心を込めて学び、共有してくれているのが、とても心地よい」

「ありがとうございます。お茶も飲んでみてください」

「いただこう」

 

 ふたりはサンドウィッチを食べ終えた。鮎田は背筋を伸ばし、真剣な顔をして主の方を見た。

「ところで僕、欲しい報酬があるんです」


---


次、第16話 グイダック子爵邸庭にて~2075年、鮎田家の秋のごはん

2023-10-11 コーガ・桑田=グイダック子爵と夫人の名前を詳しく書き加えました

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る