第4話

今朝ほど恐ろしい朝はなかなかないでしょう。


りゅーやくんは、昨日自分がしていたことなんてまったく知らない風に、まさに飄々といった様子で班長としてぼくたちを学校まで先導していくのです。まったくいつもと変わらないことが、どんなに恐ろしいことか。それはつまり、りゅーやくんが毎日、当たり前のようにをしていてもおかしくないことを表していました。


しかし、じゃあ彼がどんな顔をしていれば恐ろしくないのか、と聞かれれば、それはそれで、まったく何も浮かんでは来ないのでした。


ただ、あいちゃんが学校を休んでいるらしいことは幸運でした。昨日あんなに情けなかったぼくが、今日陸上クラブについて、あいちゃんに何か言うことなんてできっこなかったからです。速く走れるようにならなくちゃな、と思ったその時、ぼくが初日にして朝ランニングをすっかり忘れていたことに気がつきました。これはとんだ失態でしたが、今日はあいちゃんもいないんだし、明日の朝からやればいいやとも思いました。


まあ、陸上クラブのことは、一旦いいのです。ぼくの足が速くなるまでは、置いといても構いません。


本当に問題なのは、やはりしゅうすけのことです。まーくんたちは、昨日一体全体何をしていたのでしょうか。ぼくは、自分が約束をすっぽかして家に帰ったことなんてほっぽり出してそのことばかり考えていました。


しかし、まーくんの答えは意外なものでした。「しゅうすけはそもそも学校に来てなかった」と言うのです。同じクラスのまーくんが言うことなので、間違いありません。


ぼくが「ええ?」と驚くと、まーくんが、何かあったのかと聞き返します。ぼくは咄嗟に「何も!」と言い返してしまいました。何もどころか大ありも大ありですが、口をついて言葉が出てきてしまったのです。


まーくんは、昨日ぼくがすぐ帰ったことについて何も訊きませんでした。


結局、結論から言うと、この日もしゅうすけは学校に来ませんでした。廊下からしゅうすけのクラスを覗き込むと、ぽつん、と後ろの方で小さくなっている机があるだけなのです。


ぼくは、この間観たドラマの、友だちの机の上に花を生けた花瓶が置かれてあったシーンを思い出し、そんなことを考えてしまう自分がますます嫌でした。


とうとうぼくは、昨日見たことを誰にも言えないまま放課後になってしまいました。


まーくんの、「またしゅうすけの家に迎えに行こうぜ」という提案にも、首を縦に振ること以外何もできなかったのです。


しゅうすけの住むアパートの階段は、前来た時よりもねばついていて、誰かがコーラでもこぼしたのかもしれないと思いました。


辺りを覆っている雲は、太陽の光をあっちへこっちへとビカビカすっ飛ばしていて、晴れよりもかえって眩しいと感じました。いやな明るさです。


ねちねち、ねちねちと階段を上りきると、しゅうすけの家の扉はいつもより大きく見えました。なんだか暑苦しいのです。


りょうちんがインターホンを鳴らします。ぼくはりょうちんのこめかみを汗がつらーっと流れるところを見ました。


くぐもった音で、ぴんぽーんと鳴りますが、それっきりです。もう一度鳴らしても、何も起こりません。


……はっきり言って、安心しました。おそらく、ぼくだけでなく、そこにいる全員が胸を撫で下ろしたでしょう。今、しゅうすけの周りにある要素すべてがぼくたちを緊張させていました。


ぼくたちは、誰も何も言いませんでしたが、まーくんが階段を降り始めると、みんながその後をついて行きました。


みんな、安心している自分がなんだか気まずいのです。


靴の裏が引っ付いてぺとぺとと言わせながら、ぼくはなるべくここにはもう来たくないと感じました。おそらくはそれも、ぼくだけの気持ちではないのです。


ぼくたちはいつもより静かに遊び、いまいち盛り上がらなかったので、いつもより早くに解散しました。


しゅうすけが、友だちがいなくて安心するなんて、ぼくはなんて嫌なやつなんでしょう。布団に入ると自然に思い返されます。


……でも、ぼくだけではなかったはずです。


……ああ、なんて嫌なやつなんでしょう。ぼくは。



いつの間にか寝ていたぼくは、いつの間にか朝を迎えていました。寝る前の重たい気持ちも、半分くらいはどっかに行ってしまいました。


今日も班長に連れられて学校に向かいます。こんなやつはもう、「くん」なんざ付けてやりたくはありません。りゅーやです。


そう思いながら睨みつけていましたが、いっぺん視界にカラスが入ってくると、そっちをふっと見たきり、ぼくの怒りの感情は忘れられてしまいました。結局、校門を過ぎて、班がバラバラになったタイミングで怒りを忘れていたことに気がつきました。


この日もしゅうすけは学校に来ませんでした。誰も彼の居場所を知りません。


まーくんとしゅうすけのクラスの担任は、欠席者がいると、学校に来ることの大切さをくどくどと喋ったりする、ちょっと面倒臭い人でしたが、その先生さえ何も言わないというのです。これは妙だぞ、と思いました。


放課後、ぼくたちはいつものように遊ぶ約束をしました。


誰もしゅうすけを呼びに行こうとは言い出しません。全員が互いに顔色をうかがって。でも、それだけなのでした。

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あの日夢見ていたぼくたちは死んだ 海鍬形 @musibu

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