第2話 全部、酒のせいにして

 酒、酒、酒。

 仕事と私生活で溜まりに溜まったストレスなら、アルコールの海に洗い流す他はない。

 そう考えて飛び込んだ繁華街のバーで、彼は怪しげにふわりと笑った。

「おねーさん、どったの?」

 お疲れ?なんてどこか妖艶なその男の問いかけに振り返り、返事代わりに彼を睨む。

「なに、ナンパなら他当たってよ。」

 関わらないでよ疲れてるの、と突き放した私に彼は一瞬面食らったような顔をして、それから楽しそうに笑顔を見せた。

「おねーさん面白いねぇ、俺と飲もうよ、ね?」

 ニコニコと、魂胆の見えない笑みを浮かべる男。

 黒髪のマッシュにダボっとしたTシャツ、バチバチに空いた左耳のピアス。

 こいつは危ないな、なんて考えてまた酒を煽ると、彼は私の返事も聞かずに隣に座る。

「おとなり失礼しまーす。ねね、おねーさん、今日は俺と一緒に飲んじゃおーよ。」

 調子良く距離を詰めた彼は私の手を取って、自分で頼んだ甘ったるいカクテルを手渡した。

「いい、いらない。」

 振り払った手の先で彼は困ったように笑って、これノンアルだよ?と悪戯っ子のように舌を見せる。

「うざい、やめてよ余計なお世話。」

 カクテルを突き返されるなりそれを軽く煽った彼が、私の耳元にそっと唇を寄せて囁いた。

「疲れてるんならやめれば?」

 その一言に、顔が熱くなる。

「うるさいってば!なんなのアンタ、私の辛さなんて知らないくせに!」

 あぁ、やってしまった。

 酒に酔って八つ当たりとか、最悪以外のなんでもない。

 ハッとしてごめんなさいと謝れば、彼は気にした様子もなくひらひらとその手を振って微笑む。

「いーのいーの、今のはノンデリな俺が悪いから。あ、でもそうだ。おねーさん、もしお詫びしてくれるんならさ。」

 今夜俺と過ごしてよ、なんて彼はまた艶やかに笑うと、私の手を取って立ち上がる。

「ちょっ、待って!」

 私の制止も聞かずに歩き出す彼に連れられ、たどり着いたのはホテル街。

 部屋に入るなり組み敷かれた私の視線の先で、彼は怪しく舌なめずりをした。

「大丈夫だよおねーさん、全部酒のせいにしちゃえばいいんだからさ。」

 思考回路が溶かされるようなキスをして、彼は私の服を捲っていく。

 そうか、全部酒のせいにしてしまえば。

 そうしたら私はきっと、何も考えずに彼に委ねられる気がする。

 だから今日は、今日だけは。

 全部酒のせいにして、この夜に溺れて過ごしてみたい。

 そう思って、彼の指に私の指を絡めた。

 整えられた長い前髪の奥で、彼の目元がふわりと緩む。

 夜はまだ、終わらない。

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デートにすらならない 春色の雪解け。 @Haruiro143

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