第8話 池

 小川の水の落ちる先、崖の粘土層と交じり合う池の端で粘土玉を捏ね繰り回しながら、色々な事も考える。

 今は木をの周りに柵と小屋を建て、そこを生活の場としているが、土器を日常的に作って行くなら、粘土が剥き出しの崖があるこの池の傍にでも引っ越した方がいいのだろうか?

 土器を作る度に粘土を採りに往復するのは、手間も時間もかかる。ならば、小屋を建て直して材料を集めたらすぐ作れるようにする方が楽だ。

 いっその事、水と食い物を持てるだけ集めて、どこか人がいる所まで一気に踏破するのも手ではある。

 まぁ、人が存在するのかも、それが友好的な文化圏なのかも、言葉や文字が異世界ご都合主義パワーによって通じるのかも、まったく不明で不安なのだが。

 大体この森、360度のどの方角に行っても、更に奥地に踏み入るか、今より迷子になる可能性も高いようにも思うんだよな。で、行けるとこまで移動して、日々の飲み水があるのかという……これは、小川沿いに移動を続ければいいのかもしれんが。

 この池を見ると、この先の水は濁ってそうだけどな。

 こちとら、生水というだけでも抵抗があるのに。

 寝床の木の近くにも粘土が採れる場所がないとも限らないが、川という大きな目印から外れるのは怖いんだよなぁ。上流を探すのもいいんだけど、そっちの方に向かっても、それこそ人はいなさそうではある。

 根拠のない想像や勘だけど、仮にこの川の上流に人間の集落があるなら、川沿いに人の通った痕跡つか道みたいなのが、もっと残ってると思うんだよね。苔の上とか、一番あるのはオレの痕跡だし、後は動物の爪痕とかくらいでしょ。

「はぁ…、本当に、誰かいませんかぁ…」

 溜息と共に呟く。

 森から返ってくるのは、草木のざわめきと鳥のさえずりくらいだった。

「人権意識高目の、保護欲が強くて優しい文化圏の人たち、オレはここですよ~」

 虚しさを抱えつつ、しゃがんだ格好で粘土を捏ねる。

 良さそうな土を集めては、丸めてくっ付ける。

 何度も。

 やがて、前よりも大きな塊が出来た。これを持ち帰れば、今日の作業もほぼ終われるが、以前の生活を思うと、今のオレの状況は酷い。

「誰か~。いま助けに来れば、おっぱいを触ってもいいですよ~」

 ツラい時に不可抗力で、自然と胸に手が伸びている事が増えた気もする。寝てていつの間にか揉んでた、みたいな。ただ、今は泥だらけの手である事に気付いて、両手の動きは止まる。

 そうだ、手を洗おう。

 何も意図してはいないが、清潔である事は大事だ。股間は、この数日のような汚れている手や爪だと病気とかになりそうで、触れる気持ちは湧かないが。

 帰路につく前に手を洗おうと池の方を見ると、浮いていた流木が此方に流れて来ていた。

 雨の増水で、どこかから運ばれてきたのだろうが、結構長い木かもしれない。水に濡れて使えないとは思うが。

 そんな流木が、さらにオレの方へと近付くと、パチリと目を開く。

「…ん?」

 次の瞬間には、その木が大きく口を開けた。

「はぁ!?」

 オレは慌てて立ち上がると、今までケツがあった空間に尖った口が噛みついていた。あ、危ねぇつーか、コイツは、もしかして……!

「ワニじゃねーか!」

 驚いて叫ぶ間に、相手は恐ろしい速度で肉薄してくる。

 即座に両足で思いっきり前に飛び退くと、目の前はもう崖だった。意外と細身だが鋭い牙の並ぶワニの口が勢いよく閉じる音が、この場に響く。

 キンタマは…ないが、下腹部がヒュッと冷えて縮んだような気がした。

 崖沿いに全力で走って、石の段上を四つん這いとなって、急いでよじ登った。

 登り切った小川の傍から下を確認すれば、ワニは崖下で口を半開きにしながらこちらを見ていた。

(あ、危なかった…。)

 心臓が早鐘を打っている。

 短時間で激しく動いたせいか、呼吸も荒く、全く収まる気がしなかった。恐怖のせいでもあるのだろう、心も体もまるで落ち着かなかった。

 思えば初日から、怪我した狼や子連れの熊、狼の群れに見つかっても襲われる事はなかった。そんな野生動物と相対しつつも、襲われなかったという幸運の状況が続いた事の油断を突かれて、心底ビビった衝撃もあるのかもしれない。

 ヤバい。

 このワニのように、殺す事に躊躇ちゅうちょもクソもなく、一方的に潜んで襲ってくるヤツラもいるってのに、その事実に遭遇しても、ただビクついて逃げているオレの認識が、一番危ないって気がする。

 なんだか、自動的にスイッチが入ったように、危機意識と怯懦きょうだから闘争心が沸々とわいてきた。今までのオレとは違うような、猛る想いが顔を覗かせてくる。

 いま、今日この時に、「お前を殺して、オレは生きる!」と相手をブッ殺す覚悟と意識を持てないと、こうした生来の捕食者には絶対に勝てないという直感が、エルフ色の脳細胞に走った。エルフ色が何色か知らないけど、とにかくそう感じた。

 ここは、決断の時なのだと、震える心に活を入れる。

 立ち向かう瞬間が、なのだと。

 呼吸を無理矢理にでも落ち着かせる。

 なるべく冷静に状況を判断するように心掛ける。

 いま、ワニは下。オレは上だ。

 そして、オレの足元には、石がゴロゴロとある。

 オレに持ち上げられるであろう最大限の大きさの石を頭上に掲げ、思いきりワニに向かって投げ落とした。

 それは、ヤツの右前脚に直撃し、石もワニも、跳ね上がって転がった。ワニの方は、投げた石と崖の狭間で暴れている。

「二撃目だッ!」

 最速かつ渾身の力で石を投じる。

 今度は、石が頭に直撃してから跳ね、腹部にも当たって転がる。

 それでも、ワニの身体は動きを見せていた。あれでも死なないのか?

「おかわりッ!」

 三度目の投石も頭部に当たり、ワニの動きが止まった。

 脚や尻尾の先や痙攣しているようには見えるが、死んだふりとかじゃないよな?

 崖の下へと、ワニから少し離れた所から下り、置き忘れた棍棒を持つと背中に回ってから頭を殴りつけた。反応はない。

 その時、ワニの身体から白い人魂みたいな、ユラユラと揺れる塊が浮かんできて、あつと言う間もなく、オレの身体に向かってきたかと思うと、溶けるように消えた。

 なんだ今のは?

 身体のどこかに異常はないかと、見回しながら手で触れてみるが、特におかしな点はない。人魂っぽかったが、火傷のような症状もない。

 熱くもなんともなかったし。

 本当、なんだったんだ? 分からん。

 息を吐くと、身体に巻き付けてある蔦を解いて、後ろ脚と前脚の付根と口をグルグルと縛り付ける。口を閉じさせておけば、もし気絶からの復活をしたとしても、嚙みつけはしないだろう。

 蔦は適度な長さで切った。

 そうしていると池のが二つ、ゆっくりと近付いてきたので、オレは必至に石の段で登り易い所を引き摺って、ワニの死体を少しづつ崖の上に移動させた。

 ワニは、今のオレの身長くらいの長さはあり、とにかく重い。

 石の段差でワニを、力を込めて引っ張る時に、重さに滑って尻もちをつかないようにするのも大変だった。

 棍棒は、蔦の隙間に捻じ込んだけど、粘土玉は諦めた。次の機会にしよう。

 その後の苔石も、滑らないように注意しながら引き摺って行く。そりの代わりになるような板も見つからず、といって森は木々のせいで歩ける道すらない。

 小屋まではまだ遠いが、速度は遅くとも着実に一歩づつ進むようにする。

 ただ、遅々として物事が進まないと、余計な事を考えるもんだ。

 例えば、そう。

 …今、襲われたりしたら『老人と海』みたいになるかな? 船の上にいるでもないし、オレ自身もさらに危険という、嬉しくないおまけ付きで。

 オレの帰る先には、大きな獲物を見せる相手はいないが、この周囲にはワニも平気で食べる奴等も多いだろうし。いや、狼や熊が、ワニを喰うかどうかは知らんが。

 そんな考えは杞憂に終り、目印の棒が見えてきた。

 ワニは、そう広くもない柵の出入り口は何とか通ったが、持ち上げて運べてはいないので、苔に泥にと汚かった。小屋の中には、竈ギリギリで入りはしたが、床面積の役半分を占拠してしまっていた。

 そして、ここに来て思ったのだが、ワニは焼けば食えると思うが、解体ってどうすればいいんだろう?

 竈の火はすでに消えていた。

 オレは、ワニの死体と石のナイフを交互に見比べ、「どうすんべ?」と途方に暮れていた。

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『転変世界 エム・イー』 ~ゲーム実況をしていたハズが、なぜか異世界サバイバルが始まってた~ パクリーヌ四葉 @paku-yotsuba

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