人はそれを愛と呼ぶ
ゆうたん
確かな予感
「僕と一緒に、地獄に落ちてよ。君と見る地獄は、きっと美しい」
刹那的で美しいものに、人は焦がれる生き物かもしれない。生花を売って商売になるのも、人が小さな魚を飼っては愛するのも、すべて短いその一生に心惹かれるからなのだろう。
この世界――グリモワールには、魔法が存在する。
魔法は誰にでも扱えるものだが、生活の隣にありすぎたがために、その可能性に誰も気付けていなかった。魔法は生活に使うもの。洗濯や調理に使うものとして親しまれ、便利に活用されてきた。実用魔法書なんてどの家庭にもあって、それぞれの家に伝わる家業に関するちょっと便利な魔法、なんていうものすら存在した。
少年の犯した大罪は、そんな魔法に対する人間たちの認識を大きく変えるものだった。
人殺し。グリモワールではそう聞かない言葉だ。人々はみな陽気で穏やかであるから、隣人が亡くなるだけでもとても悲しむ。だから誰かを殺そうなんて事はおろか、家畜を食べることすら忌む人もいた。
そんな穏やかな日々は突然、終わりを告げた。
魔法による殺人。犯人は年若い男。人間たちは驚き慄き、その男を捕まえろと叫んだ。早く捕らえて殺せ、次の被害者が出るかもしれない。人々は魔法に初めて恐怖心を抱いた。どの家庭にもあった魔法書を燃やし、子供を真綿に包んで家に鍵をかけた。
各国にその話は驚くべき速さで伝わり、行政機関には人が押し寄せ、自分たちは安全なのかと問い詰める市民で溢れかえった。男は姿をくらましたという情報もすぐに広まり、人々は眠れぬ夜を過ごす。
魔法は便利で、私たちの生活に華を添えるもの。そんな風に隣にあったものが自分たちに突然牙をむいたと思っている人間たちは、なんと愚かなのだろうか。肉を焼く炎、野菜を切る風。見方を、考え方を変えてしまえばそんなものどうとでも使えてしまうのに。気づけなかった、気づかせるものがいなければ幸せに過ごせただろう生活を、一人の男がまさか一瞬のうちに壊してしまうだなんて、誰が思っていただろうか。
少年は秘匿されて生きてきた。両親がその才能を知った時に、その瞬間に隠されることは決まった。
両親のその判断は正しかった。少年は才を持ちすぎていた。この平和に満ちた世界に生まれ落ちるには純粋すぎて、その才能を知られることがあったら愛する子供は殺されてしまうと、母と父は危惧したのだ。
少年はまだ3つの時に、炎と風を使って火を大きくすることを学んだ。この世界ではあまりにも早すぎる成長の仕方だった。
この世界ではだいたい十の歳になると、親から魔法を教わって使い始める。親から教わって使い始めるそれを、少年は一人で、応用する形で使ってしまった。その炎は母親が大切に育てていた花を燃やしてしまった。母が悲しむ様を、子供は無感動に、硝子のような瞳でただじっと、静かに見ていた。
父親がその様子を見て、初めて我が子の異常さと純粋な心に気付いた。この世界で普通に育った子ならば、自分がしでかしてしまったことに、泣くのだ。それをこの子は、何も感じていないような素振りで見ている。
両親は我が子を人目につかぬように隠した。それが正しかったのか、もう今では分からない。両親は我が子を愛していたと同時に怖がっていた。知識を求める子に持てる知識を渡した。自分たちには分からないところにこの子はいるのだと、どこかで思っていたのだろう。会話がどんどん減っていった。無尽蔵に求める子に知識を渡し、人目から隠す心労に、母親は心を病んでしまい、次第に衰弱して少年が十と少しを越えるころには死んだ。父親も後を追うように首を吊ってしまった。
たくさんの知識を小さな部屋で享受し続けた少年は、何かを想う心を知らなかった。自分の知りたいことは望めば出てくる。焦がれるほど待つことや探すこともない。親を親として認識できていたのかすら、分からない。もう少年は親と呼べるものを持たないから。
少年の親が死んでしまってからちょうど一年が経った頃、彼は部屋にもう読む本が無いことに気が付いた。持ってくる人はもういなくなってしまったようだし、外に出てみようと、そう考えた。自分の覚えたものを少年は実物として見たことが無かったので、どんなものか見てみたいという純粋な好奇心もあった。
それが悲劇の始まりだった。
外に出て少し街というものを歩いた彼は、初めて見る世界に興味をそそられて、周りの人間をきちんと認識できていなかった。
その日は国のすべての人間が休みを取る日。週の終わり、人々は一週間でたまった疲れを癒し、大人は隣人たちと楽しく酒を飲み交わす日。でもそんなこと、少年は知らなかったのだ。なぜなら彼には今日が何の日なのかなど、知る必要もなかったから。彼のいた部屋にはカレンダーなどなかった。少年は日時という概念は知っていたが、自分にそれは必要ないとも知っていた。外に出る必要なんてあの人たちが居なくなるまでなかったから。
外を歩く少年は、酒を飲んで陽気になった男に絡まれた。少年には酒を飲むと人は酩酊するという知識だけはあったが、実際にそれを見たことはなかった。陽気な男は一人ぽつぽつと歩く少年を見つけ、一緒に楽しもうと誘うつもりであった。声をかけたのが、間違いだった。
少年は突然現れた邪魔なものに驚いた。驚いたと同時に、この人間がどんなものか、知りたくなったのだ。まず最初に、火をつけてみた。周りの人間たちが悲鳴を上げて後ずさる。人間が熱いと騒ぐので、水をかけてやった。男が静かになったので、少年は興味をなくして歩いて進むことにした。
「あ......あぁ......」
男は死んでしまっていた。周りの人間は皆、ただ見ていることしかできなかった。理解したくなかったのかもしれない。便利で生活に役立つはずの魔法は、自分たちにとって危険なものであったことに、ようやく気が付いた。
何百年も隣を歩いてきたはずの存在が恐ろしい化け物のように見えた、そんな気分であった。
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――僕は街から出て、外れの森を歩いていた。此処には五月蠅い人間たちもいない。さっき燃やしてしまった人間は、生きているのだろうか。死んでいようが生きていようが、もう会うことはないだろうからどうでもいいけれど。
きっと自分はあそこでは異端だ。周りの目が、それを物語っていた。人の目に晒されるのは初めてだったけれど、あの目が自分を怖がっていたことくらいならわかる。あの人たち、きっと親、と呼ぶべき人たちもあんな目をしていたから。知識を得る、ということはとても楽しかった。あの部屋から出る必要は、きっとあの人たちが居なくならなければなかったけれど、外に出てみるというのは思っていたよりも気分がいい。自分の目で物を見て回る、というのもいいかもしれない。
そうしよう。僕はこの命が尽きるまでに、世界の全てを知るのだ。
この少年でなければ到底考えつかないような、凡人には決してできないような果てしない夢であった。はたして神は、なぜこの少年をこの世界に産み落としたのか。なぜ魔法の才を与えたのか。それはこの旅の果てできっと、分かるのかもしれない。
旅に差し当たっての問題は、お金が僕にないことだ。部屋から出て家にあったのは、一握りのコインと腐ったパンだけ。これでは到底生きていくことができない。部屋にあった保存食糧は本を読む合間に食べてしまってもうほとんど残っていなかったから、僕はこれからどう飢えをしのぐかが目下の課題になる。
幸い知識だけはたくさん持っているので、食べられる植物がどれかは分かる。分布している大体の位置も分かる。だが体力がなかった。生まれてこの方部屋にこもっていた体には筋力も何もかもない。森で生きていくというのはとてもではないが無謀な話だろう。街で人を燃やしてしまったときに人々が驚きで動けなかったのはよかった。走って逃げる必要をなくしてくれたから。それにあの様子だと目の前で起こったことを理解するのに時間がかかる。僕の顔を覚えているかどうかも怪しい。
まずは他の街を目指そう。薬草や獣肉を売れば少しは足しになるはずだ。
少年の道は決まった。住んでいた街から一番近い街には、舗装された一本道がある。それをこの少年は歩いて進むことにした。きっと商売に出掛ける荷車が通るだろうから。
少年は1つ、間違いを犯した。人を殺してしまったこともそうだが、その影響を推し量ることができなかったことだ。男の起こした殺人は、人々を混乱に陥れ、王宮や役所に殺到した人々のせいで国の様々な機関の作業効率の低下を招いた。行政で働く人すらも困惑しているというのに、誰が商売などまともにできるのか。歴史に残るであるだろうこの出来事は、人々の生活を止めてしまった。
馬車がこの道を通らない。
――なぜ?少年はそう考えてから、ある1つの結論に辿り着いた。自分の殺人についてだ。もしかしたら、自分のやったことはそれなりに話題となっていて、商人たちは安全のために出てこないのではないか。
少年は外のことを知らなかったが、知識としてはきちんと理解していた。だからこの結論に至ることができたのであるし、こうなるまで気づけなかった。
何とかして街に辿り着かなければいけない。そうでなければ、世界の全てを見るどころか、旅の一歩目で野垂れ死ぬことになってしまう。それは困る。だが闇雲に動いても夜になれば視界は悪くなるし、気温が下がればそれだけ体力の消費も大きくなる。
少年はあることに気が付いた。そして驚愕した。
自分はなぜ魔法を使おうとしなかったのか。思った以上に、自分が外の世界に驚いていることに気が付いた。初めて外に出て最初の経験があまりにも鮮烈すぎて、自分は驚いていたのだろうか。
少年は、人間だった。
空を飛ぶ人間がいる。それは隣町の方角から来たらしい。
街を歩く人間がそう噂するのを女は聞いていた。魔法で人が死んだ出来事があってから三日目のことだった。各国は魔法について口を閉ざし、人々は魔法を使わなくなった。国のトップが口を閉ざしたのには何かただならぬ事情があると推測した人もいたが、結局は誰も知らぬところだ。ただ一つだけわかるのは、魔法が使いようによっては自分たちにとって有害なものになったということだけ。人は自分が気安く使っていたそれを恐れ、使わなくなっていた。
女はそれを不思議に思っていた。可能性とは素敵なものだ。自分の成長はまだ止まらないと証明できるものだから。なぜそれを忌み嫌うのか。女は同じように異端であった。ただ女が少年と違ったのは、外の世界ときちんと繋がりを持っていたことだった。変化を求め、可能性を見出す。知識を享受し、常に受け身で現状に満足していた少年とは違い、彼女は自分で人間がどういうものなのか、その可能性に、いずれ訪れるかもしれない変化に期待をしていた。女は少年に一番近い存在であり、一番遠い存在であった。
その子に会いたい。――女、ミアはそう思った。今まで普通の暮らしをするように心がけてきた。みんなと同じように、普通じゃないと思われないように生きてきた。その時が来るまで生きるには、自分は異端すぎて、怖がられ敵意を向けられるだろうから。でも、その暮らしが壊れてもいいから、その可能性の塊とも言えるような存在に会いたかった。今まで生きてきた中で、こんなにも自分の興味が向くことなどなかった。会いたい、というよりも会おう、という決心をした。自分がずっと待っていた変化の中心に会える不思議な革新を感じる。きっとこれは現実になる。
「情報が足りないわ」
少年は街の少し外側に降り立った。風の魔法を体に纏わせ、自分の体を浮かせて飛んできた。人目につかないようにしたつもりだが、まぁ見られて特段困ることなどないのであまり気にはしなかった。気にしたところでどうにかなるものでもないんだけれど。
「ここがルーラルか。規模としてはあまり大きくないが、日銭を稼ぐくらいなら問題ないはずだ」
少年は大きな門を見上げた。
人はそれを愛と呼ぶ ゆうたん @gyu_tan168
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