二章
危険な男 前編
昨日のユーリスの表情が、頭から離れなかった。寝ている間も繰り返し浮かんでは消えて、揺れた。
『……確かに、欲に溺れて
『……俺たちは、俺たちはそんなことしないっ!殺さないっ!』
冷静になって考えてみれば、どこか矛盾すら見えるこの言葉。でも、きっとどちらも本当のことなのだと思う。
人を殺したことはある。……でも、それは彼が望んでいることではない。過去に記された傷跡が、消えずに残っているのだと思う。
「まぁ、殺されたって恨まないけどね。……私は。」
人がいない部屋で、そっと呟く。全員が眠っている時間帯な上、カーテンを開けているせいで吸血鬼が入ってこないこの部屋は静かで、
怯えているばかりのあの男。鏡の奥へ来た人間が、誰一人戻っていないという矛盾。他の吸血鬼たちの、陰のある表情。
……嘘は吐いていない。でもきっと、吸血鬼たちは、私に何かを隠している。あれですべて吐いたとは、到底思えない。
「私にできること……あるかな……。」
呟きは、誰にも拾われずに、消える。ベッドに体を倒して、太陽の眩しさに目を眇めつつ、口を閉じる。
まだ、此処に来て時間が経っていない。私にできることなんて、きっと無いに等しい。逆転の発想で、これから私が皆を知っていくことだって当然出来るだろう。
でも、何か問題が起こる瞬間……それが、『近い未来』で起こってしまったら?『知らなかったから』で他人の面をしていけるほど、私は非情に成り切るつもりか?
分からない。分からないから、取り敢えず考えよう。何かが起こってしまったら、その時に動けばいい。無知蒙昧な子供だって、あやふやな正義感で動くのだから。
「アナリー。お時間よろしいですか?」
ドアの向こうから聞こえた男の声とノックに、私の意識は拾われた。いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
「はーい、どうぞ。」
カーテンを閉めようかと思ったけれど、もう外は暗く、城の中では話し声が聞こえている。しっかり眠った感覚はないから、かなり長い時間微睡んでいたみたいだ。
腕尽くではなく丁寧に、部屋のドアが開かれた。そこから、青い髪と桃色の虹彩を持つ長身の男が、微笑んだままの顔を出す。
「どしたの、スイレイ?」
A班所属の吸血鬼、スイレイ・クランナ。彼は、吸血鬼のリーダーであるユーリス・ビディの監視役をしていると言っていた。……実際、何をしているのかは知らないけど。
「お渡しするものがございましてね。ユーリスが作業を迅速に進めたおかげで、例年よりも早くお渡しすることが出来ます。」
スイレイはそう言いながら部屋に入ってくると、手に乗せていた小さな木箱を私に手渡した。軽い木箱に、私は首を傾げた。
「これなぁに?」
「着けてみてください。」
着ける……ということは、アクセサリーか何かか。見当がつかないけれど。
軽く力を入れると、カコッと小さな音を立てて、木箱が開いた。そしてその中には、緩衝材の中に埋め込まれた、二つのドロップピアスが入っていた。
「え……?」
驚愕で手が止まる。何かを口に出すこともできずに、身体が硬直する。
乳白色の雫型のビーズの上に、ライトパープルの丸いビーズが乗っかったデザインのピアス。一つ持ち上げると、微かに乳白色のティアドロップが躍って見えた。
スイレイに言われた通りに、自分の耳に着けてみる。硝子がぶつかり合う音が聴覚に触れた。
「ねぇ、これって一体どういう……は⁉」
スイレイの顔を見上げた時、私はより強い衝撃を受けた。
「視界が……鮮やかだわ……。」
この部屋は、暗闇の中だったはずだ。自分の手も他人の顔も、暗がりにぼんやりと浮かんでいる物だったのに。
それが今は、照明を受けているように色鮮やかだ。スイレイのシアンの髪色も、視界に入る私のローズレッドの長髪も、明るい日の下で見ているようにはっきりと分かった。
「ス、スイレイ!これは一体、どういうことっ⁉」
「落ち着いてください。」
落ち着けるかっ!今までずっと暗い中で生活してきて、吸血鬼が死ぬから明かりもつけられなくて、暗闇でうろうろしていた時間は何だったのよ!
さっきからずっと笑顔だったスイレイは笑みをより一層深めて、私をそっとベッドに座らせた。それから、私の目の前に跪くと、私の髪を前髪をそっと流した。
「鏡の奥で、薄暗い中に生きるのは容易ではありません。これは、俺たち吸血鬼からの贈り物です。ぜひ、受け取ってください。」
あまりに優しくて、温かい低音の声が、そっと私の名を呼んだ。桃色が光る猫目が優しく微笑むその様子は、私の驚愕を鎮火させてしまった。
着けたばかりのピアスを外して、再度手に乗せてみる。視界はまた暗くなったけれど、改めて見たピアスは落ち着いた色合いで、微かに光っている。
「……ありがとう。スイレイも、ユーリスも、きっと他の皆もよね。受け取るわ。」
綺麗に輝くピアスに、自然と笑みがこぼれた。白と紫。私の髪色や目の色に合うように、色を合わせてくれたのかもしれない。
自意識過剰かもしれないけれど、そう考えると、とても嬉しくなった。
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