殺さないっ! 前編
A班の扉を、三回ノックする。奥から「どーぞー」と、気の抜けるような少年声が聞こえた。
「……ユーリス?」
「いらっしゃーい、アナリー!」
A班所属の吸血鬼、ユーリス・ビディ。ゆるく天然パーマが掛かった金髪と、苺色の丸い瞳を持っている。幼さが見える柔らかな笑顔に、私は笑みを返した。
「他の三人は?」
「全員、今は出てるよ。人払いしたから。畑作業にでも行ってるんでしょ。」
……人払い?
「ユーリスは今、意図的に一人だったの?忙しかったなら、後でいいんだけど。」
ユーリスが一人だということは、リーダーのディロップ・ファロウもここにはいないということだ。タイミングが悪かったか。そう思って、私は身を翻し、ドアに手を掛けようとした。
「いいや?……君と二人きりになるためだから。アナリーが出ていく必要はないよ。」
私の声が途切れてから三拍ほど取ったあと、ユーリスが少し俯いて呟いた。それと同時に、手に電気が走ったように痛みが駆けて、私は咄嗟にドアノブから手を離した。
彼の姿を目に捉える。下を向いているから、顔を完全に見ることはできない。でも、彼の薄い唇が、にやりと歪められたことだけは、分かった。
その瞬間、私は忘れかけていたことを思い出した。
そうだ。私は、吸血鬼の『生け贄』。その名目で、此処に送られてきたのだ。
逃げた方が、いい?
……いや、逃げる必要なんてないか。そもそも、死を恐れながら此処に来たわけではないのだから。
寧ろ、死ぬ前に誰かの糧になれるのならと、淡い願いすら抱いていた。今更逃げる理由も必要も、無い。
覚悟は、既にできている。此処に来たあの日、レイネルに言った言葉を、噓にはしない。
私は、静かに目を閉じる。元の世界の両親や祖父、実の弟妹に義理の弟、そして、幼馴染。彼らを思い起こす。
……ごめんなさい。
生きたいと願えなくて。
「アナリー。」
吸血鬼ユーリス・ビディの声色は、想像よりもずっと優しかった。その声に、私は目を開ける。
切なく揺らぐ彼の瞳が、目の前にあった。どうにも、今から人を食い殺そうとしているようには見えない目の色だった。
「……こっちに、きて。怖がらせるつもりはないんだ。」
嘘をついている訳では無いと、嫌でも悟ってしまう。きっと、私が過去に向けられた“あの視線”と同じ光を、私の目は湛えている。
“どうして、強い人間が、奪う側の人間が、失う側の顔をするの?”
分かっているはずなのに。“奪う側の人間は、奪う物以上の物を失っている”と。
「……アナリー。」
再度、彼が私の名を呼ぶ。どうやら、この化け物は、私のことを私だと認識しているらしい。
私は、ゆっくりと、一歩一歩で地を壊すように踏みしめて、吸血鬼ユーリス・ビディの傍に向かった。
目の前の吸血鬼の死角になっているはずの、自分の背中に手を回す。そっと、スカートを留めるリボンに手を掛ける。
「……ユーリス。」
私が、彼の名を呼んだ。自分のマントを体に寄せるユーリスの手が、右手の指輪を煌めかせる。
そして、彼を不安にさせないように、最大限の配慮を込めて、言った。
「恨まないわ。だから、殺すなら素早くお願いね。」
ユーリスの目の色が変わった。顔が一気に引き攣り、彼の両手が一気に伸びてくる。
首を絞められると思った。
そんなことは、しなかった。
肩に置かれた両手が、ワンピースの上からでも分かるくらいに冷たい。怯えて手を握る余裕もなくなって、放心してしまった人の手だと思った。
「何……、今、なんて……?」
生気を失った
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