異端者

「おかえりなさい。」

 A班の扉を閉めると同時に、レイネルさんが私の近くへ寄ってきた。本当に近くで待っていたようで、涼やかな目をしながら体を柱に委ねていたのを見た。

「ただいま。」

「いかがでした?彼奴等は、貴女に粗相はいたしませんでしたか?」

「大丈夫よ……。」

 レイネルさんは、自分の仲間をなんだと思っているのだろうか。

「そうでしたか。」

 レイネルさんが「では、次のB班の元へ行きましょう」と歩き出した。

「……今回は、上手く行くかもしれませんね。」

 ぼそりと、レイネルさんが呟く。そっと彼の顔を覗いてみて、震駭しんがいした。

 だって、レイネルさんの表情……。


○○○○○○○○○○○○○


 鏡の奥に来て、一週間が経過した。何事もなく。……何事もなく。

 吸血鬼たちとはあの後、ほぼ全員と挨拶をした。でも、私に襲い掛かってくるわけでも無く、皆楽しそうに生活をしているだけだった。

 何もされない。てっきり、直ぐに殺されるものだと思っていたから、今のこの状況が怖い。

「アナリーさん、少しよろしいですか?」

「ええ。何?レイネル。」

 吸血鬼の異端者である証、白いマントを羽織った吸血鬼レイネル・ハルマが、私に声を掛けてきた。彼は外側にはねたスノーホワイトの髪、白いマントと服を持つ、真っ白な見た目の吸血鬼だ。コバルトブルーとスレートグレーのオッドアイが、私をしっかりと捉えている。

「申し訳ないのですが、今からA班で、リーダーに資料を渡してきて下さいませんか?今日は忙しいようなので、外に出てきたタイミングを見計らうことが難しくて。」

 レイネルは微苦笑を浮かべつつ、分厚い紙の束を手渡してきた。

 レイネル・ハルマは吸血鬼の異端者とされている。その理由は、吸血鬼と同じ体を持ちながら、血を吸わないかららしい。集団意識のせいなのか、他の吸血鬼からも排斥意識を持たれている。

 その上、リーダーが所属するA班には、他班の人をことごとく嫌うエリエ・マイゼルがいる。だから、レイネルは他の班、特にA班に近付けないのだ。

 吸血鬼のリーダーと思われるディロップ・ファロウは、不愛想で体がなぜか傷だらけ、アイボリーブラックの長髪をだらりと落として、鉛色の瞳にも光がない……と、見た目はかなり怖いけど、根はやさしい人。きっとディロップだけなら、彼がA班の部屋に入ることも構わないのではないかとも思うんだけど。

 きっと、子細を知らぬ新参者の私が、容易に口を出せるものではないのだろう。それくらいの頑是はある。

「分かったわ。任せて。」

「ありがとうございます。では、よろしく頼みます。」

 レイネルはそう言って微笑むと、仄暗い廊下に姿を消した。彼の肩で、マントを留めるための躑躅色の石でできた飾りがキラリと光った。

 躑躅色の石は、A班、B班、C班、D班、E班のどれにも当てはまっていない。彼は班に所属していないのだと、以前聞かされた。

 彼のための部屋はあるのかしら……?

 もう誰も見えなくなった廊下の遠い先を眺め、手渡された資料を手に持ったまま、私は暫くその場から動かなかった。


○○○○○○○○○○○○○


 目の前から、一人の吸血鬼が一定の歩幅で歩いてくる。私とは違う黒いマントを、鮮やかに光る水色の石で留めている吸血鬼が。

 赤褐色の髪を七三に分け、セレストの瞳を持っている、C班所属の吸血鬼。

 名を、ノリス・ウォルターという。

 私は、他の吸血鬼が道を通るときには、相手より先に、横に移動しなければならない。そして、相手が通り過ぎるまでじっと、他の吸血鬼に頭を下げ続ける。これは白いマントを背負った者としての義務だ。

 屈辱、以外の何物でもない。どうして私が、他の吸血鬼に頭を下げなければならないのだろう。どうして、礼儀を強制されているのだろう。と、瞋恚しんいにも諦念にも近い感情が、いつも脳裏に過ぎる。

 けれど、私は、彼に対してはそんなことをしない。一応会釈はしてやるが、他の吸血鬼にするようなことは、しない。

 ノリスは、私に向かって無言で微笑む。この男は商魂逞しく、計算高い。今も、腹の奥で何を考えているか分からない。

 それでも、私はノリスに頭を下げることはしない。

 ちらりと彼の手を一瞥する。儲け話でも出たのか、右手にも左手にも、ペンを持った跡や黒のインクが残っている。

 けれど……。

指輪なし能無し、か。」

 自分よりも低いと分かる、こいつのことだけは、私は表面を飾り付けて慕うことをしない。

「……レイネル?」

 私の名を呼ぶノリスを無視する。そして、自分にも価値はあるのだと確かめるように、自分の右手の中指に嵌められた、炎を模った水色の指輪に触れた。

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