A班の扉
「ここが、リーダーがいる班、A班です。……リーダーでなくとも、ここには実力のある者が集められている。」
レイネルさんは、私を試すような微笑みを宿すと、木目がよく見えるドア(内側は砂以外の物が使われている)をノックした。Aと書かれたドアプレートには、
「A班の皆様、レイネルです。約束通り、お連れしました。」
彼が、ドアに向かって一言、声を張る。
それは、心を閉ざしたような微雪の夜半を連想させる響きの声だった。自分を必死に守るような、そんな響きの声だった。
「入れろ。ただ、レイネル。お前は入ってくるなよ。」
微かに聞こえた溜息と共に、レイネルさんの心にも引けを取らない、冬場の
声を発した張本人は、レイネルさんをよく思っていないのだろう。己に滾る嫌悪感を、隠すつもりすらないらしい。
レイネルさんは、音を立てずに、ドアに額を当てる。切なげな子細顔で、そっと目を閉じる。
「……はい。勿論、分かっています。」
柔い返事の声が、微かに苦衷を滲ませる。彼の粉雪のような髪がだらりと落ちた。しかし、物憂げな顔をしていた彼だけど、慎重に体を起こしてドアから離れたのち、直ぐにパッと平面的な笑みに戻ってしまった。
「……さて、挨拶が済んだら、また出てきてください。今日は誰も、貴女に牙を向けません。」
信用ならない台詞だな。
じとりと彼を睨んでみる。けれど、レイネルさんは安定のニコニコ顔で、いかにも重そうな扉を開いた。
「私は、此処におりますので。」
レイネルさんは、躊躇う私の背中を、躊躇なく押した。
○○○○○○○○○○○○○
身体が跳ねるほどに大きな音を立てて、ドアが閉まった。そっと、閉じてしまっていた目を開ける。
漆黒の壁で覆われたその部屋にいたのは、四人の青年だった。レイネルさんと違い、マントやズボンが黒い。マントを留めている飾りに嵌っている石は、ドアプレートにある物と同じ赤色だった。
「へぇ、此処に来ても泣かない奴は久々だな。」
「最近はずっと、目の前で大泣きされて終わりだったからねー。」
「それは、貴方が高圧的に接するからでしょう、エリエ?」
「……急いていて忘れがちだが、安心させるのもわたしたちの仕事だ。」
感じたことのない光を湛えた八つの目が、私をその瞳の奥に引き込むつもりであるかのように凝視してくる。
「あの……、私はどうすれば……?」
私の声に、一人の吸血鬼が反応し、好奇心が垣間見える笑顔を浮かべた。声からして、この吸血鬼が、先程レイネルさんに『入ってくるなよ』と言った吸血鬼だろう。
艶がある濡れ羽色の短髪にクリーム色の目。右目の下には黒子があって、笑いつつも不機嫌そうな眼をしている。マントの下のベストは髪の色と同じ黒で、彼は体中どこを見ても、マントを留める石と瞳以外に、有彩色は見当たらなかった。
「お前が、アナリー・メルテだな?」
「そ、そうだけど。」
なんだ。何の確認だ。注文通りの
いつ何が起こってもいいように身構えると、黒髪の吸血鬼は、私の近くにあった絢爛豪華な椅子に腰を下ろした。
「ふーん。美人な奴が来やがったな。……こういう奴こそ、ぐちゃぐちゃにしてやりたくなんだよ。」
背凭れに腕を乗せ、私の頬に手を伸ばし、そう言った。
……なんだ、この程度で、この私が怖気づくとでも思っているのかしら?この私が?
「ふざけないでよ。なんで私が、貴方なんかに乱されなきゃならないのよ。」
目の前の吸血鬼の手を腕尽くで払う。それから、触れられた部分をわざとらしく拭ってやった。
……これで、少しは牽制になったかしら。本気で殺しにかかってきたら、もうどうしようもないから諦めるけど。
目の前の吸血鬼は、手を払った時の力の強さに驚いたらしい。私は見た目はそれなりに華奢なので、よくか弱いと思われる。彼もどうやら、そう思ったようだ。他の三人も、私の態度に少し驚いているように見える。
「
「面白くない。」
再度私が言い返すと、目の前の黒髪吸血鬼は堪え切れないというように、声を上げて笑いだした。それから椅子を蹴って立ち上がり、「悪かったよ」と言いながら私の横へ歩いて、自分の体の前に来ていた黒いマントを、音を立てて後ろに払った。
その動作は、いやに優美だった。見ていたら吸い込まれそうなクリーム色の瞳の光が、優しいものへと変わった気がした。
マントを払った右手には、紫色の蝙蝠の飾りがついているインデックスリングが嵌められていた。その紫がキラリと輝き、三つ目の有彩色が存在感を放った。
「オレはエリエ・マイゼル。見たらわかるだろうが、此処A班の吸血鬼だ。よろしくな。」
黒髪吸血鬼エリエさんは、その指輪を嵌めた右手を胸に当て、私に言った。
彼はどうやら、悪い人ではないようだ。
「珍しいですね、エリエが俺たち以外を受け入れるとは。驚きです。」
私から離れたベッドに腰かけていた、背の高い吸血鬼が、声を発した。レイネルさんと同様に、この吸血鬼も敬語を使うタイプの様だ。
短いシアンの髪を持つ吸血鬼。顔の横だけ髪が僅かに長い。瞳は桃色で、優しそうな笑みの中に少々、結氷した湖水のような冷たさが混じっている。そして、ベストは髪と同色の青。マントとズボンは黒だ。
「……珍しいって、どういうこと?」
「エリエは基本、他人を嫌いますからね。A班メンバー以外に心を許したことは無い。今まで此処に来た贄の人達のことも、誰一人として好いたことはありませんから。」
……極度の人見知りなのか、ただ疑り深いだけなのか。
「なるほど。で?そこの、青い髪の貴方は?」
青髪吸血鬼に視線を向けると、彼は楽しそうに微笑んだ。彼が頬をかいた左手の小指には、ピンキーリングには到底相応しくない、ごてごてした指輪が嵌めてあった。何のモチーフなのかは遠目では見えないけれど、黄色の石が嵌め込まれていることは分かった。
「俺ですか。俺はスイレイ・クランナです。俺は主に、ユーリスの監視役をしています。」
笑顔のままの言葉に、私は首をひねる。
「ユーリス?」
「俺のことだよ!」
微笑みを浮かべるスイレイさんの横から、少年のような声が言った。その声の主は、苺色の丸い目をらんらんと輝かせた天然パーマがかかった金髪の吸血鬼だった。身長はスイレイさんと大差ないけれど、雰囲気は幼い。動作がいちいち大きいせいだろうか。
「俺が、ユーリス・ビディ!アナリー、よろしく!」
小走りに私の近くへやってきて手を握り、激しく腕を振る。ダイナミックな握手に、腕が痛みを訴えてきた。握られた手を見てみると、ユーリスさんの左手の中指には、シンプルに無色透明の石が嵌め込まれただけのシルバーリングが嵌められていた。
「ユーリス、やめて下さい。」
スイレイさんが、ユーリスさんを私から引き離す。そしてそのまま両手で、ユーリスさんの顔をサンドした。
「ユーリスは暴走屋なんですよ。だから俺がこうして監視をしているんです。」
「スイレイ、顔こえーぞ。」
スイレイさんが、より一層笑みを深める。でも、エリエさんが言うように、きっとその笑顔、安全な笑顔じゃない。
「
手の中の人、だいぶ怒ってますけどね。大丈夫そう?
何をどうすればいいのか分からず、私は棒立ち状態になってしまった。適当に目線を動かしていると、アイボリーブラックの長髪を持つ、何故か腕も顔も傷だらけの吸血鬼と目が合った。
鉛色の目は光が入っていなくて、この四人の中で唯一、重い雰囲気を纏っている吸血鬼。無言のまま、無表情のまま、私と目を逸らさない。
傷だらけの吸血鬼は、小さく溜息を吐く。それから、仲良く騒ぐ三人に向かって声を上げた。
「……お前等、普段通りに過ごしているが、仮にも来客中であるということを忘れるな。……泣かず、逃げ出さない貴重な人だ。……下手に動いて、また恐れられたらどうする。」
どろりと重く、低い声。地の底を這うような響きに、他の三人も固まる。
……この人が、リーダーか。いかにも雰囲気が違う。
彼は私の前へとゆっくり歩いてきて、一度頭を下げた。
「……済まない。……驚いただろうが、気にしないでやってくれ。……わたしはディロップ・ファロウ。……此奴等と同じく、A班に所属している吸血鬼の一人だ。」
礼儀正しいのか、馬鹿に実直なのか。笑うこともせず、彼は言った。私は、ディロップさんの言葉に頷いた。
「……今日は顔合わせで終えると、レイネルに聞いている。……わたし達も、貴女をこれで帰すつもりだ。」
強面だけど、良い人。此処には、想像していたような極悪人はいないのかもしれない。右手の小指に嵌められた、紫色の星モチーフの指輪も、彼の慈悲を表すように光った。
「もう、他の班は回った?他の奴らも結構賑やかでしょう?」
ユーリスさんが、明るく聞いてきた。私は、横に首を振る。
「いいえ、他のところにはまだ行っていないの。此処が初めてよ。それにしても、清潔感があって、素敵な部屋ね。」
……血しぶきとか飛んでると思っていたわ。
吸血鬼は光に弱いからなのか、
紫色をベースにしたベッドが四つ並んでいて、その隣には小さな木製の丸テーブルがある。それぞれの私物を置いているらしく、載っている物は四人の趣味なのか、植物やランプ、置物などがあった。
「此処は、俺たち専用の部屋だからね、自由に過ごしているんだ。広げれば天蓋だって使えるし。……あ、あと、俺たちのことは呼び捨てで良いよ。俺もアナリーって呼ぶし。」
マントを留めている赤い石がキラリと光る。フッと柔らかく微笑んで、ユーリスはベッドに腰を下ろした。
「あまり警戒はしないでくれ。……ま、無理な話だと思うけど。」
「お気をつけて。他の者達のことも、少しずつでもいいので、知っていただけたら幸いです。」
エリエ、スイレイも、声を重ねてきた。ディロップは、私に向かって頷く。
「__叶うことならば、いや……。……何でもない。」
言いたいことがあるのなら、皆まで言え。
四人の表情に、警戒が滲んでいるのが分かった。その理由なんて分からないけれど。
「じゃあ、ありがとう。また。」
一抹の不安を抱きつつ、私はA班の部屋を後にした。
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