線香花火

線香花火があまり好きじゃない。

火の玉が落ちる瞬間に私はいつも「死」を想像してしまうから。

ぽとり、とあっけなく落ちる線香花火のように、私もあっけなくこの世を去っていくのだろうかと思ってしまう。


大学生の時に付き合っていた彼氏にそんなことを言ったら「暗い」と言われた記憶がある。

「せっかく楽しんでるんだからさ」みたいなことも言われたような気がする。

だから、このことは人には話さないようにしようと決めた。


38度を超える猛暑が続き、連日熱中症警戒アラートが出されている。

「昔はもっと涼しかったのにな」

「異常だ」

とこっちへ帰って来たときから、父は毎日同じようなことを言っている。


「お前が住んどるところはちったぁ涼しかろう」

クーラーのガンガン効いた居間に寝転がりながら父が言う。

「そんなことないって。私の住んでいるところも普通に暑いよ」

むしろ山奥にある実家の方が住んでいるアパートよりもはるかに涼しい。


私は就職と同時に山奥にある福岡の実家を離れ、東京の会社に就職した。

勤め始めてもう6年になるが、仕事が楽しいと思ったことは一度もない。


「ごめんくださーい」

玄関から声が聞こえる。

まったく田舎の人はチャイムを鳴らさないのはなぜなのか。

当たり前のように玄関は開いているのだから、都会の人は驚くだろう。


「はーい」と返事をして、玄関へと向かう。

いつもなら母が対応してくれるのだが、近所の人のところになんとかの用があるとかで30分前に出ていったっきりだ。

十中八九話し込んでいるに違いない。

玄関へと行くと、懐かしい顔があった。


「お、奈々!帰ってきてたん?」

「……洋くん、久しぶり」

「おう、久しぶり!どんくらいぶり?」

「昨年のお正月ぶりじゃない?」

「だよな!なんか、すっげぇ久々な気がする」


隣に住む同じ年の洋くん――たちばな洋一よういち――とは、小さい頃よく遊んでいた。

お互い、小学生になる頃には同性と遊ぶようになっていたので、自然と遊んだりはしなくなったのだけれど、顔を合わせれば会話したりはしていた。

中学生になると洋くんは野球部に入り、毎日朝早くから夜遅くまで練習漬けの日々を送っていたようで、顔を合わせることすらなくなっていった。

だけど、社会人になってから実家に帰ってくると、よく洋くんに会うようになった。


「これ、親父の会社の人にぶどうとか梨とかたくさんもらったからおすそ分け」

「あ、それはどうも。ありがとうございます」

洋くんの持っていた袋を受け取ると、ずっしりと重かった。

ちらりと盗み見た腕は、こんがりと焼けて相変わらず筋肉質だ。

「いつまでこっちおると?」

「お盆の最終日には帰るから、あと4日はこっちにいるよ」

「ふーん」

「じゃあ、これ、ありがたくいただくね」

と締めの言葉のつもりで言ったから、おう、じゃあなで終わると思っていたのに、洋くんは「あのさ」と続けた。

「今日の夜、時間ある?」

「なんで?」

「姪っ子たち来てて、今晩花火する予定なんだけど、良かったら来ない?親父たちが張り切って花火準備してるうえに、さらに知り合いから花火もらって、今、うちに大量に花火があってさ。消費しきれないっつーか」

「そっかぁ……」


正直、花火はあまりしたくはない。

脳裏に大学生の時、彼氏とした花火が蘇る。

「……いや、私は」

「おぉ!洋一!来とったんか!」

突然、後ろから父のでかい声がしてびくっと体が跳ねる。

「もー、お父さん。急に大きな声出して現れんでよ。びっくりする。あ、これ、ぶどうと梨。おすそわけだって」

「いつも悪いな。秀光によろしく言うとってくれ」

「分かった」

に、と歯を見せて洋くんが笑う。

あの頃と変わらない笑い方。

未だにこんなに爽やかに笑われると、本当にこの人、私と同じ30代かと疑いたくなる。

「あ、おっちゃん、今日の夜、うちの家で花火するんやけど、奈々も一緒にいいよね?」

「おー、連れてけ連れてけ。こっちん帰って来てずっと家の中に籠りきりやけんな。外に出た方がええ」

「はぁ?」

断ろうと思ってたのに、なにを勝手に約束しちゃってんのよ。

「おっけー!じゃ、奈々、またあとで」

「え、ちょっ」

私本人の意志は無視なのか。

何も言う間もなく、玄関の扉が閉まった。


日が沈んでしまうと、暑さもだいぶマシになる。

山の夜はどっぷりと暗い。

見上げたら、無数の星たちが瞬いていた。

子どものころは当たり前に見ていたこの星空も、今はこんなに綺麗だったっけという感覚で見つめている。

「奈々!ありがとな、花火付き合ってくれて」

「うん」

洋くんの家は目と鼻の先なのに、洋くんはわざわざうちの玄関まで迎えに来てくれていた。


しゅー、ぱちぱちぱち。

緑や赤や、黄色の眩しい光が子どもたちのはしゃぎ声と共に暗い夜を照らしだす。

洋くんはまだ小学生になっていない姪っ子の花火を一緒に火をつけてあげたり、打ち上げ花火の着火係を引き受けたり、大いに「良い叔父さん」をやっていた。

私にまで「はい、どうぞ。これ、めっちゃ綺麗だったよ」なんて花火を渡してくるんだから、本当に気が利くというか、テキパキしてるというか。

花火に照らし出された洋くんの横顔を見つめながら、きゅん、と胸が切なく痛む。


初恋、だったんだよね。


洋くんは私の初恋の人だった。

でも、洋くんは昔からモテてたから、私は気持ちを伝えないまま、自然と洋くんへの恋心は薄れていった。


「せんこうはなびやろぉ!」

洋くんの姪っ子が響く。

あっという間に花火は、残すところ線香花火だけになっていた。


「じゃあ、線香花火だけなら、あとはみんなで楽しんで」

隣にいた洋くんに小声で言って、帰ろうとしたら、ぱっと手を掴まれた。

「せっかくだし、最後までやってけよ。ほら、二本!アイツらにとられないうちに、確保しといた。一緒にやろうぜ」

「え、でも、姪っ子ちゃんたちは?」

「向こうでやってる。誰が一番最後まで落とさないでいられるか勝負なんだって」

少し離れたところに洋くんのお姉さん夫婦と姪っ子ちゃんの姿があった。

「ほい」

と洋くんが目の前に差し出すので、思わず受け取ってしまった。


「俺さ、線香花火ってなんか悲しくて、絶対にひとりじゃやれないんだよね」

「え、そうなの?」

うん、と頷いた洋くんは少し照れているような気がしたけど、暗くてあまり見えなかった。

「……実は私も。線香花火って死を連想しちゃうからあまり好きじゃない」

思わずそう口にしてしまったけれど、洋くんは何も言ってくれなかった。

やっぱり、言わない方がよかった。

言わないって決めたのに、思わず言ってしまった。

ぱちぱちぱち、と線香花火の爆ぜる音が聞こえる。

ほら、あの頃と、同じようないたたまれない空気に――。


「それ、俺も分かるかも」

線香花火が激しく咲き始めたところで、洋くんがぽそっと言った。

「そう、死、だよな。俺は線香花火の落ちる瞬間見てたら、なぜかいつも野球部を引退した時のことを思い出しちゃってさ。今、奈々に死って言葉を言われて、そうか、もしかして、俺は野球部を引退した時に死んだのかもなって思った。

死っていうと言いすぎかもしんないけど。なんていうの、うまく言えんけど、こう、生きてる!って感覚が薄れたっていうかさ」

「……洋くん、野球すごく頑張ってたもんね」

「うん。俺にとって野球は生きがいだったから」

ぱちぱち、と爆ぜる音が弱くなっていく。


私が線香花火が落ちる瞬間に連想した「死」はこの世を去る瞬間のこと。

だけど、洋くんにとっては野球を辞めたことが「死」みたいなものだったんだ。

洋くんにとって、この世を生きていたときの感覚って野球をしていた時なんだな。

――じゃあ、私は。

私はいったいつを生きているのだろう。


ぽん、とこの世に生まれた瞬間から、命の火が燃え始めて、いつかぽとんと落ちる、そんな風に思っていた。


部活も恋愛も勉強も、なにも、一生懸命頑張ったと言えるものがない。


ぽとん、私の線香花火の火の玉が落ちる。


「奈々、一緒に持ってよ。もう、そろそろ俺のも落ちちゃいそうだからさ」


私は線香花火の玉が落ちないようにそっと洋くんの骨ばった手に自分の手を重ねた。

ぱちぱちと線香花火が激しく花を咲かせる。


「確かに、線香花火が落ちる瞬間って死を連想するかもしれないけどさ、でも俺たちは今この世を生きている。さっきは野球部を引退して死んだのかもって言ったけどさ、俺たちは今まさに生きている状態なんだよ。この線香花火みたいに、ぱちぱちと燃えてる瞬間なんだよ」


洋くんの持っている線香花火が小さな花になって、火の玉が小さくなっていく。


「だからいつか落ちるその瞬間までは、隣の人と綺麗だねって言い合えたらいいんじゃないかな」


ふたりで持っている線香花火がぽとりと落ちる。

でも、今までみたいに悲しくはない。


来るときに見上げた星空は、輝きを増しているような気がした。


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夏を盛り上げる短編集 ゆうり @sawakowasako

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