最終話「かつて地球だったこの星で」
すぐさま、旧人類の兵士たちはベッドへ運ばれた。
街を
全員の検診と注射をしてくれたのは、とても意外な人物だった。
「で、少年。やっぱり行くのかい?」
燃え盛る巨大な炎の前で、
荷物の整理をしていたイチエは、静かに頷き立ち上がった。
「ええ、行きますよ。まあ、何とかなるかなって」
「うんうん、大いに結構!
「茶化さないでくださいよ、
「ああ、その名前で呼ばないように。周りのエルフやドワーフに聴こえてしまうだろう?」
声を潜めつつ、種神様はクイと眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
そう、種神様だ。擦り切れた白衣を
星を捨てた同胞を見限り、捨て返した人らしい。
「名前はそうさな、忘れた……うん、私のことは先生と呼んでくれたまえ」
「はあ。先生ですか」
「6000年かけて、ここまでやってきたんだよ。でも、君を見ているとね、少年……本当に人間というものがわからなくなる」
夜更けの風に髪を洗いながら、先生は遠くの
もうすぐ夜が明ける。
紫色に縁どられた山野からは、まだまだ冷たい風が吹き下ろしていた。
長い長い夜だった。
この一晩で、イチエは随分色々と知った気がする。
たった数日の旅が、イチエを今も突き動かしていた。
「見たまえ、少年。私の築いた世界を。ここに住む新たな世代の人類を」
今、巨大なかがり火へと銃が投げ込まれている。
ヒャクリたち兵士が持っていた銃だ。
よく見ればハカセもいて、未練がましく軍用ライフルを撫でていたが、結局炎の中にくべてしまった。未来の合金でできた、最先端の武器が燃える。
ゆっくりと溶けて、真っ赤な金属の
その光景を見て、イチエはなんともなしに呟いた。
「僕たち、古い人類だったら……ああいう風にできますかね」
「無理だね。旧人類は、自分が手にした利器も利益も,絶対に手放せない。欲が乾いてしまうからね。そういう生物なんだよ、旧人類は」
「全員が全員、そうじゃないと思いますけどね」
「少年、君ならそうだろうね。あそこにいる人たちと共に歩む資格がある、そう思う」
「逆に先生は、絶体手放さないかも?」
「言うね、少年」
先生ももう、長く孤独な神様生活でわかった
やがて今のエルフやドワーフたちも、火を多用するようになり、製鉄技術が開発されるだろう。化石燃料の存在にも気付き、やがて科学的な近代文明の扉を開く。
誰でもわかることだ。
知的生命体にとって、文明の進歩は本能のようなものである。
さながら、大自然の
「じゃ、僕は行きます。先生はどうするんですか?」
「んー、とりあえずまた遺跡の奥にでも引っ込むかな。こんな身体じゃ、どこにも居場所はなさそうだしね」
先生はそう言って、ちらりと白衣をめくって見せる。
彼女は白衣の下に、何も着ていなかった。
さりとて、白い
そこには、金属の
先生は数千年規模の大事業のために、機械の身体に自分を置き換えたのだった。
「さ、少年。行きたまえよ。この近くだと、千葉や福島の方にもシェルターがある」
「やっぱり先生、ワクチンを開発したシェルターの話は」
「わからない! ……私が解析して量産してもいいんだけど?」
イチエは再び今、旅立つ。
例のワクチンを開発し、セントラル・シェルターに送ってくれた施設がどこかにある筈だ。そこへ行けば、更に多くのワクチンを得られるかもしれない。再び造り出して、眠っている人類全員分を用意することだって可能かもしれないのだ。
勿論、目の前の天才科学者に頼るのが近道だとも知っている。
「もう神様みたいなのには頼れませんよ、人は。だから、僕の手でやるんです」
「うーん、残念だね。まあ、私の造った世界にまた人類がうろうろし始めるのは、ちょっと嫌だし」
「僕が眠ってるビョーマたちを……同胞を覚醒させて、ワクチンを打ったら?」
「そりゃ君、戦争だよ! ……嘘、嘘、冗談。なにもしないよ。神様はそろそろ、なにもできない時代になりつつあるからね」
それだけ言うと、先生は去っていった。
誰にも会わず言葉も交わさず、きっとまた遺跡の奥に帰るのだろう。
そして恐らくもう、二度と誰の前にも現れない。
そうすることで、種神様の神話と信仰は完成されるのだから。
そんなことを考えていたら、不意に背後で声がした。
「イチエさんっ! 車の用意、できました。いつでも出発できます」
振り返ると、そこにいつもの笑顔がある。
修理を終えたイチゴが、いつもと変わらぬ姿で立っていた。
「もういいの? 身体の調子は」
「はいっ! 姉妹たちの残してくれたパーツが役に立ちました」
「そっか」
そっと歩み寄って、イチゴの
ハッとしたように目を丸くして、イチゴはその手に手を重ねて頷いた。
瞬間、彼女の頭の花が二つ三つと突然増えて咲く。
花の冠を被ったまま、イチゴは頬を赤らめ
「こ、これはですね、そのぉ……嬉しくなると咲いちゃうみたいなんです」
「先生が言ってたけど、全身あちこちに根を張ってるんだって?」
「はい。でも、不自由はなくて、むしろ温かくて。わたしの中は熱源が多いから、植物の方も都合がいいみたいです」
全身で太陽光を浴びて、そのエネルギーを使ってイチゴは動いている。その中にいる無数の植物にとっては、光合成に困らない安全な環境なのだろう。
それに、植物が持つ微弱な電流が、イチゴのAIと奇妙なコラボレーションを果たしている。彼女のロボットらしからぬ感情や情緒は、どうやらそこからくるようだった。
「改めて聞くけど、イチゴ。一緒に来てくれるかな。その、楽な旅じゃなさそうだけど」
「はいっ! 護衛はわたしにお任せくださいっ! きっと、ずっと、御一緒します」
「じゃあ、行こうか」
そっとイチゴの頬から手を放す。
手と手を繋いで、並んで進むために。
こうしてイチエは、再び旅の人となった。
そして、旅路の果てにきっと新たな世界が見つかるだろう。
古き人類を忘れて生まれ直した惑星、かつて地球だったこの星で。
かつて地球だったこの星で ながやん @nagamono
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