Ⅶ 職人の意地

「──まだ追手はかかってねえ! 思いの他にうまくいった!」


「ハハハ…! エルドラニア軍も警備が甘々だぜ!」


 まんまとアルゴナウタイ号を造船所から奪取したドミニコアの一味は、いまだ逃走の真っ最中ではあるものの、すでに勝利を確信していた。


「一番高く買ってくれそうなのは、やっぱり敵国のフランクルだろうな! ま、同じく敵対するアングラントへ持ってってもいいが、ここからだとだいぶ遠い!」


「まあ、そんな急ぐこたあねえ! 各国に話持ちかけて、一番イイ値をつけたところへくれてやりゃあいい!」


 ロマーノとティアゴが高笑いをする傍ら、ブリアンと頭のドミニコアはそれぞれのヤットスリップの上で大声を張り上げながら、早くもなんとかの皮算用を始めている。


「これが売れれば、今度こそバカンスだね! ファン、あんたはどこ行く!?」


「そうだな……久々に故郷の辰国にでも帰ってみるのかな!」


 また、レティアとファン・ルォも完全に油断しきり、獲物を売って得た大金の使い方で盛り上がりを見せている。


 だが、そうして逃走途中にも関わらず、ドミニコアの一味が安心しきっている時のことだった……。


「── アイエテスの牛! 発射ぁーっ!」


 突然、ボンッ…! と爆発音が響いたかと思うと、背後が妙に明るく、熱を帯びた橙色オレンジの光に包まれる。


「……ん? うわあぁっ! ひ、火だあぁぁーっ!」


 怪訝に思い、一味の者達が振り返ってみれば、そこには巨大な炎が夜の波の上に、轟々と唸り声を上げて燃え盛っていたのである。


「…なっ……この船、生きてやがった! クソっ! ロープが切れた! このままだと丸焦げだぞ! 全員、待避だぁーっ!」


 その炎が燃え移り、アルゴナウタイ号を牽引していたロープはすべてプツリと焼き切れてしまう……それを見て、帆や船体までが燃やされる前にと、すぐさまドミニコアは檄を飛ばす。


 それは、アルゴナス達によって放たれた船首に装備する特殊兵装、〝アイエテスの牛〟が吐き出す紅蓮の火柱であった。


 偶然にも乗り合わせていたアルゴナス達船大工が、賊から船を奪い返すための行動をついに開始したのである……。


「ちきしょう! 乗ってるヤツがいたみたいだ! どうする!? 船が生きてりゃ勝ち目はないぞ? 今回は諦めて退散するか!?」


 四方に散開し、船首正面の火砲の射線軸からはなんとか逃れると、ブリアンが大声でドミニコアに尋ねる。


「エルドラニアの野郎、生意気にも居留守なんか使いやがって……ああ、確かに分が悪すぎるな。悔しいがここは逃げるにこしたこたねぇ……いや、待て! みんな、あれを見ろ!」


 ブリアンの言葉に、一旦は強奪を諦めるドミニコアであったが、改めてアルゴナウタイ号に目を向けた彼は、その考えを排除してフォア・マストの方を指さす。


 その指先を追い、皆もそのマストを見上げてみると、たたまれていた横帆スクエア・セイルは下されているものの、いまだ索具(※ロープ)で張られてはおらず、風も孕まずヒラヒラと無駄になびいているだけだ。


 また、メインマストの横帆も、最後尾にあるミズンマストの三角帆ラテンセイルもまだ下されてはおらず、これでは到底、自力で航行はできないであろう。


 牽引するロープを焼き切り、すでに自由の身であるはずなのに、明らかに次の動きがもたついている……。


「まだ帆も張れてねえってことは、乗船してるヤツがわずかだってことだ! だったらやれるぞ! レティアとファンは俺と左舷から! ブリアン、ロマーノ、ティアゴは右舷から取り付け! 乗り込みゃこっちのもんだ!」


 その点を見切ったドミニコアは、すぐさま仲間達に命じて隊を二手に分け、両舷からアルゴナウタイ号へ乗り込もうとする……白兵戦で強引に船を乗っ取るつもりだ。


「了解だ! 右は引き受けた!」


「おーし! 久々にいっちょ暴れてやるぜ!」


 ドミニコアの意図を理解し、仲間達も間髪入れずに指示通りヤットスリップを左右に走らせる。


……だが、じつはその操船のもたつきも、すべてはそうなることを読んだアルゴナスの作戦だった。


 船を操るのに人員の数が不充分であることは確かであったが、フォア・マストの帆だけを下ろしたのはむしろわざとである。


 中途半端に帆を下ろしたまま操船を放棄した職人達は、その代わりに上甲板を一層下へと潜ると、一段目の砲列甲板を左・右両舷に分かれ、各々カノン砲の発射準備に取り掛かっていたのだ。


「よし! かかったぞ! クマーノ、ハチーロ、ヨターロ! 準備はいいか!?」


「へい! 準備万端でさあ!」


 一人、様子見のために上甲板へ残ったドミニコアは、梯子口から下の砲列甲板を覗き込み、いつもの仕事をしてる時同様に職人達の進捗状況を確かめる。


「ヤジーロ、キターサ、ヤドローク! そっちはどうだ!?」


「こっちもいつでも撃てやす!」


 アルゴナスの問いかけに、火薬と砲弾を素早く詰め終えた職人達は、威勢よく大声で上に向かって返事を返す。


「よーし! どうせ試射のために準備してた弾薬だ。思いっきりお見舞いしてやれ! ただし、まだ撃つなよ? 充分惹きつけてからだ!」


 そうして砲撃準備が整ったことを確認すると、アルゴナスは職人達を鼓舞しつつも、冷静に待機を命じる……。


「──おーし! 鉤縄を投げろ! 一斉に乗り込んで一気に制圧するぞ!」


 一方、その間にもヤットを三艘づつ二手に分けていたドミニコアの一味は、左右それぞれに弦側へと取り付き、船縁に縄をかけてよじ登ろうとしていた。


「よし! 今だっ! 全門発射ぁぁぁーっ!」


 が、その瞬間、アルゴナスの咆哮が砲列甲板に響き渡る……。


 と同時に、職人達は手にした蝋燭で導火線代わりの火口の羽根に次々と火を着けて回り、左右両舷、すべての第一砲列甲板に並ぶカノン砲が、ドォォォーン…! と雷鳴が如き轟音を夜の海に轟かせた。


「……!? うぎぁぁぁぁーっ…!」


 刹那、断末魔の叫び声ととともに、六艘のヤットスリップは木っ端微塵に吹き飛ばされる……超近距離からのカノン砲の直撃を数発同時に受けたのだ。


「……よーし! 賊の舟はすべて撃沈した! 船は守られたぞ!」


 上甲板を左右忙しなく往来し、水面に揺蕩たゆた小舟ボートの残骸を確認したアルゴナスは、階下の職人達にその勝利を伝える。


「…ゴホ、ゴホ……や、やった! 俺達の力で賊を撃退したぞ!」


「盗人どもめ! …ブヘ、ゴホ……船大工の力を見たかってんだ!」


 その報告に、充満する砲撃の煙にむせ返りながらも、砲列甲板にいる職人達も歓喜乱舞する。


「マズったな。こいつは排煙口を増設した方がよさそうだ……さ、みんな上がってこい。船を岸へ戻すぞ!」


 そんな職人達の様子に、勝利の喜びよりも職業病的な感想を抱くと、空気の澄んだ上の甲板へとアルゴナスは彼らを促した。




「──さて、七人じゃ帆を操るのも大変だが、この距離ならなんとかなるだろ。今の砲撃音に要塞のやつらも気づいたろうしな……さ、もうひと頑張りだ」


「へーい!」


 賊は撃退できたものの、いまだ船は沖合にある。このままでは波に流されてさらに岸から離されてしまうだろう……職人達が上甲板へあがってくると、アルゴナスは造船所へ戻るため、彼らにもう一仕事するよう催促をする。


「……まだだ……まだ終わっちゃいねえぜ……」


 だが、そんな時。真新しい船縁をガシっとゴツい手が掴み、筋肉隆々の血だらけな坊主が這い上がってくる。


「や、野郎! まだ生きてやがったか!?」


 それは、ドミニコアだった……ヤットスリップが吹き飛ばされても彼だけは鉤縄にしがみつき、しぶとくも生き残って登ってきたのである。


「……ハァ…ハァ……よくも……よくも俺の家族ファミリーをやりやがったな……全員ぶっ殺してやる……」


 息を荒くし、あちこち傷を負って血を流しながらも、ドミニコアは腰のカットラス(※海賊や船乗りが好む短めのサーベル)を抜いてアルゴナス達に息巻く……満身創痍とはいえ、恵まれたその体躯通りに彼は打たれ強いのだ。


「フン……独りで乗り込んでくるたあ、俺達もナメられたもんだな……船大工を甘く見てもらっちゃ困るぜ」


 だが、刃物を持った筋骨逞しい悪党を前にしてもアルゴナスは怯まない。むしろ口元を不敵に歪ませると、どこからか大きな金槌ハンマーを取り出す。


「その通りでさあ。刃物が怖くて船大工がやってられるかってんだ!」


「俺達にケンカ売ったこと、後悔させてやるぜ!」


 また、クマーノら職人達もノコギリや木槌、鑿などの工具を手に手に、ドミニコアを取り囲むようにしてギャングの如く凄む。


「…チッ……うらあぁぁぁっ…!」


 血走った眼で凶器を掲げる職人達に、さすがに恐怖を感じつつも勢いに任せ、やぶれかぶれにドミニコアは突っ込んでいった──。


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