Ⅵ まさかの事態

 さて、国王カルロマグノも列席のもと、華々しく新造フリゲート艦〝アルゴナウタイ号〟の浸水式が行われた後、棟梁アルゴナス・プリウスソスの造船所は白金の羊角騎士団にまだ船を引き渡さず、最後の細かな微調節を行っていた……。


「──あれ? 棟梁、今夜も船に泊まるつもりなんすか?」


 夕方、造船所前の海岸に停泊するアルゴナウタイ号から帰ろうとしていた職人達の内の一人が、船首楼の厨房へ向かおうとしていたアルゴナスに声をかける。


「…ん? ああ。あたぼうよ。この船は新天地への長え船旅をするんだ。厨房の使い勝手やベッドの寝心地、その他諸々、居住性もしっかり確認しとかねえとな」


 すると、アルゴナスは配下の職人達の方を振り返り、さも当然というようにそう嘯く。


 船自体はほぼ完成していたのであるが、じつはアルゴナス、ここ数日、船長室や一般水夫用船室に泊まり込んでみたり、波に揺れる厨房で自ら料理を作ってみたりして、実際に海に浮かべた状態でも問題がないかを確認していたのである。


 装甲や砲列甲板といった目に見えてわかる大掛かりな部分ばかりでなく、こうした平時の居住環境に至るまで、微に入り細に入り責任を以て仕上げるところが、まさに職人の心意気といったところであろう。


「さすがは親方! お見それしやした! まさか、そんな細けえとこまで気にかけていたとは……」


「ま、確認役は俺一人で充分だ。ぞろぞろ大勢で泊まられちゃあ、むさ苦しくて仕方ねえからな。おめえらは気にせず酒でも飲み行ってこい」


 だが、その過剰なまでの勤勉さを他人に強いるようなことはせず、尊敬の眼差しを向けてくる職人達に対して、仕事の疲れを癒してくるよう、さりげなく気も遣っている……アルゴナス、船大工の匠としてだけではなく、職人を率いる棟梁としても一流なのだ。


「え、でも、親方一人に任せるというのは……」


「なあに、じつを言うとな、俺は独り静かに船で過ごすのが好きなんだ。騒がしいおめえらがいたんじゃあ邪魔もいいとこだぜ……さ、わかったらとっとと行きやがれ」


 そうは言われてもさすがに遠慮をする若い職人達だが、アルゴナスはさらに下手な嘘を吐いて彼らを追い払おうとする。


「……はあ、まあ、そこまで言われるんでしたら……んじゃ、お先に失礼しまぁーす」


 無論、職人達もアルゴナスの本心はわかっており、あまり無碍むげにしてもあれなので、親方の温かな心遣いに遠慮なく甘えさせてもらうことにした。


「ふぅ……まったく。若えんだから遠慮なんかすんなってんだ……さて、暗くならねえ内に夕飯の支度でもすっかな……」


 船縁にかけた板を伝い、アルゴナウタイ号から波止場へと降りてゆく職人達を見送りながら、アルゴナスは満足げな笑みを浮かべて船首楼へと姿を消した──。




 だが、その夜のこと……。


「──起きよ、アルゴナス。呑気に寝ておる場合ではないぞ?」


「…う、ううむ……」


 波の上での寝心地を確かめつつ、船長室のベッドで眠りについていたアルゴナスは、今夜に限ってうなされていた。


「こら、起きよアルゴナス。起きねば大切なものを奪われるぞ?」


 先程より誰かがずっと、寝ている彼の枕元で語りかけている……そのどこか威厳のある声にゆっくり眼を開いてみると、そこには白い霧が立ち込める中、二匹の巨大な蛇を両腕に絡めた男が一人、神々しくも不気味な雰囲気を纏って仁王立ちしていた。


 頭に羽付きのモリオンを被り、みやびな王侯付きの衛兵が如く深緑の陣羽織サーコートを羽織った美丈夫で、腕に絡む蛇同様に爬虫類の眼を輝かせている。


「あ、あんたは……? う、奪われるって、何をだ……?」


 起きろと言われても、身体が鉛のように重たくなっており、指一つ動かせないままアルゴナスは男に尋ねる。


「盗賊に奪われる大切なもの……それは、もちろんこの船だ」


「ふ、船だとっ!?」


 男のその言葉に、驚いたアルゴナスは叫ぶと同時に飛び起きる。


「……ハッ! あ、あれ? あの大蛇持った衛兵は……?」


 すると、窓から差し込む月明かりに蒼白く照らし出された船長室に、あの男の姿はもちろんのこと、白い霧も立ち込めてはいない……どうやら、今のはすべて夢だったようだ。


「夢か……おかしな夢見ちまったな……ん!?」


 だが、夢だと認識したアルゴナスが次第に意識を覚醒してゆくと、彼はある違和感に気づく。


「なんだ? 船が動いてねえか……?」


 ベッドの上に半身を起こしたアルゴナスは、停泊しているはずのアルゴナウタイ号が海上をゆっくり進んでいるように感じたのだ。


 それがただ波に揺れているだけのものでないことは、船大工としての長年の経験から体感でわかる。


「まさか、流されたのか!? 碇が切れるとも思えねえが……」


 予期せぬ出来事に跳ね起きたアルゴナスは、慌てて船長室から上甲板へと駆け出す。


「…!? ロープが切られてやがる……ハッ! まさか、さっきの夢って……」


 そして、すぐさま船尾にある碇を確認すると、その碇に繋がる太い綱が鋭利な刃物でスッパリと切断されていたが、その状況にアルゴナスは先刻の夢で男に言われたことを思い出した。


「まさか……おい、ほんとにまさかじゃねえよな……?」


 と同時に、彼は船首楼へと甲板を急いで走る。


「なっ……!?」


 だが、その悪い予感は当たっていた……ゆっくりと、蒼白く光る海の上をゆくアルゴナウタイ号の前方には、船首やフォア・マストに結えつけた幾本ものロープをピンと引っ張り、帆を大きく膨らませた六艘の小舟ボートが重い船体を牽引している。


「なるほどな……小せえ舟でも寄ってたかりゃあデケえ船引っ張れるってわけだ……だが、それにゃあそうとうな操船技術とチームワークがいるぞ? それにこの風……やつら、魔導書まで使ってやがるな……」


 その信じ難い光景にも、さすがは船大工の棟梁、冷静に状況を分析すると、そのやり口をすぐにも理解する……ふと気づけば強い夜風も海上に吹いており、その風が賊の逃走を十二分に手助けしている。


「ハハハッ…! エルドラニアの軍船っつてもチョロいもんだぜ!」


「気を抜くな! 追手がかかる前にズラからねえとこっちの負けだ!」


 また、その小舟ボートの方からは、波風の音に混じってそんな高笑いや怒鳴る声も時折聞こえてきている……。


「そうか。こいつら、最近ウワサになってた船泥棒か……まさかとは思ったが、さっきの夢はアンドロマリウスの警告だったっつうことか……」


 賊達の会話を耳に、アルゴナスは夢の意味を確信する……それは、メデイアがこの船に宿したソロモン王の72柱の悪魔序列72番・正義の伯爵アンドロマリウスの、〝盗まれた品を取り戻す力〟によって発せられた警報だったのだ。


 そう……現在、このアルゴナウタイ号はくだんの船泥棒──ドミニコア一味によって、今まさに強奪されようとしているのである!


 無論、その船の船長室に、船を造った当の本人が泊まっていようなどとは露ほども知らずに……。


「ったく。俺の船を…しかも、天下の羊角騎士団さまの軍船を盗もうなんざ、ほんとナメた野郎どもだぜ……だが、参ったな。さすがに俺一人じゃ操船もできねえし、どうやって船取り返して逃げる? ……もうだいぶ岸からは離れちまったし、助けを呼んでも聞こえそうにねえな……」


 船大工の棟梁として、肝の据わったアルゴナスが盗賊如きで動揺することもなかったが、それでも自分一人では手も足も出ないこの状況にはさすがに困惑してしまう。


「クソっ! 国王陛下も謁見なされたこの新型艦を、納品前に賊に盗られるなんざ赤っ恥もいいとこだぜ! これじゃあ造船所の棟梁失格だ……あんなに気に入ってくれてたハーソン卿達にはなんて詫びりゃあいいんだ……」


 このまま船もろとも賊に奪取されれば、自分の命すらも危うい状況であるというのに、アルゴナスはそれよりも何よりも、手がけた船と依頼主のことばかりを気にかけて嘆く。


「お、親方……こ、これはいったい……?」


 と、その時。不意に彼の背後から聞き憶えのある声が聞こえた。


「お、おまえら! な、なんでここに!?」


 振り返ると、そこには若い職人達が六名、唖然とした顔で突っ立っていた……帰り際、話をしていたあの職人達である。


 名前はクマーノにハチーロ、ヤジーロにキターサ、それにヤドロークにヨターロである。


「なんだ、飲み行ったんじゃなかったのか?」


「い、いえ。飲みには行ったんすが、飲んでる内にやっぱり俺達も親方を見習おうって話になって、そんでこっそり戻って来て、一般船室に泊まってたんす。んまあ、酔っぱらったノリってのが大きかったんすが……」


 思わぬ密航者・・・に驚いてアルゴナスが尋ねると、すっかり酔いも醒めた顔で職人の一人、クマーノがそう答える。


「そ、そんなことより、これはいったいどういう状況なんすか!? なんで船が沖へ? あいつらは誰なんです!?」


 そして、我に返ると矢継ぎ早に、今度は彼の方からアルゴナスへ質問をぶつけた。


「おそらくは最近、ここらの港でウワサされてた例の船泥棒だろう。まさかエルドラニアの軍船狙うバカはいねえだろうと油断してたとこを突かれたってわけだ。しかも、あんな小舟で夜陰の中近づかれたら、要塞の見張りもそうそうは気づかねえ……賊ながら上手えこと考えたもんだぜ」


 その問いかけに、むしろ感心しているとでもいうような口ぶりでアルゴナスはそう答える。


「ふ、船泥棒!? じゃ、じゃあ、この船、今盗まれてる最中ってことっすか!?」


「ああ。その通りだ……だが、このまま黙って俺達の船をくれてやるほどお人好しじゃねえからな……てめらだってそうだろ?」


 しかし、驚く職人達に対してアルゴナスは、賊の手腕に感心しつつも甘んじて受け入れることはなく、その眼に闘志を宿すと彼らに向かって尋ね返す。


「……そ、そりゃあ、もちろんでさあ!」


「お、おうともよ! 盗人の好きにさせてたまりますかってんで!」


 その言葉を聞くと、予期せぬ出来事に面食らっていた職人達も本来の気風きっぷの良さを取り戻し始める。


「俺一人じゃさすがにお手上げだったが、てめえらがいたおかげで船も動かせる……この偶然にゃあ神様に感謝だな……どうだ? いっちょ船大工の心意気ってやつを盗人どもに見せてやろうじゃねえか!」


「へい!」


「がってんでさあ!」


 そんな職人達に不敵な笑みを浮かべ、アルゴナスがそう鼓舞をすると、彼らもやる気満々にそれぞれ大きく頷いた──。

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