Ⅴ 噂の船泥棒

 さて、アルゴナスの造船所が白金の羊角騎士団のフリゲート艦〝アルゴナウタイ号〟の建造に盛り上がりを見せていたその頃、ここティヴァーリャをはじめとするバスケット湾に面した港町では、ある不穏なウワサが囁かれていた……〝船泥棒〟の横行である。


 例えば、遡ること半月ほど前、バスケット湾最大の港町、〝赤いリボンを着けた白猫〟を市章とするサンリォーニャンでは……。


 草木も眠る丑三つ時。修繕したてホヤホヤの、ほぼ新品に近いキャラベル船が浮く造船所の乾ドック……本来、船の建造や修復時には水が抜かれているはずなのだが、なぜか今は水密扉が完全に開かれ、ドック内には海水がすっかり満ちてしまっている。


 その静寂に波の音だけが響き渡る漆黒の水の上、小さな蝋燭の灯りだけを頼りにもそもそとうごめく、真っ黒な人影が幾つか見受けられる……。


 よく見ればキャラベル船の前には六艘の小舟ボートも所狭しと浮かんでおり、人影達はその小舟ボートからロープを投げ渡し、キャラベル船にそれを括り付けているようである。


「──よし! ロープは完了だ! いつでも行ける!」


「おーし! 全員ヤットに戻れ! ティアゴ、風の様子はどうだ!」


 その静かな波の音を破り、キャラベル船に乗る黒い影法師の一人が大声で伝えると、小舟ボートの上から頭目と思しき坊主頭のマッチョな大男が、さらに大きく吠えるように号令をかけるとともに、ドックの側壁に立つ他の仲間に続けて尋ねる。


「もちろんバッチリよ! 今夜もソロモン王の72柱の悪魔の内、序列42番・海洋公ヴェパルの力で絶好の航海日和だぜ!」


 すると、その擦り切れた修道士服を着たドレッドヘアーの男は、吹きつける海風に長い裾をなびかせながら、やけにテンション高くそう答えて自身の小舟ボートへ飛び移る。


「よーし! 全員配置についたな? ドックを出たら一斉に帆を開け! いくぞっ!」


 そして、キャラベルの甲板から四人、取り付けたロープを伝ってそれぞれの小舟ボートへ戻ったのを確認すると、頭目は再び号令をかけ、全員が一斉にオールを漕ぎ始めた。


「いい風だ……ちゃんと帆の向きを合わせろよ? さあ、一気に離脱だ!」


 やがて、ドック内から六艘の小舟ボートが海に出ると、彼らは一斉に帆を開き、帆は風を孕んで海の上を走り出す……海岸に掘り込んで作られた乾ドック内は側壁で遮られているが、外は一転、強風が吹き荒れているのである。


 その風に乗り、すぐさま速度を上げて行く小舟ボート……それは三角帆ラテンセイルのマスト1本を持つ|、エルドラニア領オランジュラント地方で発明された〝ヤットスリップ〟という小型艇だ。


 一つ一つは小さな舟だが、それが幾つも合わされると大きな推進力を生む……彼らは六艘の進路を寸分の違いなく合わせ、六枚の帆が受ける強烈な海風により、自分達の舟ばかりかロープで繋いだキャラベルまでがドックから引き出されて走り出した。


「おい、なんの騒ぎだ……なっ! きゃ、キャラベルがないぞ!?」


「ドックも注水されてるぞ!? 誰だ!? ゲート開けたやつは!?」


 ようやく異変に気づき、様子を見に来た船大工達が騒ぎ始めるが時すでに遅し。海岸線を離れた小舟ボートとキャラベルは勢いに乗ってぐんぐん沖へ遠ざかって行く……。


「よーし! ここまでくればもう大丈夫だ! どっか近くの入江で一息吐こう!」


 追手をかけても間に合わない沖合にまでくると、褐色の肌をした坊主頭の頭目──ドミニコアが再び皆に号令をかける。


「今回もうまくいったな。ここからだとフランクルへ行って売るのが最善だろう」


 すると先刻、キャラベルの上から合図をしていた仲間の一人、ブロンドの短髪をした白人ブリアンがそれに答えてそんな提案を口にする。


「中古だが新品同様だ! こいつは高く売れるぜえ!」


「そうだな。エルドラニアと仲の悪いフランクルなら、盗品でも問題なく捌けるだろう」


 また、頭目同様、褐色の肌をしたノッポのロマーノはその言葉を受けて大いにはしゃぎ、東方人と思しき風体の長髪── ファン・ルォは、冷静に密売方法の安全性を分析している。


「ま、いくらで売れるにしろ、一番活躍した俺様の取り分は当然多めってことで。なんせ、俺様が悪魔の力で風を吹かさなきゃあ、この計画はそもそも成り立たなかったんだからよ」


 他方、例の修道士姿のティアゴはいたく自慢げにそう嘯いてみせるが。


「なに言ってんだい。あたしらはチームで動いてんだ。全員が力合わせなきゃうまくなんかいきゃしないよ。そうだろ? ドミニコア」


 紅一点、露出の高い寸足らずの袖なしシュミーズを着る、ラテン系のグラマラスな黒髪美女──レティアが、べらんめえ口調で彼を嗜め、先頭のヤットスリップに乗る頭目の背中に同意を求める。


「ああ。俺達はファミリーだ。誰一人欠けても仕事はできない。だから、儲けも山分けだ」


 すると、頭目ドミニコアは頼もしき仲間達の方を振り返りながら、満足げに笑みを浮かべてそう答えた。


 そう……彼らはドミニコアを頭とする船専門・・・の窃盗団なのである。


 船を盗むと言っても、大型船では操船にかなりの人数が必要なため、大所帯の窃盗団でなければ乗って逃げるのは不可能だ。そこで、彼らはこうして複数のヤットスリップで牽引する戦法により、これまでもまんまと大きな船を手に入れてきたのだった。


 その要となっているのが、さっき自分でも自慢していたように修道士姿をしたティアゴである。


 じつは彼、エルドラニアのある南エウロパのイバラーノ半島がプロフェシア教化された際、追放されたアスラーマ(帰依教)教徒の末裔であり、一族が改宗して当地に残った後、自身は修道院に入り、魔法修士になったという混みいった経緯を持つ。


 だが、その出自から差別を受けたこともあって破戒僧に身をやつすと、悪い仲間のドミニコア達とこの稼業を始めたのである。


 魔法修士崩れではあっても当然、魔導書の魔術に長けているため、自分達に都合がいいよう、悪魔の力で自在に天候を操れるというわけだ。


 また、彼ばかりでなく他の仲間達も皆、各々個性的な出自を持つ……。


 頭目のドミニコアはイバラーノ半島から海を渡った南、アスラーマ帝国が支配するオスクロ大陸の出身で、子供の頃、海賊に捕まり売り飛ばされ、船奴隷としてこき使われていたが、脱走して悪の道に入ったという苦労人だ。


 ノッポのロマーノもやはりオスクロ大陸の奴隷出身で船乗りだが、船は船でも海賊船で働いていた凶賊である。


 一方、ファン・ルォは東方の大国〝辰〟の生まれで、やはり向こうで海賊をやっていたのが新天地行きの南航路をたどってエルドラニアに流れて来た。


 逆にフランクル人のブリアンは、海賊や密貿易を取り締まるフランクル衛兵隊の潜入捜査官だったものが、ミイラ取りがミイラになってしまったという口だ。


 そして紅一点のレティアはというと、港町の酒屋で酌婦をしていたところ、その度胸を見そめられたドミニコアの女である。


 そんな出自も風体もバラバラなはぐれ者達が集まったドミニコアの一味ではあるが、その割に彼らの結束は非常に強く、先程の盗み働きを見ての通り、仕事でのチームワークも抜群であった……。




「──いやあ、儲かった儲かった! こりゃあ両手に女はべらせて豪遊しなきゃあ、バチが当たるってもんだな!」


 海沿いに建つ宿屋の一室……丸テーブルの上に六等分して置かれた銀貨の山を前にして、ロマーノが歓喜の叫び声をあげる。


「よーし! そんなら俺もついてくぜ! ドミニコア…はレティアが怖いからやめとくとして、ファン、おまえも行くか? ブリアン、どっかいい女がいる酒場か売春宿知ってたら教えてくれ」


 その言葉に賛同し、浮かれたティアゴも坊さんらしからぬ発言をして仲間達を酒宴に誘っている。


 ここはエルドラニアとの国境から程近い、バスケット湾に面したフランクルの港町ビィヨンネ……。


 あれから二週間の後、この武器製造も盛んな街で盗んだキャラベル船を仲介業者に売捌き、計画通りに大金を手に入れたドミニコアの一味は、その儲けの分配をさっそくしているのだ。


「いや、俺は静かに飲むのが好きだから遠慮しておくよ」


「いい店か……ビィヨンネはそんな詳しくないけど、後で地元の人間に訊いとくよ。それよりドミニコア、次はどうする? 金が入ったししばらく休むか、この勢いに乗ってもうひと稼ぎするか……」


 ティアゴの俗的なお誘いにダンディズムをゆくファンは丁重にお断りを入れ、一方の訊かれたブリアンはそう返してから、今度は頭目ドミニコアに自身が尋ねる。


「……ん? あ、ああ、そうだな。確かに休んでも暮らしてはいけるが……何かいい獲物でもあるのか?」


 すると、女遊びに行かないよう鋭い視線で圧をかけられていたドミニコアは、睨むレティアの方をチラチラ覗いつつも、ブリアンの質問にそう尋ね返した。


「じつは今、ティヴァーリャの造船所にとびっきりの大物があるらしいんだよ」


 だが、その問いを初めから待ってましたとばかりに、ブリアンはやにわに仕事の話を始める。


「大物の? ティヴァーリャっていやあ、エルドラニアいちの造船の街だ。遠洋航海用のガレオンの新品か?」


「いや、もっと特殊な船だ……白金の羊角騎士団って知ってるか?」


 怪訝な顔で予想をつけるドミニコアに、興味を示し始めた他の仲間達も見回しながらブリアンは続ける。


「羊の騎士団? いや、聞いたことねえな」


「俺様は学があるんで知ってるぜ? エルドラニアの伝統ある護教騎士団だ。ま、今じゃただの名誉称号みてえなもんだけどな」


 ロマーノはじめ皆が首を横に振る中、さすがはもと魔法修士だけあって、やや古い情報ではあるものの、庶民に馴染みのないその名前もティアゴだけは知っていた。


「それが最近、エルドラニア王の肝入りでガチの精鋭部隊に作り変えられたみたいなんだ。なんでも新天地で海賊討伐に当たらせるつもりなんだとか……で、そのために用意された船が、今、俺の言ったティヴーリャに停泊する大物・・っていうわけさ」


 しかし、知ったかぶりにも不正確だったティアゴの情報に捕捉を加えると、ブリアンはいよいよ本題に入る。


「さっき仲介業者に聞いた話によると、二層の砲列甲板に船体を覆う銀の装甲板を持った新型フリゲート艦らしい……浸水式はもう済んだが、まだしばらくは引き渡すまで日があるようだ」


「エルドラニアの新型か……そりゃあ、どんな大枚叩いてでも欲しがる国や輩がごまんといるだろうが、それだけ警備も厳しいだろう? そうでなくともティヴァーリャの港は要塞に見張られてるし、見つかれば駐留する武装ガレオンのカノン砲で蜂の巣だ。条件が悪すぎる」


 ブリアンの持ってきた獲物の話に、ドミニコアは少なからず魅力を感じる一方、現実的な難しさからその実行には躊躇する。


「いや、待て。俺達のやり方なら勝算がねえとも言いきれねえぜ? 海賊みてえに大型船で鹵獲に行きゃあすぐに見つかっちまうが、小型のヤットスリップで静かに近づけばバレねえ可能性が高え。いくら新型のフリゲート艦だって、操船する水夫がいなきゃあ、これまでの獲物となんら変わらねえしな」


 だが、彼の言葉を遮り、自分達だからこその利点に気づいてティアゴがそのことを示唆する。


「そうだな。まさか精鋭部隊の軍船を盗みに来るバカはいないだろうという油断も向こうにはある。しかも、夜釣りでもするような小舟で来るなんて思いもよらないだろう」


「いいじゃないか。エルドラニアの新造船を盗み出したとなりゃあ、あたい達の株も上がるってもんだよ。それに、今はなんかムシャクシャして暴れたい気分だしねえ……」


 その意見にファンも相槌を打ち、レティアも賛同すると嫌味を口に再びドミニコアを睨みつける。


「よ、よしわかった。確かに俺達ならやれねえことはねえかもしれねえ……ティヴァーリャならここからも近い。それじゃあ、エルドラニアのヤツらに俺達の力ってのを見せてやろうじゃねえか」


 最初は否定的だったドミニコアも皆の意見を聞くと考えを改める。そして、レティアの圧から逃げるようにしてそう告げると、彼らドミニコア一味は次の獲物を〝アルゴナウタイ号〟に定めたのだった。

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